tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

古墳のトップ&ベスト40選

2009年12月31日 | 奈良検定
12/29に「火葬墓のおさらい」という記事を書いたが、奈良まほろばソムリエ検定(奈良検定)を受ける同僚からの評判は、上々だった。当ブログ読者の独楽さんからも「頭が整理できました」とのコメントをいただいた。

初めて奈良検定を受ける人がぶつかる壁は、「古墳」であるようだ。たいてい石舞台古墳くらいしか、行ったことがないからだ。しかし公式テキストには、ずらずらと古墳の名前や説明が出ているし、出題もされる。だから特に若い社員から、よく「何とかなりませんか」と言われる。

で、私が思いついたのは、テキストの中で「日本で唯一」とか「奈良県で最大」「全国でも珍しい」などのキャッチコピーのついた古墳をリストアップして、これを並べたら分かりやすいのでは、ということである。ざっと紙に拾い出したものを並べると、ちょうど40件になった。ついでにゴロ合わせも載せておくので、ご参考に。

【奈良市・大和高原】
■佐紀盾列古墳群P87
日本で最大級の古墳群の1つ。著名な佐紀3陵(成務陵、日葉酢媛命陵、称徳陵)のほか、神功陵(五社神[ごさし]古墳)、瓢箪山古墳、 猫塚古墳、平城陵(市庭古墳)、磐之媛命陵(ヒシアゲ古墳)、ウワナベ・コナベ古墳、塩塚古墳、垂仁陵(宝来山古墳)など。

【生駒・斑鳩】
■西宮古墳P107
精緻な切石の巨石を用いた横穴式石室として、古くから著名。玄室からお経が出土(近世の仏教信仰による)。

■烏土塚古墳P107
石棺側面に斜格子文の線刻があり、これは県内での石棺装飾の数少ない例。平群谷で最大の古墳。ゴロ合わせ「チェック柄のウドの大木」。

■藤ノ木古墳P107
東アジアでも超一級の金銅製馬具セットが出土。石室内部と石棺は、ベンガラで赤に塗られる。

■仏塚古墳P108
仏具がたくさん出土。中世の仏堂として再利用されていた。

【大和郡山・磯城】
■島ノ山古墳P121
巫女の墓か。被覆粘土内には130点もの鍬形石・車輪石・石釧。棺内からは3面の獣形鏡のほか、石製合子、玉類、剣・刀子、櫛などが出土。木棺はコウヤマキ。

【天理・桜井】
■箸墓古墳(大市墓・「纏向遺跡」内)P135
卑弥呼の墓か。前方部の先端がバチ状に広がるという古相を示す。

■段ノ塚古墳(舒明天皇陵)P135
天皇陵に多い八角形墳だが、「正八角形ではない」という謎の古墳。

■東大寺山古墳P136
東大寺山古墳群は天理市の北、もと東大寺の領地内にあった(現在のシャープ総合開発センターの敷地内など)。同群中で最大の古墳が東大寺山古墳(天理教城法大教会の敷地から入る)。副葬品の中に、24文字を金象嵌で表し、「中平」の紀年銘を持つ鉄刀があった(国内出土最古の紀年銘遺物)。

■西山古墳P137
日本最大の「前方後方噴」(サイズの違う方墳が2つ付く)。周濠北に接して塚穴山古墳(大型円墳)がある。天理大学に近い杣之内古墳群の中にある古墳。

■龍王山古墳群P138
総数1千基、全国でも最大規模の大型群集噴。多数の横穴を含み、十数基ほどでグループを形成。

■櫛山古墳P139
例のない「双方中円墳」(中央に円墳・両端に方墳が2つ付く)。崇神陵(行燈山古墳)の東側に近接。

■天神山古墳P139
遺体埋葬の痕跡のない古墳(遺物を納めただけの古墳か)。コウヤマキ製の木棺。副葬品には23面の鏡と大刀、剣、鉄鏃、鎌、槍鉋(やりがんな)など。使用された朱は41kg。崇神陵(行燈山古墳)に近い伊射奈岐(いざなぎ)神社境内にある。

