tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

まろやか味のうどんが食べたい!(1)ツユが辛くなった?

2009年05月31日 | グルメガイド
最近気になっているのは、関西のかけうどんのツユ(汁)がやたら辛い(塩味と醤油味が濃い)、いわば「しょっぱい化」しているという風潮である。これまで関西のうどんツユといえば、昆布ダシをよく利かせ、薄口醤油を使った「まろやか味のツユ」が売り物だった。しかし、最近は関西のあちこちで塩辛いうどんツユに出くわすようになった。関西人は、辛口好みに宗旨替えしたのだろうか。

ことの発端は今年の2月、大阪市内のうどん屋さんでいただいた「きつねうどん」(600円)だった。うどんも具のきつねも申し分なかったが、ツユを口にして、その塩辛さに驚いた。ダシはとても上手く取れているのに、なぜ、こんなに塩をたくさん入れるのだろう、と素直に疑問を感じた。

京都ではどうか。今年の4月、京都市内の某有名店で「志(し)っぽくうどん」(椎茸、筍、蒲鉾、卵焼き、ほうれん草などが載っている 950円)をいただいた。お酒の後だったが、このツユも塩辛くて、とてもガッカリした。


志っぽくうどん950円(4/12撮影)

大阪のうどんも京都のうどんも、ツユの色は飴色だった。白醤油を多用しているのだろうか。トップ写真のtetsuda家のまろやか味のうどんと見比べていただきたい。もともと関西のうどんは、ツユが飲み干せる程度の味付けになっていたはずだが、こんなに塩辛くてはとても飲む気になれない。もし飲めば「塩分取りすぎ」で、腎臓病や高血圧症の心配が出てくる。

立て続けに塩辛いうどんを食べ、文字通り後味が悪かった。私の知らないうちに、関西のうどんはこんなに辛くなっていたのだ。そもそも、私はあまり外で(特に大阪や京都で)うどんは食べない。うどんは好きだが、もっぱら家で食べる。外では麺類なら蕎麦かラーメンだったし、急ぐ場合はカレーライス、時間があれば栄養バランスの良い定食もの。だからこれまで、うどんツユの変化に気がつかなかったのである。

それにしても、なぜこんなに辛くなったのだろう。最近は若者を中心に濃い味のファーストフードに慣れているから、うどんも塩味の濃いのを好むのだろうか。知人に疑問をぶつけてみると「カップうどんが辛いから、お店のうどんもそれにならったのでは」「化学調味料の旨みを引き出すには、塩分を濃くしなければならないから」「色は薄いが塩分の多い白醤油がよく使われるから、自然とツユが塩辛くなったのでは」等々という意見をいただいた。いずれの意見にも説得力がある。

このままでは、関西のうどんはどんどん辛くなってしまう、その行き着く先は…、と考えると暗澹たる気分になった。

しかし、この現象はごく一部なのかも知れない。一方では「減塩醤油」が売れ、健康志向から「塩分を控えましょう」と呼びかけているのだ。で、気を取り直し、この3月から、外食の機会をとらえては、ひたすらうどんを食べ歩くことにした。

このあと当記事は、ブログ読者の皆さんからのご意見やご感想をいただきながら(2)(3)、と断続的に連載していく予定である。ぜひ皆さん、この記事のコメント欄にご意見・ご感想をお寄せいただきたい。

※トップ写真はtetsuda家のうどん。家内の手料理で、ご覧の通りツユは薄口醤油を使い、超あっさり・まろやか味(丼の底に、とろろ昆布と花かつおが沈んでいるので、かきまぜて食べる)。ワカメの下には卵が隠れている。エビ天は市販品(5/10撮影)。
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奈良デスティネーションキャンペーン「全国宣伝販売促進会議」

2009年05月30日 | 奈良にこだわる
5/27(水)、「奈良デスティネーションキャンペーン」(奈良DC 来年4/1~6/30)のための全国宣伝販売促進会議が、県新公会堂(奈良市春日野町)で開かれた。第1部(15:00~16:30)では全体会議、第2部(17:30~19:30)ではレセプションが行われた。私は第1部に参加した。
http://www.nara-np.co.jp/20090528104356.html

デスティネーションキャンペーン(DC)とは、JR6社と自治体、地元の観光事業者等が共同で実施する大型観光キャンペーンのことだ(デスティネーション[Destination]とは目的地・行き先の意)。1978(昭和53)年11月から、当時の国鉄と和歌山県が共同で実施した「きらめく紀州路」キャンペーンが始まりである。奈良が舞台となるのは、ならシルクロード博直前の1986年(昭和61年)に行われた「あなたとなら・大和路」キャンペーン以来だから、24年ぶりの開催となる。
※祝!奈良デスティネーションキャンペーンが決定(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/1f270e9cb4af759b65ebe05b63c6f8dd


