tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

太子道をたずねる集い/法隆寺から2ルート(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第6回)

2017年02月27日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
毎週木曜日、毎日新聞奈良版に連載している「ディスカバー!奈良」、2月16日付で掲載されたのは、「太子道をたずねる集い/法隆寺から延びる2ルート」、執筆されたのはNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員の柏尾信尚(かしお・のぶひさ)さんでした。

柏尾さんは長年「斑鳩の里 観光ボランティアの会」で法隆寺のガイドをお務めになり、昨年の「第1回Nara観光コンシェルジュアワード」では、優秀賞を受賞された名ガイドです。柏尾さんは鉄道にも詳しく、「奈良の鉄道よもやま話」などの講演もされます。今回は「太子道をたずねる集い」の紹介です。全文を引用しますと、
※トップ写真は法隆寺境内に集まった人たち=斑鳩町

1997年から毎年、2月22日と11月22日の年2回、「太子道をたずねる集い」がスタンプラリー形式で行われ、今年2月で第41回です。毎回、150人位の人々が法隆寺東院にまつられている太子像を先頭に法隆寺境内を出発します。

厩戸皇子(うまやどのおうじ)(聖徳太子)が亡くなられた2月22日は、1395年前に太子を葬送した道、王寺町、香芝市を経て、河内磯長(しなが)の御廟に参拝する約20㌔(磯長ルート)です。

11月22日は、推古天皇の摂政として愛馬黒駒で通われたであろう道、安堵町、川西町、三宅町、田原本町、橿原市を経て、明日香村に至る約24㌔(小墾田宮(おはりだのみや)ルート)です。

この道は大和盆地の条里を斜めに通り、筋違道(すじかいみち)と呼ばれ、今も安堵町や三宅町に痕跡が残ります。両日とも道中、専門家の講話や、歓迎の催しがあります。安全のため、参加者は69歳までの方です。

メモ 法隆寺へはJR法隆寺駅からバス6分、近鉄線筒井駅からバス12分です。【奈良まほろばソムリエの会 柏尾信尚】


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奈良ものろーぐ(11)阪本仙次/吉野で産業・文化を育成した大実業家

2017年02月26日 | 奈良ものろーぐ(奈良日日新聞)
毎月第4金曜日、奈良日日新聞に連載している「奈良ものろーぐ」、2月24日(金)付で掲載されたのは「阪本仙次/産業・文化を育てた大実業家」だった。
※トップ写真は、公益財団法人が運営する阪本龍門文庫。左奥は書庫

吉野町から地元情報を発信する「吉野スタイル」の磯崎典央(いそざき・のりお)さんと電話で話しているとき、仙次氏のお名前を耳にした。この名前には覚えがある。「吉野材木銀行を興した方です」とお聞きして思い出し、あの分厚い『南都銀行五十年史』を繰ってみた。

南都銀行は昭和9年(1934年)6月、六十八、吉野、八木、御所の4行が合併して設立された。その吉野銀行の前身銀行の1つが吉野材木銀行で、この銀行を興したのが阪本仙次氏だ。仙次氏はのちに吉野銀行の頭取も務めている。人望が厚く、4行合併時には初代の南都銀行頭取にも推されていたが、脳溢血で前月に急逝された。『日本人名大辞典』には、

1869−1934 明治-昭和時代前期の実業家。明治2年2月生まれ。奈良県の人。林業家として知られ、大正14年阪本林業を創設し、社長。ほかに吉野銀行(南都銀行の前身)頭取、奈良信託社長などをつとめる。また和歌を佐佐木信綱にまなんだ。昭和9年5月5日死去。66歳。

仙次氏の情報を集めようと奈良県立図書情報館にお邪魔し、親切な職員さんに協力してもらっていろいろ調べたが、『南都銀行五十年史』以上の情報はほとんど集まらない。仙次氏にゆかりのある近畿日本鉄道に聞いても、情報はなさそうだった。

そこで仙次氏のご長男・猷(ゆう)氏が収集した和漢の典籍を保管する阪本龍門文庫(吉野郡吉野町大字上市151番地)を訪ねたところ、Sさんという女性(「公益財団法人 阪本龍門文庫」にご勤務)からいろんなお話を伺うことができた。ここでジグソーパズルの最後の1ピースが嵌(は)まったのである。

