tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

松尾芭蕉の句碑にしのぶ幻の大寺、内山永久寺跡(天理市)/毎日新聞「やまと百寺参り」第53回

2020年05月31日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の刊行を記念して毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。先々週(2020.5.21)に掲載されたのは、「句碑にしのぶ幻の大寺/内山永久寺跡(天理市)」、筆者は大和郡山市在住の岡田充弘(あつひろ)さんだ。
※トップ写真は、本堂池畔に立つ芭蕉の句碑(内山永久寺跡)

今は池が残るだけだが、かつては「西の日光」といわれるほど栄えた大寺院だった。それが明治初年、建物はおろか、参道の石までがはぎ取られたのだった。 《明治の太政官政権の勇み足の最大のものは、廃仏毀釈だった。慶応4年(1868)旧暦3月17日、全国の「社僧」に対し、復飾(髪をのばし、俗体に還ること)を命じた》(司馬遼太郎『街道をゆく24』)。

「神仏習合を改め、神仏を分離せよ」という命令が拡大解釈され、廃仏毀釈(きしゃく)というトンでもないことが起た。その象徴が内山永久寺だったのである。ただし異説があり、西山厚氏は「廃仏毀釈によって壊されたのではなく、僧侶が石上神宮に集団転職して打ち捨てられて寂れた」としている。では記事全文を紹介する。

山の辺の道を歩くと突然現れる大きな池、これが本堂池です。かつてここには廃仏毀釈で消えた幻の大寺、内山永久寺が建っていました。阿弥陀如来を本尊とする真言宗古義派の寺院で、多くのお堂や塔がありましたが、明治維新後に絶えました。

池の北西寄りには、松尾芭蕉の「内山や外様知らずの花ざかり」の句碑が立っています。芭蕉が訪れた頃は、西の日光といわれるほど栄えた大寺院でした。その面影は本堂池のほか、『太平記』に後醍醐天皇が吉野に移る際に立ち寄ったと記される「萱(かや)の御所」跡の碑に、しのぶことができます。また山の辺の道を北に行った石上神宮に鎮守社の拝殿が、出雲武雄神社の拝殿(国宝)として移築され現存しています。 

寺が絶えたことによって散失した寺宝は、各地の寺院や美術館に伝わり、東大寺の持国天、多聞天像(いずれも重文)をはじめ名品ぞろいです。これら移築建物や旧蔵の寺宝からも、往時の繁栄ぶりがうかがえます。(奈良まほろばソムリエの会会員 岡田充弘)

(住 所)天理市杣之内町
(電 話)無
(交 通)JR・近鉄天理駅からバス「勾田」下車徒歩約30分
(拝 観)自由  
(駐車場)無


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川上村と大阪工大が「源流学」を開講、6月8日には村長が登壇!(2020 Topic)

2020年05月30日 | お知らせ
最近SDGs(エス・ディー・ジーズ)という言葉をよく聞く。外務省のHPによると《持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です》。

《17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。 SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます》。

吉野川(紀の川)の源流にある川上村(奈良県吉野郡)は水源地の村として、SDGsへの取り組みなどを「源流学」(体験的地域学)として、3ヵ月の授業を大阪工業大学で実施している。「森と水の源流館」(川上村大字迫1374-1)からいただいたメールによると、

川上村において、今年度も新たな取り組みが始まりました。奈良県川上村と連携協定を結ぶ大阪工業学(益山新樹学長)のロボティクス&デザイン工学部協力のもと今年度から正規授業として「源流学」が スタートしまた。

3カ月間のカリキュラムで学生たちは「水源地の村づくり」の課題を探り、「持続可能な村」を実現できる仕組みを考えます。5月・6月は、村長をはじめ、役場・公共施設職員、地域おこし協力隊、村民が座学講師として参加します。6月8日は、新型コロナウイルス感染症拡大防止によりオンライ授業で栗山村長が登壇。「川上村の水源地の村づくり~村づくりに込められた村長のおもい」と題し現役村長が学生に語りかけます 。

