tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

「奈良を大いに学ぶ」講義録(1)地理

2009年08月30日 | 奈良にこだわる
奈良大学の教授陣による奈良に関する「特別講義」を受講する機会に恵まれた。平城遷都1300年記念事業の目玉事業である「奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」などを支援するボランティア養成のための研修として企画されたものである。講座は10日間(20コマ・1コマ80分)で、6人の教授・名誉教授が担当される。とても充実した講義だし、奈良検定(奈良まほろばソムリエ検定)の受験にも役立つと思うので、順次内容を紹介することにしたい。
http://www.nantobank.co.jp/news/090817.htm

第1回(8/19)は、文学部地理学科教授・池田碩(いけだ・ひろし)氏の講義だった。講義名は「奈良-古都を育んだ内陸の盆地」である。講義はたくさんの地図を使った本格的なものであったが、ここでは若干のキーワードとともに、目からウロコの話をピックアップする。

1.奈良盆地は、地震エネルギーをため込みつつある
日本列島は若く、今も隆起を続けている(古くて安定したオーストラリア大陸には、火山も地震もない)。「太平洋プレート」(太平洋の海底に広がる巨大な岩盤)は、年間8~10cmの早さで日本列島の下に沈み込み、巨大地震や津波が起きる要因となっている。

地震には2種類ある。1つは「プレート境界型地震」(海溝型・海洋性地震)。地球の表面は、大小10枚程度のプレートと呼ばれる板状の岩盤でおおわれており、そのプレート(岩盤)とプレートがぶつかりあうところで伸びや縮みなどのひずみが生じ、このひずみが限界に達するとプレートが急に元に戻る。このときの衝撃によっておこる地震がプレート境界型地震で、規模が大きく大規模な津波による被害も予想される(関東大震災、十勝沖地震、三陸はるか沖地震など。近い将来発生すると予測されている「東海地震」もプレート境界型地震)。とてもわかりやすい地震である。

いま1つは「内陸直下型地震」(内陸型・プレート内地震)。プレート内において発生する活断層が動いて起こる地震で、プレートを圧縮する力や引っ張る力などがプレート内で部分的に解放されて起きる。日本の至る所で見られる活断層の多くは、内陸直下型地震の古傷が地表に表れたもので、将来にわたって地震発生の可能性もある(たとえ何千年に1回動くかどうかと言われていても、活断層の真上には、建物等は建てない方が賢明である)。

プレート境界型地震と比べて規模は小さいものの、人々の住む町の周辺で起こると、震源からの距離が近いだけに大きな被害が出る(阪神大震災はマグニチュード7.2と内陸の直下型地震としてはさほど大きくなかったが、人口が密集している都市の下で起こったため、地震災害として戦後最悪のものとなった)。

阪神大震災では約6500人の死者が出たが、これが明治時代に起きていたら、死者は50~60人どまりだったろう。それだけ文明が発達したということだ。阪神大震災では、六甲山が上がり、大阪湾が下がるという現象が起きた。奈良で内陸直下型地震が起きると、生駒山が上がり、奈良盆地が下がるだろう。つまり「日本沈没」ではなく「日本隆起」だ。活断層が集中しているのは関西で、奈良盆地にも多い。奈良盆地は日本列島の「くびれ部」にあり、着々と地震エネルギーを溜め込んでいる(地震の準備をしている)。

大阪平野最大の活断層は、大阪市内を南北に縦断する「上町断層」で、これが活動したときには巨大地震になる(M8級?)と予想されている。



2.奈良盆地に火山があった
約1千万年前、奈良盆地には火山があった。かつては「瀬戸内火山帯」という言葉もあった(愛知県鳳来寺山~二上山~四国の五剣山~屋島~九州)。若草山や二上山からは火山岩である安山岩が出てくる(サヌカイトもその1種)。 畝傍山と耳成山も火山だった。前述の断層は、これらの火山で作られた。おかげで、奈良の素晴らしい地形も形成された。

「撓曲(とうきょく)」とは、地中の断層がずれたことで、上にある地層が撓(たわ)む現象。つまり硬い骨が断層、柔らかい肉が撓曲である。阪神大震災では、撓曲のところに大きな被害が出た。奈良盆地にはたくさんの撓曲があるので、注意を要する(例えば奈良市東向中町など)。