会場となった奈良県新公会堂(08.5.11の撮影。会議当日はカメラ持ち込み禁止だった)

この日は全国から、旅行エージェントや雑誌・出版関係者など約300人が出席した。第1部は、笑福亭純瓶さんの創作落語「久米仙人」で始まった。久米仙人は、久米寺(橿原市)の開祖ともいわれる。地上に落ちた久米仙人の後日談で、俗世間に3年間暮らし、仙術も衰えた久米仙人が、ひょんなことから腕を見込まれ、天皇に頼まれて仙術を使わねばならないハメになり、ところが…、という噺である。

開会挨拶では《窪田修副知事が「県としては体験型と交流型のツアーで地域の活性化を図っていければと思っている。今年はプレ奈良DCの年だが、観光客の誘致イベントなどをやっていきたい」、JR西日本の佐々木隆之副社長は「広い奈良を訪れる人に楽しんでもらえるように汗をかきたい。JRグループが一体となっておもてなしをしっかり行っていきたい」》(奈良新聞 5/28付)と語った。これは頼もしい。


平城(なら)遷都祭2008(08.5.3)

続いて平城遷都1300年記念事業協会は、1300年祭の内容を紹介するビデオを放映、そのあと会議資料に基づいて口頭で説明したが、この話がメリハリもなく冗長で、退屈した人も多かったことだろう。ビデオで1300年祭の説明は済んでいるのだから、口頭ではそれ以外の部分についてのみ言及すべきだった。また「PowerPoint」の操作(Enterキーを押すだけ)にわざわざ若い職員を横につけていたが「奈良の幹部職員は、パソコン操作すらできない」と、全国に恥をさらしたようなものだ。


奈良公園・興福寺境内(5/19撮影。トップ写真とも)

1300年祭のことは(すべて協会のHPに載っていることであるし)ビデオだけで済まし、残り時間はJR沿線の観光協会の人たちが地元の見どころをプレゼンする、というような工夫がほしかった。話に出てきた「桜井線 旅万葉」や「駅からはじまるエコ散策」という企画も面白いので、この辺りをもっと詳しく説明すべきだった。


奈良公園・興福寺境内。「お~い、ジッとしてろよ」(08.5.21)

なお奈良DCの「プレキャンペーン」は、すでに4月から始まっている。JR西日本のHPによると《JR西日本奈良県と共同で開催する平成22年4月から6月の「奈良デスティネーションキャンペーン」に先立ち、平成21年4月1日から6月30日までの3ヶ月にわたり「奈良デスティネーションキャンペーン プレキャンペーン」を開催いたします》。
※JR西日本のプレスリリース(同社のホームページ)
http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174143_799.html


09年誕生の子鹿第1号(女の子)。とてもカワイイ(「奈良の鹿愛護会」のHPより拝借)

※動画はこちら(奈良テレビ放送のニュース:YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=GYWeCBsGbrU


(同上)

《プレキャンペーン期間中には、今年が成立1250年を迎える「万葉集」ゆかりの地が数多く存する桜井線沿線で特別イベントを企画するとともに、奈良・桜井エリアへのおでかけにおトクな商品をご用意しています。この春は、万葉の魅力あふれる奈良・桜井エリアにぜひ、おでかけください》。
※県政公開ニュース(奈良県のホームページ)
http://www.pref.nara.jp/koho/hodo/h21/html/021250-090407122825_M16023.html

今年が「万葉集成立1250年」にあたることは、私もあちこちでPRしているが、これを観光キャンペーンに取り入れたのはJR西日本が初めてだろう、有り難いことである。


奈良市・東向(ひがしむき)商店街(08.5.21)

第2部は(私は出席していないが)、「蛍の会」から地元食材を使った料理が振る舞われたそうだ。蛍の会とは、配付資料によると《奈良県内で飲食業を商う若手を中心とした料理人とその各店に集う老若男女により、思いを同じくして設立しました。奈良の食文化の更なる発展を通じて、地域文化の継承と振興、商業者の資質向上と消費の発展、奈良に住む方々の地域産業に対する思いの高揚を目的としています》とある。
※蛍の会の公式ブログ
http://yume824.exblog.jp/i0/

なお、名前の由来は《一人ひとりの力は小さくても、ホタルのようにたくさん集まれば、明るくともせるはず》(読売新聞「ひと 大和」)ということなのだそうだ。
※蛍の会を紹介する読売新聞「ひと 大和」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/kikaku/038/41.htm


当日のレセプション会場風景(画像は関係者から拝借)