このように多くの方のご協力でこの原稿が出来上がった。以下、全文を紹介させていただく。

吉野町在住の知人いわく「川上村の偉人・土倉庄三郎はよく知られていますが、吉野町には阪本仙次がいました」。氏の名前は『南都銀行五十年史』で拝見したことがある。明治2(1869)年生まれの林業家・実業家だ。

明治31年吉野材木銀行(のちの吉野銀行で、南都銀行の前身)を創立し頭取に、明治44年には吉野軽便鉄道(のちの吉野鉄道で、近鉄吉野線の前身)を興し社長に就任した。

「山林を経営し、植林に努めていたが、明治34年には、林業の改良発達を図る目的で、社団法人大和山林会を起こし理事となった。また、立木登記法を制定させるため、農商務・司法の各省や法制局に陳情し、これを実現させた。(中略) 林業、交通、電力、金融の各分野で、幅広く活躍した財界の重鎮であった。一方では公職も兼ね、明治31年5月、奈良県会議員に選出された」(同書)。

氏が興した吉野鉄道は昭和3年、吉野駅(吉野山下千本)まで延伸した。吉野町文化協会編『ふるさと吉野 懐古写真集』には「それまでは六田駅まで歩いて、煙突の長い汽車の軽便鉄道に乗って都会へ行ったものである。夕暮れ六田駅に降りると、フォードの幌(ほろ)付のタクシーが一台待っていて、奪い合って乗ったが、大抵は提灯や懐中電灯を持って歩いた。電車が開通した時は、見物に行ったものである」と紹介されている。

「当家のナスベキコト」という書き付けが残されている。いわば阪本家の家訓で、そこには「1.慈善 1.永久公共ノ利益トナルコト 1.人物ノ養成」とある。今でいう「社会的責任経営」「人材育成」を理念に据えているのだ。

仙次氏の事業で特筆すべきは、美吉野運動競技場(通称:美吉野グラウンド)の建設である。吉野鉄道が六田~吉野間の延長工事をしていた大正15年、鉄道付随事業として、上市と飯貝の間の吉野川流域の中州(現在の吉野木材組合連合会の原木市場付近)にあった雑木林約2万坪(約6万6千平方メートル)を開拓し、大運動場を開設したのである。

400メートルトラックとスタンドが併設されたスタジアム、プロ野球の公式戦も行われた野球場、2面のテニスコート、相撲場のほか、ラグビー、サッカー、バスケット、バレーボールができる設備を有し、シャワーも完備していた。当時としては比類のない最先端の施設だった。しかしその後、昭和34年の伊勢湾台風で壊滅的な打撃を受け、競技場としての使命を終えた。

吉野銀行は昭和9年6月、六十八、八木、御所の各銀行と合併し、新たに南都銀行が設立された。仙次氏は新銀行頭取の最有力候補だったが、同年5月に脳溢血で急逝。仙次氏のかねてよりの推挙で、新銀行の頭取には六十八銀行頭取だった依田忠一氏が就任した。

仙次氏の長男猷(ゆう)氏は、父の事業を継ぐとともに古典の収集に努めた。収集した古典は「阪本龍門文庫」として閲覧に供されている。

明治から昭和初期、産業や文化を育てたこんな大実業家が吉野町にいたことは、ぜひ胸に刻んでいただきたい。



阪本家頌徳碑。阪本龍門文庫(南都銀行上市支店に隣接)の庭に建つ

過去に南都銀行頭取を務めた故阪本龍兒氏は、仙次氏の縁者である。紙面では触れられなかったが、阪本龍門文庫の庭には佐佐木信綱が記した「阪本家頌徳碑」が建っている。全文(碑に彫られた状態で写したもの)を紹介すると、

