tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良まほろばソムリエの会の新書本『奈良万葉の旅百首』(京阪奈情報教育出版)本日リリース!

2021年02月28日 | 万葉集
本日(2021.2.28)、奈良まほろばソムリエの会著・上野誠氏(奈良大学教授)監修の『奈良万葉の旅百首』(京阪奈情報教育出版)が発刊されました!早くも啓林堂書店奈良店では、レジ横の「奈良本」コーナーに平積みされています。本書のコンセプトは「この本を携えて、現地を訪ねてもらおう!」。上野教授にお書きいただいた本書カバー帯のキャッチコピーには、

ワインをたしなむには、ワイン通に聞くのがよい。この本は、奈良通が、奈良万葉のウンチクを語る本です。じつに、滋味豊か――。感服しました。



裏表紙カバー(ボディコピー)には、岡本三千代さん(犬養万葉記念館館長)の「推薦のことば」からの引用により、

▼奈良に精通した「奈良まほろばソムリエ」60人が分担して執筆
▼令和の新時代にふさわしい、万葉の奈良を歩くための最新ガイドブック
▼歌碑など現地の場所や交通手段も網羅
▼「歌は心の音楽」です。本書を片手に万葉歌を朗唱すれば、気分はもう万葉びと
▼奈良県内の万葉ゆかり地を訪ねる旅のよきお伴に



同会の編集委員、別名「五匹のおっさんたち」

この本の編集者は加藤なほさん(京阪奈情報教育出版)。加藤さんは昨年「奈良まほろばソムリエ」に合格されたばかりの同会会員。そこに同会5人の編集委員が協力しました。典雅なカバーイラスト(額田王)は、なかじまゆたかさん、カバーデザインは千田淳さん(センダデザイン)、執筆者は同会の精鋭60人です。ベストメンバーが制作したこの本は、素晴らしい出来映えに仕上がりました!

今日(2/28)の奈良盆地は曇り空ながら、春を思わせる陽気でした。本書の税込み価格は1,100円。皆さん、ぜひお買い求めいただき、この本を携えて県下の万葉集ゆかりの地をお訪ねください!
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実忠が修二会の行法を会得した笠置寺/毎日新聞「やまと百寺参り」第86回

2021年02月25日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の刊行を記念して毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。今年(2021年)2月4日(木)に掲載されたのは「東大寺修二会発祥の寺/笠置寺(京都府笠置町)」、執筆されたのは兵庫県姫路市出身・在住の池内力(いけうち・ちから)さんだった。東大寺二月堂修二会(お水取り)は、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が笠置寺でその行法を会得したとされる。
※写真は左から金剛界石、千手窟(ほこらの奥)、胎蔵界石(笠置寺で)

そのお水取り、今年はコロナ禍で拝観が規制されるし、3月12日(金)~14日(日)は全く拝観できない。その代わりニコニコ動画、YouTube、NHKのBSなどで生中継されるので、ぜひリモートでご覧いただきたい(東大寺の公式HPは、こちら)。では記事全文を紹介する。

3月1日から東大寺二月堂で修二会が始まります。この法会は752(天平勝宝4)年2月(旧暦)に実忠(じっちゅう)が始めてから欠かさず行われており、「不退の行法」とも言われています。実忠がこの行法を会得したのが笠置寺(かさぎでら)です。

境内には胎蔵界石(たいぞうかいいし)と金剛界石の二つの大きな石が並び、その間に千手窟(せんじゅくつ)があります。これは弥勒(みろく)の浄土につながる龍穴(りゅうけつ)とされる場所で、実忠はこの穴から兜率天(とそつてん)の内院に行き、十一面観音悔過(けか)が行われるのを見たとされます。

伝承によると、実忠はこの行法を人間界でも行いたいと懇願しましたが、時間が足りないなどの理由で断られました。これに対して、走ってでも勤めるなどと粘り強く説得した結果、やっと認められたといいます。

笠置寺の寺伝は、東大寺に先立つ752年1月に実忠が正月堂で初めて行法を行ったと伝えています。なお、大仏殿建立時、用材を木津川の流れを利用して運ぼうとした際にふもとの岩が障害になったが、実忠の師、良弁(ろうべん)が千手窟で秘法を行ったところ、竜神が大雨を降らせ
雷神が岩を砕いたとの言い伝えがあります。(奈良まほろばソムリエの会会員 池内 力)

