徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

信長公と幸若舞

2015-01-15 21:23:25 | 歴史
 昨年暮、おてもやんの生みの親・永田いねさんのお墓参りをするため下通の泰厳寺を訪れた。
 この泰厳寺は細川家ゆかりのお寺で、門柱の前にこんな石碑が立っている。

「右大臣信長公 宮本武蔵 御霊位安置所」

 つまり、織田信長と宮本武蔵の位牌を安置している所ということである。残念ながら位牌の現物は戦災で焼失したらしいが、そんな由緒ある寺であることを証明する石碑とでも言ったらよいだろうか。
※写真はクリックして拡大できます


 もともと泰巌寺は、細川忠興が織田信長の菩提を弔うため丹後国宮津に創建した寺。その後、豊前国移封、さらには嗣子細川忠利の肥後熊本藩移封に伴い、泰厳寺も宮津から小倉へ、小倉から忠興の隠居地八代へと移された。明治時代に入り廃寺となったが、その後熊本で再建された。泰厳寺という名前は信長の法名からつけたというほど忠興の信長に対する尊崇の念は強かったようだ。

 その信長のエピソードとしてよく語られるのが、出陣の舞「敦盛」。

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」

という詞章が有名だが、これは謡曲ではなく「幸若舞」。来る1月20日、みやま市の大江天満神社で行われる「大江幸若舞」は現存する唯一の「幸若舞」である。


安田靫彦 出陣の舞