tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

トラットリア ピアノがリニューアルオープン!

2011年07月31日 | グルメガイド
TRATTORIA piano(トラットリア ピアノ)奈良本店のことは、以前当ブログで紹介したことがある。ピザやパスタの美味しいイタリアンである(トラットリアとはイタリア語で「気軽に入れる食堂」という意味)。こちらのオーナーシェフ・ 稲次知己(いなつぎ ともみ)さんはFacebook友達で、7/11にリニューアルされたという情報も、Facebookで知った。

お店の公式HPによると《6年目を迎えたトラットリア ピアノが新しく変わります!! 1Fはもっと手軽に気軽にお料理やお酒が飲める「ばるpiano」に 2F「TRATTORIA piano」はお料理の内容を一新! 全て奈良産にこだわった生産者直送のお野菜やお肉と土佐清水直送の鮮魚!お野菜は販売もします! それ以外にも新しくなった試みがいくつもありますが、それは来店してからのお楽しみ! 是非、ご来店下さい》。


こちらは2階(TRATTORIA piano)

1階(ばるpiano)はカウンターもある気軽なイタリアン・バー。2階(TRATTORIA piano)は本格的なディナーも楽しめるレストラン。とりわけ嬉しいのが、薪窯(まきがま)である。薪を焚いてピザを焼くので、ふっくらモチモチに仕上がるのだ。で、私も早速ランチタイムに訪れてみた。

メニューは1階と2階で異なる。2階(TRATTORIA piano)のランチコースは4種類で、
1.パスタ コース1,680円…前菜、パスタ(5種類から選ぶ)、ドルチェ(スイーツ)、エスプレッソまたは紅茶 
2.ピッツァ コース1,680円(上記パスタのかわりにピザがつく。ピザは5種類から選ぶ)
3.ピアノ コース1,890円…前菜、メイン(魚または肉 各3種類から選ぶ)、ドルチェ、エスプレッソまたは紅茶
4.シェフズ コース2,940円…前菜、パスタまたはピッツァ、メイン、ドルチェ、エスプレッソまたは紅茶


まずは野菜(奈良産の生野菜色々、トマトのコンフィチュールドレッシングで)。新鮮なので、甘みがある

私は薪窯で焼く「2.ピッツァ コース」を注文。ピザは
1.マルゲリータ(イタリア国旗の赤=トマト・緑=バジル・白=チーズを配したピザ)…トマト・プレーン ハーフ&ハーフ
2.ルーコラ(アブラナ科のハープ)エ プロシュート(生ハム)…プレーン・ルーコラ・生ハム・フレッシュトマト
3.ビスマルク エ ピッツィキーノ…プレーン・辛いサラミ・たまご・マッシュルーム
4.ピッッア 大和…プレーン・奈良産野菜・モツァレラチーズ
5.ピッッア ローマ…トマトソース・オレガノ(シソ科のハーブ)・アンチョビ(片口鰯)・モツァレラチーズ


アンティパストミストとパン

私は「奈良産野菜」に惹かれて「3.ピッッア 大和」にした。なお「2.」のビスマルクとは、卵のせのこと。ビスマルク(ドイツ帝国初代宰相)が目玉焼を載せたステーキが好物だったことから、目玉焼を載せた料理全般をビスマルク風というのだそうだ。



上の写真は、コースについてくる「アンティパストミスト」(前菜盛り合わせ)である。中身を紹介すると
・奈良産野菜のグリルマリネ 玉葱のコンフィチュール(ジャム)仕立て
・土佐清水直送鮮魚のカルパッチョ 季節野菜のピュレとポン酢ゼリー
・三輪そうめん山本の手延べカッペリーニ(細麺)とトマトのテリーヌ バジル風味
・土佐清水直送鮮魚のラグー(煮物)と奈良産ピーマンのオーブン焼き
・ヤマトポークのバゲットサンド
・古代米と大和肉鶏のアランチーニ・ディ・リーゾ(お米のコロッケ)古代ひしお風味

「三輪そうめん山本の手延べカッペリーニ」とは、株式会社三輪そうめん山本が、パスタ用の小麦粉で特別に作られたそうめんである。アルデンテにはならないが、三輪そうめん特有のコシが出て、新鮮な食感の「パスタ麺」である。



ピザにたどり着くまでに、こんなにたくさんの料理が出てくるのだ。しかもパンまでついている。そこにまた、巨大なピザが出てくるので、これには驚かされる。しかし、さすが薪窯焼きのピザは食感が違う。もちもち、しっとりとしていて、これは美味しい。しかも途中からお皿の絵柄が顔を出す。これは「奈良絵」といって、奈良の赤膚焼(あかはだやき)という高級陶器に使われる絵である。