■黒塚古墳P139
棺の中に画文帯神獣鏡1面と刀剣・刀子。棺の外に33面の三角縁神獣鏡(平絹でくるまれ、鏡面を木棺側に立てて置かれていた)と刀剣、鉄鏃など。黒塚古墳展示館に詳しい展示あり。

■中山大塚古墳P138
「最古級」の竪穴式石室。傍らに大和稚宮(おおやまとわかみや)神社が鎮座し、大和(おおやまと)神社の御旅所になっている(「御旅所でボンカレー」と暗記)。

■纏向古墳群(「纏向遺跡」内)P140
全国でも最古級の約100mの前方後円墳が4基=纏向石塚、纏向矢塚、東田大塚、勝山の各古墳(「石矢で大勝」と暗記)。

■ホケノ山古墳P141
大和の古墳で初の石囲い木槨(木槨を多量の川原石で覆う)。

■文殊院西古墳P142
石室は、精緻な切石を5の目に積む。阿倍倉梯麻呂の墓か。東側に文殊院東古墳(井戸があるので閼伽井古墳とも)。西古墳・東古墳とも、不動明王の石像を祀る。

■メスリ山古墳P143
円筒埴輪は最大規模。「鉄製の弓と矢」という例のない遺物も出土。竪穴式石室(「ヤスリで鉄の弓矢を研ぐ」と暗記)。

■桜井茶臼山古墳P144
前方部先端が広がらない「柄鏡形」の前方後円墳の典型(「茶臼に柄鏡を立てる」と暗記)。初期ヤマト政権の大王墓の可能性が高い。金より貴重とされた赤色顔料「水銀朱」が石室全面に塗られていた。竪穴式石室。

【橿原・明日香】
■桝山古墳(身狭桃花鳥坂墓=崇神天皇の皇子・倭彦命の墓)P176
わが国で最大の方墳。葬儀の際、近習の者を生き埋めにしたところ、数日たっても泣き声が鳴りやまず、垂仁天皇が殉死の風習を禁止した、という説話が残る。
参考:日葉酢媛命陵(P85)殉死に代わる埴輪起源説話

■五条野古墳群P177~179
橿原市と明日香村の境界付近。「見瀬(五条野)丸山古墳」(県内最大・横穴式石室は日本最大。畝傍陵墓参考地)、「菖蒲池古墳」(内側に漆を塗った家形石棺。蘇我倉山田石川麻呂の墓か)、「植山古墳」(扉を設置する閾石が残る。推古天皇と竹田皇子を最初に葬った墓か)など。

■中尾山古墳P181
文武天皇陵か。墳丘全面を石で覆う3段築成の八角形墳。横口式石槨は、蔵骨器を納める形態に変化。

■マルコ山古墳P182
内部全面に漆喰。壁画は描かれていなかった(「ちびまる子の絵がない」と暗記)。天武天皇にかかわる皇族の墓か。

■真弓鑵子塚古墳P182
羨道が玄室の北と南に2つ取り付く。天井が高く、持ち送りが強い。渡来人の墓か。

■牽牛子塚古墳P183
2段築成の八角形墳。石槨は2つ。天皇または天皇に準ずる人の墓。

■岩屋山古墳P183
精緻な切石積の石室。「岩屋山式横穴式石室」の標識。近鉄飛鳥駅の北西側。

■束明神古墳P184
草壁皇子の墓か。八角形墳で、石槨の規模が大きい。漆塗木棺の使用が考えられる(「壁を草の束でたたく」と暗記)。

【葛城】
■新山古墳(大塚陵墓参考地)P200
上面に竪穴式石室・下方に組合式石棺という特異な構造。34面の鏡と金銅製帯金具、他には全く例のない仿製(日本製)の大型直弧文鏡が出土。