阪本家頌徳碑

名ぐはし吉野の山竝を望み真白玉たぎつ吉野川のほとりはまこと
よき人をしのぶべきかな阪本仙次翁は明治二年龍門の𦾔家に生れ
地方金融の円滑を図るため吉野材木銀行設立吉野銀行の頭取と 
なり又奈良信託会社をおこされ地方産業の増進を目的として吉野
鉄道株式会社を創立し水力電気事業にも活躍し貢献する 大に 
山林の開発に関しては植林に努めて範を他に示し大和山林会をお
こし立木法の制定を主唱実現する等斯界に重きをなすと共にその
進むべき道を示されたりき猷君は明治廿四年その子孫として生れ
慶應義塾大学理財課を卒業賭遠く欧州に父翁を嗣ぎてその全事
業に力を盡くされまた京都大学に山林約百町歩を奨学の為寄贈せ
られたりき今年仙次翁の歿後廿五年猷君の十七回忌に當たるをもて
猷君の未亡人千代子夫人ぬし財団法人阪本龍門文庫を創設して夫君が
橡舎に蒐集愛翫せられし貴重なる古典籍を永く後世に傳へかつは
二代の徳育を掲けむことを期せらる上市の看山臨水樓に吉野の白
雲荘に詠歌を嗜まれし仙次翁も泉下にしてほほゑまるべく猷君は
もとより夫人の永遠の熱情を喜びつつあらむ茲にその事を記すは
二代と親しかりし日本学士院会員佐佐木信綱なり

昭和三十三年十一月建立


さすがに簡にして要を得た名文で綴られている。末筆ながら磯崎さん、図書情報館の職員さん、公益財団法人阪本龍門文庫のSさん、ご協力、有り難うございました。皆さん、ぜひ磯崎さんが「土倉庄三郎に匹敵する偉人」と讃える阪本仙次氏のことを、ご記憶にとどめてください!

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旭堂南青さん 奈良検定1級に合格/おめでとうございます!

2017年02月25日 | 奈良検定
嬉しいニュースが、昨日(2/24)の奈良テレビ放送「ゆうドキッ!」でオンエアされた。若手講談師の旭堂南青(きょうくどう・なんせい)さんが、今年(2017年)1月に実施された「第11回 奈良まほろばソムリエ検定」の「奈良通1級」に見事、76点で合格されたのだ(合格ラインは70点)、おめでとうございます!



これは同番組の「旭堂南青の無理ナンだい!」というコーナーでの話だ。南青さんは昨年の2級に90点という高得点で合格(合格ラインは70点)。これに続き、今年は1級に挑戦され見事、合格されたというわけだ。ウチの同僚が続々と沈没するなか、忙しい南青さんが1発合格されるとは、これは快挙である。



私は番組で合格を指南するという役回りだったので、南青さんには、おおよそこのようなアドバイスをした。いつもブログなどに書いていることだ。





1.公式テキストブックを隅から隅まで読みこなし、きちんと覚えること。
2.苦手分野を重点的に勉強すること。
3.過去問をできるだけ多く解き、間違えた部分をシッカリ覚えること。
4.公式テキストを読んだあと、2級対策用の『ズバリ!奈良検定2級の要点整理』をもういちどおさらいし、記憶を確実なものにすること。
5.奈良まほろばソムリエの会が実施する「奈良検定 受験対策講座」や、奈良商工会議所が実施する「認定支援セミナー」に参加すること。




南青さんがどれだけ実践されたかは定かではないが、昨年11月6日に馬見丘陵公園でお会いし、フリップを使った問題を出題したところ、ほぼ全問、正解されたのである。10月に過去問を解かれて38点だったと聞いていたので、これには驚いた。わずかの間にこれだけ進歩されていたのである。すごい集中力だ。「この調子でいけば、合格するかも」と意を強くした。



オンエアの前々日、南青さんの得点をこっそり聞いてビデオ収録し、それがオンエアで流された(もちろん南青さんは、オンエアまで結果を知らない)。南青さんの喜びようが尋常ではなかったのは申すまでもない。

南青さんが最上級の「奈良まほろばソムリエ」に挑戦されるかどうかは定かではないが、ぜひ受験していただきたいし、その場合は今日からでも準備を始めてほしいと願っている。ともあれ南青さん、ご立派です、おめでとうございました!
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奈良検定1・2級(第11回)の合格発表/旭堂南青さんの結果は、2月24日(金)「ゆうドキッ!」で