赤膚焼の皿。食べていると、奈良絵がひょっこり顔を出すところが面白い

『奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブック』の「赤膚焼」には《奈良市西の京の西郊に広がる丘陵地の五条山一帯(奈良市赤膚町)で焼かれる陶器をいう。大和郡山市にも窯元がある。茶碗・水指などの茶器や花生用の花器を主とするほか日常雑器を作る。大きな特徴は、萩焼によく似た白濁色をした萩釉と絵画文様にある》。



《絵画文様は、上絵付(うわえつけ)といって釉薬をかけて本焼し、さらに弁柄(べんがら)や緑青などで奈良絵を描き、700~800度で焼成する。奈良絵は、本生譚(ほんじょうたん 釈迦の前世の物語)と仏伝(釈迦の現世の物語)を描いた「絵因果経(えいんがきょう)」による図案というが、明らかではない》《江戸後期に活躍したのが奥田木白(もくはく)で、楽焼から京・瀬戸・唐津・高取・織部・備前焼まで手がけ、赤膚焼の名を広めた。萩釉の開発は彼の創意と工夫による》。


たっぷりのドルチェ(スイーツ)

(8/1追記)赤膚焼のくだりをご覧になった当ブログ読者の若林梅香さんから、こんな情報をいただいた。《赤膚窯は遠州七窯の一つで小堀遠州が指導して焼かせたとされる窯で静岡県の志戸呂,滋賀県の膳所,京都府の朝日,大阪府の古曾部,福岡県の上野 (あがの),高取とともに奈良県の赤膚も7窯をあげています。赤膚焼の歴史は天正年間、大和郡山城主豊臣秀長が尾張常滑の陶工、与九郎を招いて開窯したのが始まりで、その後、小堀遠州や野々村仁清等も指導に来窯しています。奥田木白は幕末に赤膚中の窯(現在は赤膚山元窯として保存され登録文化財になっています)を用いて数々の名作を残しています。赤膚元窯(古瀬堯三)は今も見学でき、登り窯が3つあるうちの一番小さい窯は今も火が入ります》ということである。


エスプレッソの絵柄も、こんなに面白い

さて「TRATTORIA piano」の話に戻る。「マルゲリータ」ピザを食べた人が「食べログ」にこんな感想を書いていた。《イタリアンではお馴染みの定番にも程があるモッツァレラのピザな訳ですが、チーズが美味過ぎる!!!! ピザというよりチーズがメイン。生地がチーズを食べる為の台座の如き存在感。09年で食べたものの中で一番美味しかったといっても過言ではありません。来店から半年経った今でも話題に出る程に(笑)》とある。次回は、ぜひこちらを試してみたい。

お店では奈良産野菜も販売しているので、食べてみて「これは美味しい」と思えば、その場で買って帰ることもできる。楽しく新装開店した「TRATTORIA piano」と「ばるpiano」、ぜひ足をお運びいただきたい。

※所在地 奈良市橋本町15-1(東向商店街 南都銀行本店の向かい)Tel:0742-26-1837
営業時間:月~土:11:00~26:00(25:30ラストオーダー)、日・祝は23:00まで(22:00ラストオーダー)
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三島由紀夫の「からっぽな経済大国」論

2011年07月30日 | 意見
果し得ていない約束―三島由紀夫が遺せしもの
井上豊夫
コスモの本

たまたま古書店で、井上豊夫著『果たし得ていない約束』(コスモの本)という本を手にした。著者は元「盾の会」の副班長である。本のタイトルにもなっている三島の「果たし得ていない約束」というエッセイが印象に残った。本は買わなかったが、家に帰ってネットで検索すると、「産経新聞を読んで」というブログに全文が載っていた。この文章は1970年(昭和45年)7月7日付の産経新聞夕刊に掲載された三島のエッセイだった(戦後25年を振り返るテーマ随想「私の中の25年」の第1回)。以下に全文を紹介する。

【私の中の25年】三島由紀夫 果たし得ていない約束 恐るべき戦後民主主義

 私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。

 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。

 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。

 私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。

 この二十五年間、認識は私に不幸をしかもたらさなかった。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。

 なるほど私は小説を書きつづけてきた。戯曲もたくさん書いた。しかし作品をいくら積み重ねても、作者にとっては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。その結果賢明になることは断じてない。そうかと云って、美しいほど愚かになれるわけではない。

