tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

華山(鯛だしそば・つけ麺はなやま)のラーメン

2011年03月31日 | グルメガイド
「やまと支那そば華山(はなやま)」(奈良市鳥見町1-1-4)がモデルチェンジしたと聞いて、お邪魔してきた(3/28)。華山は、『あまから手帖 奈良うまい店100選』にも選ばれた名店である。それなのに商品をモデルチェンジしたとは、相当勇気がいったことだろう。

店名も「鯛だしそば・つけ麺はなやま」に変わった。お店に入ると、魚介ダシの良い匂いが漂ってきた。スープは「炙(あぶ)り鯛ダシ」(軽くあぶった小鯛の干物からとったダシ)と削り節に、肉系(豚骨、鶏ガラ)のダシを合わせた、いわゆる「W(ダブル)スープ」である。なお化学調味料は使用していない(無化調)。

メニューを見ると3つのカテゴリがあった。「鯛だし塩そば(極細麺…華山 塩そばが旨味増)」「鯛だしそば(平打麺)」「鯛だしつけ麺(平打麺)」だ。つまり、もともとの「塩そば」(塩ラーメン)の旨味をアップしたもの、新たな「醤油ラーメン」、ブームの「つけ麺」の3カテゴリということで、私は醤油ラーメンの大盛りを注文した(平打麺の「鯛だしそば」650円+大盛100円=750円)。それがトップ写真のラーメンである。

まずはスープをひと口。魚介ダシがよく利いている、醤油もしっかり。魚介をメインにして、肉系を合わせたような感じだ。そこに平打麺がよくマッチする。もともと私は細麺が苦手なので、モチモチした食感が楽しい。叉焼もメンマも、さすがのうまさだ。

もともと鰹ダシに鶏ガラ、野菜などを合わせた細麺の「塩そば」がウリのお店だったが、よく思い切ってこんな醤油ラーメンを開発されたものだ。このお店は、土曜日は屋号を「春日」に変えて、つけ麺を提供されている。その麺は特製の太麺で、「鯛だしつけ麺」の平打麺とはまた違うそうなので、これを食べ比べてみるのも面白いだろう。

良い料理店というのは、伝統の味を頑(かたく)なに守る店ではなく、不断の革新を実行する店なのだそうだ。人気のあったラーメンの味を変え、メニューを増やし、しかも「やまと支那そば華山」のDNAをちゃんと受けついでいるところがスゴい。皆さん、ぜひ「鯛だしそば・つけ麺はなやま」をお訪ね下さい。
※お店の詳細は「食べログ」をご参照下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きょうの奈良

2011年03月30日 | 奈良検定
きょうの奈良―まほろばの国の三六五日
小野久仁子
紫紅社

人と会うごとに、「奈良県下では、毎日お祭りがあります」と話している。「だから、奈良に来て下さい」と。具体的な行事内容は、ええ古都なら(観光情報サイト)の「イベントカレンダー」などを見ていただいているのだが、昨年末、とても便利な本が出版された。それが小野久仁子著『きょうの奈良』(紫紅社刊)1,365円である。

版元の紹介文によると《奥の深い大和奈良の魅力を日暦で語る》《どの時期にくれば秘仏が公開されているのか、花の時期はどこの方面へ行けばいいのか、その季節にはどんな野菜が食べられるのかなど、修学旅行では訪れない奈良の魅力を、日めくりでご紹介。寺院の法会125項目、神社の祭礼77項目、奈良の四季の日々108項目、花と味の話48項目の読みごたえのあるボリュームを新書版にまとめました。大和路を歩きたくなる、奈良のイベントカレンダーの決定版!はてしなく奥行のある国、奈良。遷都1300年イベントの熱気がさめやらぬ今、もっと深い奈良をご案内します!》。

この本のことは、読売新聞奈良版(1/15付)にも、詳しく紹介されていて、著者の小野さんは「秘仏の公開はいつで、花の時期はどこに行けばよいかなど奈良の魅力を具体的に知るきっかけにしてほしい。私が読者の方々と一緒に訪れたい所を、短い文章でも臨場感を大切にして載せました」とコメントされている。

たとえば今日(3/30)のところには、薬師寺の花会式が1ページにわたって紹介されている。《「花会式(はなえしき)」とは、薬師寺の修二会のことである。東大寺二月堂の修二会が本尊十一面観音像に捧げる香水(こうずい)を汲むことから「お水取り」といわれるように、薬師寺の修二会(薬師悔過法要)は十種類の造花を本尊薬師如来像に捧げることからこうよばれる。旧暦の2月末からおこなわれていた法要を新暦に移して、3月30日から4月5日まで国家安泰、五穀豊穣、万民豊楽が祈られる》。