残念ながら、この授業を聴講いただくことはできませんが今後、取り組みの結果、成果についてご報告・発信をしてまいりたいと思います。


これは意欲的な取り組みだ。ニュースリリースには、

【本件のポイント】
● 連携協定を結ぶ大阪工大と協働で新しい体験的地域学「源流学」をスタート
● 吉野川の源流で豊かな環境の村の課題を学び、持続可能な村の仕組みを学生が考える
● 村長や村職員、村民と交流しながら、デザインやIoT活用のアイデアを提案


大阪の学生たちは、奥大和にある水源地の村の現状や課題を学ぶことで、たくさんの「気づき」があり、いろんな提案をしてくれることだろう。

都市近郊のベッドタウンで生まれた若者たちは、自分の「故郷(ふるさと)」というイメージがないのだそうだ。あえて聞くと「祖父母の里」と答えるのだという。

大阪の学生たちは、川上村をそんな「故郷」の1つととらえ、「持続可能な村」の実現にひと役買ってくれるに違いない。どんな成果が出るか、今から楽しみだ。

コメント (3)
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コロナ禍の今、カミュ著『ペスト』を再読する/奈良新聞「明風清音」第39回

2020年05月29日 | 明風清音(奈良新聞)
以前、当ブログに「再読!アルベール・カミュ著『ペスト』新潮文庫」(2020.5.7)として掲載した『ペスト』、昨日(5/28)の奈良新聞「明風清音」に《カミュ『ペスト』再読》として紹介した。この本については知人のFさんがご自身のFacebookに詳しい書評を載せておられた。その一部を抜粋すると、

不条理は多くの人々の人生を変える。人により変わり方が異なるだけで、我々は変わることを受け止め、淡々とその後の人生を生きなければならない・・・ということを思い出した。阪神大震災、東日本大震災、そしてコロナ禍。不条理とは、人をそして、社会を襲う理不尽な出来事だろう。

小さな不条理は乗り越えなければならないし、それが生活であり仕事である。病気、事故、貧困、クレーム、トラブル、揉め事、誤解・・・。大きな不条理とは、たとえば、大災害、巨大事故、ナチス、ファシズム、戦争、パンデミック、大恐慌・・・。大きな社会的な不条理には、社会や国家が対応しなければならない。政治である。個々人は協力したり、批判したり、何らかの態度を求められる。

個々人の人生が変わるとは・・・。死亡したら人生は終わる。大切な人をなくしたら、大きな欠落を抱える。遠くに離れていて当事者ではないと思っていても、政治や経済や文化が変わり、生活や仕事は変わる。現在、全世界の人々の人生が、社会が、国家が変わらざるを得ない局面を迎えている。

最後の文章・・・しかし「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり」「数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、待ちつづけていて」「いつか人間に不幸と教訓をもたらすために」「ふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう」・・新型コロナも・・・


これに対して、Sさんという方がFさんのFacebookにこんなコメントを寄せられた。

この感染によって、世界的なヒトの不条理が広がっています。現在では、情報を世界が共有しながら、一人一人が生存し連携することで不条理から抜け出す必要があります。便乗や差別、無関心に気づき、コロナ後に向けて、自らだけでなく、他者を考えることが必要な時ですね。

これに対してFさんは、

素晴らしいコメント、ありがとうございます。コロナと共存しなければならないので withコロナという人もいますが、私はコロナの時代と呼ぼうかなと思います。そんな大変な時代には、人は情緒が不安定になり、感動したり、喜んだり、逆に悲しんだり、怒ったり、感情の起伏が激しくなると思います。それで人同士は、助けあったり、支えあったりする、その一方で不信感を持ったり、攻撃したり、差別したりします。

つまり、人の素晴らしい面と、どうしようもない弱点が、くっきりと現れるのです。そんな中、「連携」することによって、いろいろな人の、そして集団の「便乗や差別、無関心に気づ」く「ことで不条理から抜け出す」ことができると思います。今の政府も、外国の首脳も多くは情緒不安定に見えます。他者と連携する中で冷静になってほしいものです。