 この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。思想的節操を保ったために投獄されたこともなければ大怪我をしたこともないからである。又、一面から見れば、思想的に変節しないということは、幾分鈍感な意固地な頭の証明にこそなれ、鋭敏、柔軟な感受性の証明にはならぬであろう。つきつめてみれば、「男の意地」ということを多く出ないのである。それはそれでいいと内心思ってはいるけれども。

 それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。これも「男の意地」であろうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。

若きサムライのために (文春文庫)
三島由紀夫
文藝春秋

 ◆からっぽな経済大国に

 個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、その実践によって、文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。

 肉体のはかなさと文学の強靱との、又、文学のほのかさと肉体の剛毅との、極度のコントラストと無理強いの結合とは、私のむかしからの夢であり、これは多分ヨーロッパのどんな作家もかつて企てなかったことであり、もしそれが完全に成就されれば、作る者と作られる者の一致、ボードレエル流にいえば、「死刑囚たり且つ死刑執行人」たることが可能になるのだ。作る者と作られる者との乖離(かいり)に、芸術家の孤独と倒錯した矜持を発見したときに、近代がはじまったのではなかろうか。私のこの「近代」という意味は、古代についても妥当するのであり、万葉集でいえば大伴家持、ギリシア悲劇でいえばエウリピデスが、すでにこの種の「近代」を代表しているのである。

 私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。原因はすべて私のわがままに拠る。私には寛厚という徳が欠けており、果ては上田秋成や平賀源内のようになるのがオチであろう。

 自分では十分俗悪で、山気もありすぎるほどあるのに、どうして「俗に遊ぶ」という境地になれないものか、われとわが心を疑っている。私は人生をほとんど愛さない。いつも風車を相手に戦っているのが、一体、人生を愛するということであるかどうか。

 二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。

 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。(作家)          

             ◆◇◆◇◆◇◆

 みしま・ゆきお 本名・平岡公威(きみたけ)。大正14年、東京生まれ。昭和24年の「仮面の告白」で作家としての地位を確立。代表作に「金閣寺」「豊饒の海」など。戦後社会の甘えを憂い、44年の「文化防衛論」で文化天皇制の理念を示す。45年11月、「楯の会」メンバーと自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺した。

文学的修辞にあふれた文章なので、やや面食らうが、頭を整理するために要点を抜粋すると《私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ》。三島が憎んだのは《戦後民主主義とそこから生ずる偽善》であり、それは《アメリカの占領と共に終わる》ことなく、むしろ《日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだ》。しかも《戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている》。

《もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であったかに唖然とする》《このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっている》。


三四郎 (新潮文庫)
夏目漱石
新潮社

三島由紀夫が割腹自殺をとげたのは、このエッセイが掲載された年(1970年)の11月25日だった。1970年といえば大阪万博の年で、日本は高度成長の波に乗って「東洋の奇跡」といわれる発展を続け、好景気を謳歌していた。そんなさなかに書いた「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残る」という予言は、みごとに的中した。漱石が『三四郎』で、日露戦争勝利の上げ潮ムードに湧いていた時期に、「髭の男」に言わせた「(これから日本は)滅びるね」という言葉を思い起こさせる。

震災後の復興もままならず、放射能汚染の広がりが懸念されるなかで、政治的求心力を失った首相が居座り続ける。「恐るべき戦後民主主義」の申し子といえる民主党政権は、「偽善と詐術」に満ちたものだった。

日本は「経済成長」を国策のトップに掲げ、経済発展への道をひた走りに走ってきた。しかし、そのために手を出したのが「原子力発電」という極めて危険な麻薬だった。それが「抜目がない」「からっぽな」、「極東の一角」の「或る経済的大国」の裏事情だったのである。

しかし、日本を滅ぼすわけにはいかない。子供や孫の世代が希望をもって生きていける日本にするのは、われわれ大人の仕事である。「オール原発」を「オール電化」と言いくるめるような「偽善と詐術」に騙(だま)されず、正しい判断力をもって「もはや行き着く先が見えてしまったような」現実に処していきたい。
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夏休み ものづくりワークショップ(2011)は、8/31まで開催!(Topic)

2011年07月29日 | お知らせ
最近、奈良交通のバスに乗ると「夏休み ものづくりワークショップ」を紹介するクリーム色のパンフレットをよく目にする。これは、工房街道推進協議会が主催する木工作品づくりなどの体験プログラムである。同協議会のHPによると