蛍の会関係者の方から、この日の料理の資料を見せていただいたが、今話題になっているロカシカカフェ(をかし東城:奈良市川之上突抜町18)の「春鹿の酒粕入り レアチーズタルト」や、「手作りハム・ソーセージ工房 ぱあく」(五條市小和719)の黒豚を使った酒楽(奈良市中院町22-4)の「黒豚ばぁくの炙り角煮」、paso A paso(パッソ ア パッソ:奈良市大宮町6-2-14)の「黒豚ばぁくの生ハム」、バーテンダー協会の「奈良の八重桜」(今西清兵衛商店)をキリンレモンで割ったロングカクテルなど、美味しそうなメニューが並んでいた(キリンビバレッジは奈良DCの協賛企業)。


今西清兵衛商店の「奈良の八重桜」とカクテル(同上)

メニューのなかに、RAHOTSU(ラホツ 奈良市高畑町1073-2)の「三輪素麺と2種のタイカレー」があって驚いた。カレーそうめんは、私が東京で発見したメニューである。あの麺は「フーティウ」(米粉で作るベトナムの麺)だったが、ここでは本物の三輪そうめんにタイカレーをかけたようである。
※カレーきしめん vs カレーそうめん(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/f356c7d9710cdacfdb4ea4b7dbbde360


ベトナム料理「ミュン 本郷店」のカレーそうめん(600円 東京都文京区 08.9.11撮影)

レセプションには参加していないので、味は推測するほかないが、これまでこの酒の催しでは、柿の葉寿司と三輪そうめんをずらっと並べ、県の職員がぎこちなく応対する、というパターンだった。今回、そのスタイルを改めたということは、それだけでも評価に値する。今後も機会をとらえて「奈良にうまいものあり」を大いにPRしていただきたいものである。

会議の冒頭で窪田副知事は《奈良の素材は磨き方によっては評価される。積極的に誘客事業を図り、一過性でなく1300年祭後も活性化に向け事業を進めていきたい》(奈良日日新聞 5/28付)と語ったが、全く同感である。

1988年のシルク博は、終わってから観光客が激減し、奈良はまだその後遺症に悩まされている。「今からポスト1300年を云々するのは早い」という声があるが、私は決してそう思わない。布石は今から打っておかねばならない。磨きをかけるべき素材は多いのだ。観光地も、宿泊施設も、食材・料理も、交通手段も、PRも、住民のもてなしも…。
コメント (3)
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Giveの5乗でいこう

2009年05月29日 | 日々是雑感
起きていることはすべて正しい―運を戦略的につかむ勝間式4つの技術
勝間 和代
ダイヤモンド社

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気に入った新聞の切り抜きを、いつもパソコンの横に立てかけてある。時々取り替えるのだが、もう2か月以上そのままにしている記事がある。「勝間和代の人生を変えるコトバ」という連載の第1回で、タイトルは「Giveの5乗でいこう」(朝日新聞4/4付)である。短い文章なので、ほぼ全文を以下に掲載する。
※朝日新聞Web版(4/4配信)
http://www.asahi.com/business/topics/katsuma/TKY200904040036.html

《これは、私がこれまで人から聞いたり、本で読んだり、自分で発見したりした数ある言葉の中から、私に強烈な影響を与え、生き方によい影響をもたらしてきた珠玉の言葉です》《この言葉は同僚から聞きました。よく「世の中はGive&Take。他人に対していいことをすると、最後は自分に返ってくる」と言われますが、それを突き詰めて「自分の得意技を見返りを求めずGiveしまくる。すなわち、Give&Give&Give&Give&Giveくらいの気持ちで徹底的に利他を追求した方がもっとうまくいく」という発想です》。

《この言葉を聞いたのは4年ほど前でしたが、いや本当に目からウロコが落ちました。それまで、つい惜しみがちだった「Give」について、特に自分のいちばん得意な「情報翻訳」、すなわち、考えていることを言葉にしてブログに書くことをこれまで以上に熱心に行うようにしました。すると、私の人生に、めまぐるしいくらいの大きな変化が起きました。お願いしなくても、どんどん向こうから幸運がやってくるのです》。

《友人が出版した本をブログで紹介したら、同じ出版社から「本を出さないか」と問い合わせがありました。その後何冊か出した本について、私のブログを読んでいたファンの人たちが自分のブログやメルマガでどんどん紹介してくれ、信じられないほどの売り上げにつながりました》。

《Giveの5乗にもコツがあることを私はここ数年で理解してきました。それはGiveの発信者にとっても、受信者にとっても負担がかからないこと。お互いに緩い関係を保ちながら、いざとなったら受信者も発信者に対して、相手に負担にならないような見返りを考える。これを繰り返すことで、多くの人が互いのスキルやアイデアなどを活用しあい、互いを幸せにし合う関係がつくれるのではないかと思います》。