締めの文章は《花会式の期間中、午後1時からの日中の行の間、能や舞楽、大正琴、稚児行列などが奉納されて国家鎮護の祈りの場でありながら、春らしい華やかさが見られる法会である》。やさしい言葉でありながら正確・簡潔に、しかも情景が目に浮かぶように紹介されている。隣のページでは、ちょうど私が「開花情報」を当ブログにアップしている「奈良で最初に咲く桜 氷室神社(奈良市)」が紹介されている。

この本は、これから奈良を訪ねようとされる人はもちろん、記述が正確なので、奈良まほろばソムリエ検定(奈良検定)の最上級資格「奈良まほろばソムリエ」にチャレンジする人にも、自信を持ってお奨めできる。「こんな行事があったのか」と驚くことも多いだろうし、達意の文章は、論述試験の良いお手本になる。格好の奈良入門書として、2級受験者にもお奨めしたい。

当ブログ読者のchiyoさんも《ソムリエに81点で合格しました。実は、昨年の暮れに、偶然『きょうの奈良』という本を見つけ、試験勉強の仕上げに読んでいたのですが、大変役に立ちました。高得点で合格出来たのも、この本を読んでいたおかげかもしれません。私も、『きょうの奈良』はソムリエ受験者向けの良き参考書だと思います》と推薦されている。

目次の一部を抜粋して紹介すると
【一月】
奈良の初詣 / 陀々堂の鬼はしり  / 国栖奏 / えんまもうで / 若草山山焼き ほか
【二月】
粥占い / 追儺会 / おんだ祭 / 三大梅林 / 砂かけ祭 / だだ押し / 大和まな ほか
【三月】
東大寺二月堂修二会 / 町家のひなめぐり / 春日祭 / 奈良三名椿 / 花会式 ほか
【四月】
ちゃんちゃん祭 / 桜の名所 / おたいまつ / 春の大茶盛式 / 春のけまり祭 ほか
【五月】
献氷祭 / 大和茶 / すすつけ祭 / 練供養 / うちわまき / 薪御能 / 業平忌 ほか
【六月】
蛇巻き / 黄金ちまき会式 / あきの螢能 / 虫送り三枝祭 / 柿の葉寿司 / でんでん祭 ほか
【七月】
風鈴まつり / 俊乗忌蛙飛び / 風鎮祭風神花火 / 山百合 / 子安地蔵会式 / お峰デンソソ ほか
【八月】
なら燈花会 / 中元万燈籠 / 大文字送り火 / 阿礼祭 / 大柳生の太鼓踊り / 地蔵会万燈供養 ほか
【九月】
放生会 / 山の辺の道ハイキング / 曽爾高原山灯り / 稲渕の彼岸花 / 采女祭 / 安倍仲麻呂観月祭 ほか
【十月】
塔影能 / 翁舞題目立 / 鹿の角きり / 正岡子規と奈良正倉院展 ほか
【十一月】
渡御行列  / 紅葉の名所慈恩会  / 酒まつりかぎろひを観る会 / 竜田川紅葉まつり ほか
【十二月】
厄除大根炊き / お身ぬぐい / おん祭 / ロウバイの名所 / 奈良の大晦日 ほか

冒頭のAmazonのサイトでは「なか見!検索」という立ち読みもできる。ソムリエ受験者にも2級受験者にも、奈良に詳しい人にも詳しくない人にも、辞書的に使う人にもまるごと読む人にも、とても重宝するスグレモノである。ぜひ、お読みいただきたい。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月ヶ瀬梅林の見ごろ速報 2011、これにて終了!(Topic)

2011年03月29日 | お知らせ
3月29日(火)現在=散り初め
(お問い合わせ先:0743-92-0300 開花状況はええ古都なら

(3/2追記)奈良交通から「観梅バス」という便利なバスが出ているので、ご覧いただきたい。奈良方面からだと、尾山(月ヶ瀬梅林)バス停で降り、一目八景、帆浦梅林、天神梅林などの中心地域を巡り、月ヶ瀬橋(定期バス停)または月ヶ瀬梅の資料館(臨時バス停)でバスに乗って帰る、というコースはどうだろう。時間があれば、こけ石梅林、奥の谷梅林、竜王梅林に回って太郎谷バス停でバスに乗って帰る、という手もある。地図などは、このブログに出ている。お土産には、梅の加工品が一般的だが、私はよくお茶を買う。


※梅の写真は、3/11の月ヶ瀬梅林。Tenbouさんから送っていただきました!

