tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

なら記紀万葉ファンタジア(第2弾)、いよいよ今夜が最終回!(2014Topic)

2014年01月31日 | お知らせ
ならどっとFMで好評放送中の「なら記紀万葉ファンタジア」第2弾、「ヤマトタケルと白い鳥」は、いよいよ今夜(1/31)が最終回! 放送時間は20:30~21:00の30分で、インターネットのサイマルラジオ(同局サイトのトップページ左上のバナー)でも同時間帯に聞くことができます。
※写真はいずれも同番組のFacebookより拝借

今回が最終回、ということは印象的なラストシーンが登場することになります。これまでの放送分を含め、県のHPから抜粋すると、

ラジオドラマ なら記紀万葉ファンタジア『ヤマトタケルと白い鳥』
(平成25年度「記紀・万葉」県民活動支援補助金支援事業)

平成26年1月10日、17日、24日、31日 20時30分~21時放送 (ならどっとFM 周波数78.4MHz)
主催者 小町座
概 要 誰もが知っている「ヤマトタケル」の物語をヒントに、新たなオリジナルファンタジーとしてお届けします。子どもから大人まで楽しめる内容となっています。どうぞご家族でお楽しみください。(ラジオだけでなく、インターネットからでも聴くことができます。)
 
ドラマは、今の時代からはじまります。いつもいじめられていて、何も話せない白い鳥が、ヤマトタケルの時代へタイムスリップして…。
 
●1月10日放送
 ヤマトタケルは力の強い少年として大きくなりました。けれど、父親の天皇はタケルがうとましく、西のクマソをたおすように命令します。
●1月17日放送
 タケルは、クマソタケル、イズモタケルを、おばのヤマトヒメからいただいた、緋(ひ)のころもと剣で、たおします。
●1月24日放送
 苦しい戦いから帰ってきたタケルを、父はほめてくれません。すぐにまた戦いに行けと言われ、悲しむタケル。オトタチバナヒメたちにささえられ、東へとすすみます。
●1月31日放送
 東での戦いにつかれ、ふるさとへ帰るとちゅう、タケルはたおれてしまいます。大和を思う歌を口にしながら…。
 
少年ヤマトタケルは、どのように成長していったのでしょうか。そして、白い鳥は、今の世界へ、どのようにかえってゆくのでしょうか。




当番組編集担当のNさんは、番組のFacebookに、

月曜、火曜と第4話の編集に取り掛かっていました。月曜日朝から夕方まで取りかかり、できたのが約7分間…。どんだけ盛りだくさん?!

セリフの間を縮めたり、緊張感あるシーンではセリフ全体を早くしたり、逆にためを作るために遅くしたり、気持ちが伝わるように語尾のピッチを上げたりと、たくさんの方に参加していただいたセリフたちを気持ちよくドラマに乗せようと最終調整に努めております。

そんな努力が見えないくらいの自然な流れになるといいなあ。効果音も盛りだくさん。最後のクライマックスまでドラマチックに突っ走ろう!!


うーん、これは大変な作業をされたのだ。番組制作に協力されたhabaraさんから、Facebookにこんなコメントをいただいた。

ご紹介くださり、本当にありがとうございます。現代の白い鳥がいじめられて、タイムスリップし、ヤマトタケルと出会うことで大きく成長するドラマ。英雄タケルでなく、弱き者への視点で描かれています。ぜひたくさんの方に聴いていただけたらと思っています。

ラストシーンまで、ドラマチックに疾走する「ヤマトタケルと白い鳥」、今夜はどうかお聴き逃しのないように!
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紀伊山地の霊場と参詣道、10周年記念サイトがスタート!

2014年01月30日 | 奈良にこだわる

一昨日(1/28付)の産経新聞奈良版に「紀伊山地の霊場と参詣道 魅力紹介 奈良など3県 世界遺産登録10周年記念し新サイト」という記事が出ていた。3県がタッグを組み、動画などで参詣道の魅力をアピールするという。南部東部振興課(奈良県地域振興部)の新着情報「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録10周年記念webサイトを開設しました!」によると、

奈良県、三重県、和歌山県の三県は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を中心とした紀伊半島地域の観光振興と地域活性化を図るため、世界遺産等を活用した事業を共同で推進する「吉野・高野・熊野の国」事業に平成22年度より取り組んでいます。

