tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

やまとの桜 第3日 桜大仏(4/7)

2024年04月10日 | 観光にまつわるエトセトラ
2024年の花見、3日目(4/7)は、壷阪寺(高市郡高取町壷阪3番地)へ。「車だと渋滞して、山門にたどり着けない」と聞いて、近鉄壺阪山駅から徒歩で訪ねた。ざっと1時間ほどの道のりだ。渋滞した車の横を、のびのびと歩いた。
※トップ写真は「桜大仏」。写真はすべて日曜日(2024.4.7)に撮影



標高は300mほどなので大した登り坂ではないのだが、2日前に吉野山を歩いたので、やや筋肉痛だった。



この日も薄曇りの空だったが、時間がたつとともに青空が見えてきた。



前日も前々日も曇り空で、「今年は青空が拝めないのかなぁ」と思っていたところが青空になったので、これは絶好の写真日和りとなった。



壷阪寺は、伽藍や石仏の間にたくさんの桜(ソメイヨシノ)が植えられていて、その対比が見事である。特に大きな石仏が満開の桜に囲まれているさまは「桜大仏」として、人気を集めている。だから、「晴天の日曜日の桜大仏を拝もう」と、たくさんの車が列をなすのである。





この日は気温も上がり、絶好の花見デーとなった。車のナンバーを見ても、近畿圏だけでなく、中部地方や関東地方のナンバーもあった。お寺の公式HPには、





西国三十三所第六番札所、眼病封じのお寺へようこそ。
南に桜の名所 吉野山を控え、北に万葉のふるさと 大和三山奈良盆地を一望におさめる壷阪の山に建つ。大宝三年(703)に元興寺の僧弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵におさめ、感得した観音様のお姿を模刻してまつったのが始まりといわれる。








壷阪寺とアジアとの関係
1960年代、インドでのハンセン病患者救済事業への支援協力に携わらせて頂いたことから、インド国内各地において、たくさんのご縁を頂戴し、現地の学校運営助成事業や奨学金事業等の教育支援をはじめ、地域開発支援など様々な国際交流を展開しています。壷阪寺境内にある多くの石彫文化は、このような日印交流のご縁でご招来されたものです。





礼堂(本堂)から外を見下ろす場所に鏡がある。鏡の上から写真を撮ると、このように写る


礼堂には「大雛曼荼羅」として、たくさんの雛人形が並んでいた


花散らしの風

行く前は「桜大仏の写真は、どこから撮るのだろう」と不思議に思っていたが、ちゃんと展望所があるので、ラクラク撮ることができた。ただし長蛇の列ができるので、時間には余裕を持ってお参りいただきたい。

すべてお寺の境内地なので、屋台などはなく、花見に専念できるのは有り難い。お寺のHPによると、今日(4/10)は「花吹雪 風も落ち着き、ゆっくりと散花がすすんでいます」とあった。私はまさに絶好のタイミングで、青空の下で満開の桜と石仏を撮ることができたのだ。

来年も、ぜひお参りしたい。徒歩で往復2時間、今から足を鍛えておかなければ…。
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やまとの桜2024 第2日 石舞台(4/6)

2024年04月09日 | 観光にまつわるエトセトラ
花祭りの昨日(4/8)になって、奈良地方気象台は奈良市で桜(ソメイヨシノ)の標本木が、「満開」になったと発表した。平年より4日遅く、昨年より12日遅いという。



2024年の花見、2日目(4/6)は、すでに「満開」と聞いていた明日香村の石舞台へ。天気は「薄曇り」。午前11時頃に到着すると、たくさんの家族連れが来ていた。







石舞台のエリア(墓域)内では食事ができないので、周辺のベンチなどで、お弁当を広げる人がたくさんいた。周辺の畑ではたくさんの菜の花が咲き、ソメイヨシノのピンク色とのコントラストも、とてもきれいだった。
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やまとの桜2024 第1日 吉野山(4/5)、ランチは矢的庵(やまとあん)

2024年04月08日 | 観光にまつわるエトセトラ
今年の桜、開花は平年より3日ほど遅れた。昨年(2023年)は平年より8日ほど早かったので、今年は開花が待ち遠しかった。「桜だより」と「週間天気予報」を見比べ、「今年は4/5(金)~7(日)が勝負だな」と予想した。すると、まずは吉野山だ。「下千本は4/5に満開」という予報を得て、前日に大和西大寺午前7時4分発の近鉄特急(吉野連絡)の特急券を買い求めた。
※トップ写真は、「一目全本」(吉水神社境内)からの眺め(4/5撮影)