いかがだろう。勝間和代さんは、ベストセラーを連発する経済評論家で公認会計士。会計士補の資格は、当時最年少の19歳で取得された。しがないサラリーマンの私とは比ぶべくもないが、「Giveの5乗でいこう」という気構えは同じである。

勝間さんもブログを書いておられるが、私もブログを初めて3年半になる。時々「よく、とっておきの情報やきれいな写真を、毎日のように惜しげもなく提供されますね」と言われることがある。しかし、こうやってせっせとGiveしているおかげで「良さそうなラーメン屋がオープンしたよ」「あそこの花がそろそろ見頃だ」「この本が面白い」という情報をいただくのである。
※勝間和代公式ブログ「私的なことがらを記録しよう!!」
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/

この記事を読んだあとの4/26(土)、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」に勝間さんご本人が登場していた。そこで彼女は「脳活性化術」を披露されていて、それは
・三毒追放…妬(ねた)まない、怒らない、愚痴らない(=仏教の三毒)
・9割は断る…自分の得意分野だけを受ける
・移動は自転車を使う
・1か月に良書を50~100冊読む
など、とても具体的で面白いものだった。

先日、ある会報誌に書評を書く機会があったので、勝間さんの本を取り上げることにした。それは『起きていることはすべて正しい』と『効率が10倍アップする 新・知的生産術』(いずれもダイヤモンド社刊)である。これらは自己啓発と知的整理術の本という位置づけであるが、どちらにも、効率よく稼ぎ、仕事以外の時間も充実させ、より豊かな人生を送るための具体例が満載されている。読むと「Give&Give&Give&Give&Giveできるほどの情報量は、こうやって得ているのだな」というヒントが見えてくる。一例を挙げると、情報インプットのコツは《マスメデイア情報を減らし、実体験、他者体験、良書を3大情報源とする》ことなのだそうだ。

タイトルにある「起きていることはすべて正しい」とは《起きていることはすべて、自分に対するメッセージ、あるいは何らかのチャンスとして受け止めよう。そして、そのメッセージを分析し、そこに対して自分の持っているパーソナル資産を正しく割り当て、使いきり、最大の成果になるように行動を続けよう》という意味である。「パーソナル資産」とは、自分の時間、技術、テクニック、経験、考え方、友人などのこと。なお私の書評は、会報誌に掲載された後、当ブログに転載させていただくことにするが、本の画像にある「アイテムの詳細を見る」をクリックしていただくと、「なか見!検索」が利用できるのでご参考に。

私がGive5乗の末にTakeさせていただいているのは、今のところ「情報」とか「人」の紹介にとどまっているが、この調子で続けていけば、もっと面白い事態にめぐり会うかも知れない。《お願いしなくても、どんどん向こうから幸運がやってくる》ことまでは期待しないが、想像もつかなかい未知との遭遇を(密かに)楽しみにしている。

効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法
勝間 和代
ダイヤモンド社

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アジア食堂 Rupa

2009年05月28日 | グルメガイド
5/23(土)の第3回古社寺を歩こう会「柳生まるごと体験」では、「アジア食堂Rupa(ルパ)」で「玄米菜食のお弁当」の昼食をいただいた。歩こう会でガイドを務めていただいた近藤直子さんがご主人の亘さん(横浜市ご出身で、沖縄で10年暮らしておられた)とともに営むお店である。
※第3回古社寺を歩こう会「柳生まるごと体験」(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/3837b24535a18420078e0b81f60ca901



Yahoo!グルメには《無農薬・無化学肥料の玄米を使った創作ベジ料理や国産小麦の自家製天然酵母パン。素材は作り手の知れた野菜や、無添加の菜種油、醤油など。沖縄で10年暮らした店主が直感的に作り出す》と紹介されている。2日前までの完全予約制なので、ご注意いただきたい。
http://gourmet.yahoo.co.jp/0006712812/



私たちがいただいたお弁当の食材について、近藤さんからメールを頂戴したので、以下に紹介する。
※「アジア食堂 Rupa」のホームページ
http://amanakuni.net/rupa/index.html
※近藤さんが尽力される「剣聖の里 柳生さくら祭」(柳生ドットコム)
http://www.yagyu.com/yagyu/sakuramatsuri/2009sakuramatsuri.htm

… … … … …
1.山菜&古代米入り有機玄米
ワラビ、タケノコ、フキ、天日干し原木シイタケ、青大豆、黒米
アイガモ農法の黒米以外は、すべて自生、または実家産・自家産のものです。玄米は、蒸らし時間も入れて2時間ほどかけて炊きあげます。