■コンピラ山古墳P201
県内最大の円墳(直径95m)。築山古墳(磐園陵墓参考地)の陪塚。
参考:富雄丸山古墳(P89)は、県内最大「級」の円墳(直径86m)としてテキストに出ている。

■佐味田宝塚古墳P201
全国屈指の大量の鏡が出土。中には、唯一の出土例である家屋文鏡(4棟の異なった建物が描かれた仿製鏡=日本製の鏡)が含まれる(「宝塚の家屋」と暗記)。

■乙女山古墳P202
県内最大の帆立貝式古墳(前方部が極端に短い。「乙女にホタテ貝の首飾り」と暗記)。馬見丘陵公園内。形象埴輪と土器類が出土。

■巣山古墳P203
出島状遺構の上面から家形・柵形・蓋(きぬがさ)形の埴輪、突出部から水鳥形埴輪が出土。馬見古墳群中央群の中核。

■鳥谷口古墳P204
大津皇子の墓か。二上山雄岳東麓の方墳。加工途中の石材を大量に使用。

■平林古墳P205
見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳)に次ぐ規模の長大な石室あり。仿製(日本製)の画文帯神獣鏡(中国製の鏡を忠実に写し取った優品)が出土。

■水泥古墳(今木双墓)P206
南古墳(蓮華文石棺古墳)の石棺には日本で唯一、6弁の蓮華文が施されていた(「水泥からハス」と暗記)。北古墳は塚穴古墳という。

■室宮山古墳(室大墓古墳)P206
葛城地方最大の前方後円墳で、5世紀初の代表的古墳。武内宿禰の墓、葛城襲津彦の墓とも。

■巨勢山古墳群P207
総数700基以上、全国屈指の大型群集噴。
参考:龍王山古墳群(P138)総数1千基、全国でも最大規模の大型群集噴。

■條ウル神古墳(「巨勢山古墳群」内) P207
石舞台並みの大型横穴式石室(「巨勢の巨大石室はウルサイじょう」と暗記)。

【五條・吉野】
■五條猫塚古墳P227
希有な蒙古鉢形の冑が出土(「モンゴルの猫」と暗記)。
参考:猫塚古墳(P87)奈良市・佐紀盾列古墳群の1基。松林苑の南西隅にある。

ざっと以上である。ここからどれだけ出題されるかは分からないが、大事な古墳がたくさん含まれている。ぜひ検定準備にお使いいただきたい(そのままプリントアウトできないので、あらかじめWord文書などにコピー&ペーストを)。

※トップ写真は、ナガレ山古墳。馬見古墳群中央群の1つで、馬見丘陵公園内にある(09年2月に撮影)。
コメント (12)
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十津川産材の家、1/16~17に見学会

2009年12月30日 | 林業・割り箸
奈良新聞(12/24付)に、「十津川産材でしっかり スペースマイン7棟目の施工 奈良で上棟式」という記事が出ていた。《十津川産材を使った住宅の上棟式が23日、奈良市六条1丁目の民家であり、関係者が完成までの無事を祈った》というニュースで、なんと施主は知人だった。《施主の大川健さん(48)は「原木までを確認できる仕組みに共感した」と話している》と、コメントまで紹介されていた。

株式会社スペースマインの矢島社長さんのブログにも出ていた。《上棟式 12月23日 午後2時 十津川郷の家ネットワーク7棟目》《奈良市 O様邸にて上棟式が行われました。(長期優住宅・抗酸化工法の家)》《2~3日続いた寒波も遠のき年の瀬も迫った穏やかな冬の日O様ご家族、ご両親をはじめ奈良県林政課十津川村役場・十津川森林組合の方々にもご参加頂き、総勢23名で式はとり行われました》。
※写真は矢島社長のブログから拝借(トップ写真とも)。
http://smceoblog.blog117.fc2.com/blog-date-20091227.html