近鉄吉野駅前のソメイヨシノ

8時19分に吉野駅に到着。そこで奈良交通バス(中千本公園行)に乗り換え、終点へ。ここからは徒歩で、上千本(かみせんぼん)の「吉野水分(みくまり)神社」をめざす。天気はあいにくの「曇り」。まずは水分神社まで登り、そこから降りながら写真を撮ることにした。


吉野水分神社の枝垂れ桜の老木が、見頃を迎えていた

まだ早いと思っていた吉野水分神社の枝垂れ桜が、見頃を迎えていて驚いた。ここから降りながら写真を撮る。まずはすぐ下の「花矢倉」。下千本の桜は、こんなに咲いていた。









途中までは一方通行ながら車が入れるので、いちいち後方を気にしなければならないので大変だ。下千本まで降りてきて、ここからは歩行者天国だ。偶然、旧知のKさんご夫妻にお目にかかった。かなりのおトシだが、吉野山を歩き回れるほどお元気だったので、ちょっと安心した。金峯山寺で蔵王堂を拝んでからは、満開の桜の下を徒歩で山を降りた。


吉水神社の参道から、蔵王堂を望む


「一目千本」からの眺め、トップ写真と同じ場所で撮影


金峯山寺の境内から「南朝妙法殿」を望む

この日のランチは、中千本の矢的庵。地元の人気店なので、11時半に着くと、すでにたくさんの人の名前が受付用紙に書いてあった。「今からだと2巡目になるだろうな」と思っていたら、やはりその通りになって、12時半に名前を呼んでいただいた。





名物の「田舎ざるそば」(1,320円=税込み、以下同じ)は売り切れだったので、「ざるそば」(1,100円)の大盛り(+330円)と、「季節の天ぷら」(990円)を注文。出てきたのが写真の料理である。





麺は独特の「ぼっち盛り」。これは初めてだったが、とても食べやすい盛り方だ。麺はそばの香りが高く、ツユも魚介ダシがよく利いている。ワサビは信州安曇野穂高産だ。


あつあつの天ぷらが、冷たい麺とよく合う

ああ、おいしかった。ここは11時がオープンだそうなので、これからは11時までに到着するようにしよう。お土産には柿の葉ずしを買い求めた。いつも、「やっこ」「たつみ」「ひょうたろう」「醍予(だいよ)」の4軒の専門店の柿の葉ずしから選ぶが、今回は最もあっさりとした味の「醍予」のものを買った。

帰りは特急券が全て売り切れだったので快速で帰ったが、橿原神宮前までの停車駅は特急と同じだったし、座れたのでこれはおトクだた。下界の桜も良いが、やはり吉野山のシロヤマザクラは品があるし、花見気分も盛り上がる。来年も訪ねることにしたい。皆さんも、ぜひ!
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JR畝傍駅舎、保存・活用へ

2024年03月21日 | 観光にまつわるエトセトラ
先週(2024.3.15 付)の毎日新聞奈良版に〈畝傍駅舎 保存活用へ 市、民間資本導入 JR西に無償譲渡要請 貴賓室解体の恐れで方針転換〉という大きな記事が出ていた。JR畝傍駅には、立派な貴賓室があり、昭和天皇も利用した。橿原市は、この貴賓室を含む駅舎(歴史的建造物)の無償譲渡をJR西日本に要請し、保存・活用するという。
※トップ写真は畝傍駅の貴賓室、毎日新聞の記事サイトから拝借

橿原市は、一時は無償譲渡を断念していたが、貴賓室が取り壊される懸念が浮上したため、方針を転換したという。背後には「JR畝傍駅舎の保全活用を進める会」(代表理事米村博昭)の粘り強い活動があったようだ。では、全文を以下に紹介する。

畝傍駅舎 保存活用へ 市、民間資本導入 JR西に無償譲渡要請 貴賓室解体の恐れで方針転換
昭和天皇も利用した貴賓室が残るJR畝傍(うねび)駅(奈良県橿原市八木町2)の駅舎について、市は13日、JR西に無償譲渡を要請した。市はJR西側から無償譲渡を持ちかけられていたが、整備に多額の公金が必要なことから一時断念した経緯がある。ただ、市で整備しなければ貴賓室が解体される恐れがあり、方針を転換した。民間資本を活用し、歴史的建造物の駅舎を保存活用したい考えだ。【皆木成実】