カミュの『ペスト』にも、こんなくだりがあった。タルーは主人公で医師である。《タルーは、ペストに冒された町における1日のかなり精密な描写を試み、それによってこの夏の市民たちの仕事と生活について1つの的確な観念を提供している―「誰も、酔っ払い以外には笑うものはない」と、タルーはいっている。「そして、酔っ払いたちは笑いすぎる」》。これも「情緒不安定」の証左であろう。ではそろそろ「明風清音」の記事全文を紹介する。

新型コロナウイルスで「ステイホーム」の大型連休中、アルベール・カミュ著『ペスト』(新潮文庫)を読んだ。この本は今、世界的なベストセラーになっている。カミュの思想は「不条理の哲学」といわれる。この小説でカミュはペストという不条理に反抗し、戦う人々を活写した。そこにヒーローはいない。自分ができることを誠実に粛々と行う市井の人々がいるだけである。

舞台は当時フランス領だったアルジェリアのオランで、人口は約20万人。カミュもアルジェリアの生まれである。小説はこのような書き出しで始まる。《この記録の主題をなす奇異な事件は、一九四*年、オランに起こった》《四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診察室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠につまずいた》。

鼠の死骸はどんどん増えていく。《四月二十八日には報知通信社は約八千匹の鼠が拾集されたことを報じ、市中の不安は頂点に達した》。4月16日に鼠の死骸を片付けたリウーのアパートの門番は、28日に発症した。《熱は三十九度五分で、頸部(けいぶ)のリンパ腺と四肢が腫脹(しゅちょう)し、脇腹に黒っぽい斑点が2つ広がりかけていた》。やがて門番は、救急車の中で死んだ。

リウーはペストを疑うが、医師会長はそれを認めない。しかしその後も死者の数は毎日増え続ける。リウーは思い切って知事に電話をかけた。知事は「アルジェリア総督府の命令を仰ぐことにしましょう」。数日後、総督府から知事に公電が届いた。「ペスト地区たることを宣言し、オランを閉鎖せよ」、つまりロックダウンが命じられたのだ。当時のオランは城壁に囲まれていたので、城門さえ閉じれば封鎖はすぐにできた。《ペストは、彼らを閑散な身の上にし、陰鬱な市内を堂々めぐりするより仕方がなくさせ、そして来る日も来る日も空(むな)しい追憶の遊戯にふけらせた》。

今の私たちの感覚では理解に苦しむが、封鎖された壁の中では、カフェやレストランや居酒屋などが普通に営業し、人々はそれらを利用していた。《八月の半ばというこの時期には、ペストがいっさいをおおい尽くした》《市民たちは事の成り行きに甘んじて歩調を合わせ、世間の言葉を借りれば、みずから適応していったのであるが、それというのも、そのほかにはやりようがなかったからである》《絶望に慣れることは絶望そのものよりもさらに悪い》。

医師たちは全力を尽くして血清を作り投与し、市民たちは志願者による保健隊を結成し、懸命に看護活動を行う。これらの活動が功を奏し、12月末になって、ようやくペスト退潮のきざしが現れる。《統計は下降していたのである。健康の時代が、大っぴらに希望はされなくても、しかも、ひそかに期待されていたという1つの徴(しるし)は、市民たちがもうこのときから、ペストの終息後どんなふうに生活が再編成されるかということについて、無関心めいた口ぶりながらも、進んで話すようになったことである》。1月、ついに当局はペストの終息を宣言し、2月のある晴れた明け方、門は開かれた。

今のコロナ禍のなかで『ペスト』を読むと、リアリティがありすぎて何度か鳥肌が立った。翻訳が古いので、特に若い人にはとっつきにくいかも知れないが、この時期にぜひチャレンジしていただきたい名作である。


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上野誠氏の「天平と令和 重なる思い/今こそ読みたい万葉集」(読売新聞)

