徒然なか話

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ブラタモリ 酒田編(9月29日放送)

2018-09-10 23:00:18 | 歴史
 今月29日(土)に放送予定の「ブラタモリ 酒田編」(NHK総合)は、わが熊本にもゆかりの町であり、放送が楽しみだ。酒田は東北は山形県、日本海に面し、かつて北前船の寄港地として栄えた港町。江戸時代の酒田は鶴岡とともに庄内藩の主要な町。この庄内藩は藤沢周平の小説「蝉しぐれ」や「たそがれ清兵衛」などの舞台となった架空の「海坂(うなさか)藩」のモデルでもある。
 庄内藩を経済的に支えたのが本間家。本間家は酒田を拠点に金融業や米取引、北前船交易などで莫大な富を築き、16万石の庄内藩主を超える財力を有していた豪商。歴代の本間家当主は私財を投げうって、明治維新期の戊辰戦争時まで庄内藩を支え続けたという。
 寛永九年(1632)に肥後熊本藩主を改易された加藤忠広は庄内へ配流となり、庄内藩主・酒井忠勝お預けの身となった。1万石を与えられ、母や側室、少数の家臣とともに丸岡に居を構えるが、実質的には蟄居であり、子を生すことは幕府から固く禁じられた。それから21年後に忠広が死去、忠広と同時に飛騨高山に配流された嫡男の光広はわずか1年で死去していたので加藤家は断絶したということになっていた。ところが、実際には忠広が丸岡でもうけた一男一女がいたと伝えられており、幕府の追及を逃れたこの二人の血筋が新堀加藤家と大山加藤家として今日まで続いているという。そして新堀加藤家は前述の酒田本間家と姻戚関係となり、大山加藤家は鶴岡市で富士酒造として酒造業を営んでいる。数年前、知人から鶴岡旅行の土産としていただいたのが富士酒造の「有加藤」だった。
 29日の放送では、本間家に伝わる加藤清正ゆかりの品も登場するらしい。
※「無題・休題-ハバネロ風味-」さんに資料を提供いただきました。


2011年に復元された北前船「みちのく丸」が酒田港に寄港した時の様子


酒田本間家本邸


鶴岡・富士酒造の日本酒「有加藤」



湊町華やかなりし頃を髣髴とさせる酒田舞娘。
動画の後半に熊本の「おてもやん」と原曲が同じだという「酒田甚句」が入っています。