tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

田中利典師の「西行法師と吉野山の桜」

2023年07月31日 | 田中利典師曰く
今回の「田中利典師曰く」は、「今日は西行忌」(師のブログ 2013.3.27付)である。西行忌(旧暦2月16日)に際して、吉野山の桜を愛した西行法師を偲んで書かれた文章で、これまでにも何度かリメイクされている。師はその原文を、この日のブログに紹介された。では全文を以下に抜粋する。
※写真は、吉野山の桜(3/31撮影)。これはシロヤマザクラではなく、ソメイヨシノのようだ

今日は西行忌
今日は旧暦の2月16日西行忌である。例年より時期の遅い西行忌で、しかも春が早い。桜の開花も例年よりずいぶんと早い。そして今日は満月でもある。

「願わくば花の下にて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月のころ」と西行が辞世の歌を詠んだのは有名な話だが、花と満月と西行忌が、今年は重なり合っている。その話は先日、「やまとびと」に書いた。ブログやFBでも紹介した。実は正直にいうと、あの原稿は今から25年前に書いたエッセイのリメイク版である。で、25年前の原文を紹介する。

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「花」は神仏への供養を表す。あるいは、下界の浄土そのものを象徴する、という。今年も春が訪れ、吉野のお山にも花の開花が告げられた。いつもながらの観光客で山はにぎわうことだろう。

吉野の花は山桜である。そして山桜はご本尊金剛蔵王権現様のご神木である。春が来て、全山が桜色に染まる風景に接するたびに、ご本尊への供養の心を新たにさせていただいている。この桜花は、金峯山浄土そのものを荘厳しているにちがいない。吉野の里人ならずとも、この有り難さはわかることであろう。

「願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」と詠んだのは西行法師であった。吉野の桜を愛し、吉野に住した西行は、釈尊入滅の2月15日、満月の頃に、桜の花の咲く下に生涯を終えたいと念願して、この歌を詠んだという。そして西行はその願いどおり、2月16日に死をむかえたのであった。今から800年ほどの昔のことである。

今の吉野山では、西行のいう如月望月に花が咲くことは極めて希(まれ)である。が、その希なことが今年になって起きた。今年は春分の日の翌日に当たったが、この日、吉野山には満開を迎えた桜花が何本かあったのである。本当にいつにない早い春の訪れである。

「このままでは会式に花がないかもしれん…」「あんまり早よ咲くと、人出が減るのではないか…」などと、吉野の町ではあまりに早い春の訪れに、皮算用をして、心配顔である。花見客を目当てにして、商売をしている町人にとっては、当たり前の心配であろう。それはそれで人の営みというものであろうと、ご本尊もこそばゆい心地で微笑んでおられるにちがいない。

いずれにしても、桜で以て、今年もまた、金峯山浄土の荘厳が行われるのである。何度も言うが、本当に有り難いことである。この有り難さ、花を前に多くの人々と分かち合いたい気持ちで一杯である。

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「花」と題した小文は平成元年4月に書いた。私の処女作『吉野薫風抄』(白馬社刊)にも載せている。「花と蔵王権現」と題名を変えて書きなおしたのだが、リメイクしたとき、西行忌と満月と花の希なことは削除して書き直した。今年の西行忌が3月下旬の満月とはしらなかったのだ。

ところが、「こんなん書いたよ~」って、映画監督の河瀨直美さんにメールしたら、「今年の旧暦2月16日は新暦の3月27日で、満月だよ~」って教えてもらって、驚いたのだった。25年前と同じような符合の暦。で、また「やまとびと」のリメイク原稿にも、西行忌と満月と花を入れて、書いたのだった。今宵はそんな西行忌である。夜、晴れるといいねえ。
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美味しいそうめんの「ゆで方、食べ方」 by ソーメン二郎さん