《「長い夏休み、何して遊ぼうかなぁ」と、わくわくしている子どもとはうらはらに、保護者の方々が頭を悩ますのは「宿題」。そんな声にお応えして、三茶屋では「夏休みものづくりワークショップ」を行います。こだわった作品づくりから簡単な木工品など、いろんな「ものづくり」を用意して、夏休みの宿題を応援します》。

すでに7/23(土)からスタートしていで、8/31(水)までの期間中、シロホン(立体円形の木琴)、ヒノキのおはし、菩提樹のストラップ、菩提樹の念珠、ヒノキの木べら、ヒノキのしゃもじ、杉のゴム鉄砲、ヒノキのスプーン(小)、ヒノキのスプーン(大)、ヒノキのペーパーナイフ、マイフォトパズルなどの「ものづくり」が毎日体験できるほか、日時限定で七宝焼(趣味工房あすか)、ブルーベリー摘み体験(阪本農園)、木の時計づくり(INFOREST)などが楽しめる(詳細=HPご参照)。

期間は8月31日(水)まで、開催場所は吉野三茶屋(奈良県吉野郡吉野町三茶屋328-1)、参加費は300円~3000円(体験によって異なる)。問い合わせ先は、吉野三茶屋 電話0746(39)9149。子供さんの夏休みの工作などで悩んでいる保護者の方は、ぜひご家族で体験していただきたい。

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観光地奈良の勝ち残り戦略(48)「AKITA DINING なまはげ 」に学ぶ

2011年07月28日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略
久々に上京の機会があり、以前から目をつけていた「AKITA DINING(秋田ダイニング)なまはげ 銀座店」(東京都中央区銀座8-5-6 中島商事ビル9階)を訪ねた。パイロット事業として同店を立ち上げた秋田活性化株式会社の同店サイトによると《築120年のわらぶき屋根古民家(旧小松邸)を移築した内観は故郷の雰囲気満点! 大人気のかまくら個室では雪国独特の幻想的な世界へ誘います。迫力のなまはげショーもぜひご覧ください。本物の秋田を味わっていただける空間をお楽しみください》という店である。お酒も食材も、すべて秋田。おまけになまはげショーもあるという「まるごと秋田」の居酒屋さんである。



この店を立ち上げた秋田活性化株式会社とは、どんな会社なのか。同社の会社概要によると《秋田県は年間10,000人の人口が減っています。少子高齢化、中心商店街の空洞化が益々顕著になる中、郊外には中央資本のスーパーなどが立ち並び、お金はますます中央に吸われていくばかりのように思え、やりきれない思いがありました。一方、ニュースを見ると地方分権が叫ばれながら、中央集権的支配体制は変わらぬように思え、「これから地方が生きる道はあるのか?」と行く末の不安を感じておりました》。


店内の様子

《2003年、日本青年会議所秋田ブロック協議会主催で行った「あきたの真価探求」。秋田には何があるんだろう?秋田にはどんな人がいるんだろう?取材を重ねた結果見えて来たものは「こんなにすばらしいものがある」ということばかりでした。そして、「こんなにすばらしい」素材を如何に活性化につなげられるのかをテーマにしたフォーラムを開催したのをきっかけに、秋田を活性化させるプランの雛形が出来上がり、実行組織が必要になりました。プランを形にするため県内各地の有志85名が株主となり、資本金7,250万円で作り上げたのが「秋田活性化株式会社」です》。


これは美味しい、なまはげならぬ生ガキ

大きな柱でもあり、パイロット事業として具現化したのが2004年(平成16年)3月16日に東京銀座にオープンさせた「AKITA DINING なまはげ」でした。設立当初から変わらない「MADE IN AKITA」に対する徹底的なこだわり。秋田の良品を発掘・情報発信し販売拡大につなげることで「あきたに人とお金の流れを作り、秋田を元気したい。このために秋田の企業と個人のネットワークを再構築することが必要となります。これを実現していくのが秋田活性化株式会社です》。


「美味しんぼ」でも紹介された阿部養鶏場の比内地鶏

同社の代表取締役は、日景賢悟(ひかげ・けんご)氏である。このお店は日景氏が大館青年会議所メンバーの時代に企画した事業である。なまはげ銀座店オープンの1年後、「秋田ふるさと塾」(秋田市の市民団体)でされた講演「ふるさと塾地域づくり実践ゼミ」の記録がネットに出ていたので紹介する(ふるさと呑風便05年12月号および06年1月号)。演題は「これで秋田を活性化する」だ。日景氏は1969年(昭和44年)秋田県大館市生まれ。大館鳳鳴高校から青山学院大学経済学部卒。1年間、東京の店舗設計・施工の会社に勤めた後、秋田市のガソリンスタンドに2年勤め、その後、家業のガソリンスタンドを継ぐ(現在も有限会社日景石油 代表取締役を兼ねる)。