《出会いは、今お住いのマンションからすぐ下に見降ろせるスペースマインの完成現場見学会でした。それから一年後、お探しの土地見つかったのでプランを依頼したいとショールームに再度お越し下さいました。具体的なお二人のご要望の中には“パパキャビン” “ママルーム”と普通のお家にはないスペースがあります。明確な目的のあるスペースなので重要ポイントを考えてお作りしたプランはファーストプランでOKを頂く事ができました》。

《10月には十津川村に御家族と一緒に、実際使用する『木』を選びに行きました。森林組合の方に選んで頂いた杉、地松等にお子様がスプレーで目印を…。この思い出はお子様の心に家と共に残り、森林保護の大切さを理解して下さる事と願っております》。

これはすごい。山まで原木を見に行かれたとは。新聞には《同社は「十津川郷士の家ネットワークに加盟しており、建築中の民家はグループの住宅商品。十津川産材は構造材に使われ、県が強度などを保証する県地域認証材の認定を受けて》いるという。


※印刷用PDFファイル(A4版)
http://www.spacemine.co.jp/event/1001/01.pdf

大川邸は、1/16(土)と17(日)にはモデルハウスとなり、現地で構造見学会も開かれるそうだ。矢島社長のブログによると《構造見学会を開催させて頂きます。当日は、十津川村より源泉かけ流し足湯&十津川物産展も同時開催致します。十津川の村の方々の暖かさと共に足湯の源泉は運ばれてきます。一番寒いこの時期に是非体験下さい》。

《地松・杉・桧等の県産材を構造、デザインにふんだんに使用しております。完成時には見られない本物の『木造健康住宅』の骨組みを是非ご覧下さい》《また、“じゃんぼしめじ”の株は赤ちゃんの頭ぐらいあり、弾力のある歯ごたえと味は私のお気に入りの1つです。村全体の90%が森林という十津川村でとれた貴重な食材を、あわせてこの機会にご賞味下さい》。

それにしても、率先して県産材の家を建て、しかも現地で原木まで確認し、棟上げしたばかりのお家をモデルハウスとして解放されるとは、素晴らしいことだ。私も、ぜひ足を運び、お宅を見学させていただきたい。

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火葬墓のおさらい

2009年12月29日 | 奈良検定
第4回奈良まほろばソムリエ検定(奈良検定)の応募者数は、過去最低だったようだ。12/22付の毎日新聞(奈良版)によると《奈良商工会議所は、来年1月10日に試験が行われるご当地検定「第4回奈良まほろばソムリエ検定」の応募者数は1872人と発表した》《内訳は、最高ランクの奈良まほろばソムリエが239人▽奈良通1級が558人▽奈良通2級が1075人。応募者の地域別では、近畿が最多の1608人、関東が193人で続いた。県内からは1221人。男女別では、男性1349人、女性523人。年代別は60代が最も多く、489人だった》。

《過去の申し込み状況は、第1回が4038人▽第2回2485人▽第3回1946人で、今回が最少となったが、同商工会議所は「東京での受検者が増えており、今後は2000人前後を確保したい」としている》。回を重ねるごとに応募者が減るというのは、残念だ。初回の4038人には「ご祝儀」が入っていたのだろうが、やはり2000人以上の応募者がないと、検定の存在意義が問われる。ぜひ頑張って、もっと広くPRしていただきたいものだ。

さて、奈良検定の過去問をざっと見ていると、やたら「火葬墓」の問題が出題されている。しかしテキストにも私の「要点整理」にも、一覧としては掲載していない。年末のお墓掃除というわけではないのだが、ここで整理してみよう。

1.火葬の始まりは僧・道昭
《記録上、国内初の火葬が行われたのは文武4(700)年。玄奘三蔵に師事したことで知られる名僧・道昭(629~700年)が、遺言に従って荼毘(だび)に付された》(奈良新聞「特集 高松塚光源」)。『続日本紀』(文武4年)には「天下の火葬 此れより始まれり」とある。《火葬が行われたのは栗原の地(現在の明日香村栗原)で、遺骨の灰は風に巻かれて行方が分からなくなったという》(同)。