2023年07月30日 | 日々是雑感
暑い夏を乗り切るには、冷たいそうめんが一番。私が勝手に選んだ「奈良県十大料理」にも、「奈良県産手延べそうめん」がランクインしている。
※写真は、私がゆでたそうめん。オリーブ油をからめ、天然塩をかけて食べる(7/17撮影)

そうめんには、各家庭でいろんなゆで方、食べ方があることだろう。ウチでも「これで良いのかな」と自信のないままに作って食べているが、本当のところはどうなのか、とソーメン二郎さん監修の『ラク旨!無限そうめんレシピ』(扶桑社MOOK)を買ってみた。



なおソーメン二郎さんは、ご自身のブログによると〈そうめん研究家。奈良県桜井市生まれ。メディアを通じてそうめん普及活動を行う。 著者にそうめんレシピ本『ラク旨!無限そうめんレシピ』(扶桑社ムック)、そうめん絵本『そうめんソータロー』(ポプラ社 岡田やすたか作 ソーメン二郎企画・原案)がある〉という方で、今は東村山市にお住まいである。



本書「おいしいそうめんのゆで方」には、
・大きめの鍋に湯を沸かし(麺の約10倍)、すっぱい梅干しを1個入れる(梅干しに含まれる酸の作用で、麺にいっそうコシが出る)
・かき混ぜすぎないこと。ビックリ水は必要なし!


「ソーメン二郎がおすすめする基本の食べ方」には
・ゆでた後に冷水でしめ、水気をきることで風味を守る
・氷水につけたまま食べない(氷のカルキ臭が麺に移る)。水をきって皿に盛る
・上質なオリーブオイルを多めにかけると、麺がほどけてのど越しがよくなる
・めんつゆではなく、天然塩をかけて食べる


私はこれらを守って作り、食べていたが何日かして、やはり麺つゆにつけて食べたくなったので、今はそのようにしている。なおゆでる時に使った梅干しも、つゆに混ぜていただいている。

奈良県産手延べそうめんは、細いのにコシがあり、ゆで伸びしない。知人が「県産手延べそうめんは絹糸、他のそうめんは木綿糸」と言っていたが、これは言い得て妙である。皆さん、県産手延べそうめんで、殺人的猛暑を乗り切りましょう!
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田中利典師の「マザー・テレサの名言」

2023年07月29日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」では、「善を行う…マザー・テレサ」(師のブログ 2013.2.27 付)を紹介する。師は、故マザー・テレサの名言を取り上げられた。修験道のお坊さんがカトリックの修道女の言葉を取り上げるのはちょっと不思議な気もするが、宗教の違いを超えた「真理」というものがあるのだ。では、全文を抜粋する。
※トップ写真は吉野山下千本の桜(3/31撮影)、これはソメイヨシノのようだ

善を行う…マザー・テレサ
FBの名言集から…まるで今の私に語りかけられているような内容です。

人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。... 気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなく善を行い続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。けり返されるかもしれません。

気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。

マザー・テレサ
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野生動物は、みんなピンピンコロリ/生物学者・小林武彦氏「なぜヒトだけが老いるのか」(毎日新聞 特集ワイド)

2023年07月28日 | 日々是雑感
毎日新聞夕刊(2023.7.24付)「特集ワイド」欄の見出しは〈なぜヒトは老化? 小林武彦・東大教授(生物学)が語る「老いと死」 人間だけにあるシニアの価値〉、これは驚くべき話だった。何しろ「野生の動物は老いない」のだそうだから(ペットや動物園の動物を除く)。小林氏には『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)という著書もある。

私は以前、「おばあさん仮説」という話を聞いたことがあった。Wikipediaにも載っているので、ご存じの方も多いことだろう。チンパンジーなど哺乳類のメスは閉経後、すぐに死んでしまうのに、人間の女性だけは長生きする。それはなぜか、ということを説明する仮説である。冒頭部分を抜粋すると、

