tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

そういえば、カタツムリを見なくなった!

2024年06月09日 | 環境問題
毎日新聞夕刊(2024.6.3付)に〈カタツムリの季節だけど… 「陸の貝」どこへ 乾燥化、すみか減 都市に居場所なく〉という記事が出ていた。そういえば私も、久しくカタツムリを見ていない。
※トップ写真は、毎日新聞の同記事サイトから拝借

最後に見たのは、矢田寺(大和郡山市)にアジサイの写真を撮りに行った時だが、それからもう5年以上が経っている。記事には〈雨続きで気持ちもふさぎがちな季節。童心に帰ってカタツムリを探してみるのはいかがだろうか〉とある。そうだ、来週にも、矢田寺にお参りしてみよう。では、記事全文を紹介する。

気付けば今年も憂鬱な季節がやってきた。そんな梅雨の風物詩はアジサイだけではない。あの生き物を忘れてはならない。一見するとグロテスクではあるが、ノロノロと進む姿が愛らしい。俳句でも夏の季語として親しまれてきたが、最近あまり見かけないような気がする。背景を探ってみた。

「見かけないと実感しています。身近な生き物だったのでさみしいですね」貝類の寄生生物を研究する東邦大理学部の脇司准教授(寄生虫学)が、そう言及するのはカタツムリのことだ。

カタツムリはデンデンムシやマイマイと呼ばれる巻き貝の仲間で、背中に大きな殻を背負って外敵や乾燥から軟らかい体を守っている。日本人が童謡で幼い頃から慣れ親しんできたカタツムリだ。6~8月に活動的になり、ジメジメした落ち葉や朽ち木の裏を好む。日本には現在約800種類が生息しているという。

脇さんによると、推定個体数などを調べたことはないため、実際にどれほど数を減らしているのかは不明だ。では、なぜカタツムリを目にする機会が減ってきたと感じるのだろうか。脇さんは「乾燥化」をキーワードに挙げる。

都市化によってコンクリートやアスファルトが増えると街の風通しが良くなり、乾燥化も進む。緑豊かな公園でもカタツムリのすみかとなる落ち葉を、ブロワーと呼ばれる送風機で清掃する場面もよく目にする。

体のほとんどが水分のカタツムリは、乾燥が大の苦手。そのため、粘液をまとったり殻に入ったりして乾燥から身を守っている。人間にとっては利便性や快適性を向上させる行為が、カタツムリにとっては死活問題になり得るのだ。

「市街地に新たに造られ、いろいろな木や生き物がいる公園がありますが、そこにはカタツムリはほとんどいないですね」カタツムリに魅せられて約55年。滋賀県立琵琶湖博物館の中井克樹・特別研究員はこう指摘する。中井さんによると、昆虫などと異なり、すみかを追われると、また戻ってくる可能性はほぼないという。

カタツムリは「陸にすむ貝」であり、環境が変わったためにどこかに生息環境を移そうにも、ノロノロと時間もかかり、移動距離も限られる。うっかり「出歩く」とカピカピに干からびかねないのだ。

「出無精」多種の源
だが、この「出無精さ」がカタツムリのユニークさを育むことになった。約800種に及ぶカタツムリ。札幌、東京、名古屋、大阪、福岡といった全国の主要都市間でもその種類は異なり、他の生き物にはあまりみられない豊かな地域性があるという。容易に移動できないために限られた環境内で生息せざるを得ず、それが豊かな地域性を生み出すこととなった。

「地域で育まれてきたまさに自然の遺産」。中井さんはカタツムリをそう表現する。こうした地域性への影響があるため、カタツムリがいなくなったからといって、人の手で自然の枠組みを超えて移動させることについては「絶対にやめてほしい」と訴える。

都会でもカタツムリを見つけやすいのは「木立の残る神社や寺、あとは古くからある緑の多い住宅地」だという。雨続きで気持ちもふさぎがちな季節。童心に帰ってカタツムリを探してみるのはいかがだろうか。

一方、日本から遠く離れた海外でもカタツムリはむかしから愛されてきたようだ。英国東部のコンガム村では7月6日、「世界カタツムリ選手権」が開かれる。参加者が持ち寄ったカタツムリをぬれ雑巾の上の約33センチのコースに放ち、「走る」速さを競う。毎年、約150匹が出走するが、外来種の参加は認められない。