最近、毎日500人ほどの人が、「月ヶ瀬梅林」「見ごろ」のキーワードで当ブログに来られる。私は「月ヶ瀬梅林の見ごろ」というブログ記事を書いているので、そちらをご覧になっているようだが、この記事には速報が載っていないので、ガッカリされる方も多いことだろう。

そこで、奈良市民かつ月ヶ瀬梅林ファンとしては「そんなに開花状況を知りたい人が多いのなら、これから毎日、月ヶ瀬梅林の満開までの開花情報を紹介しよう」と決意した。地元新聞やネットなどに信頼できる情報モトがたくさんあるので、そちらからの孫引きだが、それでも意義のあることだろう。



世に梅林は数々あれど、渓谷や水辺の景色(五月川および高山ダムの湖水)と、これほど大規模な梅林が一度に見える景勝地というのは、めったにない。だから「月ヶ瀬梅渓」とも呼ばれるのだ。月ヶ瀬湖(ダム湖)には漕艇場があり、「月ヶ瀬レガッタ」というボート競技が行われている。ボートから眺める梅林の風景はさぞ圧巻だろう(しかし、それでは競技に勝てないので、やはり見ていないのかなぁ…)。



Wikipedia「月ヶ瀬梅林」には《大和高原北側の府県境付近は木津川水系名張川の渓谷が続いており、特に月ヶ瀬梅林のある名張川下流域は五月川と呼ばれ、深いV字谷を形成している。月ヶ瀬梅林はこのV字谷の斜面に広がる梅林である。「月ヶ瀬梅渓」と呼ばれる所以(ゆえん)となった雄大な渓流は高山ダムの完成(1969年)によりダム湖の底に沈んだが、近年はその月ヶ瀬湖の湖水と梅林が調和し、新たな景観を形成している》とある。

ともあれこれから毎日、開花情報を掲載するので、皆さんぜひ参考にしていただいて、今年も月ヶ瀬梅林をお訪ねいただきたい。なお見ごろの時期の土日は混雑するので、花も元気な「朝の早い時間帯」にお訪ねいただきたい。

コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記紀・万葉の宇陀路を満喫!

2011年03月28日 | 古社寺を歩こう会
3/19(土)、第7回古社寺を歩こう会「記紀・万葉の宇陀路バスツアー」を実施した。3連休の初日で、3日間のうち唯一の晴天、しかもぽかぽか陽気にも恵まれた。参加者は、計34人という大所帯だった(当ブログから19人、会社のOB・同僚から15人)。
※写真はすべて、3/19の撮影。(Y)とあるのは県職員のYさんが撮影して下さったもの。Yさん、有難うございました!

この日のコースは、◆午前:墨坂(すみさか)神社→宇太水分(うだみくまり)神社(下社=榛原区)→宇太水分神社(中社=菟田野区)→人麻呂公園→かぎろひの丘万葉公園(昼食)◆午後:阿紀(あき)神社→宇陀松山の町並み散策(西口関門、久保本家など)→解散・打ち上げ参加者はあきののゆへ というものだった。以下、訪問順に概要を紹介する。

バスは奈良を出発し、まずは宇陀市榛原区へ。榛原区はWikipediaによると《奈良県中東部に位置し、四方を山地に囲まれた高原都市。町の北部を近鉄大阪線や国道165号が横断する。宇陀地区の中心となる町である》《町内を流れる宇陀川・芳野川周辺の平坦地とそれを取り囲む山地で構成される。平坦地の部分でも海抜300m前後の標高をほこり、周囲の山は600~800m級のものである。位置としては大和高原の南端に位置する》。


(Y)

榛原区・墨坂神社と宇太水分神社(下社)の案内役は、榛原観光ボランティアガイドの会の石田さん(=伊勢本街道保存会副会長)と大江さんだった。また今回のプランニングに際しアドバイスいただいた宇陀市商工観光課の室さんも、わざわざ足をお運び下さり、バスの乗降や道路の横断などをサポートしていただいた。

墨坂神社(宇陀市榛原区萩原)は、「記紀・万葉の宇陀路」というテーマにふさわしい古社である。『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)には《祭神=墨坂神 旧県社。「記・紀」崇神天皇の条に、悪病流行、人民死に絶えようとした時、『日本書紀』では神人が、『古事記』では大物主神が天皇の夢の中に現れて、墨坂の神に赤色の盾矛を、大坂の神に黒色の盾矛をもって祀れとの教えに従ったところ、悪病止んで平穏となったとある》。


榛原観光ボランティアガイドの会の石田さん(向かって左)と大江さん

《また『日本書紀』雄略天皇7年7月3日の条「三諸岳の神」に「此の山の神をば大物主神というといふ。或いはいふ、菟田墨坂の神なり」と出ている。もとは伊勢街道の宇陀市榛原区西峠付近の天の森に鎮座していたと伝わる》。西峠(榛原区)は近鉄榛原駅の北・国道165号線の北側にあり、行きも帰りも、バスで通りかかった場所だ。