おばあさん仮説とは、哺乳類の中ではまれな現象であるヒトの女性の閉経と、生殖年齢を過ぎたあとも非常に長い期間生きることが、どのような利点を持っていたために進化したのかを説明する理論である。ダーウィン主義的な視点からは、自然選択は有害な対立遺伝子の発現を遅らせるよう働くはずであり、閉経が繁殖率を低下させるのならば、なぜそのような現象が広く見られるのかは興味深い現象である。

小林氏の話も、とても説得力のある話なので、ぜひ記事全文を読んでいただきたい。シニアの皆さんには、元気づけられる話だ。

美容業界は、若さが第一。アンチエイジングがたけなわだ。老いなんて、忌み嫌われてしまう時代だが、そもそも野生動物は老いないって話、知ってました? 老化は人間だけが得た特権なんです、と言うのは、生物学が専門の小林武彦・東京大教授(59)だ。小林流「シン・老いの常識」論が、幕を開けた。

野生の動物は老いないなんて、にわかには信じがたい。率直な感想を漏らすと、何だかうれしそうに、小林さんは首を振った。「いやいや、ヒト以外の動物って、みんなピンピンコロリで死んでしまうんですよ」。生きている間はずっと元気で、死ぬのは突然に、というアレだ。

例えばね、と挙げたのがサケ。「あの魚って、海から遡上(そじょう)してオスは放精してメスは産卵して、すぐに死ぬでしょ。要は生殖を済ませるまでは現役バリバリ。ところが、その直後に脳が萎縮して、ホルモンが出なくなる。サケにとって、老化は死を意味しているんです」

次の例は、ゾウ。「この動物はがんにならない。動物の細胞自体の大きさは、だいたい同じなので、大きければ細胞の数も増える。体がヒトより100倍大きかったら、100倍がんになりやすいはずなんです。だけどゾウはがんにならないで60年以上生きます。死ぬ時は心筋梗塞(こうそく)とか循環器系の不具合が多くて、基本的には老化せずにコロリ。野生には、老いたゾウというのは存在しないんです」

動物でも、特に哺乳類は、基本的にヒトと作りが同じだという。チンパンジーなんて、遺伝情報(ゲノム)の99%がヒトと同じなんて言われるのに、老いる前に死ぬらしい。

「確かに飼われたペットや動物園の動物は老いますが、あれは例外。本来は野生動物って老いないんです。老いてもあまりいいことがない。死ぬ前に感染症にでもなったらどうします? 集団全体に広がるでしょ。さっさと死んだ方がいいんです」。じゃあ、なぜヒトは老いるのだろう。というか、そもそも老いって何なのか。小林さんの解説、まずは死の問題だ。

「残念ながら、生物が必ず死ぬのは、多様性のためです」。学者の口から出たのは、最近はやりのキーワード。本来は前向きな言葉なのに、何だかネガティブに聞こえるんだけど……。

「生物が激しく変わる環境で生き延びるには、それに合わせた変化と選択が迫られます。古い世代が死に、新しい世代が生まれることで、生物は環境に適応するように進化していく。つまり、死と引き換えに私たちの生がある。死は生物の生命を連続させる原動力なのです」

死は個体にとっては生の終わり。でも、その種全体から見ると、進化に必須のプロセス、ということらしい。種としては、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すことで、多様性を確保しているというわけだ。

「私たちは、過去の無数の生物の死があるおかげで、今を生きています。生物は親より子の方が多様性が大きいという意味で優秀なので、子孫を残したら、親はとっとと死んだ方がいい、というのが生物の世界の常識なのです」。親から子へと受け継ぐバトン。命のリレーが成立するのは、そこに死があるからこそ、ということになる。

小林さんによると、2500年以上前の縄文時代では、日本人の平均寿命は、何と15歳程度だった。その後も平均でならすと、長いとはいえない。平安時代でも30歳、明治時代でさえ43、44歳ぐらいだったという。それが今や衣食住の安定に加えて医療も発達し、女性は87歳、男性は81歳の長寿時代だ。