1960年代から続く伝統行事で、昨年の優勝者は7分24秒だった。95年は2分の記録をたたき出した「俊足」のカタツムリが現れ、そのギネス世界記録はいまだに破られていないという。大会事務局のイアン・ヘインズさんは「曇天模様が多くてジメジメしているからね。こちらのカタツムリ人口は良好ですよ」と話した。【畠山嵩】


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境内が弥生時代の遺跡「鴨都波神社」(御所市宮前町)/毎日新聞「やまとの神さま」第86回

2024年06月08日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。今週(2024.6.6)掲載されたのは〈大国主命の子が主祭神/鴨都波神社(御所市)〉、執筆されたのは、生駒郡三郷町にお住まいの小林誠一さんだった。小林さんは「撮り鉄」で、この写真も広角レンズを使って迫力を出されている。では、全文を紹介する。
※トップ写真は鴨都波神社本殿=御所市の宮前町で

大国主命の子が主祭神/鴨都波神社(御所市)
近鉄・JR御所駅の南に位置する鴨都波(かもつば)神社は、古事記に記される国譲りの神、大国主命の子、積羽八重事代主命(つわやえことしろぬしのみこと)を主祭神として、第十代崇神天皇の御代に創建されたと伝わります。

事代主命はこの地を本拠としていた古代豪族の鴨氏が崇拝していた神です。同市内の高鴨神社(上鴨社)に対し下鴨社とも呼ばれ、鴨氏がこの地から京都をはじめ全国に広めた鴨(加茂)社のルーツともいわれます。2021年には本殿左右に主祭神の父神を祭る三輪社・出雲社が再興され、明治以前の祈りの形が整いました。

境内から広がる弥生時代中期の「鴨都波遺跡」からは、農具や住居跡が多数発見され、鴨氏は早い時期から水稲耕作を始めるなど、先進的な氏族であったようです。

毎年7月と10月に行われる「ススキ提灯(ちょうちん)献灯行事」は、五穀豊穣(ほうじょう)を願い江戸中期に始まったとされ、上から2・4・4張り3段の提灯を稲穂に見立て、30基余りの提灯が奉納されます。

なお御所市中心部には町名(大字名)がなく、同社も「同市513番地」が正式な住所です。地元民は番地で場所がわかりますが、配送業者などの便宜のため、通称名をつけているそうです。(奈良まほろばソムリエの会会員 小林誠一)

(住 所)御所市(宮前町)513番地
(祭 神)積羽八重事代主命、下照比売命(したてるひめのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)
(文化財)ススキ提灯献灯行事は県無形民俗文化財
(交 通)近鉄・JR御所駅から徒歩約10分。無料駐車場約20台
(電 話)0745‐62‐2176


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田中利典師の「蔵王供正行/第41日 自分なりの座標軸(基地)を持つ」

2024年06月07日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行41日目「人生の座標軸」〉(師のブログ 2015.6.10 付)である。師は〈41歳になった頃に、突然、あらゆる惑いが消え去った。人生がそれなりにわかったというか、首肯(しゅこう)できたのであった。それを私は「人生の座標軸を得た」と言っている〉。
※トップ写真は、吉野山の桜(2024.4.5 撮影)

それから約20年が過ぎて、師は〈その座標軸を、もう一度作り直すというか、バージョンアップをしないといけない時期を迎えた〉とお書きである。引き続き、師がたどった道筋を追って行きたい。満行まで、10日を切った。

「人生の座標軸」
蔵王供正行41日目(6月10日)。曇りのち晴れ。今日の一日。
5時に起床。
5時40分、第81座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時、本堂法楽・法華懺法         於本堂 
9時10分、第82座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
10時30分、本堂法楽・例時作法     於本堂
12時半、水行              於風呂場
13時、法楽護摩供修法          於脳天堂
14時、法楽勤行             於本堂

参拝者1名。初日に来て頂いた奥駈仲間の高田さん。明後日からの奥駈前に祈願に来たということでした。あやうく、参拝者ゼロを免れました。

****************

「人生の座標軸」
論語では「40にして迷わず」という。いわゆる不惑の歳であるが、私の40歳は人生でもっとも深く惑いを持っていた時期である。不惑の歳に惑う自分を情けなく想っていた。ところが翌年、41歳になった頃に、突然、あらゆる惑いが消え去った。人生がそれなりにわかったというか、首肯(しゅこう)できたのであった。それを私は「人生の座標軸を得た」と言っている。