近畿地方の地質構造を考える上で「近畿トライアングル構造帯」という概念が参考になる。琵琶湖の東と西とで大きく地質椎造が変わることに着目して調査・実証されたもので、東は伊吹・養老山地、西は丹波山地、南は紀伊山地に囲まれた三角形状地域が「近畿トライアングル」で、これは過去100万年の間に、北のユーラシアプレート、東の太平洋プレート、南のフィリピン海プレートによって圧縮されてできたものである。この三角地帯には断層が集中し、今も変動が継続している。
※「近畿トライアングル」を提唱された故・藤田和夫氏へのインタビュー記事
http://www.kobe-np.co.jp/sinsai/kataru/1999/990928-hujita.html



3.河川争奪
講義に「河川争奪(かせんそうだつ)」という耳慣れない言葉が出てきた。Wikipedia「河川争奪」によると《河川の流域のある一部分を別の河川が奪う(自らの流域に組み入れる)地理的現象のこと》《流域が隣接する2つの河川があると想定する。両河川の間で河床勾配、流量などに大きな差があり、一方の河川の浸食力が著しく強い場合に河川争奪が発生しやすい。奪う側の河川の谷頭が上流へ浸食して分水界を後退させていく。そして、奪う側の谷頭が隣接河川の水系に達すると、そこから上流の流域をすべて奪うこととなる。これが一般的な河川争奪の過程である。このような河川争奪は、日本では全国的に見られる》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%B7%9D%E4%BA%89%E5%A5%AA

講義では京阪奈丘陵周辺の例をたくさん教えていただいた。「京都府レッドデータブック」に「山田川による河川争奪」の例が載っているので、以下に引用する。
http://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/geo/db/sur0019.html

《京都府と奈良県の府県境付近に位置する山田川流域では、明瞭な河川争奪の地形が認められる。古い地形図に見られるように、東流する山田川本流の南方では、秋篠川が南流しており、両河川の流域は流域界をもって隣接している。秋篠川は、奈良丘陵と西の京丘陵に東西を限られる幅広い谷底平野を、奈良盆地側に流下していく。その谷幅は現在の流域規模と比べ著しく広く、不釣り合いである》。

《秋篠川の谷底平野は、河道の勾配と調和的に南に傾斜しているが、上流方向にさか上ると、河道の見られなくなる押熊集落北方で、わずかに北傾斜する谷底平野状の地形となめらかに連続する。これをさらに北上すると、その北縁は、急崖によって山田川流域の谷底平野に落ち込む。このような地形は、以下のような山田川による秋篠川の争奪の結果、形成されたと考えられる》。





《かつて秋篠川は、現在よりも北~北西方の丘陵に広く上流域を有し、幅広い谷底平野を形成しながら奈良盆地に流下していた。その後、山城盆地南縁部から西に谷頭侵食してきた山田川の最上流部が、写真のE地点付近で、それまでの秋篠川上流部を切り取った。この河川争奪によって流域を拡大した山田川は流量を増し、侵食力を強めて旧秋篠川上流域に谷を深め、現在では、西の京丘陵を横断しながら、その西縁を南流する富雄川上流をも争奪する勢いになった。古い地形図と新しい地形図とを較べて見ればすぐわかるが、この半世紀の本地域における地形改変には、著しいものがある》。

4.その他
・琵琶湖も大阪湾も、かつては(今の奈良盆地と同じく)「内陸盆地」だった。
・もっとも、ずっと大昔には日本列島はすべて海だった(海底から隆起した)から、都祁の「貝ヶ平山」からは貝の化石が出土するのだが。
・最近、大きな台風被害が報道されているが、このような台風は昔からあった(観測記録が残っていないだけ)。かつては佐保川が氾濫し、洪水で古墳も切られた。
・(池田教授は福岡県のご出身だが)日本で春夏秋冬が揃うのは関西くらいのものだ。なかでも、瀬戸内式気候(温暖小雨)と日本一の多雨地帯(大台ヶ原)が共存する奈良県の自然は、素晴らしい。

以上がこの日の講義内容の(私見による)ポイントである。勉強とはあまり関係ないが、地震の話は衝撃的だった。奈良盆地に高い確率で地震が起きる可能性を、理論的に説明していただいた。