2.ズッキーニとエリンギ、新玉葱の炒め物、豆乳雑穀ソースと天日干しトマト添え
ソースの素材は、モチキビ、モチアワ、キヌア、アマランサス、トウコモロコシ粉、豆乳です。うちはマヨネーズを使わないのです。

3.カリフラワーとアスパラ、赤玉葱のポテトサラダ
ツブマスタードとヘーゼルナッツオイル、ターメリックで風味づけしています。



4.タケノコの野菜ギョウザ
国産小麦で皮から手作りしています。

5.三つ葉、油揚げ、ソラ豆の味噌焼き

6.ピタサンド
ミキサーで細かくしたヒヨコ豆と人参、玉葱の具を中近東風の味付けにして、
国産小麦で焼いたピタパンのなかに、葉野菜と一緒に詰めました。ピタパン生地に、自家製天然酵母と豆乳を入れていますので、もっちりしています。ソースの素材は、練り胡麻・豆乳・米酢。

7.ウドと人参のきんぴら

8.自家製ゆべし&大根の酢漬け
胡麻、クルミ、キクイモ、ゴボウ、レンコンなどを混ぜ込んだ味噌をユズに詰めて蒸し、冬に3カ月以上、干したゆべし。両親が丹誠込めて育ててくれた有機野菜を送ってくれるのですが、毎冬、母お手製の大根の酢漬けも入れてくれます。古漬けが美味しいです。

9.お茶は、田原の竹西農園、有機番茶
… … … … …
以上である。これはすごい。こんなに吟味された食材を使い、手間暇かけて調理していただいていたのだ。それで@1500円なのだ。

玄米にはたっぷり季節の山菜が入り、噛めば噛むほど旨みが増してくる。ポテトサラダは「どうやって味付けされたのだろう」と不思議に思っていたが、これで納得した。ピタパンは、もっちりモチモチがとても楽しい。具材はちゃんと「アジア食堂」風になっていた。十津川村の特産として知られる「ゆべし(柚餅子)」は、とても手間がかかると聞いていた。これを手作りされていたとは…。お母様手作りの酢漬大根と、よくマッチする。

お店でいただいたほうじ茶が美味しかったので、少し水筒に入れさせていただいたが、有機栽培にこだわる竹西農園さんのお茶だったのだ。こちらの竹西多香子さんには、奈良県農林部の会合でお会いしたことがある。有機農法のご苦労話には頭が下がった。いちどお訪ねしたいと思っていたが、柳生で竹西さんのお茶をいただくとは思わなかった。
http://www.rakuten.co.jp/kitora/279796/287119/287780/


こちらは柳生の茶畑(天乃石立神社参道)

当日、Yahoo!グルメでも紹介されていた「国産小麦の自家製天然酵母パン」を譲っていただいた。翌日(5/24)出展される「かげろう座2009」(於:五條市新町通り)で販売されるために作られたものだ。私はうっかりしていて買いそびれたが、買った人から「とても美味しかった」と聞き、大変後悔している。
※かげろう座のパンフレット。約430店舗が出展し、約5万5千人の買物客が訪れた。なお「かげろう座」の名付け親はウチの親戚のG氏(故人)だ。
http://www.gojo.ne.jp/yamayoh/sin/kage2009/info.htm



さて、この日の「第3回古社寺を歩こう会」のあと、当ブログで募集を知って歩こう会に参加された方から、メールでご感想をいただいた。4人の方からのメールの一部を以下に紹介させていただく(皆さん、勝手に掲載してスミマセン。匿名ということで…)。


地名「柳生」のルーツとなった柳の末裔

> ほんとうは 参加させていただくことに 気後れを
> 覚えてもいたのですが、今は、思いきって参加させて
> いただき ほんとうに よかったと思っています。
> 柳生の里は とてもミステリアスなところですね。
> 近藤さんのお話からも伝わってきますし 風景からも
> 感じることができました。



> 一人での参加でしたので少し心細かったのですが、
> 共通の話題があるというのはありがたいことで、
> すぐに親しくさせていただきました。
> 普段仕事も一人だし、周りに「奈良検定」に興味を
> 持つ人もいないので、大いに刺激を受けて帰って
> 参りました。心地良い疲労感です。
> 今回の様な無理のないスケジュールは非常に良いと思います。
> 剣道も初めてでしたが、相手が仕掛けてくるのを待ったり、
> 動かない相手にこちらからしかけたり‥‥
> 商売も一緒だなぁなんて思いながら剣を振り回しました。
> 今度から時代劇を観る目も変わることでしょう(笑)
> アジア食堂さんのお食事もこだわりがあって、
> 日々の我が食事の貧弱さを痛感いたしました。