(Y)

Tenbouさんが買われた「墨坂神社略記」を拝見すると《日本書紀によれば神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(マツリノニワ)を築かれ、天皇みづから皇祖天神を祭祀され「この地を上小野榛原(カミツオノハリハラ)、下小野榛原(シモツオノハリハラ)という」とある。その下小野榛原が即ち墨坂の地である。現在は西峠地区内にあるが、神武天皇の軍が大和菟田に入られた時この墨坂において賊軍がイコリズミ(山焼きの意)をもって防戦したため、天皇の軍は苦戦し菟田川を堰き止め消火して進軍した所でもある》。



さて次は、宇太水分神社・下社(榛原区下井足)である。境内の掲示板によると《奈良県宇陀郡榛原町下井足、舟形山に鎮座まします。当神社の創祀は、太古の国史「三代実録」(奈良時代-平安時代に編集された六国史本)によれば、「貞観元年」(859年)9月8日宇太水分神社へ風雨祈願のため勅使を遣わし幣(お金や織物等)を奉ったとあるから、その由来は実に古く。水分神は「ミクマリ」と読まれ、五穀豊穣と、生命を宿す御神徳の高い農耕神として、人々の崇拝の対象とされてきたことを物語る》。


宇太水分神社・下社(Y)

《延喜式神明帳では、当水分社は葛城、都祁、吉野水分と共に大和の四水分の大社とされていたが、応保年間(1160年)頃より芳野川にそって三所三座(当社・古市場社・芳野社)に祀られている。「延喜式登載」や「水分由来集」や「神体形相記」によると、 玉岡(古市場)水分は男躰、田山(井足)水分は女躰、中山(芳野)水分は童躰とあって、 かって祭礼には、中山水分から田山水分まで神輿の御渡があったと、伝えられている。明治の始め頃までは、本殿を始め、附属の建物はすべて古い形式で(春日造)であったが、明治11年、神社形式令により県社の指定を受け現在の神明造りになっている》。



ここで、ガイドの大江さんが万葉歌を紹介して下さった。墨坂(住坂)の地名が登場する。
「君が家(へ)にわが住坂の家道(いへぢ)をも われは忘れじ命死なずは」柿本人麻呂の妻(巻4―504)

解釈は様々に分かれているようだ。奈良新聞のグラフ「万葉の景色」によると 《「君が家にわが」までが「住む」という住坂を導く序詞。解釈をめぐっては諸説あるようだが、当時は男が女の家を訪ねる「通い夫」が一般的。ならば君(夫)の家に我(妻)が住むのは疑問だ。人麻呂が妻に贈った歌の書き誤りだとか、君と我の写し違いだなど…。何やらややこしい。旅立つ人麻呂に対し「私を忘れないでほしい」という願望を込めた妻の心を代弁した歌という説も。こちらに軍配を上げたい、そんな思いがした》。

ここで榛原観光ボランティアガイドの会の皆さんとお別れし、バスは菟田野区へ。菟田野区はWikipediaによると《奈良県の東北部大和高原の山中に位置し、町の東部から流れる芳野川(ほうのがわ)流域の谷間に集落が点在する》《古代の大和国宇陀郡多気郷の地であり、延喜式内・宇太水分神社(古市場)が鎮座する》《毛皮革産業・林業が盛んである》とある。


(Y)


(Y)

バスの車窓からは毛皮屋さんや、宇陀牛の肉屋さんの看板が見える。駐車場でバスを降り旧街道を歩くと、これは風情のある町並みであった。庄屋さんの旧家やレトロな農機具屋さん、雑貨屋さんなどがあって、なんとも昔懐かしい風景である。菟田野は、バスの駐車場からガイドまで、同僚のNさんがあらかじめ手配して下さっていた。菟田野観光ボランティアガイドの会の皆さんが、宇太水分神社・中社(菟田野区古市場)まで誘導して下さった。


正面が拝殿。ここでお祈りを捧げた(Y)



宇太水分神社では、まずは東日本大震災でお亡くなりになった方のご冥福、行方不明者のご無事、被災者の救護、被災地の復興を祈願し、禰宜の三家(みやけ)邦彦さんに祝詞(のりと)をあげていただいた。参加者全員、拝殿に上がらせていただき、本殿に向かってお祈りを捧げた。


(Y)


国宝の本殿(Y)

お祈りのあとは、榛原観光ボランティアガイドの会の元会長・森本徳蔵さん(森庄銘木産業株式会社取締役会長)が、神社の由緒や本殿建物(国宝)について、解説して下さった。森本さんは、NPO法人宇陀カエデの郷づくりの理事長も務めておられる。