なお栗原(くりはら)は檜隈の地にある。《栗原を含む、桧前(ひのくま)一帯は、かつて東漢(やまとのあや)氏などの渡来人が多く住まう地》(奈良リビング「栗原寺跡と桧隈寺跡」)だった。

2.初めて火葬された天皇は持統。以後、文武、元明、元正と続く
《持統天皇の火葬は道昭の死の3年後。明日香村野口の天武・持統合葬陵(大内陵)には、金銅製の蔵骨器に入った持統の火葬骨と天武の棺が納められている》《持統天皇をはじめ、文武、元明、元正の3天皇はいずれも火葬》(奈良新聞「特集 高松塚光源」)。
菅谷文則氏(現・橿原考古学研究所所長)は《道昭は唐で見た火葬の様子を持統天皇に話していたのだろう。最高権力者である天皇が国内最先端の火葬を採用したことには大きな意味があったはず》(同)。
《高名な僧と天皇が先陣を切ったことで、その後、火葬は急速に普及した。それに合わせて殯の習慣もなくなり、元明天皇(661~721年)は死後6日目、続く元正天皇(680~748年)も一週間で葬られている》(同)。

3.太安萬侶墓(奈良市此瀬町=田原のトンボ山)
奈良時代の火葬墓。公式テキストには《昭和54年(1979)1月、茶木の植え替え作業中に墓誌が偶然に発見され、墓誌から太安萬侶の墓であることが確認された》(公式テキストP89)とある。
※下の写真とトップ写真は07.6.23撮影(トップ写真向かって右上に墓がある)



4.小治田安萬侶墓(おはりだのやすまろのはか 奈良市都祁甲岡町[つげこうかちょう])
小治田安萬侶は《蘇我氏の同族で、飛鳥の小墾田に住んでいた》《甲岡の丘陵南斜面に位置する奈良時代の火葬墓。明治45年(1912)に茶畑の植え替え時に墓誌が発見され、その被葬者名が判明した》(同P90)。
※下の写真は並松小学校(奈良市)のホームページより
http://www.naracity.ed.jp/nanmatsu-e/annai/xozi.htm



5.文禰麻呂墓(ふみのねまろはか 宇陀市榛原区八滝)
《慶雲4年(707)に没した文禰麻呂の墳墓である。禰麻呂については『日本書紀』に壬申の乱で大海人皇子に従って活躍したことが記され『続日本紀』に没した記事がみられる。墓誌銘の「壬申年将軍」として知られる》(同P156)。
※下の写真は榛原商工会のホームページより
http://www.shokoren-nara.or.jp/uda/info-haibara.htm



6.行基の墓(竹林寺:生駒市有里町)
《天平21年(749)に行基が喜光寺で入寂したのち、弟子たちは遺言によって生駒山東陵で荼毘に付して墓を築き、行基の像を往生院に祀って竹林寺奥院と号したとされる。鎌倉時代の文歴2年(1235)に竹林寺の文殊堂付近から行基の舎利瓶が発見され、嘉元3年(1305)には同所から八角石筒と銅筒、銀舎利瓶が出土した》。銅筒残片の《表には行基の墓誌銘が残る》(同P100)。
竹林寺では《昭和61年(1986)に忍性墓が発掘され、行基墓と同様の八角石筒に納められた銅製骨瓶が出土している》(同)。

7.忍性の骨蔵器(額安寺:大和郡山市額田部寺町)
額安寺(かくあんじ。「がくあんじ」ではない)の鎌倉墓(かまくらばか)からも、忍性の骨蔵器が出土している。《「鎌倉墓と称される八基の五輪塔は重要文化財であり、一番大きなものからは忍性菩薩の骨蔵器が、その他、周辺から十一点の骨蔵器が昭和五十七年(1982)出土し、重要文化財となっている」》(同P117)。