疱瘡(ほうそう)地蔵

> コースには、個人では体験出来ないことがたくさん盛り
> 込まれており、とても充実した一日でした。アップダウンの
> 多い道程をそれなりの距離歩いたと思うのですが、全く
> 疲れは覚えず、それよりも楽しさばかりを感じていました。
> 本当にありがとうございました。
> 今日、五條のかげろう座へ行ったところ、Rupaさんが出店
> されていて、思いもかけず、近藤さんに連日でお会いして
> しまいました。ちょうど昼頃だったのですが、大盛況で
> 用意してきた天然酵母パンが早々に売り切れてしまい、
> 木製の勾玉やスプーンなどを並べていました。


疱瘡地蔵に「正長元年ヨリサキ者(ハ)カンヘ四カンカウに
ヲ井メアルヘカラス」と彫られている(らしいが、判読不能)

> 歴史鼓動を感じる場所が数多くある奈良県に住んでいながら、
> きっかけがなく(きっかけをつくろうとせずかもしれませんが)
> なかなか現地に赴くことができませんでしたが、
> 今回、参加させていただいて、やっぱり自分で足を運ぶ
> 大事さをあらためて考え直しました。
> 柳生といえば…、剣豪の里、と漠然と思い浮かべるのですが、
> 実際に昨日のように新陰流兵法を体験したり、
> Rupaさんで自然食をいただいたり、自分の目で見たり、
> 色々なことをご教授いただいたりと五感で感じたことは
> 様々な場面でこれから活きてくると思っています。是非、
> また次の企画の際にもご参加させていただければと思います。


旧柳生藩家老屋敷

字数制限の関係で、ごく一部しか紹介できないのが残念だ。それにしても、これほど喜んでいただくとは、有り難い。実は「こんな旅程で良かったのだろうか」「初対面の人同士で、気まずい思いをされていないだろうか」と、心配していたのだ。


特別参加、近藤さんの息子さん(一刀石の上は一等席?)

「古社寺を歩こう会」は、これからも続けていく予定で、早くも次回訪問先を探しているところだ。決まり次第、当ブログで募集させていただくので、読者の皆さんには、ぜひ奮ってご参加いただきたい。

近藤直子さんおよびご主人、大変お世話をおかけいたしました。午後からは息子さんにも参加していただき、皆大喜びでした。これからも、柳生を訪れる方を温かくお迎え下さい。
コメント (3)
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第3回古社寺を歩こう会「柳生まるごと体験」

2009年05月26日 | 古社寺を歩こう会
5/23(土)、柳生の里(奈良市)を歩いてきた。昨年10月に発足した「古社寺を歩こう会」の3回目である。過去2回は同僚・知人などの「縁故募集」だったが、今回は初の試みとして、当ブログで参加者を「一般募集」させていただいた。それは、こんな感じだった…。

《来たる5/23(土)、風薫る「柳生(やぎゅう)の里」を訪ねませんか!》《「古社寺を歩こう会」は、会社の先輩・同僚が立ち上げた文化散歩の会です。これまで2回開催し、いずれも15~20人の参加をいただきました。案内役の方と一緒に、月並みな観光名所ではなく、知る人ぞ知るディープな奈良を訪ねる会です》。
※参加者大募集!柳生の里まるごと体験(4/23の当ブログ記事)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/da54f6bc739562c7ac741af95ac8b2ef

参加費用は@3500円だった(昼食代込み・バス代950円×2を除く)。ブログをご覧になって申し込まれたのは11人(9組)、同僚・知人が12人(私を含む)の計23人が今回の「歩こう会」に参加した。ブログ申し込みの11人のうち、9人の方は全くの初対面の方である。


「柳生上」バス停前で、まずは自己紹介

最初は「会ったこともない個人のブログを見て申し込まれる方が、そんなにいるだろうか」と思っていた。しかし「歩こう会」世話役のN先輩は、「1日700人ものアクセスのあるブログで募集したら、応募が殺到する。人数制限を設けなくては」とおっしゃる。心の中では「2~3人か、せいぜい5人までだろう」と思っていたが、一応募集期間を18日、人数は先着10人程度として募集をかけた。すると、なんと12人(10組)もの方に応募いただいたのだ(後にお1人は所用のためキャンセル)。これは驚いたし、とても嬉しかった。だから従来声をかけていた同僚・知人
の募集はややトーンダウンし、何とか人数を調整した。

前置きが長くなったが、5/23の「歩こう会」は朝8時にJRおよび近鉄奈良駅に集合、 「石打(梅の郷 月ヶ瀬温泉)」行きの路線バスに乗り込んだ。はるばる堺市からの参加者もいらっしゃり、早い時間の集合は大変お気の毒であった(バスの本数が極端に少ないのだ)。