折しも、7/21に「地震調査研究推進本部」(文部科学省研究開発局)が「今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率」を発表し、奈良盆地北部が最も危険な「赤色」(26~100%)に変わっていたことでショックを受けたばかりだったので、なおさらだ。新聞にも、奈良市の地震確率は「67.1%」(昨年は16%)と出ていた。
※地震調査研究推進本部の公表資料(PDF形式)。P8に予測地図が載っている
http://www.jishin.go.jp/main/chousa/09_yosokuchizu/090721yosokuchizu.pdf
※上記を報じる日経新聞のサイト(7/21配信)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090721AT1G2103N21072009.html

これから9/18までの研修期間中、どんな「目からウロコ」の話が飛び出すか、楽しみである。皆さん、お楽しみに。
※池田教授の推薦図書:『大和を歩く』奈良地理学会編 奈良新聞社刊 1800円(税別)。ただし同書は品切れ中で、12月に新版が出る予定である。

※トップ写真は吉野川(紀ノ川)宮滝・5/17撮影。《吉野川の谷は、顕著な活断層として知られ、西南日本を南北に二分するように縦断して東西方向に連なる中央構造線と呼ばれる大断層に沿って形成されている》(『大和を歩く』)。
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大和上市・こばしのやき餅

2009年08月28日 | グルメガイド
上市(かみいち)に美味しい焼き餅屋さんがあると聞いたのは、奈良に住み始めた頃だから、もう30年も前のことになる。餡はあっさり味で、焦げた皮の香ばしさが絶妙だという。実は甘いものは苦手なのだが、そんな焼き餅なら一度いただいてみたいものだと思っていた。お店の名前は「こばし」(吉野郡吉野町立野)である。


こばし(商店街側入り口)。写真は8/2撮影



奈良新聞に連載されていた「出会い大和の味」には《内部に残る柱や梁に200年を超えた歴史の残影が垣間見られます。船宿を閉めもっぱら焼餅を作って現在は4代目。その味の素朴さと品の良い形、口当たりの良さで吉野ではよく知られ愛されています。店主の小林道男さん(55)夫婦と、忙しいときには先代の健作さん(82)も手伝い、家族による手作りなので一日に作る数は限られ、大体午前中でほぼ売り切れる》とある。
http://www.nara-shokubunka.jp/yamato/19-01.html



近くを通るたび、何度かチャレンジしたが「大体午前中でほぼ売り切れる」どころの話ではなく、最近では午前中の早い時間帯にすべて売り切れるので、なかなかありつけないでいた。やっと最近になって、何度か朝早くお邪魔する機会があって、立て続けに訪れるようになった。これはうまい、これで1個100円とは! 親戚や友人の分まで買い込んで、夕方までかかって配り歩いたこともある。なにしろ消費期限は当日中なのだ。
http://www4.kcn.ne.jp/~jj3xuu/kodawari/kobasi/kabasi.htm



「出会い大和の味」には《餡は北海道十勝の豆を使用、餡を煮る火加減が一番難しいとのこと。漉し餡と粒餡があり、春には蓬入りも作っています。餡が餅の白い衣ごしに透き通って見え、鉄板で焼かれた焦げ目との色合いが良く、いかにも美味しそうで甘さも控えめ、大きさも手ごろ、三つ四つ食べても腹にもたれません》。


こちらは国道側の入り口。この横(東側)に少し駐車スペースがある

《「こばしの焼餅店」は吉野川沿いの道路に面してあり、よく注意しないと見過ごしてしまいそうな目立たないお店です。予約して出かけられることをお勧めします》。吉野大橋方面から吉野川沿いに169号線を東に進む。吉野町役場付近を過ぎ、バス停「轟」を超えたらすぐのところである。銀行(南都銀行上市支店)や大きな橋(桜橋)を越えた場所だが、うっかりしているとつい通り過ぎてしまうので注意が必要だ。





予約ができるとは、初めて知った。季節ものとして、みたらし(6~10月)とよもぎ餅(3~5月)もあるそうだ。「吉野バーチャル商店街」には《徹底した品質と鮮度にこだわったこばしのやき餅は地方発送できませんが 吉野に来られたときには是非お立ちより下さい。 あっさり餡の名物やき餅、きっと気に入っていただけると思います》とある。
http://www.yoshino.ne.jp/shop/kobashi/index.htm



消費期限が「当日中」だから、地方発送できないのだ。《昔から受け継いだままの材料と加工方法で作っていて、変更したところは全く無い、確かにもはや手の加えようの無い完成品》(「出会い大和の味」)である。朝の早い時間帯にお近くを通られたら、ぜひお買い求めいただきたい。予約の電話も、お忘れなく。
※トップ写真は、ある会社の営業所(川上村)でお出しいただいたもの(7/1撮影)。

※やき餅こばし 〒639-3112 奈良県吉野郡吉野町立野
TEL 07463-2-2347(予約の場合も、こちらの番号へ)
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地蔵盆まんぷく供養 夢まつり 2009

2009年08月26日 | 奈良にこだわる
8/24(月)元興寺(がんごうじ 奈良市中院町)境内で、「第6回 地蔵盆まんぷく供養 夢まつり」が開催された(11:00~16:00)。お寺の「地蔵会(じぞうえ)」に合わせて開かれる「食」のイベントで、主催は奈良の食材にこだわる地元料理人の会「蛍の会」である。
※「蛍の会」発足当時の読売新聞記事
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/kikaku/038/41.htm


元興寺(北門前)の受付

同会のブログによると《私ども「蛍の会」は、奈良県内で飲食業を商う若手を中心とした料理人とその各店に集う各層の老若男女が、思いを同じくして設立されました。奈良の食文化の更なる発展を通じて、地域文化の継承と振興、商業者の資質向上と消費の発展、奈良に住む方々の地域産業に対する思いの高揚を目的としています》。
※同会の公式ブログ
http://yume824.exblog.jp/



《難しくきこえますが、端的に言えば、奈良の料理人さんが集まって、「美味しいもんで、奈良を盛り上げるぞーっ」との思いで結成された団体、それが蛍の会です》。8/24の食べ物メニューも、会のブログに詳しく紹介されている。
http://yume824.exblog.jp/10895482/



お昼どきに元興寺を通りかかると、ご覧のような賑わいだった。料理人の中にも観客の中にも、知ったお顔がちらほら。トップ写真は、知人のTさん(中央)と息子さんだ。門前では、ちょうど奈良市吹奏楽団の演奏が行われているところだった。今年はせんとくんや平城人(ならびと・バサラ祭りなどの踊り手チーム)も特別参加するという。
http://yume824.exblog.jp/i3/





「酒楽(しゃらく)」のマーくん(店主)は「大和肉鶏の焼鳥丼」(500円)を販売していた。塩胡椒して鉄板で焼いたたっぷりの大和肉鶏をご飯に載せ、塩ダレをかけていただく。
※美酒楽菜 酒楽(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/bafa0e2ef6b871e19a925690eabc4143





こちらは「SAKANAYA」の「スルメイカのマハラジャ丼」(400円)。イカの旨みムンムンの美味しい丼だった。このお店は帯解(奈良市山町180-2)にある洒落た魚料理店で、魚料理専門の料理教室も開いている。
http://sakanaya-nara.jp/



この日はご覧のような晴天だったが、気温はわりと低めで、時々はさわやかな風も吹く。夕方、再び通りかかると、法要の最中だった。



日が暮れると、ご覧のように灯明皿に火が入り、境内は幻想的なムードに包まれる(以下の2枚は06.8.24撮影)。
※元興寺の地蔵会(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/2ae7db672e0f0a47f3c4257076216b43



なお地蔵盆(じぞうぼん)とは、Wikipediaによると《地蔵菩薩の縁日(毎月24日)であり、尚かつお盆の期間中でもある旧暦7月24日に向け、その前日の宵縁日を中心とした3日間の期間を指し、またそのうちの日を選んで行われる地蔵菩薩の祭のことをいう》。



《旧暦7月24日以外の地蔵菩薩の縁日の24日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆(お盆)期間中であり、それにちなんで地蔵盆と呼ばれるようになった。現代では、参加する人々の仕事などに合わせ、多少日程をずらして土日に行うところも増えている。なお、地蔵盆が新暦の7月24日前後もしくは8月24日前後に分かれるのは、お盆を新暦に改めて勤めるのか、それとも旧暦風に8月に行うのかの差異》。



《地蔵盆は全国的に行われている風習であるが、滋賀、京都、大阪、若狭地域など近畿地方を中心として特に盛んである。地蔵祭では、地蔵のある町内の人々はこの日にかけて地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、化粧をするなどして飾り付けて、地蔵の前に集って灯籠を立てたり供え物をしたりして祀る》。



お地蔵さんは中近世以降、子供の守り神として信仰されるようになったこともあって、地蔵盆は「子供のための祭り」として親しまれている。この「まんぷく供養 夢まつり」にも、たくさんの子供さんが訪れていた。

元興寺の地蔵盆は戦後に復活した伝統行事だそうだが、こういう行事が、ならまちの世界遺産のお寺で開かれ、多くの人に親しまれているのは、ならまちを支えてきた庶民文化の一端をかいま見た気がする。
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締め切り迫る!「今井に学ぶもてなしの心」(9/12 開催)

2009年08月24日 | 古社寺を歩こう会
今井町 甦る自治都市―町並み保存とまちづくり
八甫谷 邦明
今井町町並み保存会

このアイテムの詳細を見る

※注意:募集は8/28に締め切りました。

現在、9/12(土)開催の第4回古社寺を歩こう会「今井に学ぶもてなしの心」の参加者を募集中です。いよいよ、締め切り日(8/28)が近づいてまいりました。


これら2枚の写真は堺市の「大魚夜市」(08.7.31)。若林さんから画像を拝借

現在のところ約25人のお申し込みをいただいていますが、まだ余裕がありますので、今井に興味がおありの方は、ぜひこの機会にお申し込み下さい。興味深いお話と町家見学、重要文化財の民家での昼食などが楽しめます。参加費用は、昼食つきで4千円です(今井までの交通費別)。お申し込みは

motenashi0912@goo.jp

へメールを送るだけです(あわせて、@2~3千円程度の打ち上げ=懇親会参加の可否もお書き下さい)。
※募集内容の詳細はこちら「参加者募集!第4回古社寺を歩こう会」(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/1e6b4f705f16621e34f2c07dd652618a



当ブログ常連コメンテーターの和田さんが「まほろば(奈良・大和路)」というきれいなブログで、第3回古社寺を歩こう会「柳生まるごと体験」の様子を詳しく紹介されていますので、こちらもご覧下さい。
※柳生まるごと体験!!(その1)
http://narayamatoji.blog105.fc2.com/blog-entry-35.html#more
※柳生まるごと体験!!(その2)
http://narayamatoji.blog105.fc2.com/blog-entry-39.html#more

和田さんは、わざわざ東京に出向かれて阿修羅展を見学され、その様子もレポートされています。
※「国宝阿修羅展」in東京
http://narayamatoji.blog105.fc2.com/blog-entry-37.html


これら2枚の写真は、今井町でのCM撮影時のもの(07年10月)



いよいよ明日(8/25)は、NHK奈良UHF(51ch)の「ならナビ」(18:10~19:00)で、今井が紹介されますので、こちらも、ぜひご覧下さい。

※参考:YouTubeでこんなスライドショーを見つけました。今井のゆったりとした感じが出ています

奈良県橿原市今井町散策


今井は町並み保存のお手本として、冒頭に掲げたような本が出版されています。また最近は「もてなしのまちづくりモデル地区」(奈良・もてなしの心推進県民会議選定)にも選ばれました。この機会に今井を訪れて「もてなしの心」「茶の心」を体感しませんか?
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時代かご「やじきた屋」 第3回駕籠主総会

2009年08月23日 | 奈良にこだわる
時代かご「やじきた屋」をご存じだろうか。今やならまちの名物となった駕籠屋さんである。やじきた屋のブログには《今の乗り物の原点ともいえる「町駕籠」「辻駕籠」は、江戸中期に庶民の大切な乗り物として広く利用され、明治初頭まで利用されてきました。200~300年前には、どこでもあった「町人駕籠」は、今では、電車や自動車に変わりました》。

《エコ時代をむかえた今、「やじきた屋」では、奈良に訪れた方々にこの「駕籠」を復活させ、体験し、楽しんでもらおうと、運行を始めました。「古くて、新しい乗り物-時代かご」にゆられながらアナログのひと時を「猿沢池周辺」「ならまち」で楽しんでみて下さい》とある。
※やじきた屋のブログ
http://www.nara-kago.jp/


以下、3枚の写真は10.3.13撮影・追加

やじきた屋は08年3月の運行開始以来、様々なメディアで紹介されている。奈良経済新聞の記事「奈良・やじきた屋の「時代かご」が観光名物に ― 乗客も自然と笑顔に」(6/1付)によると《代表の大西尚さんが「子どもが楽しそうにかごに乗っている姿」を夢に見たのがきっかけで、インターネットで調べたり、実物を見に行ったりするなどして「かご」を製作した。当初は約20キロある「かご」を持ち上げるだけでも大変で、土を入れた缶を乗せて練習に励んだという》。



《かごの難しさは「相方と息を合わすこと」と大西さん。歩幅や足並みをそろえないと、かごに不規則な揺れが生じて乗客が酔ってしまう。しかし、「エイホーエイホー」と掛け声を合わせ足並みがそろった「かご」は心地よい揺れに変わる。「かごに乗ると視点が低くなり、まち並みも違って見える」とも》。



《行く先々で注目を集める「かご」を見た人の顔は自然とほころぶ。乗客も自然と笑顔になり、担ぎ手の大西さんと奥村肇さんも苦しいときでも笑顔を絶やさず、「かご」の回りは常に笑顔であふれる》《運行日は土曜・日曜(不定休)で、運行時間は10時から夕暮れまで。料金(猿沢池1周=約400メートル)は、子ども=1,000円、大人=1,500円》。


向かって左が代表の大西尚さん、右は副代表の奥村肇さん

そんなやじきた屋の懇親会(納涼会)が7/19(日)、奈良市三条通の「つのふり」で開催された。株主総会に引っかけて「駕籠主(かごぬし)総会」と銘打ったこの会に、45人が参加した。案内状には《「時代かご」が、奈良の街角を行き来させていただけるようになり、2度目の紫陽花の季節がやってまいりました》《皆様方に、駕籠の運営状況や今後の活動展開などを報告させて頂くとともに、互いの親睦が深まればと、第3回目の「駕籠主総会」(納涼会)を左記の通り行うこととなりました》とある。



会の冒頭、やじきた屋代表・大西尚さんからお礼の言葉があり、続いて伊賀上野観光協会副会長・菊野喜久さん、平城遷都1300年記念事業協会広域事業部長・中山悟さんの挨拶、奈良市ならまちセンター館長・加藤晴比古さんの音頭で乾杯。







大西代表の話の途中で、ハプニングがあった。辻斬り侍が現れたのだ。この侍は、的場剣友会所属で悪役・切られ役の大ベテラン(芸歴30年以上)藤本長史さん。昨年7月から、「かご屋から金を強奪する」という設定で突然現れ、派手なパフォーマンスで観光客を楽しませている。目の前でチャンバラを見ると、なかなかの迫力である。すでにYouTubeにアップされているので、ご覧いただきたい。

※辻斬り乱入


代表の大西さんは、もと奈良テレビ放送の記者。同局のニュース番組で毎週、浴衣姿で県下の銭湯巡りをされていた。それぞれの銭湯の由来や近辺の歴史まで詳しく紹介されていて、とても興味深かったことを覚えている。副代表の奥村肇さんは元奈良新聞の社員。だから「駕籠主総会」には、メディア関係者の姿がたくさん目についた(45人中、17人)。





江戸時代の雰囲気を残すならまちには、駕籠や落語がよく似合う。平城遷都1300年祭を控え、このような「民」の力で奈良を盛り上げようとする動きが出ているのは、喜ばしいことである。

※かご屋 vs. 辻斬り! ならまちワンダーランド


最高50万円の助成が受けられる平城遷都1300年記念事業協会の「県民活動支援事業」の応募締め切り日(8/31)も、近づいてきた。このような制度をフルに活用し、「民」の力で奈良を盛り上げよう!
※参考:平城遷都1300年祭県民活動支援事業の募集を行います!
http://www.1300.jp/news/2009/06/post-40.html


締めの挨拶をされるやじきた屋顧問・小川祥夫氏
(株式会社小川又兵衛商店 代表取締役)

大西さん、楽しい会にお招きいただき、有り難うございました。夏の駕籠かきは相当キツいと思います。どうかお体に気をつけて下さい。
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