2017年02月23日 | 奈良検定
今週になって、2017年1月8日(日)に実施された「第11回 奈良まほろばソムリエ検定」(奈良検定)の奈良通1級と2級の合否が発表された(主催者のHPは、こちら)。皆さん、首尾はいかがだっただろうか? 過去4年間の合格率の推移を見ると、

2級は 65.9%→66.3%→61.0%→62.0%
1級は 27.5%→52.0%→39.5%→47.6%


2級は安定して6割台を維持している。1級は年によってバラツキがある。昨年は難しくなり、今年はやや易しくなった。それでも5割を切っているので、油断のできない試験である。

気になるのが1級を受験された旭堂南青さんの結果である。昨年11月、私は馬見丘陵公園で合格指南をし、それが奈良テレビで放送された。何しろ南青さんは過去問を解いてみたところ、38点という惨憺たる結果(合格ラインは70点)だったので、いろいろと厳しいことを申し上げたのである。



そんな南青さんの合否は、2月24日(金)午後5時58分から1時間のニュース番組「ゆうドキッ!」(奈良テレビ放送)で発表される! これはぜひ、ご覧いただきたい。私もチラッと出演する予定である。

なおNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」では、「奈良通1級」や「奈良まほろばソムリエ」を受験される方のために、月2回の「奈良検定受験対策講座」を開催している。公民館を使い、受講料はわずか300円(資料代および教室使用料として)。同講座のチラシによると、

ソムリエ級合格者が交代で講師となり、受験対策講座を自身の成功体験を基に講義形式で進めています。過去問題をテキストに、関連する項目を深堀し、出題傾向を考えながらの実践的な講義です。今年も多数の合格者が出る事をめざして勉強して行きます。多数のご参加をお待ちしています。

開催日時 毎月 第2、第4土曜日 10 時~12 時
費 用 300 円(資料代、教室使用料)
場 所 奈良市中部公民館(奈良市上三条町23-4)
-申込・お問合せ-
NPO 法人 奈良まほろばソムリエの会
講座グループ代表 西川 誠 ☎ 090-8524-5000
担 当 前田 康一 ☎ 090-3657-5445 kouichi.maeda@leto.eonet.ne.jp


2級に合格された皆さん、ぜひ来年は1級にチャレンジを。その際は必須の「体験学習プログラム」のご受講をお忘れなく。1級合格の皆さん、ぜひ奈良まほろばソムリエにチャレンジしてください!




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竹の寒干し/生駒市高山町(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第5回)

2017年02月22日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が毎日新聞奈良版に好評連載中の「ディスカバー!奈良」、第5回(2/9掲載)は「竹の寒干し 生駒・高山 冬の風物詩」、執筆されたのは四條畷市にお住まいの津山進さんである。全文を紹介すると、

1月も半ばを過ぎると、生駒市の高山を訪れ「竹の寒干し」の写真を撮る人の姿をみかけます。竹の寒干しは、良質の竹を油ぬきし、1~2月にかけて円すいのように組み上げ、天日干しにする作業です。整然と並ぶ光景は、高山の冬の風物詩として知られています。

高山の竹を材料として作られるのが「茶筌(ちゃせん)」や「茶道具」などです。これらの竹工芸品は、小刀とやすりを用いて手作業で丹念に作り上げられます。

茶筌は、室町時代の中期に鷹山城主の次男であった宗砌(そうせつ)が、親交のあった奈良の称名寺ゆかりの茶人村田珠光(じゅこう)から製作を頼まれたのが始まりとされています。以後、今日まで脈々と受け継がれ、高山は全国一の茶筌の産地になりました。

また、高山竹林園には珍しい竹や笹(ささ)が約50種類も植えられ、資料館に茶筌の製作実演コーナーもあり、憩いの場としても楽しめます。 

(写真)竹の寒干し=生駒市高山町で       
(メモ)近鉄奈良線富雄駅、または近鉄けいはんな線学研北生駒駅から傍示行きのバスで「上大北」下車、高山竹林園まで徒歩5分。【奈良まほろばソムリエの会 津山 進】


これは珍しい光景である。昔ながらに円錐形に組んで天日干しにしているのだ。私もいちど訪ねたいと思う。津山さん、良い情報を有り難うございました!

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