奈良交通「柳生上(やぎゅうかみ)」バス停で下車。ここからは徒歩で柳生の里を回る。ガイド役の近藤直子さんと合流して自己紹介のあと、最初の訪問地である「柳の森」へ。柳生観光協会の案内板によると《柳生という地名は、大昔この場所に誰かが杖を立てておいたところが、その杖から芽が出てやがてそれが柳の大木となりそこから柳生と言う地名となり、この地が「柳生の森」と呼ばれている》とある。今はその大木の何代目かが枝を広げていた。

めざす芳徳寺(ほうとくじ)へは旧参道から登った。途中「古楓橋(もみじばし)」という橋があり、橋のたもとには、名前の通りこんなに太いもみじの古木があった。今も青々とした葉を茂らせている。




古楓橋(架け替え後の新橋)の上から撮影。6月にはホタルが飛び交う

古楓橋を渡り、急な石段(霊源坂)を登って芳徳寺へ。Wikipedia「芳徳寺」によると《奈良市にある臨済宗大徳寺派の寺院》《柳生藩主柳生氏の菩提寺。柳生の地区を一望できる高台に位置し、門前の坂の途中に正木坂剣禅道場を構える》《霊源坂の中ほど東側の地が石舟斎宗厳の居住地とされる》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B3%E5%BE%B3%E5%AF%BA


霊源坂を案内される近藤直子さん(中央)。とてもチャーミングな女性である


熱心にノートをとる同僚のMくん(左端)

芳徳寺は《寛永15年(1638年)大和国柳生藩主柳生宗矩(むねのり)の開基、沢庵宗彭(たくあんそうほう)の開山により創建されたと伝えられる。宗矩が父の柳生石舟斎宗厳(せきしゅうさいむねよし)の菩提を弔うため、柳生城があったと伝えられている場所に建立した》。


芳徳寺本堂


本堂では、ご住職の橋本紹尚師にお話を聞かせていただいた


境内は鮮やかな緑に包まれている

《廃藩後は荒廃して山門や梵鐘も売却され、明治末期には無住の寺となったが、大正11年(1922年)に柳生家の末裔である元台湾銀行頭取の柳生一義が資金を遺贈し、本堂が再建された。その後、大正15年(1926年)6月に副住職として赴任した橋本定芳(昭和5年(1930年)には住職に就任)は、芳徳寺の再興に奔走。橋本は柳生新陰流の普及に努めた他、昭和3年(1928年)には境内に大和青少年道場(現在の成美学寮)を開設し、知的障害児の保護育成に尽力するなど、多方面の事業を手がけた》。



《柳生家の墓地は元々は中宮寺(現・奈良市柳生下町)にあったが、芳徳寺の創建に伴って改葬され、芳徳寺裏の墓地に柳生藩主・柳生氏一族代々の墓石が80基あまりが並ぶ》。


柳生宗矩の墓


柳生 俊睦(やぎゅう・としちか 8代藩主柳生俊則の三男)の墓。お酒好きで、墓石も徳利型だ

境内に正木坂剣禅道場がある。今回はここで柳生新陰流の演武と剣道体験をさせていただいた。Wikipediaには、この道場は《昭和38年(1963年)に当時の住職・橋本定芳により開設された剣道と座禅の道場。柳生十兵衛三厳の正木坂道場に習って命名された。橋本が手がけた中でも、40年以上にわたり開設にまで力を尽くした一大事業であり、宇垣一成、徳富蘇峰、犬養毅、長谷川伸、吉川英治ら数多くの政治家や文化人、経済人の賛同の元、全国から資金を集めて行われた》。



《奈良地方裁判所として使用されていた興福寺別当一条院の建物を移築したもので、正面入口は京都所司代の玄関から移された。座禅と剣道を一体とした指導が行われており、全日本剣道連盟による全国指導者講習会や、県下の剣道大会の会場に利用されている》。



Wikipedia「新陰流(しんかげりゅう)」によると《新陰流は、上泉信綱により1560年代に成立した剣術の流派。上泉信綱は新陰流とも新影流とも書いている》《新陰流は上泉伊勢守より「無刀取り」の公案を課せられた柳生宗厳に伝えられ、柳生氏によって伝承されたため柳生新陰流の名で広く一般に知れ渡っている》。



この日は「柳生二蓋笠(にがいがさ)会」の畑峯会長や池之側浩さんたちにご指導いただいた。
※柳生二蓋笠会のホームページ
http://yagyushinkageryu.com/
※池之側さんが主宰される「柳生天狗堂」のホームページ
http://homepage.mac.com/ikenogawa/