2020年05月28日 | 奈良にこだわる
火曜日(2020.5.26)の読売新聞夕刊「編集委員 鵜飼哲夫の ああ言えばこう聞く」に、万葉学者の上野誠氏が登場していた。見出しは「天平と令和 重なる思い 今こそ読みたい万葉集」。リード文には、

“今こそ読みたい古典”第3弾は、新元号「令和」の典拠になった万葉集です。万葉文化が花開き、奈良の大仏が建立された天平時代は、天然痘が流行した時でもありました。万葉学者で奈良大教授の上野誠さん(60)に、今こそ見直したい万葉の精神を学びました。

全5段ぶち抜きの大きな記事(新聞にはカラーで掲載)だが、すでに松森重博さんがご自身のブログ「鹿鳴人のつぶやき」に紹介されている。引用すると、

コロナ禍のなか疫病について、万葉集の時代を振り返って、奈良大学教授で万葉学者の上野誠先生のインタビュー記事「ああ言えばこう聞く」が、読売新聞5月26日の夕刊に半ページをつかって大きく載っていました。

「天平と令和 重なる思い」「今こそ読みたい万葉集」
〇令和と名づけられたのは今となれば時代の必然であった。
〇万葉集の鬼病
・壱岐島に至りて、雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)の忽(たちま)ちに鬼病に遭(あ)ひて死去(みまか)りし(巻15)「世の中は常かくのみと別れぬる君にやもとな我が恋ひ行かむ」
※雪連宅万、遣新羅使の一員。鬼病はおそらく天然痘。
〇コロナ禍では人の命と同時に、暮らしをいかに守るかが問われていますがその構造は1300年前と変わっていないようです。

〇離別の歌
「君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ」
「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」大伴家持 753年
〇言葉
「新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」
雪が降り積もるように、万葉集に歌を寄せたすべての人によいことが永く積み重なるようにとの祝福歌です。万葉とは万の言の葉であり、万世、永遠でもあるのです。言祝ぎで大切なのは日本語の美しさです。ガミガミいがみ合うような日本語では、いい世の中になりません。

「磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ」という柿本人麻呂歌集歌にあるように、言葉の魂に国が助けられるには、いい言葉を使わねば。法律も言葉、人を生かすも殺すも言葉なのですから。


天然痘が流行した天平時代は、新型コロナ禍の令和の時代に通じる。「新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」。このような時こそ、美しい言葉を使って幸福を祈らねばならない。
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かぎろひ歴史探訪に参加(5月14日)、次回は5月28日(木)信貴山!(2020 Topic)

2020年05月27日 | お知らせ
かぎろひ歴史探訪ウォークは、「奈良大和路を一歩深く紹介して散策にいざなう情報誌」である『かぎろひの大和路』からスピンアウトした歴史ウォークで、同誌編集者の豊永かずみさんが幹事をお務めになる。「事前申し込みなしの当日自由参加」で参加費は@1,500円・弁当持参。
※トップ写真は畝傍山、まさに「山笑う」の風情だ(写真はすべて2020.5.14撮影)


写真は岡寺駅近くの牟佐坐(むさにいます)神社。《高取川左岸の低い丘上に鎮座。
「延喜式」神名帳高市郡の「牟佐坐神社大、月次新嘗」とされる。祭神は高皇産霊神・
孝元天皇。旧村社》(『日本歴史地名大系』)。



5月14(木)には「謎の大石造物と新沢千塚古墳群」コースに参加した。旅程は、
[集 合] 5月14日(木)午前10時 近鉄吉野線岡寺駅
[コース]近鉄岡寺駅⇒牟佐坐神社⇒益田岩船⇒小谷古墳⇒益田池堤跡⇒
新沢千塚古墳群⇒近鉄橿原神宮駅