宇陀市のHPによると《緑濃い木立の中に速秋津比古神、天水分神、国水分神の水分三座が祀られています。社伝では、崇神天皇の時代にはじまるといわれ、縁起では、大和国宇陀郡の水分大明神は天照大神の分神で、垂仁天皇の時代に神託によって社殿をかまえたと伝えている。本殿は、連棟社殿で中央と左右の三殿からなる一間社隅木入春日造り(国宝)水分連結造りの古型で、外部は朱塗り。蟇股など細部に鎌倉時代の特徴をみることができます》。NHKの「やまとの国宝」宇太水分神社の回では、三家さんが説明役で登場されていた。



境内の休憩所で「菟田野の秋祭り」のDVD映像を拝見した。このお祭りは、写真家・野本暉房さんのHPによると《菟田野の秋祭りは惣社水分(みくまり)神社の女神が宇太水分神社の男神へ年に一度会いに行くお祭りで千年以上も続いているそうです。女神を乗せた神輿がお供を従え、時代行列で5キロ程の街道を下ってきます。それを盛り上げるために町内各地から集まった6台の太鼓台が「ヨーイトサノセー、ヨイトサノセー」の掛け声で街を練り歩き、神社の境内ではさらに豪壮に練り回ります》。初めて映像を拝見したが、これはメガ勇壮なお祭りである。

菟田野秋祭り(by Mr.Nakagawa)


さていよいよ次は大宇陀区だ。Wikipediaによると、ここは《古代には阿騎野と呼ばれ、宮廷の狩場となった。柿本人麻呂が阿騎野で詠んだ歌「東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾ぬ」で有名である。延喜式内の阿紀神社(迫間)が鎮座する。中世には地侍出身の秋山氏が支配したが、その後支配者が入れ替わり、17世紀には織田松山藩3万石の城下町となった。織田氏転封後は幕府直轄領となり、明治維新を迎える》。



私たちは、又兵衛桜にほど近い阿騎野・人麻呂公園でバスを降りた。奥には市の体育館があり、その手前の中之庄遺跡(弥生時代、飛鳥時代、中・近世の3時期にわたる遺構)を埋め戻して整備された人麻呂公園が広がる。かぎろひの丘・万葉公園は、すぐ近くだ。ここでは、下見でお世話になった大宇陀観光ボランティアガイドの会の藤本さんはじめ、木下さん、奥谷さんと3人ものガイドさんが登場。参加者を3つのグループに分け、それぞれ懇切丁寧にご説明いただいた。



「ひむがしの…」の歌が詠まれたかぎろひ丘の上で、お待ちかねの昼食。大宇陀は薬のまち。今回は、薬草料理で知られる料理旅館「今阪屋旅館」(大宇陀区中新1975)の「薬草弁当」をいただいた。わざわざ献立表までつけていただいている。紹介すると
・小 鉢 山くらげ たたき牛蒡(ゴボウ)
・御造り 吉野本葛のお刺身 酢みそあしらえ
・焚 合 竹の子 菜の花 南京 小芋 桜麩 裏白椎茸 薬草あんかけ
・合 肴 薬草天ぷら 防風(ボウフウ=セリ科の薬草)
     ユキノシタ ふきのとう 薩摩芋 茗荷(ミョウガ)
・御 飯 絹皮銀杏御飯
・果 物 いちご



わずか千円のお弁当に、薬草など、こんなにたくさんの地物を詰め合わせて下さった。しかも出来たてほやほやだ。私としては、歯触りのいい「吉野本葛のお刺身」と、ほのかな苦みに春を感じる「薬草天ぷら」が気に入った。皆さんの評判も、とても良かった。今阪屋さん、有難うございました。また今阪屋さんをご紹介下さったYさん、お世話をおかけしました。



食後は徒歩で阿紀神社へ。この神社は、Wikipediaによると《奈良県宇陀市に鎮座する神社。旧社格は県社、延喜式内社。旧称は阿貴宮および神戸(かんべ)大神宮、通称は神戸明神》《神代に神楽岡に創建され、崇神天皇の勅によって神戸大神宮の号を賜わる。 安土桃山時代(天正年間)に本郷川西岸の現在地に遷座されたときに、現在の社名へと改められた。 江戸時代前期に能舞台が建設され、能が上演されるようになる。 明治35年に郷社から昇格して県社に列格した》。


(Y)



この神社では毎年6月に「あきの蛍能」が催される。宇陀商工会青年部・大宇陀支部のHPによると《能の無形文化財保持者の浦田先生も出演される「あきの蛍能」は全国的にも知られており、この舞台を楽しみに毎年大勢の観客がここ阿紀神社に集まります。そして「蛍能」の名の通り、舞台のクライマックスに舞台袖で放たれた数百匹の蛍が漆黒の空に舞い上がる様は非常に幻想的です。私達青年部は毎年竹灯篭(会場の阿紀神社から帰路の足下を照らす為の灯篭)作りや会場準備、物産販売などのお手伝いしています》。