平成26年は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録10周年を迎える記念の年にあたることから、紀伊半島地域の更なる情報発信につなげるため「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録10周年記念Webサイトを開設しました。

○Webサイト概要
・「紀伊山地の霊場と参詣道」に関するポータルサイトとして、総合的な情報発信
・動画を活用し、映像により各エリアの魅力を効果的に訴求
・「じゃらんnet」特集ページ等へのリンクにより、各エリアでの「食」と「宿」の魅力やコースを紹介、現地への誘客に繋げる
・facebookページとの連携により、情報の拡散やサイトへの誘引を強化
○WebサイトURL
・紀伊山地の霊場と参詣道 世界遺産登録10周年記念サイト
 http://www.kiisan.jp/
・紀伊山地の霊場と参詣道 世界遺産登録10周年記念 facebookページ
 https://www.facebook.com/kiisan




「紀伊山地の霊場と参詣道」とは何か。『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)によると、

紀伊山地の霊場と参詣道 (平成16年登録)
奈良県内の構成施設としては、吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峯山寺、大峯奥駈道(玉置神社を含む)、熊野参詣道 小辺路。

大峯奥駈道は、役行者が八世紀初めに開いたとされる修験者の修行の道である。吉野山から熊野まで山上ヶ岳、弥山、八経ヶ岳など二〇〇〇㍍近い山々の尾根が連なる修験道の根本道場と言われ、紀伊山地の中で最も奥深い山路である。この道では古来より奥駈と言われる修行が行われている。幾日もの間、早朝より深夜まで谷を渡り、崖をよじ登り、歩き続ける修験道の中でも最も厳しい修行として有名である。随所に行場が設けられているほか、「仏経嶽原始林」などの豊な自然も残されている。

「熊野参詣道小辺路」は、高野山と熊野三山の二つの聖地を結び、熊野本宮までの最短路の道である。道中は一〇〇〇㍍を超える三つの峠があり、つづら折りの急坂が多い道だが、豊かな自然が今も手付かずで残っている。また、峠道などにも石畳の道が良好な状態で続いているほか、沿道には小規模な寺院や旅館の遺跡、道標、石仏などがあり、熊野参詣道の中でも、往時を偲ぶにはこの道が最高との評もある。


早いもので、もう今年で世界遺産登録から10周年になるのだ。昨年(2013年)は「法隆寺地域の仏教建造物」が世界遺産登録20周年だったが、あまり大きなムーブメントにはならなかった。エリアが狭い地域に限定されていたからかも知れない。しかし「紀伊山地の霊場と参詣道」は、吉野・大峯、熊野三山、高野山の広大なエリアに及び、3県にまたがる。バスを使い、これらエリアの見どころを巡るツアーなど、ぜひ企画したいものである。
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なら記紀・万葉のサイト(ならの魅力創造課)がリニューアル!

2014年01月29日 | 記紀・万葉
知らないうちに、ならの魅力創造課(県観光局)の「なら記紀・万葉」のホームページが一新されていた。昨日(1/28付)の奈良新聞「記紀・万葉 初心者も楽しく 県がHP一新」によると、
※トップ画像は、同HPのトップページより拝借

県は27日までに、古事記や日本書紀、万葉集などを幅広く楽しむための「なら記紀・万葉ホームページ」をリニューアルした。より見やすくデザインを一新したほか、「学べるコンテンツ」を充実。記紀・万葉のふるさと・奈良の魅力を全国に発信する。ホームページは県が取り組む「なら記紀・万葉プロジェクト」の一環で、古事記完成1300年の平成24年に開設。本格的なリニューアルは今回が初めて。

「学べるコンテンツ」として、なじみが薄い初心者へ向けた「親しむ」を用意。記紀・万葉の世界を物語仕立てや身近なキーワードなどで紹介する。中・上級者向けの「深める」では、学識経験者や著名人へのインタビュー、オンライン講座などで記紀・万葉の世界への造詣を深める。実際に体感したい人向けの「旅・イベント情報」も充実した。

このほか、公式の交流サイト「フェイスブック」も開き、イベントの告知やおすすめ情報も発信する。県ならの魅力創造課の担当者は「タブレットやスマートフォンでも見やすく、トップページからいろんなページに行きやすいように工夫した」と話している。ホームページのアドレスは、http://www3.pref.nara.jp/miryoku/narakikimanyo/




HPだけでなく、県は1/17(金)『なら記紀・万葉名所図会―古事記神様・人物入門編―』も発行した。上記サイトによると、

この度、観光ガイドブック「なら記紀・万葉名所図会-古事記神様・人物入門編-」を発行しました。本ガイドブックは過去2年にわたり発行した「なら記紀・万葉名所図会」の新編にあたるものです。本ガイドブックは『古事記』に登場する神々や人物のエピソードを中心に掲載した、わかりやすく楽しい『古事記』入門書であり、若い世代の方々を対象に『古事記』の魅力を発見していただけるよう作成しています。配布方法など詳しくは報道資料(PDF)をご覧ください。

これは楽しそうだ。ぜひ、入手しなければ…。『古事記』のブームは、「古事記編纂1300年」の2012年で終わったと思っていたが、その後も続々と関連書籍が発刊され、私のところにも古事記関連の講演依頼が、跡を絶たない。2012年を境に、今まで忘れ去られようとしていた『古事記』が再評価されるのであれば、これほど嬉しいことはない。


「なら記紀万葉ファンタジア」の収録風景(Facebookより)

1月10日からオンエアが始まった「ならどっとFM」の「なら記紀万葉ファンタジア」(第2弾)も、残すところあと1回(31日 20:30~21:00)となったが、回を重ねるごとに人気が高まっている。

「なら記紀・万葉プロジェクト」は2020年まで続く。この機会に奥深い記紀・万葉の世界に、ぜひ足を踏み入れていただきたい。
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まほろばソムリエ講座、2月16日(日)と23日(日)に開催!(2014Topic)

2014年01月28日 | お知らせ
2月16日(日)と23日(日)の両日、近鉄学園前駅北口の「パラディ南館」6階の近鉄「楽・元気」プラザで、「まほろばソムリエの深イイ奈良講座」が開催されます(いずれも14:00~15:30)。受講料は500円(ワンコインセミナー)で、電話予約が必要です。HPは、こちらです。概要は、

1.「藤原京と大和三山」 2月16日(日)14:00~15:30
講 師
亀田幸英(NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」理事)

内 容 
藤原京の中心地だった「藤原宮跡・大極殿跡」に南面して立ちますと、左右に天香久山と畝傍山、背後に耳成山の大和三山に囲まれ、守られていることが実感できます。この講座では、その藤原京と大和三山との深イイ関係について、お話しします。


2.「恵心僧都(えしんそうづ)源信(げんしん)」 2月23日(日)14:00~15:30
講 師
大山恵功(NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」理事)

内 容
「恵心僧都」と尊称された源信は、平安時代中期、今の香芝市で生まれました。極楽往生の方法を説いた『往生要集』の思想は、法然や親鸞に受け継がれました。源信の生涯をたどるとともに、ぽっくり寺として知られる吉田寺(きちでんじ 斑鳩町)と阿日寺(あにちじ 香芝市)をはじめ、香芝市周辺の源信ゆかりの地を紹介します。


受講料はいずれも500円で、定員は40人。お申し込みは、お早めに近鉄「楽・元気」生活コールセンター
0120-841-333(10:00~20:00 年中無休)

どちらも興味深いテーマです。たくさんの方のお越しをお待ちしています!
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松永久秀の末路(産経新聞「なら再発見」第63回)

2014年01月26日 | なら再発見(産経新聞)
産経新聞奈良版・三重版ほかに好評連載中の「なら再発見」、今回(1/25付)の見出しは「梟雄(きょうゆう)・松永久秀 意地か誇りか 信貴山城で死す」、筆者はNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の田原敏明さんである。
※トップ写真は、信貴山雄嶽山頂の城跡の碑。以下、写真はすべて田原さんの撮影

松永久秀は、東大寺大仏殿や戒壇院などが焼け落ちた「東大寺大仏殿の戦い」で知られている。Wikipedia「東大寺大仏殿の戦い」によると《永禄10年(1567年)4月18日から10月11日のおよそ半年間にわたり松永久秀、三好義継と三好三人衆、筒井順慶、池田勝正らが大和東大寺周辺で繰り広げた市街戦。松永久秀の居城であった多聞山城の周辺でも戦闘があったため「多聞山城の戦い」とも呼ばれている》。また、文献上では日本初となる「爆死」という方法で自害した。では記事全文を紹介する。



 「梟雄(きょうゆう)」とは、勇猛で残酷なことも平気でやる首領のこと。その代表格が松永久秀(まつながひさひで)だ。
 戦国時代の英雄といえば、織田信長の名が真っ先に挙がる。信長は主家の清洲織田氏を滅ぼし、将軍・足利義昭を追放し、比叡山を焼き討ちした。その信長をして「久秀は並の人間なら1つでも難しいことを3つもやった。主家の転覆、将軍・足利義輝暗殺、大仏殿焼き払い」といい、久秀を徳川家康に引き合わせた。
 半面、久秀は茶人という顔も持っていた。下剋上の中世、久秀は茶人垂涎(すいぜん)の名器「九十九茄子(つくもなす)」を信長に献上して面従し、機をみては信長の宿敵・武田信玄や上杉謙信に通じた。
      *   *   *
 久秀が信長に最後の戦いを挑んだ終焉(しゅうえん)の地が、信貴山(しぎさん)城(生駒郡平群町)だ。JR王寺駅から北西方向に、信貴山の雌嶽(めだけ)と雄嶽(おだけ)が見える。聖徳太子が寅の年・寅の日・寅の刻に毘沙門天(びしゃもんてん)の出現を感得し、信貴山中腹に建立したのが朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)だ。中世には大伽藍(がらん)を誇ったが、久秀・信長の戦火で焼失し、豊臣秀頼によって再建された。
      *   *   *
 朝護孫子寺本堂に参拝し、信貴山雄嶽山頂(433メートル)にある信貴山城跡へ登った。さすが要害の城、気温は低いのに、登るうちに汗ばんでくる。尾根筋に東西550メートル、南北700メートル、天守櫓(やぐら)も構えた中世最大の山城だったという。守護の木沢長政が築いた砦(とりで)を久秀が城郭へと大改修し、北の多聞山(たもんやま)城とともに大和支配の拠点とした。



朝護孫子寺

 戦国時代の大和国は、久秀の引き起こした争乱に明け暮れた。本丸跡から奈良盆地を眺めると、久秀の所業のあれこれが目に浮かぶ。
 長岳寺(天理市)には、久秀軍に殺傷された地侍の血の足跡がにじむ床板が、天井に張り替えられて残る。昨年、国宝に指定された安倍文殊院(桜井市)の文殊菩薩と脇侍像では、文殊菩薩台座の獅子像と維摩居士(ゆいまこじ)像が失われ、補作された。



久秀軍に殺傷された地侍の血の足跡がにじむ床板
天井に張り替えられた=天理市の長岳寺

 久秀最後の壮絶な死を思う。「平蜘蛛(ひらぐも)の茶釜(ちゃがま)」を差し出せば命は助けるとの信長の申し出を蹴り、もはやこれまでと茶釜を砕き、爆死した。信長に一矢をとの梟雄の意地か、茶人の誇りか。
 久秀が死んだ天正5(1577)年10月10日は、くしくも10年前に大仏殿が焼け落ちた日だった。春日明神の神罰と世に言われた。
 悪名高い久秀だが、奈良町の高林寺(こうりんじ)に逸話が伝わる。多聞山城築造のため、近在の寺から墓石や石塔が集められたときだ。



中将姫の供養塔。ならまちの徳融寺にある

 藤原豊成と中将姫の供養塔を持ち去ろうとしたとき、心前(しんぜん)上人が「曳残(ひきのこ)す花や秋咲く石の竹」という句を詠んだ。
 枯れ草の石竹(唐撫子=からなでしこ)も秋が来れば花を咲かすように、荒れ果てた石塔も供養される時がきっと来るから、残して置くようにと訴えたのだ。久秀はこの句に心を打たれ、供養塔は徴発を免れた。梟雄にも中将姫を思いやる情があったことに、救われる思いがする。今、父娘の供養塔は近くの徳融寺(とくゆうじ)に残る。
      *   *   *
 名器「九十九茄子」は、本能寺の変や大坂夏の陣の戦火の中、持ち主を代えて生き延び、現在は東京の静嘉堂(せいかどう)文庫美術館で保管されている。



達磨寺にある久秀の墓

 久秀の墓は、自らの兵火で焼失させた聖徳太子ゆかりの達磨寺(だるまじ)(王寺町)にある。(NPO法人奈良まほろばソムリエの会 田原敏明)

梟雄と恐れられた松永に、こんな意外な側面があったことには驚かされた。田原さん、興味深いお話しを有難うございました!

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