「環境さえ整えばヒトは老いることができるので、今の平均寿命は、戦前の2倍程度にまで延びています。それに私が生まれた頃(1963年)は100歳以上の日本人なんて150人ほどでしたが、今や9万人超の時代ですからね」

それでも、いくら寿命が延びても、やはり死は怖い。生物の中で、ヒトだけが老いると言っても、死はあらゆる生物に平等にやってくる。この怖い、という感覚はどうにかならないのか。すると、小林さんは、また首を振った。

「死の感覚は、ヒトにとても顕著なものです。でも、その感覚って、あって悪いわけじゃないんです。ヒトの場合、死の恐怖は自分に限らず、身内や親しい人の死も強烈なストレスになりますよね。それはなぜなのか。ヒトには共感力があるからです。この共感力があるからこそ、ヒトは『人間』として、強い絆で結ばれた社会的な共同体をつくることができるのです」

なるほど。こちらがうなずくと、それにね、と小林さんは続けた。「死のことを考えるより、老後の生のあり方を考えた方がいいんです。今やヒトの人生なんて長い老後なんですから」。そもそも老いとは何か。毛が抜けるとか、シワが寄るとか、老化現象はいろいろあるけれど、老いとは「DNAが壊れること」。加齢と共に徐々にDNAが壊れて、細胞の機能が低下していくのだという。老化は生殖能力の終わりと不可分らしい。

例えば、チンパンジーなどヒトと同じ哺乳類のメスは、閉経後、すぐに死んでしまう、と小林さんは指摘した。「生物学的に言えば、野生動物は閉経後に老化して死にます。ヒトの場合、女性の閉経が50歳前後ですから、それ以後は生物学的には『老後』になります」。そう考えると、日本の平均寿命からすれば、残りの40%超は老後、ということになる。

老後なんて言われると何だか悲しい気分にもなるが、小林さんは「それは大きな間違い」ときっぱり。そして問いかけた。「そもそも、なぜヒトだけに長い老後があると思います?」そう、この話の核心だ。なぜヒトには老いがあるのだろう。

「その方が生物として都合が良かったからです。進化の過程で、より長生きし、老いることができる遺伝子を持つタイプのヒトが生き残り、子孫を増やしているのです」。つまりね、と小林さんの話は続く。

「おばあちゃん、おじいちゃんとも若い親の代わりに子守をしたり、経験知から若者を指導したりする。そういった共同体は統率が取れて効率的だったのです。シニアがいる共同体の方が生産性が上がるので、ヒトの進化には好ましかったのです」。なるほど!と納得しかけて、疑問が浮かんだ。でもその話って、農業や狩猟がメインの時代じゃない今にも通じるの?

小林さんは、それはちょっと違う、と否定した。「ヒトは若い時には私利私欲のために動くことが多いです。その点は野生動物と一緒。でもヒトは年を取るとだんだん利他的になってくる。野心がある若者を、公共性の高いシニアが支える二層構造ができれば、実は社会の効率は上がる。やはりヒトには老後を生きるシニアが重要なのです」

政治も経済も低迷し、今や自慢できるものが少ない日本で、辛うじて誇れるのは世界一の長寿国であること、と小林さん。「まだ働けるのに定年にして、低賃金で再雇用なんてやる気を失わせるシステムを続けてはダメですよね。それより公共意識の高いシニアに意欲を失わせずに生涯現役で活躍してもらう。その方が、日本全体の生産性は高まります」。確かに。アンチエイジングより、そっちの方が大事かも。【川名壮志】


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田中利典師の名言集(7)「同じ時代に生きていることに、感謝しよう」

2023年07月27日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、名言集(7)。師の「言葉を綴る(1)」(ブログ 2012.6.14 付)から引用させていただいた。師がTwitterで発信された名言の「まとめ」である。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/31撮影)