川で手を清める。モデルは銀とき子さん

さて、いよいよ伝統的建造物群保存地区「宇陀市松山地区」である。宇陀松山観光案内HPによると《2006年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された宇陀松山地区は、かつての大宇陀町である奈良県宇陀市の南西部に位置している、長い歴史を持った町です。周囲を吉野山地、竜門山地、大和高原などの山々に囲まれた辺境の地ではありましたが、京都や奈良と伊勢をつなぐ交通の要衝だったことから、古くから中央の影響を受けながら発達してきました》。


宇陀松山城の西口関門(Y)



《日本の歴史に宇陀が登場するのはかなり早く、飛鳥時代まで遡ることになります。宇陀地域の山々は鳥獣が豊富だったために絶好の狩猟場として見いだされ、「阿騎野」という呼び名で日本書紀に登場しています。また柿本人麻呂が軽皇子(文武天皇)の狩猟の情景を詠んだ歌も阿騎野でのことと知られています。交通の要衝となっていた宇陀地域が、町として形を成し始めるのは戦国時代、秋山庄の荘官から国人領主に成長した秋山氏が城を築き、その城下町として山腹に栄えたのが現在の松山の起源であると言われています》。


右端が大宇陀観光ボランティアガイドの会の藤本さん



《その後、秋山氏は豊臣氏に追放され、秋山城には秀吉の弟、秀長の家臣が入り、この頃に城の大規模改修と城下町の拡大整備が行われ、現在の骨格が整えられました。この時に阿貴町から松山町に名前が変えられたと考えられています。 元和元年に城は壊されましたが、宇陀松山藩となってからは長山に藩屋敷を置き、織田信長の次男信雄(のぶかつ)が初代藩主となり4代にわたって松山藩を治めました。やがて近代になると郡役所や裁判所ができ、政治の中心地として栄えたほか、県内初の乗り合いバスが走り、十数件の料理旅館がひしめいた時期があり、昭和の半ばまでその賑わいは続きました。それが宇陀松山の町並みです》。





重伝建・宇陀松山の町並みを、(宇陀松山城の)西口関門から、久保本家酒造まで歩いた。よほど住民とのコミュニケションが取れているのだろう、ガイドさんはお家の人に声をかけながら、古い看板や町家の設(しつら)いなどを指差しながら説明して下さる。美味しいと評判の本善食堂の前では、ちょうどご主人がいらっしゃったので、写真を撮らせていただいた。


本善食堂前で、Iさん・銀さんとスリーショット



大人気の洋菓子屋さん大宇陀アナンダでは、シュークリーム(またはマカロン)を買って、参加者1人に1個ずつお配りした。久保本家酒造では、試飲もさせていただいた。このあと道の駅に立ち寄り、再びバスへ。打ち上げ(懇親会)参加者は大宇陀温泉あきののゆで下車、直帰の方はそのまま近鉄榛原駅北口に向かった。





私は温泉で疲れをほぐしたあと、お食事処おときやで懇親会。ガイドの藤本さんにも加わっていただき、自己紹介やこの日の感想などでワイワイと盛り上がった。山菜とかやくご飯のお料理に、茶粥もつけていただいたので、お腹もいっぱいになった。温泉とレストランが一体となったこの施設は、とても便利だ。このあとバスは榛原駅経由で一路奈良へ。





それにしても、楽しいバスツアーだった。いつもは鉄道か路線バスとウォーキングだが、観光バスというのも良いものだ。「古社寺を歩こう会」は、もともとは会社の同好会のような形で始まったが、当ブログでも募集を開始してから参加者が増え、年齢層も広がった。第4回古社寺を歩こう会(今井町編)のコースは、昨年の奈良まほろばソムリエ検定(奈良商工会議所)の「体験学習プログラム」(大和今井を歩く)にも採用された。


(Y)


(Y)

いつも、「こんなツアーがあれば、ぜひ行きたい」「こういう風にツアーを組み立てれば、遠方からも奈良を訪ねて下さるだろう」「地元(訪問先)の方にも、喜んでいただけるだろう」と考えてコースを組んでいる。必ずガイドさんをつけ、食事にもこだわっている。だから、どんどんマネしていただきたいのである。参加者の間からは、早速、次回のプランも出てきている。


(Y)


(Y)

今回のツアーは、宇陀市役所の職員さん、ボランティアガイドの皆さん、水分神社の三家さん、森本さんはじめ、たくさんの方のご協力のおかげで実現しました、有難うございました。参加者の皆さん、楽しかったですね。また次回をお楽しみに!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同時進行!平城遷都1300年(33)空前の大成功!

