徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

東京オリンピック あの日あの時(再編集版)

2021-07-24 15:14:46 | スポーツ一般
 1964年10月18日。東京オリンピックの水泳競技最終日、僕は会場となっている代々木競技場のプールで大会スタッフのアルバイトとして働いていた。この日まで日本は1個のメダルも獲れないでいた。いよいよ最終種目の男子800mリレー。日本にとってはまさにラストチャンスだ。スタートの号砲が鳴る。最終種目とあってか、会場はもの凄い声援の嵐。僕ももう仕事なんかそっちのけ、仮設スタンド脇の黒山の人だかりのすき間からレースを覗き見る。日本は福井、岩崎、庄司と繋ぎ、アメリカ、ドイツ(東西連合)に続き3番手でアンカーの岡部へ。悲願のメダルへ手が届きそうだ。その時だった。誰かが仮設スタンドの上から僕を呼んでいるのに気付いた。見ると外国人の男性客が僕にスタンドに上がって来いと言っているらしい。そして僕に手を差し伸べた。僕も躊躇している場合ではないと思い、手を差し出し、仮設スタンドの鉄パイプをハシゴがわりにして客席まで引っ張り上げられた。男性は何かしきりに英語でまくしたてたが、どうも「日本がメダルを獲りそうだから、ここからしっかり見ていろ!」と言っているらしかった。僕は「サンキュー」とだけ言ってレースに集中した。岡部は3番手の位置を保ったまま、最後のターンを終えた。するとそれまでにも増してもの凄い声援と指笛が大音響となって会場を包んだ。日本人、外国人関係なく会場すべてが日本を応援しているようだった。そして日本は3位でゴールインした。引っ張り上げてくれた男性やその周囲の観客たちが、僕に「コングラチュレーション!」の嵐。僕はその人たちと握手しながら「サンキュー!サンキュー!」というのが精一杯だった。そして僕はその時、スポーツの存在意義を実感した。

 あれから57年、今また東京オリンピックがやって来た。しかし、あの日の感動の中心にいた福井さんと岡部さんは今は亡い。ご健在の岩崎さんと庄司さんはどんな思いで今大会をご覧になっているだろうか。
 後年、僕はその庄司さんと同じ職場で働くこととなった。既に水泳はやめておられたが、東京オリンピックについてあまり多くを語られなかった。最近、ブリヂストン・ブログに登場された庄司さんのお姿に懐かしい思い出が甦った。


3位でゴールしたアンカーの岡部選手をねぎらうチームメンバー


左から岡部、庄司、岩崎、福井の800mリレーメンバー


数十年ぶりに拝見した庄司さんの近影(ブリヂストン・ブログより)