タイトルの「同じ時代に生きていることに、感謝しよう」は、私が利典師と同時代に生き、SNSでつながっていることへの感謝の気持ちを表わしたつもりだ。なお今回のブログ記事には、優婆塞BBさんから、こんなツッコミが入っていた。

恐れながら、山人様!〈「標(しるべ)なき人生といえど、多く人の導きの中にいまの私がいる」~ひ弱で頼りない私を支えてくれているのは多くの友人や先達、知人である〉に誤りがあります!〈人一倍タフで人三倍(笑)行動力のある田中利典師を多くの友人さんや先達さん、知人さん達がいつも強力にサポートして下さっている!〉じゃないでしょうか?

これに対して師は、こんなコメントを返されていた。

優婆塞BBさん…私は確かに体力的にはほんとにタフに産んでいただいていて有り難いですが、このところは少し凹んでいますし、もともと心はガラス細工なので、すぐ壊れます。優しいみなさんのお蔭です。

この頃は怒濤の日々が続き、また前年にご母堂を亡くされ、体力的にも精神的にも少し弱っておられたようである。とはいえ今回も、珠玉の言葉のオンパレードだ。ぜひ熟読玩味していただきたい。

言葉を綴る(1)
「言葉を重ねる」は(6)で、一旦、終わりました。その後復活させましたが、「呟(つぶや)き」に合わせて、少し文章を書いています。「言葉を綴る」として、まとめました。これは今もツイートが続いています。人に読んでもらうようなものじゃなく、自分の心に生まれたことをただ呟いているだけですが、よろしければ見て下さい。

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言葉を綴る(1)
「苦難を怖れるな、苦難にくじけるな。僕がついている」
~人生は病気だとか怪我だとか、思いもよらない苦難に遭遇する。それは誰も避けられない。でも一人じゃない。きっとそのとき、家族や友だちや同僚など回りの多くの人たちが、支えてくれるに違いない。自分とみんなを信じよう。

「愛しいもののために全てを捧げられないような人間は、ろくでもない人生を送るに違いない」
~気の迷いでもよい、間違いであってもよい、自分の情熱に正直に生きていたい。渇愛も愛、慈愛も愛。そして普遍の愛も「愛」だという。その全てを知ることが人生の宿題なのかもしれないね。

「世界中の悲しみを受け止められるような人間になりたい。それを自分の喜びと思えるような人間でありたい」
~偽善といわれるかもしれない。でも、そういう生き方があこがれであり、生き様でありたいと思う。もちろん、そんなことが出来るほど上等な人間ではないのはわかっているが、少しでも上等でありたいと願う。

「人は一人では生きていけない。素直に認めましょう。きっと楽になれるから」
~友人と話をしていて、そういうことに素直になれない時があるのだって思った。それは、それぞれの生きてきた道が違うせいもあるんだけど、でも結局、私はみんなの中で生きているってわかった方がいいんだよ。

「同じ時代に生きていることに、感謝しよう」
~当たり前のような一日がはじまり、当たり前のように一日を終える。でもその一日をともに出来る喜びは実に深く大きい。そのことに気づかなくても人は生きていけるが、気づいて生きた方が一日の深さを抱きしめることが出来るに違いない。

「標(しるべ)なき人生といえど、多く人の導きの中にいまの私がいる」
~ひ弱で頼りない私を支えてくれているのは多くの友人や先達、知人である。

「悲嘆に寄りそうすべはない。ただ思い、ただ願い、ただ祈るのみ…」
~石巻市に向かってますが、なにが出来るか、自分自身に問いながら、二度目の東北、石巻に入ります。

「人に安らぎを求めるならば、まず人に安らぎを与えることを思いなさい。自分になにができるかを先に考えることが、肝心なのです」
~わかっているようで実はなんにもわかったいないのが人生です。なんどもなんども同じ間違いを繰り返し、それでも成長できない自分を抱きしめて生きるのですね。
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