駅舎は戦前の1940年に建てられた寺社風の建物。現在は無人駅になっているが、神武天皇陵(同市大久保町)を参拝する皇族のために造られた貴賓室がある。JR西は2017年、利用者の減少や施設の老朽化が進んでいるとして、駅舎を改築してコンパクトにする考えを市に示した。一方、駅舎の歴史的価値を考慮し、保存を前提に市に無償譲渡することも同時に提案していた。

市は駅舎の耐震改修に2億円超がかかることなどから、21年に譲り受けをいったん断念した。ただ、JR西との協議で、駅舎がコンパクト化された場合は貴賓室が取り壊される懸念が浮上。駅舎の存続を求める市民団体も設立され、市が駅舎を整備して保存活用するよう求めていた。市が駅舎の保存活用策を再検討したところ、民間資本を活用して整備する案が浮上。公金の投入を抑えられるめどがついたことから、JR西に13日、無償譲渡を要請した。

市は無償で譲り受けられることが決まった場合、具体的な保存活用方法を策定する。歴史的建築の雰囲気を守るために市で整備案をまとめ、民間に改修や維持管理を委ねる案などを検討。地域のにぎわい創出につながる商業施設を駅舎と一体で整備するアイデアなどが出ている。

亀田忠彦市長は、無償譲渡を一時断念した21年は新型コロナウイルス禍で景気が冷え込み、民間に協力を求めることが難しかったと指摘。「今は状況が変わった。『日本建国の地』橿原にふさわしい駅に整備したい」と述べた。市民団体「JR畝傍駅舎の保全活用を進める会」の米村博昭代表理事は「歴史的価値に基づいて改修し、活用するべき。市に期待したい」と話している。


コメント (2)
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御所市・鴨都波(かもつば)神社の「ススキ提灯(ちょうちん)献燈行事」

2023年07月18日 | 観光にまつわるエトセトラ
一昨日(2023.7.16)、会社で先輩だったFさんのご案内で、鴨都波(かもつば)神社(御所市宮前町513)の夏季大祭「ススキ提灯献燈行事」を詳しく取材することができた、Fさん、ありがとうございました! この日はお天気に恵まれ、朝から快晴。気温もグングン上昇し、最高気温は35.5℃を記録するという猛暑日だった。

奈良新聞(7/14付)の記事〈ススキ提灯献燈行事 住民と学生ら協力 関西学院大生「担い手不足解消へ」〉によると、今年は22地区・23本のススキ提灯が出るうち、関学の学生たち19人は5つの地区のススキ提灯の組み立てや巡行に協力するのだそうだ(末尾に記事画像。動画はこちら)。


写真は全て7/16に撮影。ポスターに載っている地区を数えると38になるが、ススキ提灯は22地区・23本。少子化と高齢化で担い手が不足していたり、コロナ禍のうちに提灯が虫に食われて参加できない地区もあるようだ(提灯は一張り15,000円とか)。

Fさんとは正午過ぎに落ち合い、車で御所まち周辺にお連れいただいた。すると、もう街角に各自治会のススキ提灯が立てかけられていた。4年ぶりの「完全復活」ということなので、力が入っているようだ。なおコロナ「第9波」を心配する声もあるが、そもそも「無病息災」を祈願する行事なので、催行するのが正解だ。鴨都波神社について、同神社のHPによると、


組み上げられたススキ提灯。ほとんどの提灯が、タイヤ付きの台車に載っていた


六軒町の語源は、1740年の豪雨で川の堤防が決壊し6軒しか残らなかったから(県HPより)

第10代崇神(すじん)天皇の御代、大国主命(おおくにぬしのみこと)第11世大田田根子(おおたたねこ)の孫、大加茂都美命(おおかもずみのみこと)に勅を奉りて葛城邑(かつらぎのむら)加茂の地に奉斎されたのが始まりとされている。葛城加茂社(かつらぎかもしゃ)、下津加茂社(しもつかもしゃ)とも称され全国の加茂(鴨)社の根源である。


子どもたちは、お祭りの名脇役だ!このおじいちゃんは、会社のC先輩(私より1歳上)



明治以後、宮中八神殿の一社として鎮魂の祭礼に預かり給う延喜式内明神大社(えんぎしきないみょうじんたいしゃ)である。現在も宮中三殿の1つ合祀され継承されている。事代主神は元来「鴨氏」一族が信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰の本源となる。


ススキ提灯は一旦「葛城公園」に集合し、そこから川沿いの道を進み、鴨都波神社をめざす

大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大物主命の子にあたることから、大神神社の別宮とも称される。当社の古い社名は「鴨都味波八重事代主命神社(かもつみわやえことしろぬしのみことじんじゃ)」であり、「鴨の水端(みずは)の神」と解され、鎮座地付近が葛城川と柳田川の合流点となり水に恵まれていたことから、元々は水の神を祀っていたとする説もある。


御所まちは電線が多いので、傾けないと引っかかるのだ!