柳生心陰流の演武を拝見した後、参加者全員が竹刀を持って剣道体験。聞いているときは「なるほど」と思うが、なかなかうまく手と足が動かなくて苦労する。


指導を受けるN先輩。チャンバラ好きだったのだろうか、とても飲み込みが早い

このあとは、近藤直子さんが営む「アジア食堂Rupa(ルパ)」でランチ。Rupaさんの話を書くと字数制限を超えるので、後日に回させいただく、悪しからず。


疱瘡地蔵

食事の後は柳生陣屋跡を経て、疱瘡地蔵(ほうそうじぞう=正長元年柳生徳政碑)へ。この地蔵像の向かって右下に「正長元年ヨリサキ者(ハ)カンヘ四カンカウにヲ井メアルヘカラス」と彫られている。つまり正長元年(1428年=「石には」文字と覚える)以前の神戸4郷の負い目(借金)は一切なくなった、という意味である。

ここからはひたすら山道を歩き坂を登り、延喜式内社・天乃石立神社に着いた(あめのいわちじんじゃ。地元では「あまのいわだてじんじゃ」と呼ぶ)に着いた。「岩石祭祀学提唱地」のHPによると《目を見張るのは、神社の裾に落ち込んでいる渓谷に数多の巨石が累積している景観です。この渓谷は岩戸谷・戸岩谷・万年渓の名を持ちます。自然成因によって谷間へ岩群が寄り集まった結果ですが、岩の全面には苔がびっしりと生い茂り、人の手が介入していない場であることが神域の神聖性を否応なく高めています》。
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/yagyu.html


「岩石祭祀学提唱地」ホームページより

この神社の祭神は4柱で、《全ての神が天岩戸伝説にちなむ神々です》《天乃石立神社の創建由来も、天照大神を外に引き出そうと手力雄命(テヂカラノオノミコト)が天岩戸を思い切り開けた時、天岩戸を構成していた岩々が勢い余って地上に落ちたのが、天之石立神社の岩群であるとの言い伝えです。天乃石立神社の社伝は完全に天岩戸伝承の影響下にあり、例えば地元独特の伝承というような異伝がありません》《天乃石立神社の4柱はそれぞれが1体ずつ岩石にまつられており、そのため本殿はありません。拝殿のみです》。


向かって左が前立磐。右が後立磐


前立磐だけでも、こんなに大きい


左奥はきんちゃく岩(1953年の豪雨で落ちてきた)、手前が前伏磐

《柳生新陰流開祖の柳生宗厳が、この神社一帯で身体的・精神的修行を行なっていたことを伝える聖跡があります。それが、天乃石立神社から少し奥まったところに存在する「一刀石」です。一刀石は長さ8m、幅7m、高さ2mの饅頭形の花崗岩で、縦に亀裂が走り岩石が真っ二つに割れています》。




近藤さんの息子さん

《言い伝えによると、柳生宗厳がある夜修行していると天狗が現れたので対決し、この天狗を一刀両断した感触があったので戦いを止めたが、翌日その場に見に行ってみると、そこには真っ二つに裂けた大岩があるだけだったそうです。天狗と宗厳の霊威を「伝説」というかたちで語る聖跡です》。


旧柳生藩家老屋敷

最後に立ち寄ったのは旧柳生藩家老屋敷。《柳生藩の財政立て直しを行った、家老小山田主鈴の旧屋敷。豪壮な石垣がみごとで、天保12年(1841)尾張石工が築いたと刻まれています。昭和39年作家山岡荘八氏の所有となり、氏の小説「春の坂道」(NHKでドラマ化)の構想を練った屋敷として注目を集め、氏の亡き後は、その意志により、奈良市へ寄贈されました》(奈良市のHPより)。



バスの時刻を早めたため(当初予定より40分早く出る臨時バスに変更)、旧柳生藩家老屋敷は外から眺めるだけにしていただいて、バス停で解散式。十兵衛食堂で草団子や漬物などのお土産を買い込んだ。近藤さんはカナダからテレビ局が来たとのことで、まもなくお店に戻られた。Rupaさんも国際的に認知されるようになってきたのだ。

「ネットの双方向性が社会を変える」と言われて、もう10年になる。その後に出現したブログは「個人が新聞社とテレビ局を持つような画期的なツール」とさえ言われた。

今回のブログによる募集で、たくさんの方にご応募いただいただき、その影響力の大きさに驚いた。これからは、もっと真面目に取り組まなければ…。

近藤さん、大変お世話をおかけいたしました。そして「歩こう会」に参加いただいた皆さま、本当に有り難うございました。これからもこの会を続けて参りますので、ぜひまたご参加下さい。今回参加されなかった当ブログ読者の皆さまも、次回はぜひお申し込みを!

※トップ写真は参加者全員の集合写真。芳徳寺前で。
コメント (5)
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