《地域をよくする、町を元気にするという我々の組織(=青年会議所)でして、その発想の中から秋田活性化株式会社が生まれました》。1997年(平成9年)に《地元の青年会議所のメンバーにならないかと誘われまして、当時は青年会議所とは、まちづくりとは何なのか全然、わからない状態でした。先輩から、「誘われるうちが花だよ」といわれて、青年会議所に入りました。そこでまちづくりの委員会に参加してましたが、初めは何やってんのかよく分からなかったんです》。


比内地鶏のつくねには、生卵の黄身をつけたいただく、これはウマい!

《27歳で世の中のことも知らないで、行くと飲みに行っている、何やっているのかわかないが終わると飲みに行っていると。(笑い) 偉そうに楽しそうにすごく飲んでいて、最初の一年間入って、辞めようと思ったんですが、何となくやっていくうちに、意味がわかってきまして、自分の商売も慣れてくると、地元で商売をやっていると、地域とのつながりがないといけない。うちのガソリンスタンドというのは、自分の父親、母親が培ってきた歴史といったものが、響いていて地元で商売させてもらっているんだなということが、30歳になってわかってきました》。


秋田の魚といえばハタハタ。ウロコがなく、白身も柔らかい

これから商売をやっていくとしても、明らかに人は少なくなっていくし、この中で我々、どうやって飯を食っていくのか。色々考えていくと、地元が元気がないと商売というのはありえない。まちを元気にすることが、我々のような小さいスタンドもやっていけることになるということがわかってきたんですね。こんな忙しい中でも青年会議所の会には何時も参加していますし、まちを元気にしていきたいということをここ7、8年ずっと続けてきました》。

《秋田活性化株式会社というのは青年会議所での発想の中で生まれたもので、いかにも怪しい名称も私が付けました。ここの発端は、大館青年会議所から秋田ブロック協議会に出向という形で出してもらいました。そこには湯沢から、横手からも色んなメンバーが集まりました。その中の一つの委員会の委員長を一昨年やらせてもらいまして、秋田の真価探求委員会という会の委員長を突然、やれといわれました》。


いよいよなまはげ登場!

《各地からメンバーが15人ぐらい集まってきて、私は委員長の立場で、秋田県には素晴らしいものが沢山あるらしいので、それを拾い集めて考えましょうといったような、初めはすごくいい加減でした》。《知らないことばっかりで、例えば横手でこういうお菓子があるとか、地元のことを知らなかった。外ばかり見ていたんですね。歴史とか人とか物とか、地元のことを知らない。そこでテーマを決めまして、人、環境、食べ物、自然といったテーマで集めていったら、横手の焼きそばって何?、大館の老犬神社、神社って何?といった話しがでて、委員会のメンバーもだんだん面白くなって、一年ずうっとやってきたんです》。

この「横手焼きそば」は2009年、B-1グランプリでゴールドグランプリ(最優秀賞)に輝いた。《秋田県の青年会議所のメンバーは600人ぐらいいます。そのメンバーが一同に介するブロック大会が年一回あって、そこのメインフォーラムを私がプロデュースすることになりました。そこでフジテレビの朝の番組をやっているキャスターの小倉智明さんに交渉しまして、50分ぐらいの講演をして頂きました》。


客席の間を「泣ぐ子いねぁがー、怠け嫁、怠け婿いねぁがー」と叫びながら回る
 
《パネルデスカッションでは秋田県を客観的に見れる人が欲しいなと思いました》《その時、コーディネーターにお願いしたのが今、参議院議員になった秋田テレビの鈴木陽悦さん。そして、東京で活躍している今、一緒にやっていますマネーの虎の安田久さん。後、稲川町の川連漆器でイタリアと繋げている佐々木伸さん。あとは秋田を知らずに客観的に見れる人ということで、マイクロソフト社の本部長さんに直接交渉しましたら、それは面白いと二つ返事でOKでした。役者が揃いまして、そこで我々が素材を集めてきたものを各メンバーがビデオを持ってそれぞれ取材に行って、それを私が夜中までかかってビデオ編集しました。それをフォーラムで流しました。人のテーマでは、秋田県ではかってこういう人がいました。今こういう人たちが活躍しています。食べ物のテーマですと、こういう食べ物があると紹介して、環境のテーマではこれだけ秋田県は素晴らしい環境にあると、色々秋田県というものを皆さんに紹介しました》。