かの脳科学者茂木健一郎氏は私の言う座標軸のことを「基地」と呼んでおられる。人生を自分なりに理解し、情報を取捨し、知識を智慧にかえるのは、そういう自分自身の座標軸というか、ベースになる立ち位置=基地をしっかりと持っていないといけないのだと思う。
これがないと、どんな素晴らしい情報も、知識も、かえって惑いを深めるだけになる。

それ以後の私は、いろんな人に出会い、あるいは学びを得たときに、そのことが直結して、自分自身の血肉になったし、情報の取捨、判断の基準を自分なりに保ち続けることが出来たように思う。

さて、その自分自身で納得の出来た(…と思っている)座標軸が出来てから、すでに20年近い月日が過ぎた。世の中もめまぐるしく変わるし、私自身も体力の衰えや、知力・気力の衰えを感じ始めて、その座標軸を、もう一度作り直すというか、バージョンアップをしないといけない時期を迎えたようだ。

還暦年に、これまでの金峯山寺という大きな看板の下での自分を自己改革することになり、また自坊に居を移しての蔵王供千願修行に入ることになったが、それは天命であったとは言え、私にとっては大きなバージョンアップに繋げなくてはならないと思っている。

昨日の修行日記で、三木清の「人は誰でも、いま生きているように未来を作っていく」という文章を紹介した。人はいろんな制約を受けながら人生を進むが、なにも気づきがなく、なにも手を打たなければ、人は今の自分の延長線上にしか自分を見いだせないものであろう。

今の自分から自己改革を行い、自分の周りの環境を変革しなければ、未来の自分の可能性は極めて狭隘なものになるである。そんな気づきを、修行の後半にさしかかり、ようやく、ちょっとだけ、目覚めさせていただいた。
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NPO法人「奈良の食文化研究会」の総会と講演会

2024年06月06日 | 奈良にこだわる
日曜日(2024.6.2)、「なら歴史芸術文化村」交流にぎわい棟2階の多目的室で、NPO法人「奈良の食文化研究会」の総会と講演会などが開催された。私は同会編著『奈良にうまいものあり!』(なららbooks)出版の祝辞を述べるため、参加させていただいた。


冒頭で挨拶される同会理事長の木村隆志さん。左は理事の菊岡洋之さん

総会では、4人の理事さんが退任され、新たに6人の理事さんが就任された。講演会では、西山厚さんが「信貴山縁起絵巻を味わう」と題して、絵巻の主な絵をスライドに映して解説された。



講演のあとは少しお時間をいただいて、私と加藤なほさんがお祝いの言葉を述べさせていただいた。この日の模様は、翌日(6/3付)の奈良新聞に大きく紹介された。また『短歌往来』7月号でも、歌人の喜多弘樹さんが大きく紹介してくださった。

『奈良にうまいものあり!』の制作には、8ヵ月を要した。最初の6ヵ月で文章を整え、事実関係をチェックした(校正・校閲)。6本のコラムと巻末の「食と農の方言」は、私が書き下ろした。

本文は多くの人が分担執筆され、しかも古いものは執筆から20年以上が経過していたので、これに手を入れるのは大変な作業だった。私は「精神修養」のつもりで、労を惜しまず取り組んだ。おかげで本書が仕上がったときの喜びは、ひとしおだった。

あとは本書の売れ行きを見守るのみ。奈良の食文化研究会の皆さん、本書を大いにPRしてまいりましょう!



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藤井哲子さんが、銀座でアクリル画の企画展、7月9日(火)~19日(金)!(2024 Topic)

2024年06月05日 | お知らせ
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員で、絵画や音楽の分野で活躍中のアーティスト・藤井哲子さんが、銀座でアクリル画の企画展を開催されます!

〈「えすぱすミラボオ画廊企画賞」受賞作家 藤井哲子・山田隆二人展〉で、開催場所は「えすぱすミラボオ」(東京都中央区銀座4-13-18)。会期は、2024年7月9日〜19日(日曜休)、開催時間は、12時から18時まで(最終日は16時まで)。

ギャラリーのある場所は、歌舞伎座の目の前で、銀座・和光や築地本願寺にも近いところです。ご本人は「この経験を講演活動などで活かしていけたら」と話しておられます。お近くへ行かれた際には、ぜひお立ち寄りください!





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