※(11.10.10追記)上の画像は、「祈りの回廊 秘宝・秘仏特別開帳」のパンフレットより(11.10/8~10/30まで、骨蔵器を特別公開中)。お寺の説明書きによると《額安寺の北西にある額安寺五輪塔(重要文化財)で、昭和57年の解体修理に伴う発掘調査で出土しました。この骨蔵器の発見で、五輪塔群最大の塔が額安寺の再興や慈善事業に尽くした聖人、忍性菩薩(良観上人)の墓であることが明らかになりました。銅製の優雅な宝瓶(ほうびょう)形容器(蓋を含む高さ29.7センチ)の胴部に刻まれた、「良観上人舎利瓶記(りょうかんしょうにんしゃりべいき)」で始まる24行の銘文(嘉元元年・1303年、栄真の撰)は、忍性菩薩に関する史料として高く評価されています。この忍性菩薩骨蔵器を含め、善願(ぜんがん)上人の金銅骨蔵器など11点が出土し、高僧の墓制を知る貴重な資料として、全て重要文化財に指定されています》。

8.美努岡萬墓(みののおかまろのはか 生駒市萩原町)
美努岡萬は奈良時代の官人。《遣唐使として唐に渡り、その後、宮内庁主殿寮の長官》《明治5年(1872)に銅製の墓誌が発見された。出土地は生駒谷に面する丘陵上の竜王塚と呼ばれる微高地》(公式テキストP105~106)で、現在は住宅地(南生駒の青山台)の中にある。竹林寺の南方である。
※下の写真は、生駒市デジタルミュージアムのホームページより
http://www.city.ikoma.lg.jp/dm/18/1840minonookamaro/184000top/184000top.php



まとめてみると、案外少ないものだ。1と2は飛鳥地方だし、3と4は奈良市内の東部山間地域で、被葬者の名前も似ている。5はその南。6~8はわりと近い場所なので、セットで覚えられる。こうして並べると、地域的な特徴もよく分かるだろう。この際、ぜひ頭に入れておこう。
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Topic 中宮寺で特別講話(遷都1300年事業)

2009年12月27日 | お知らせ
平城遷都1300年記念事業協会は、2010年2月13日(土)に中宮寺で開催される「特別講話」の参加者を募集している。定員は80名で、往復はがきで申し込む。

これは、1300年祭の目玉事業である「奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」を実施する社寺において行われる講話である。

中宮寺では2/1(月)~2/28(日)まで、表御殿(おもてごてん)室内を特別公開する。これにあわせ、同寺の日野西光尊(ひのにし・こうそん)門跡が講話されるものである。詳細は以下の通り。

日 時 2010年2月13日(土)13:00~14:30(開場 12:30)
場 所 中宮寺内の鳩和殿(きゅうわでん)
     生駒郡斑鳩町法隆寺北1丁目1-2
講 師 同寺 日野西光尊 門跡
演 題 尼門跡~慈悲の心~
(大和三大門跡寺院の1つで、斑鳩を代表する古刹の法灯を守り続けている門跡が、現代人に慈悲の心を説かれる。)
費 用 無料:ただし通常の拝観料(大人500円)が必要
定 員 80名(応募多数の場合は抽選)
申 込 往復はがきで、以下の先に申し込む(1通で2名まで可)
    「中宮寺特別講話希望」の旨、住所、氏名、参加人数、返信宛名を明記のこと
    〒630-8113 奈良市法蓮町757
    社団法人平城遷都1300年記念事業協会 県内事業部
締 切 2010年1月22日(必着のこと)
問合せ 0742-25-2010(平城遷都1300年祭コールセンター)
※参考:中宮寺の公式ホームページ
http://www.horyuji.or.jp/chuguji.htm 

中宮寺門跡
中宮寺門跡
光村推古書院

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特別講話の主催は中宮寺、共催は(社)平城遷都1300年記念事業協会と朝日新聞社、協力は南都銀行「ナント・なら応援団」である。「奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」や「特別講話」は、朝日新聞社の企画事業である。「ナント・なら応援団」は同銀行OBで組織されるボランティア団体で、特別開帳や講話を現地でサポートする。