(宗 派)真言宗智山派
(住 所)京都府相楽郡笠置町笠置笠置山29
(電 話)0743・95・2848
(交 通)JR笠置駅から徒歩約45分
(拝 観)9~16時。300円
(駐車場)有(500円)


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白メノウ石をご来場者全員にプレゼント!3月14日(日)川原寺での講演会「飛鳥の古寺と万葉歌」で(2021 Topic)

2021年02月23日 | お知らせ
先日(2021.2.17)当ブログで、明日香村の川原寺(現・弘福寺)で3月14日(日)、私が講師となって「90分でわかる!飛鳥の古寺と万葉歌」という講演会を開催するとお知らせしました(主催=川原寺)。川原寺には、創建当初の白メノウ(瑪瑙)の礎石28基が現存しています。白メノウ(ホワイト・アゲート)は仏舎利(お釈迦さまや高僧などのお骨)の代わりとしてよく使われ、またパワーストーンとしても知られています。「Powerstone WIKI」には、

瑪瑙(めのう) の石言葉 アゲートには持つ人にリラックス効果を与えて、心身ともにエネルギーを満たしてくれる効果があるといわれてきました。そのため健康運をアップさせたり、ストレスや不安などのマイナスエネルギーを解消させるのに適している石です。またアゲートは沢山の物質が集まって出来た結晶であるため、人と人の絆を強めて人間関係を良好にしてくれる効果があるとも言われてきました。

メノウゆかりのお寺で講演させていただくにあたり、ご住職が祈祷された白メノウのさざれ石(小石・インド原産)をご来場者全員にプレゼントすることといたしました。定員までにはまだ余裕がありますので、ぜひこの機会にお申し込みください。



当日は密を避けるため同じ講演を2回やります、第1部は13:00から、第2部は15:00から。講演時間はそれぞれ90分で、受付開始は講演の30分前から。定員はそれぞれ30人で先着順です。要申し込みで参加費は@1,000円(拝観料および資料代として)。チラシデータ(PDF)は、こちらです。

講演の前後には、本年2月末発刊の『奈良万葉の旅百首』、および川原寺も紹介されている『奈良百寺巡礼』(いずれも京阪奈情報教育出版社刊)の即売会も開催いたします。講演会のチラシによりますと、


写真提供:川原寺

川原寺は7世紀半ば頃、天智天皇の時代に建立されました。飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)とともに「飛鳥四大寺」の1つです。673年(天武天皇2年)にはここで日本で初の写経が行われました。川原寺など飛鳥の古寺と万葉歌を平易に解説します!会場では『奈良百寺巡礼』『奈良万葉の旅百首』の即売会も実施。

第1部 受付開始12:30 第1部 講話13:00~14:30(90分)
第2部 受付開始14:30 第2部 講話15:00~16:30(90分)


参加費 1,000円(拝観料・資料代として)当日集金

◆事前申込制 1部または2部の別を明示の上
Tel 0744-54-2043
Fax 0744-49-6655
E-mail kawaharadera.12c@gmail.com

のいずれかへお申し込みください。

◆会場=川原寺(弘福寺)への交通 (奈良県高市郡明日香村川原1109)
近鉄飛鳥駅または橿原神宮前駅から 飛鳥周遊バス(赤かめバス)
「岡橋本」下車徒歩約10分、または「川原」下車すぐ
◆お車の場合、駐車場は堂ノ前駐車場(寺の西側・無料)へ
 寺の門前には駐車不可。 


講演では、不明な点の多い「謎の寺」川原寺の実像を一挙解明するほか、村内の古刹を紹介、飛鳥を詠んだ万葉歌も解説いたします。講演のあとはメノウの礎石や、弘法大師空海が彫ったと伝わる仏像なども拝観します。またとない機会です。たくさんのお申し込みをお待ちしています!

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難解な「後南朝(ごなんちょう)」のことがスッキリわかる本!/奈良新聞「明風清音」第52回

2021年02月19日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞の「明風清音」欄に月1~2回、寄稿している。コロナ禍で外出がままならないので、最近はブック・レビューを書くことが多い。昨日(2021.2.18)掲載されたのは《これでわかる「後南朝」》、増田隆著『沈黙する伝承~川上村における南朝後胤(こういん)追慕』(京阪奈情報教育出版刊)税別1,400円の紹介である。後南朝のことは谷崎潤一郎著『吉野葛』などに登場する。例えばそのクライマックスシーン、

賊は王の御首(みしるし)と神璽(しんじ)とを奪って逃げる途中、雪に阻まれて伯母ヶ峰(おばがみね)峠行き暮れ、御首を雪の中に埋めて山中にひと夜を明かした。しかるに翌朝吉野十八郷の荘司(しょうじ)等が追撃して来て奮戦するうち、埋められた王の御首が雪中より血を噴き上げたために、たちまちそれを見附け出して奪い返したと云う。

雪の白と血の赤の対比が強烈なイメージを喚起させるが、講談ではあるまいに、何だかできすぎたシーンのようにも思える。奈良まほろばソムリエの会会員が行う講演は、史実を踏まえて話すことが鉄則であるが、後南朝については史実なのか伝承なのかがあいまいで、それが悩みの種だった。そこで3年前に出会ったのが『沈黙する伝承』で、これは目からウロコだった。このたび新しい講演の準備をする過程でこの本のことを思いだし、再読した。

本書「あとがき」に岡本彰夫氏は《増田隆という人は秀逸な人材である。こんな人物が巷に微睡(まどろ)んでいるのが不思議でならなかった。(中略)氏は速に「奥の三ノ公」へと独り赴かれ、往復六時間に及ぶ山路を辿り、数多の写真を撮影されたのである》。

古記録をひも解き、山中に足を運び、故老の話に耳を傾け、「朝拝式」に密着取材された末に出来上がった佳品が『沈黙する伝承』である。以下、その要所をピックアップして紹介する。増田さん、こんな素晴らしい労作を上梓していただき、ありがとうございました。

後南朝(ごなんちょう)をご存じだろうか。歴史用語として定着しているとは言いがたいが、最近は辞典類にも出ている。《南北朝合一後に興った南朝系(大覚寺統)の朝廷。合一の条件「両統の迭立(てつりつ)」を北朝側(持明院統)の後小松天皇とこれを擁する足利義満とが履行しなかったため、これに不満な旧南朝の後亀山上皇は1410年(応永17)吉野に遷幸した。上皇はやがて帰洛したが、上皇の吉野遷幸を機に南朝の遺臣らは大覚寺統の後胤を奉じて南朝の再興をはかった》(『世界大百科事典』)。

史実と伝承が入り交じり、長年スッキリしなかったが良い本がある。平成30年に刊行された増田隆著『沈黙する伝承~川上村における南朝後胤追慕~』(京阪奈情報教育出版)である。要あって年末に再読したところ、やはりこれは名著だ。

巻頭には川上村の栗山忠昭村長が挨拶文を寄せている。「あとがき」に岡本彰夫氏は「願うところは、入門書であり専門書たりうる内容であった。加えて先賢の資料も納めるという、無謀極まり無い要求を見事成し遂げて下さった」。

以下、後亀山上皇の吉野遷幸(出奔)以降の動きを本書から追ってみる。《上皇出奔に呼応し、南朝支持勢力が各地で蜂起した》《合一から二十年近くも経ていながら、各地で南朝支持勢力が蜂起した現状から、なおも残されている南朝の存在感をまざまざと見せつけられた形になり、幕府も北朝方も心落ち着くことのない日々が始まった》《こうした中、南朝後胤とは直接的には関係の無いひとつの事件が発生する》。

嘉吉元年(一四四一)、播磨・備前・美作の守護赤松満祐(みつすけ)が悪将軍として知られる足利義教を暗殺し(嘉吉の変)、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれた(嘉吉の乱)。赤松家は事実上「御家断絶」した。

将軍職が空位のなか、事件が起きた。嘉吉三年九月、後花園天皇の禁闕(きんけつ=皇居内裏)への襲撃事件である(禁闕の変)。南朝復興を唱える勢力が御所に乱入し、三種の神器のうち神璽(しんじ=勾玉)を奪い、逃れた。《首謀者たちは、討ち死にするか、刑死してしまっているのだが、奪われた「神璽」はとうとう姿を見せることもなく、杳(よう)として失われてしまった》《そして後南朝最大の悲劇の幕が開く》。

それが長禄(ちょうろく)の変である。《禁闕の変によって失われてしまった「三種神器」を廻る南朝と赤松遺臣たちの争乱と南朝後胤の死、そして赤松遺臣による「三種神器」発見争奪と京都へ還されるまでの二年に亘る二つの大きな事件を言う》。

あるとき北朝、幕府、赤松の間で《約束事が取り決められた。もし、赤松のものが、南帝両宮を討ち取り、失われた神璽を取り返せたならば、時の赤松一族の「御屋形様」である赤松政則をもって家督を許し、赤松主家の再興を果たすというものである》。赤松の遺臣たちは動いた。

康正二年(一四五六)《川上郷入りした赤松遺臣たちは念入りに南帝両宮や川上郷士たちの信用を取り付けて中に入り込み、その内情を具(つぶさ)に調べ上げていった。我らもまた幕府によって家を取り潰されるという悲劇を経てきた同志である。赤松一党はそういう立ち位置であったろうか。川上郷の人たちにとって、これまでも弱き敗残のものを受け入れてきたという、吉野の心意気がそれを受けさせてしまったのかもしれない》。

翌年、赤松残党は上北山村にいた兄の尊秀(たかひで)王(自天王)と川上村にいた弟の忠義(ただよし)王を襲撃し、両宮の首をかき切った。赤松は御家再興を果たしたのである。

川上村の金剛寺では尊秀王即位の二月五日、後南朝後胤をしのんで「朝拝式」が毎年営まれている。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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再訪!奈良オモテナシ食堂(奈良市角振新屋町)

2021年02月18日 | グルメガイド
「フランクでカジュアルなおもてなし」をモットーに2020年1月にオープンした「奈良オモテナシ食堂」(奈良市角振新屋町6-3-1)、その後も若い女性を中心に、順調に集客されている(昨年の当ブログ記事は、こちら)。オープン1周年を経てメニューが一新されたと聞いたので、昨日 (2021.2.17)のランチタイムに訪ねた。チラシには、
※トップ写真は、「からだ想いベジプレート」1,500円(税込み)のメイン皿



奈良で最高の「オモテナシ」を。「毎日安心して食べられる、手作りの健康ごはん」をコンセプトに、自分の家族の為に作る想いで心を込めたお料理を作っています。

ランチメニューは4種類に増えていた。「からだ想いベジプレート」1,500円(税込み、以下同じ)「からだ想いランチ(肉または魚)」1,000円、「ヘルシーカレープレート」1,000円。ご飯は大・中・小から選べる(値段は同じ)。私は「ベジプレート」の「ご飯大」をいただいた。そこに「自家製お酢ドリンク」のソーダ割(450円だがチラシ持参で無料)と、「白胡麻のブランマンジェ」250円を追加、それが写真の料理である。



ヘルシーな料理が少しずつたくさんの種類が入っていて、これは楽しい。見せていただいた「おしながき8種」には、

車麩のから揚げ、重ね煮のオムレツ、トマトともずくのチアシードカルパッチョ、りんごとサツマイモのクリームチーズ和え、焼パプリカの和風マリネ、ほうれん草の白和え、五目野菜と大豆のひじき煮、みかんサラダ/重ね煮のデトックススープ


大豆などの具材がたっぷりのスープがつく。スープだけでも立派なおかずになっている

たまたま同じ部署のUくんも、ランチしていた。「美味しくて体に良さそうな料理なので、よく来ています」とのことだった。独身者なので、それは良い心がけである。なお営業時間は、ランチは11:00~15:00(ラストオーダ―14:30 定休日なし)、ディナーは17:00~22:00(ラストオーダ―21:30 定休日は月曜と火曜)。


自家製お酢ドリンクのソーダ割450円(チラシ持参で無料)と白胡麻のブランマンジェ250円

場所は近鉄奈良駅から小西さくら通を南に進み、三条通を超えて少し歩いたところだ。近鉄奈良駅から徒歩約5分。皆さん、ぜひご利用ください!
※食べログは、こちら



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