2011年03月27日 | 平城遷都1300年祭
平城遷都1300年祭の経済波及効果が発表された。奈良新聞(3/19付)「1300年祭 全国で経済効果3210億円 事業協会推計」によると《平成22年に奈良市の平城宮跡をはじめ県内各地でさまざまなイベントが開催された平城遷都1300年祭の経済波及効果について、近畿を含む全国で約3210億円、県内で970億円とする推計をまとめ、18日、主催者の記念事業協会が発表した》。

奈良県の県内GDPは約3兆7千億円(3,738,439百万円=06年度)だから、970億円は、その約3%に相当する。《県内の経済波及効果は当初想定した750億円の3割増。また波及効果を基にした雇用創出効果は県内で約1万300人、全国(近畿を含む)では2万3500人に上るとしている。協会の事業収支は3億3600万円の黒字となる見通し。定款の規定に基づき、負担金は4分の3を県に、4分の1を奈良市に寄付。協会は今月末をもって解散する》。

《記者会見した秋山会長は「当時の人々が、国難打開に都を造営して国の守りを固めた意気込みを平城宮跡に感じた人は多いと思う。平城遷都1300年祭が本物の歴史を生かし、国営公園化方式で行われたことや、地域挙げて祭典を盛り上げたことが成功につながった」などと総括。荒井知事は「協力していただいた1人1人に感謝したい」と述べた》。

赤字に終わった「ならシルクロード博」とは違い、ちゃんと3億円以上の黒字を計上したのだ、ああ良かった。しかも奈良県も奈良市も、黒字分(剰余金)は、東日本大震災のお見舞金などに充てるというから、これは美談だ。日本経済新聞(3/23付)によると《奈良県、遷都1300年祭の剰余金を見舞金に》《奈良県は22日、昨年開催した「平城遷都1300年祭」の剰余金約2億5千万円などを東日本大震災の被災地への見舞金に充てると発表した。6月の県議会で承認を得て送り先を決める。関連イベントとして開催した「全国都市緑化ならフェア」の剰余金約1500万円も見舞金とする》。


写真は、南都銀行女子ホッケー部のメンバー。平城宮跡で古代の打鞠(だきゅう=うちまり)を再現した(10.5.3 同僚のMくんが撮影)

一方、読売新聞奈良版(3/23付)「奈良市の1300年祭返還8400万円 ボランティア支援検討」によると《奈良市の仲川元庸市長は22日、昨年の平城遷都1300年祭を主催した記念事業協会の31日の解散に伴って市に返還される8400万円の使途について、東日本巨大地震の被災地に向かうボランティアへの支援を検討していることを明らかにした。仲川市長は「市民がまとまって行くバス代などが考えられる。息の長い支援活動に投じていきたい」と話した》。

週刊奈良日日新聞(3/25付)は、紙面の1ページ(全面)を使って、経済波及効果やポスト1300年祭構想(巡る奈良実行委員会の開催など)を報じた。見出しは《平城遷都1300年祭 空前の大成功 世界中から2140万人来訪》だった。

3/14に開催された「巡る奈良実行委員会」については県のHPに詳しく出ていて、《昨年開催した平城遷都1300年祭で実施した「巡る奈良」事業が大成功を収めたことを受け、更なる観光振興を図るためにこの実行委員会を設立しました。実行委員会形式にしたのは、イベントPRや広報戦略についての先進的な手法を、様々なイベント実施主体に伝えることで情報を共有し、一体的に情報発信することがねらいです。1300年祭の賑わいを一過性のものとせず、持続させていくことが大切であり、今後とも観光関係団体等と連携を図りながら、「巡る奈良」事業の取組みを発展、継続してまいります》というものだ。

同紙によると、にぎわい創出、快適な移動、道の駅、直売ネットワーク、宿泊、奈良の食、奈良らしい土産物、文化観光施設ネットワーク、観光ガイド、外国人観光客誘致、秘宝秘仏公開、記紀・万葉、観光情報発信の13の部門からなる「にぎわい・もてなし部会」を設けたという。ならの魅力創造課のHPにも詳しい情報が出ている。

また同紙では平城宮跡の活用などについて、奈良商工会議所会頭の西口廣宗氏がインタビューに答えている。見出しは「ポスト1300年元年 平城宮跡フル活用へ」。1300年祭には予想を上回る来場者があったこと、懸念していた交通渋滞もなかったことに触れたあと《昨年11月、奈良商工会議所と奈良市観光協会、県ビジターズビューローで、国営平城宮跡歴史公園の整備促進に対する要望を国や県、市に行いました》。