このフォーラムは大成功を収め「では、実際に会社を作って、秋田を元気にしよう」ということになり、銀座に「AKITA DINING なまはげ」を出店することとなった。そのために、秋田活性化株式会社という会社を立ち上げた。お店のオペレーションは株式会社エイチワイシステム(代表取締役 安田久氏)が担当することになった。安田氏はテレビ番組「マネーの虎」で、「カリスマ経営者」として有名になった人である。。《レストランをやるために大体、一億かかると言われたんです。なまはげという名前で100坪、130席で、ともかくそのレストランに秋田県を凝縮させようというテーマで私も安田さんも出発しました。もしかすると秋田県にもこんなレストランがないといわれるくらいに秋田にこだわってやろうと当初から考えました》。


ひと回りしたあとは給仕も

《安田さんが考えたのは実際のなまはげをそこで実演させよう、ワーッとやると東京の人は絶対に喜ぶと。なまはげも実際に男鹿市長に協力をお願いしまして、なまはげのお面とかを協力して頂きました。男鹿の真山神社がいうには、なまはげは本来神様なので門外不出なのでよくないといわれました。ですが観光面で男鹿をどんどん外にだしてPRして宣伝しなければいけないという立場の人もいます。真山神社の宮司さんからホテルで説教というか、私のような立場もあるということ肝に銘じておけといわれました。そういうことがありましたが、協力して頂きました》。

エスコートというお客を案内する女の子がどこのレストランにもいますが、小野小町の格好をさせたいと雄勝町に行きました。町長とは会えなかったのですが、観光課の方々と話し合いましたが、小野小町は地元で生まれ、地元の風景を普段見ている子しか衣装を着る権利がない、飲食店でそんな格好をさせる訳にはいかんといわれます。それでもやりたいといいまして、最終的には日景が勝手にやったということですが、エスコートしてお客にお酌をするようなことはしないということで、今もそれは守らしております》。秋田県湯沢市小野が、小野小町の生誕地という説があるのだ。確かに「AKITA DINING なまはげ 」の女性スタッフは村娘のような着物を着ていたが、それが小野小町だったのだ。



《もう一つの魅力が、レストランの中に古民家を持っていきました。内装を秋田風にアレンジしようというのは最初からあったんですが、設計途中から費用の概算をやってこの値段で合ったなら、古民家を持ってきた方がいいんじゃないかと。それが一昨年の12月です。色々なネットワークで探して一番素晴らしかったのが、今回移築しました東由利町にあった、本荘第一病院の小松寛治先生の生家で、百年から百五十年ほどたった民家です。今は誰も使ってないと聞きまして、使ってないのであればレストランをやりたいのでお譲り頂けませんかとお願いしましたら、広いお心の先生からお譲りしましょうと気持ちよくいって頂きました》。

《解体にも私、四回ほど行きました。屋根裏にも入ったら長持ちとか凄い物がありました。カンジキとか使える物は使いたいというと先生は全部持っていってくださいといわれました。解体するときは神主さんにお払いしてもらい、東京から設計士の方に来てもらい、使える部材も銀座のビルに移築しました。そのビルというのは9階にあります。ゲリラ戦のように一気にクレーン車で入れたようです。3月16日にオープンしたんですが、床を下げてまで我々の思いを叶えてもらいました。例えば、箸置きにしても古い部材をちょん切って磨いて、それを箸置きにしました。そういう再利用もしました。日本酒のカウンターバーもあります。そこの床の壁に敷居をはめ込んでいます。かまくらも横手市長まで行って協力してもらい、中に水神様を飾っています》。

《中に八つの部屋がありまして、二人席、最大六人まで入れるような作りになっています。日本酒も秋田にある40蔵ある銘柄を全部並べています。ちなみに十社から協力を頂いて株主になってもらいました。乾し餅も置いていますし、そんなこんなで走りだしまして、今、お陰様で12月が三千百万円の売り上げで、一日平均、百万で順調にきております。我々の会社は何をやっているかといいますと、ここのレストランに食材を売っております。バンバン儲かっている訳ではありません》。

《レストランをどういった形で展開していくか。そこで株式会社なまはげという会社を作りました。我々、お金がありませんので、県内85名の株主を募りまして、資本金6,000万集めました。そのうち5,000万をレストランにあてていきました。あちら(株式会社エイチワイシステム)も5,000万の店舗の権利金とかを積んでいます。比率が一緒になるような形にしまして、株式会社なまはげとしました。そうじゃないと、我々が出資する会社が安田さんの会社ですと、業績が悪くなると私らのレストランなまはげも駄目になります》。


こちらは、秋田桃豚と夏野菜のタジン鍋(土鍋を使った蒸し鍋)

《そうすると秋田活性化株式会社というのは、そこに食材を送り、正直、トントンです。経費を極力抑えながら、私が飛び回っているのが現状です。売り上げと経費がちょうどトントンぐらいで動いている》《レストランをやってきまして、今、秋田県の方々がそこに行く割合というのが、10%ぐらいだと思います。秋田県の人口が115万。日本の人口が1億2千万ですから、秋田県は日本の中では100人に一人ぐらいです。そういう意味で考えると10%というのはかなりの比率で来ているんだなと思います。レストランに行くと、隣の席に秋田の方がいると、そこで盛り上がって楽しいらしく、かなりの好評を頂いています》。

《ひと月、だいたい四千名から五千名のお客さんが来てくれますので、秋田県出身者も含め、首都圏の人が多いので、何かここを使ってPRしたいとか、どんどん活用して欲しいと思っています。そういう思いで我々もつくっていますので、是非、なまはげレストランをご活用してほしいと思います》。

《ちなみに、2号店を今度、六本木に3月1日にオープンさせます。これは残念ながら、秋田活性化株式会社のふところ事情もありまして、前のようなフィフティフィフティでは作れないので、安田さんの会社がフランチャイズの形で運営します。なまはげというのは、我々秋田の人間と安田さんと一緒に考えてきたので、それはロイヤリティをちゃんと安田さんの会社からなまはげに払ってくれというような形に今、話を進めております。同じように食材は我々から、仕入れていくという形で六本木に作っていきます》。 

《最後の宣伝なんですが、レストランという状態だけですと出口が狭い。食材だけしか扱えないとなっていますが、当社としては大きな目標として、秋田県が元気になること。一企業では難しかったことも、ここにいるメンバーの中からでも力を合わせると何か、大きなことができるぞという発想からやってます》《今年1年かけて、ネットというツールを使って秋田県内の食材にかかわらず、色んな情報を我々のページに集約させて、在京の秋田県人の方々の力を得たいと考えており、東京だけでなく、全国と秋田県とを結ぶ役割を担っているんだと誇りを持って、くじけず頑張っていきたいと思っております。(拍手)》。


がさ海老の唐揚げ。地元の海老を素揚げしたもので、カリッと美味しい

私も知らなかったが、なまはげは神さま(来訪神)だったのだ。かつてNTTドコモ東北が「なまはげって、神さまだったんだ」という宮崎あおいが登場するCMを東北地方で流していたのだそうだ。ネットで百科@Home「なまはげ(生影)」によると《秋田県男鹿 (おが) 地方で 12 月 31 日の夜 (かつては小正月の夜) に行われる民俗行事 (国指定重要無形民俗文化財)。本来は小正月に訪れる異形の来訪神の一つで,祝福神的性格をもつものである》。

《村の青年が鬼面をかぶり,蓑と腰巻をつけ,わら沓をはき手に木の刃物を持って, 2 ~ 5 人が一団となって村中の家々を訪れる。「ウォーウォー,泣ぐ子いねぁがー,怠け嫁,怠け婿いねぁがー」などといいながら,家の玄関から入り,畳の縁を踏まぬようにして神棚を礼拝,荒々しく部屋中に怒号したあと,家の主人のもてなしを受ける。一年のけがれを払い,新しい年を祝福するのである》。神さまを居酒屋のイベントに使うというのは、神社にとっては抵抗があったことだろう。

Wikipedia「なまはげ」には《「なまはげのモデルは、漂流してきたものの、異形で異なる言葉から住民と交われず、人里離れた場所にひっそりと住み着いた外国人(白人)ではないか」というような説もある》とあり、見た目からは、こちらの説を支持したいのだが…。


出入口のなまはげ人形

先日の当ブログ記事「そうだ、葉っぱを売ろう!」のところにも書いたが、「AKITA DINING なまはげ 」成功の陰には、日景氏のこんなご苦労話があったのである。

かつて上京する機会が多かった頃、東京で奈良のものを食べようと探したことがあったが、ほとんど見つけることができなかった(今は、赤坂うのあんなど、大和肉鶏(やまとにくどり)を食べさせる店がいくつかヒットするが)。

こんな楽しいアンテナショップで、「まるごと奈良」を提供するお店が東京にできないものだろうか。古民家風の店内に、(おんだ祭りの)おかめとひょっとこ、(金峯山寺の)蛙飛びの蛙、(曽爾村の)獅子舞、伎楽面(ぎがくめん)をつけた道化師、天平美人などを順繰りに出演させる。料理は大和肉鶏、ヤマトポーク、大和牛、鮎にアマゴ、大和野菜たっぷりのヘルシー料理。お酒はもちろん、奈良の地酒に曽爾の地ビール…。何だかできそうに思えてきた。「奈良まほろば館」とともに、東京における「奈良の顔」になれるのではないか。

なお最近になって、居酒屋を運営する株式会社なまはげに対して、秋田活性化株式会社と共同出資している株式会社エイチワイシステム(代表取締役 安田久氏)が破産手続きに入ったというショッキングなニュースが飛び込んできた。「AKITA DINING なまはげ」にも影響が出るかも知れないので、少し心配しているところであるが、今のところ普通に営業しているようである。

東京で「まるごと秋田」を体感できる楽しい店、これは秋田出身者が集まるはずである。どなたか、「まるごと奈良」を体感できるお店を出店しませんか?
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今井灯火会(2011)は、8月6日(土)に開催されます!(Topic)

2011年07月27日 | お知らせ
今井町町並み保存会会長の若林稔さんから、恒例の「今井灯火会(とうかえ)」のご案内をいただいた。若林さんのHPによると《第4回今井灯火会 盛大に行ないます 平成23年8月6日(土)午後7時点火 灯りが町を明るくしますー浴衣が似合う今井町へ―昨年は6,000個の灯りが重要伝統的建造物群保存地区指定の町並みを幻想の世界で彩りました。遠くは東京、千葉、札幌、島根、愛知から皆さん今井町に来て思いを込めた1灯を灯してくださいました。今年は更に多く、目標1万灯に近づきたいと思っています》。

《毎年七夕飾りに幼稚園、保育所、小学校の児童、婦人会、朗人会の人たちが折り紙、短冊を作って参加してくれます 今年は来町の方たちにも沢山飾り付けをして頂きたく、思っていますのでお願い事を書いてお持ちください 昔懐かしの冷やし飴水は先着五百杯(無料)》。

すでに若林さんのブログ「梅香のつれづれ日記」でも詳しく紹介されているが、以下に実施要領を貼っておく。

写真は、今井町町並み保存会のHPおよび若林さんのブログから拝借


第4回今井灯火会実施書

目 的
「灯りが町を明るくします・震災地に鎮魂の思いを届けます」灯火会活動を通じて街に一人ひとりが灯をともし、町の安全と繁栄を願い、更に町民の親睦と、団結を深めることを目的とする。

実施日時
平成23年8月6日(土) 午後7時(点火)~午後10時(消火) 点火式 華甍会場

実施場所
 寺  院 称念寺・順明寺・西光寺・蓮妙寺
 神  社 春日神社・春日神社境外 八幡神社・境外は正面の道端(片側)

 公共施設 今井公民館・華甍周辺 南町生活広場 北環濠小公園
 町  内 共栄町・中蘇武町・材木町・本町・中町・北口町・その他
      (今回はその他の町内でも開催したく、ご協力町内募集中)

 春日神社境内 七夕飾り 
 接 待 天川村ごろごろ水を使ったひやし飴水500杯(午後8時より 先着順 無料)
 児童公園前復原堀 灯篭流し
 今井まちや館   お話の夕べ(昔話語り聞かせ)
 まちづくりセンター 今井町並み散歩ビデオ上映 

組  織 今井灯火会実行委員会
構成団体 今井自治委員会・今井町町並み保存会・今井町防災会・春日講・行者講 今井婦人会・今井なごみ会・今井町青年会・橿原市消防団第9分団 ボーイスカウト橿原第5団・今井町区域街並み環境整備協議会 今井地区民生児童委員会・NPO法人今井まちなみ再生ネットワーク

後 援 橿原市・橿原市教育委員会
協 力 (財)国際交流センター・橿原市観光協会

役 員 実行委員長 若林 稔 事務局長 大村 眞司                      
(本 部 今井町地区公民館 ℡ 0744-25-3102)


昨年は6千灯、今年は1万灯をめざすというから、すごい勢いである。重伝建の町並みに点(とも)されるろうそくの灯りは、さぞ幻想的なことだろう。皆さんも、ぜひ足をお運びいただきたい。

コメント (4)
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