徒然なか話

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歴史豊かな散歩道 ~春木坂・柳川丁~

2021-07-09 19:52:44 | 歴史
 中坂を50㍍ほど上ると左に専念寺の山門があり、その真向かいに階段の坂が見える。この坂が春木坂。その名の由来は肥後熊本藩三代藩主・細川綱利公の家臣で長柄頭を務め、子孫も町奉行をしていた春木主税。主税は敷地の一部を提供し、道として交通の便を図ったことによりその名が付いた。
 春木坂を上りきると仏厳寺があり、その隣に春木主税の屋敷があった。ここは平安時代に天台宗「大道寺」があったと推定されており、これまで度々発掘調査が行われている。明治35 年(1902) 1 月から平成23 年(2011) 2 月までの109年間は気象観測を行う京町測候所が置かれていた。現在は民間の集合住宅が建てられている。
 そこから北へ並行して進む道が2本。東の柳川小路と西の柳川小路。「しょうじ」とも「こうじ」とも読むが、地元の人たちは「やながわしゅうじ」と呼んだ。関ヶ原の戦で西軍に与して敗れた柳川城主立花宗茂の家臣たち200人にものぼる柳川衆を加藤清正が預かり、京町に住まわせたので、以来この一帯を柳川小路と称した。明治維新後は町名制度により「柳川丁」となった。


春木主税の名が残る春木坂


この坂の途中から見る熊本市内の眺望に、いつも思わず時間をつぶしてしまう。


一部の気象観測機器が残された測候所の土地。


東の柳川小路


西の柳川小路


柳川小路は明治以降、柳川丁となる


柳川丁も唄い込まれた創作舞踊曲「肥後の通り名」