豊永さんのブログ「かぎろひNOW」には、このように紹介されている。




見瀬城の建物跡(石垣の上)には屋根の下にベンチがあり、休憩スポットになっている

5月14日、「かぎろひ歴史探訪」第14期⑥も参加者を得て決行、無事終了しました。今回は7人の参加がありました。こんな時期に来てくれはったメンバーを、まず紹介したいと思います。以前からおなじみの、S井さん、H田さん、N井さん。第2回から皆勤のTetsudaさん、第3回から皆勤のS田さん、第4回から皆勤のFさん、そして、初参加のT田さん。たまたま岡寺駅に降りられた人だと思っていたら「かぎろひさん」と言われてビックリ。


見瀬城跡の石垣




沼山古墳

実は、この2月に香久山公民館でお話しさせていただく機会があったのですが、なんとその時に聞いてくださっていたのだとか^^; は、はずかしー。ちゃっかり「かぎろひ歴史探訪」の紹介もし、チラシも配布してはいたのですが。最後に、山歩きが好きなことも話して、大和三山ビューポイントの紹介をしたり。そんなところからか、歩きながら山の話になったりしましたよ。T田さんは、本格的な冬登山もされているようでした。また、ご参加いただけるかな。お酒も飲まれるようなので、反省会の話もしておきました(笑)。


石室内部がきれいに撮れた!


益田岩船。登り道がきれいに整備され、竹も伐ってくれていた!

岩船をこんなふうに上のほうから見ることができたとは!アクセス路も整備されていて感動しましたが、岩船の周りも見学しやすくしてくれていたのですね。そうそう、益田岩船までの登山道の整備は数年前に、地元自治会と市役所関係課の有志の皆さんによってなされたそうです。荒れていた道に丸太の階段を付けたり、竹の伐採など。今でも年2回ほど作業してくださっているとか。歴史探訪日曜日コースによく参加してくださる橿原市のSさんに教えていただきました。ほんとうにありがとうございます。


小谷古墳遠望


小谷古墳に近づくとこんな感じ

小谷古墳は橿原市のHPによると《【県指定史跡】県の史跡に指定されている小谷古墳は、貝吹山から北東に延びる丘陵の先端に築かれています。墳丘の流出が激しいため墳形は不明ですが、方墳、あるいは円墳であったと考えられます。墳丘の規模は30m前後、高さは約8mで、墳丘の大きさに比して背の高い腰高の古墳と言えます》。


桝山古墳(崇神天皇皇子「倭彦命墓」)


青葉若葉が目にしみる!


シラン(紫蘭)もきれいに咲いていた

いよいよ最終目的地「新沢千塚古墳群公園」にとうちゃこ!「かぎろひNOW」には、


新沢千塚古墳群



5月14日「かぎろひ歴史探訪」の最終ポイントは新沢千塚古墳群でした。久しぶりに訪ねてビックリしたのは、南側の古墳群が公園として整備されていたこと。以前、かぎろひ歴史探訪で行ったときには(6年前)、南側は荒れ果てていて(草ぼうぼう)、入ることなどできなかったのです。今回は、益田池堤跡から宣化天皇陵⇒倭彦命墓(桝山古墳)を経て、南側から新沢千塚古墳群へと歩きました。



桝山古墳から南西へ、緩やかな坂道を上り、北への道をとると、自然に新沢千塚古墳群公園へと導かれます。坂道を上りつめたところで振り返ると桝山古墳が。正面北に畝傍山。見えている道は歩かなかったのですが、菖蒲園? があるようでした。まず、この風景を目にしたとき、ちょっときれいに整備されすぎかと、いささか不安になったのですが、地形や古墳をそのまま生かして自然な感じになっていてホッ。

ここでS田さん、S井さんと私は離団して、直売所で新鮮野菜や十返舎の浅漬などを買い込みました。近鉄橿原神宮前駅までは、ここから2kmほど。とてもよく晴れて、気持ち良い汗をかきました。

講師役の田中龍夫さん(『かぎろひの大和路』主宰)、豊永かずみさん、ありがとうございました。明日(5/28)も、よろしくお願いいたします!
コメント (2)
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