また神社を中心とする一帯は「鴨都波遺跡」という弥生時代中期の遺跡として知られ、当時の住居跡や土器、農具などが多数出土しており、古代より鴨氏がこの地に住み着いて農耕生活を始めていたことが窺える。終戦までの旧社格は県社である。



なお「ススキ提灯献燈行事」について、同神社のHPによると、

地元では「鴨の宮」で知られ、旧御所町及び近隣の5つの地区(東松本、竹田、南十三、蛇穴、元町)の氏神として崇敬されている鴨都波神社で行われる献灯行事。夏祭り(7月16日)と秋祭り宵宮(10月スポーツの日の前々日の土曜日)に、五穀豊穣・家内安全・無病息災を祈願し、氏子地域から「ススキ提灯」と呼ばれる30本余りの提灯が奉納される。


「伊勢音頭」の歌声に送られて、提灯が葛城公園を出発!

ススキ提灯とは、2間半(4.5m)ほどの竹製の支柱に、横木を4本通し先端から紐で連結し、高張提灯を上から2・4・4の合計10張を三段に組み立てて、先端部に白幣を掲げたものである。県内においては、稲積みの形をススキまたはスズキと称する所は多いが、当社行事では「稲穂の実っている姿」がススキ提灯に形と伝えられている。



なお、起源については定かではないが、少なくとも江戸時代中期には現存に近い形態が生まれていたであろうと考えられる。献灯行事は県内でも類似のものがみられるが、当社のススキ提灯献灯行事は、県内最大級であると共に奈良盆地南部における祭礼形態を示す代表的な行事として貴重なものとして位置づけられている。平成12年3月、奈良県無形民俗文化財に指定される。




お祭りの様子が、御所ガールのFacebookにアップされていた。

提灯踊る!胸も躍る☆鴨の宮 夏祭り 御所ボーイMです。鴨都波神社(御所市宮前町)で今日(7/16)は夏季大祭が斎行されました!ススキの灯り絶やすことなく まちもな栄えてみな笑う~♪ 伊勢音頭を唄う「鴨の宮鳳鴨会」の先導で各氏子自治会のススキ提灯が葛城公園を出発し御所まちを巡行して宮入り☆





神前に献灯したあと太鼓衆「鴨若鼓」による鉦や太鼓とともに各自治会と「鴨の宮若衆会提灯衆」による提灯練りが行われました !(^^)! 鴨都波神社のススキ提灯は稲穂の形を表し、全国のススキ提灯の原型と言われています!その献灯行事は奈良県の指定無形民族文化財!



いよいよ提灯が鳥居をくぐり、神社の境内に入る。周辺には10以上の夜店が出ていて、若者や子どもたちがたくさん集まっている。ものすごい熱気だ。


宮司さんのお祓いを受ける


太鼓衆「鴨若鼓」による演奏


巫女さんのお祓いを受ける氏子さんたち

いよいよ提灯を使ったパフォーマンスが始まった。このパフォーマンスは、「鴨の宮若衆会」が1993年(平成5年)に結成されてから始まったようなので、そんなに歴史があるわけではない。なお若衆会は、2016年(平成28年)に「あしたのなら表彰」(奈良県知事表彰)を受彰された。



パフォーマンスは楽しいが、最前列にいるとどうも危なっかしいので、途中で引き上げることにした。



このお祭り、京都の祇園祭のように、住民(氏子さんたち)がお金と労力を出し合って作り上げているところが素晴らしい。奈良県内の伝統行事は、お寺や神社主導の祭礼が多いのだ。御所市内では、「茅原(ちはら)のトンド」も地域住民が主体になって実施している。

祭りの担い手や見物人の年齢が若いことにも、驚いた。今年はそこに関学の学生たちも加わっている。江戸時代中期から続く素晴らしい行事、子々孫々にまで伝えていただきたいと願う。

奈良新聞の記事(2023.7.14付)
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