めったに聞けない門跡の貴重な講話である。この機会をお見逃しなく。
※トップ写真は、中宮寺本堂(法隆寺iセンターのホームページより)
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Topic 変な給食

2009年12月25日 | お知らせ
『変な給食』という「変な」タイトルの本を立ち読みした。版元の紹介文には《雑煮と食パン? 黒糖パンに味噌汁? コッペパンとみたらし団子? ジャムトーストに酢豚? イチゴ蒸しパンときつねうどんと牛乳だけ? せ、先生、これって本当に昼メシですか? 『粗食のすすめ』の幕内秀夫があぶない給食現場を実況中継。全国の「変な給食」を忠実に再現して写真で紹介。いまどきの子ども達は、こんな変な給食を食べさせられている!! 》。

「変な給食」に思い当たる方は多いだろう。私は小学校5年生頃から給食の制度が始まって、それが中学3年まで続いた。いま思いつくのは、

豚汁とトマト1切れ(+コッペパン+マーガリン+脱脂粉乳のホットミルク 以下同じ)
うどんのようなスパゲティ・ケチャップ味
キャベツの芯だらけの焼きそば
のびたラーメン
ずんだ餅
みつ豆とちくわの天ぷら

とりわけ「豚汁とトマト」は、給食係が豚汁の中にトマトを放り込んだものだから、マズいことこの上なく、泣き出す女の子もいたほどだ。それがまた参観日だったので、見かねたその子のお母さんが、手で「ムリに食べなくていいよ」の合図を送っていたことを覚えている。焼きそばやラーメンをおかずにパンを食べるというのも、いかがなものだろう。

変な給食
幕内 秀夫
ブックマン社

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思えば「パンと牛乳(脱脂粉乳)が必ずつく」というところが「変」の元凶だったのだ。豚汁に限らず、味噌汁系のおかずはよく出てきたが、これをパンと牛乳で食べるのにはムリがある。ひじきや大根なますや酢豚なども出てきて、それ自体は悪くなかったが、やはりご飯がほしい。私など給食のせいで、ごく最近までパンと牛乳は「嫌いな食べ物」だった。

なお、この本は決してキワ物ではなく、至って真面目な本なのである。幕内氏のブログに、同書の序文が出ている。抜粋すると《私が学校給食に疑問を持ったわけ もう十年以上も前の話になります。娘が小学校に入学して、しばらくたったとき、「給食の献立表」を持って帰宅しました。何気なくそれを見て、愕然としたことを今でもはっきり覚えています。一ヶ月の献立の中に、ハンバーガー、ホットドッグ、ピザ、ラーメン、菓子パンなど。まるで、ファーストフードのオンパレード。ごはんにみそ汁がついた献立は、ほとんどありません》。
http://blogs.yahoo.co.jp/makuuchi44/MYBLOG/yblog.html?fid=0&m=lc&sk=0&sv=%CA%D1%A4%CA%B5%EB%BF%A9

子どもの「パン食」は今日からおやめなさい!─栄養学不要論 (講談社プラスアルファ新書)
幕内 秀夫
講談社

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《六年間もこんな給食を食べたら、健康問題だけではなく、味覚形成の上でも非常に大きな影響があると考えました。このような献立になれてしまったら、普通の食事では満足できなくなる可能性があると思ったのです。小遣いを持つようになったら、毎日、ファーストフードに行くことに違和感を持たなくなってしまうだろうと考えました》。

《より多くの方に、成長期の大切な時期に、子どもたちは何を食べさせられているのか。考えていただきたい。その思いで、本書を上梓することにしました。本書がきっかけになって、学校給食が本当の意味で、子どもたちの健康に役立つものに変わることを願っています》。

それにしても、いまだに自分が食べた「変な給食」を思い出すと胸が悪くなるほどだから、よほど食べ物の記憶というのは根強いものがある。皆さんも思い当たることがおありでは?
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