《平城宮跡には1300年祭終了後も多くの観光客が訪ねておられます。第1次大極殿院、朱雀門前、東院庭園と魅力的な施設があり、もっとPRすべきですし、新たな観光ルートの目玉になり得ると考えています。朱雀門前広場などでの定期的な催しなども検討していきたいと思います。行政のほうでもこれらの整備・活用に向けた予算を組んでいただいており、大変ありがたいと思っています》。

現在、奈良観光の中心スポットといえば東大寺南大門前だが、常に交通渋滞の問題がつきまとう。やたら修学旅行生が多く、じっくりと静かな奈良の魅力を味わうことができない。これを徐々に平城宮跡にシフトさせていく、というのは妙案である。阪奈道路や国道24号線の便が良く、大阪や京都からのアクセスが良い。広々している(東京ディズニーランドとディズニーシーを合わせた面積より広い)ので、大人数の団体旅行客にも、十分対応できる。



記事に戻る。全国の商工会議所に対して行った1300年祭に関するアンケートによれば、《来訪者の半数が宿泊されましたが、内訳は県内が約60%、残る40%は大阪や京都など他府県に宿泊されたということです。40%の方を奈良にとどめることができなかったことは非常に残念です》。そして《県は先般、1300年祭のにぎわいを一過性のものにするのではなく、より飛躍的な発展につなげるため、官民連携による「巡る奈良実行委員会」を設立しました。大いに期待したいと思っています》。

なお、奈良まほろばソムリエ検定については《奈良商工会議所では「奈良検定」を実施しておりますが、実際のところ赤字です。役員レベルで今後、奈良検定をどうしていくかという議論になったこともありますが、奈良の観光振興のためには続けるべきだと思います。商工会議所としても奈良の観光振興のために協力させていだだきたいと考えています》。

1300年祭は黒字で終わり、その剰余金は東日本大震災のために活用される。宮跡会場は国営公園として、今後も活かされる。1300年祭を契機に作られた「奈良まほろばソムリエ検定」は、祭典の終了後も継続して実施される。良いことづくめで終わったのだ。問題は宿泊施設の不足だが、これは継続して取り組まなければならない。大型ホテルの誘致だけでなく、宿坊や町家ステイなど、幅広く検討してほしいものだ。



不謹慎な話で恐縮だが、震災がもし昨年の今頃に起きていたら、と想像すると、背筋が凍りつく。昨今の「自粛ブーム」を見ていると、とてもお祭りどころではなかっただろう。パレードなどは中止され、もちろん天皇皇后両陛下をお迎えすることもできなかったことだろう。

それにしてもこの「自粛ブーム」には、はなはだ疑問を感じる。昨日は、奈良県文化会館の「奈良県暮らしと環境フェスティバル」にスタッフとして参加したが、来場者は驚くほど少なかった。朝から雪がぱらつくという寒さと強風という要因もあったが、盛り上がりに欠けるのだ。原発事故により節電・省エネが叫ばれているなかで、こんな時こそ環境問題について楽しく学べるイベントはタイムリーで貴重な機会なのだが…。イベントは今日も開かれるので、ぜひ多くの方にご参加いただきたい。

その点、京都はエラい、奈良も見習わなければ。京都新聞(3/25付)「イベント自粛せず 京の政財界トップが緊急会議」によると《東日本大震災で京都経済への影響が懸念されていることを受け、京都府や京都市、府内の経済界、観光団体のトップが24日、京都市内で緊急会議を開き、イベントや事業の自粛は行わずに府内の観光や企業活動の振興を図ることを確認した。出席は、山田啓二京都府知事、門川大作京都市長、立石義雄京都商工会議所会頭、柏原康夫府観光連盟・市観光協会会長の4人。観光客の宿泊キャンセルなどが相次ぎ、対策のため急きょ集まった》。

《「自粛ムードだけでは日本の復興にはつながらないと訴えないといけない」(山田知事)、「被災者に心を寄せて関西から日本を元気に」(門川市長)との意見が出て、復興支援とともに経済活動の活性化が重要との認識で一致。金融機関や商工会団体などにも呼び掛けて「経済復興対策京都官民合同会議」(仮称)を立ち上げることを決めた。また、被災者支援の一環で府と市が25日からJR京都駅(下京区)2階の西改札近くに避難者用の緊急案内所を設けて対応する》。

「自粛ムードだけでは日本の復興にはつながらない」とは、全く正しいし、この時点でこういうメッセージを発するところがスゴい。日本中が萎縮している今、関西から日本を元気にしないでドーする、と私も言いたい。ポスト1300年元年を、自粛ムードで水を差してはならない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする