聖賢の集会続く。七ケ条の世界的根本原理の提出!!
聖賢会議が、実際にあったかどうかは確認出来ないが、根本原理には同意できる。あれから2000有余年。来るべき時代の根本原理はあるのか。それは何か?それはともかく、これまでの時代は王の支配する時代であったことは確かである。
この間、人類は充分学びを得たであろうか。今、又、世界の救世主が世界を治める、とのまじめな議論がある。世界支配計画の一節である。それは聖賢会議の論旨から行くと、これまでの原理の踏襲に他ならない。そういう意味で、そういうことをまことしやかに考える連中は、時代錯誤とも言え無くもない。
本来、人間の進化とは、魂の進化と言うべきものであるが、目に見えぬものを見、声に聞こえぬものを聞くと言う方向に進んでいることは間違いがない。神を否定するときもあったが、それは歴史的には短い。神を認めるところには程遠いが、少なくとも何かが在るという信念は芽生え始めている。
『サムシンググレート』は、確かに誰もが意識するようになった。逆に、形式的な儀礼、礼拝は薄れゆく存在になりつつある。偶像や記章は組織を温存するためには活用されるが、本来は不必要なものであるとの認識は高まっている。模型(かた)は、小児には是非とも必要だが、大人には必ずしも必要でない。蓋し、正論である。
この下りを、読むにつけ、投稿者に感じるところがある。やはり、イエスとそのスタッフ(聖賢者)は、かなり進んだ宇宙人であったかも、と............。
<?:記事に無関係>
そういうことを言うと、まじめなイエスファンには、異端児扱いされなくもないので控えるが、自由な発想とはそうしたものである。イエスはすばらしい。聖書であれ、何であれ、辿れば辿るほどに完璧な愛の実践者である。おそらくその事に異論を挟む者は少ないと想う。一部のイエスの名を貶めようとする、輩は確かに現存する。
投稿者はクリスチャンではない。カトリックでも仏教徒でもない。平均的な日本人である。祈りも得意ではない。ましてや礼拝など窮屈である。従って、神社仏閣には詣ではするが、至って儀礼的である。霊感など寧ろ、忌避する。『触らぬ神に、祟りなし』派である。
しかしながら、『サムシンググレート』は認識する。畏怖する。そして、依拠する。
聖賢の集会続く。七ケ条の世界的根本原理の提出。
聖賢一同は元気になって、生命の書を開いて読んだ。
彼らは人間生活、一切の奮闘努力、利害得失の物語を読み、過去の出来事、要求などに照らし合せて、将来の人間にとって最善なものが何であるかを考えた。彼らは人間の境遇に最もふさわしい律法、戒律を知り、人類が理解し得る最高の神の理想を見た。
聖賢たちは、これから公式化しようとする七ヶ条の根本原理に基づいて、将来の生活、祈祷のすぐれた哲学を作ることになる。
そこで聖賢中最年長者メングステは首席に着いて言った、「人間はまだ信仰によって生活するまでは進んでいない。めに見えぬ事柄を理解することが出来ない。
人間はまだ子供なれば、これからの時代全体を通して、絵画、記号、儀式、形態で教えられなければならない。その神は人間的な神でなければならない。まだ信仰によって神を見ることはできない。
それから次ぎに、人間はまだ自分を支配することはできないから、王が支配し、人間はこれに奉仕しなければならない。これに続く次ぎの時代が人間の時代、信仰の時代でしょう。
その祝福された時代には、人類は肉限の助けなしに見、声なき声を聞き、霊なる神を知るでしょう。
これからわれわれの迎える時代は準備時代であるから、学校、政府、礼拝式など、すべて人々の理解し得る簡易な方法で工夫されなければなりません。そして人間は創作することが出来ないから、目で見た模型(かた)によって打ち建てます。それであるから、われわれはこの会議で来るべき時代の模型を作り出さねばならない。
そこでわれわれは七つの根本原理に基づく、理想の帝国の神智霊覚を公式化せねばならない。聖賢諸君はめいめい順次に一つずつ根本原理を作ってほしい。これは完全時代の来るまで、人々の信条の基礎となるわけです。」
メングステは先ず第一条を書く。
「万物は思想である。一切の生命は思想活動である。多数の実在は一つの大思想が表現された局面に過ぎない。見よ、神は思想、思想は神である。」
次ぎにビヂャパチは第二の根本原理を書く。
「永遠の思想は一つ、本質的には二つ、即ち叡智と力(フォース)、これが呼吸して子が生まれる。この子は愛なり。かくて三位一体の神が現れ、人はこれを父母と名づく。
この三位一体の神は一位。されど光の一つなる如く、本質的に七つなり。
かくて三位一体の神が呼吸すれば、見よ、七つの霊がその面に現わる。これが創造的属性である。人々はこれを小さき神々と名づけ、その姿にて人間を造った。」
カスパーは第三条を書く。
「人間は神の思想にして、七位の姿に作られ、魂の本質を纏(まと)う。人間の願望は強く、生命の各段階に現わるることを求め、おのがために地上形態のエーテルにて身体を造り、かくして地上の段階に降下した。この降下によって人間は生得権を失い、その神との調和を失い、生命のあらゆる調子を不調和とした。
不調和と悪とは同一である。故に悪は人間の工作である。」
アシビナは第四条を書く。
「種子は光のなかにて発芽しない。種子は土地をさがし、光より身をかくすまで生長せぬ。人間は永生の種子として展開しながら、三位一体神のエーテルにありては、光は強すぎて種子は生長しなかった。かくて人間は肉の生命の土地を求め、暗き土地の中にて、発芽、牛長し得る場所を見出した。
種子は根をつけ十分に生長した。
人木は地物一の土壌より発育し、白然法に従って完全な携帯に到達しつつある。人間を肉の生活より霊福に揚げるごとき神の超自然の働きは無い。彼は植物の如く生長し、時来れば完成す。
人間を霊生に揚げ得る塊の木質は純潔である。」
【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】
第十二部 世界の七聖賢の評議会
第五十八章 聖賢の集会続く。七ケ条の世界的根本原理の提出。
1)聖賢一同は元気になって、生命の書を開いて読んだ。
2)彼らは人間生活、一切の奮闘努力、利害得失の物語を読み、過去の出来事、要求などに照らし合せて、将来の人間にとって最善なものが何であるかを考えた。
3)彼らは人間の境遇に最もふさわしい律法、戒律を知り、人類が理解し得る最高の神の理想を見た。
4)聖賢たちは、これから公式化しようとする七ヶ条の根本原理に基づいて、将来の生活、祈祷のすぐれた哲学を作ることになる。
5)そこで聖賢中最年長者メングステは首席に着いて言った、
6)「人間はまだ信仰によって生活するまでは進んでいない。めに見えぬ事柄を理解することが出来ない
7)人間はまだ子供なれば、これからの時代全体を通して、絵画、記号、儀式、形態で教えられなければならない。
8)その神は人間的な神でなければならない。まだ信仰によって神を見ることはできない。
9)それから次ぎに、人間はまだ自分を支配することはできないから、王が支配し、人間はこれに奉仕しなければならない。
10)これに続く次ぎの時代が人間の時代、信仰の時代でしょう。
11)その祝福された時代には、人類は肉限の助けなしに見、声なき声を聞き、霊なる神を知るでしょう。
12)これからわれわれの迎える時代は準備時代であるから、学校、政府、礼拝式など、すべて人々の理解し得る簡易な方法で工夫されなければなりません。
13)そして人間は創作することが出来ないから、目で見た模型(かた)によって打ち建てます。それであるから、われわれはこの会議で来るべき時代の模型を作り出さねばならない。
14)そこでわれわれは七つの根本原理に基づく、理想の帝国の神智霊覚を公式化せねばならない。
15)聖賢諸君はめいめい順次に一つずつ根本原理を作ってほしい。これは完全時代の来るまで、人々の信条の基礎となるわけです。」
16)メングステは先ず第一条を書く。
17)「万物は思想である。一切の生命は思想活動である。多数の実在は一つの大思想が表現された局面に過ぎない。見よ、神は思想、思想は神である。」
18)次ぎにビヂャパチは第二の根本原理を書く。
19)「永遠の思想は一つ、本質的には二つ、即ち叡智と力(フォース)、これが呼吸して子が生まれる。この子は愛なり。
20)かくて三位一体の神が現れ、人はこれを父母と名づく。
21)この三位一体の神は一位。されど光の一つなる如く、本質的に七つなり。
22)かくて三位一体の神が呼吸すれば、見よ、七つの霊がその面に現わる。これが創造的属性である。
23)人々はこれを小さき神々と名づけ、その姿にて人間を造った。」
24)カスパーは第三条を書く。
25)「人間は神の思想にして、七位の姿に作られ、魂の本質を纏(まと)う。
26)人間の願望は強く、生命の各段階に現わるることを求め、おのがために地上形態のエーテルにて身体を造り、かくして地上の段階に降下した。
27)この降下によって人間は生得権を失い、その神との調和を失い、生命のあらゆる調子を不調和とした。
28)不調和と悪とは同一である。故に悪は人間の工作である。」
29)アシビナは第四条を書く。
30)「種子は光のなかにて発芽しない。種子は土地をさがし、光より身をかくすまで生長せぬ。
31)人間は永生の種子として展開しながら、三位一体神のエーテルにありては、光は強すぎて種子は生長しなかった。
32)かくて人間は肉の生命の土地を求め、暗き土地の中にて、発芽、牛長し得る場所を見出した。
33)種子は根をつけ十分に生長した。
34)人木は地物一の土壌より発育し、白然法に従って完全な携帯に到達しつつある。
35)人間を肉の生活より霊福に揚げるごとき神の超自然の働きは無い。彼は植物の如く生長し、時来れば完成す。
36)人間を霊生に揚げ得る塊の木質は純潔である。」
【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling 】
SECTION XII<o:p></o:p>
LAMED<o:p></o:p>
The Council of the Seven Sages of the World<o:p></o:p>
<o:p> </o:p>
CHAPTER 58<o:p></o:p>
Meeting of the sages, continued. Presentation of the seven universal postulates.<o:p></o:p>
NOW,
when the sages were refreshed they opened up the Book of Life and read.
2) They read the story of the life of man; of all his struggles, losses, gains;
and in the light of past events and needs, they saw what would be best for him
in coming years.
3) They knew the kind of laws and precepts suited best to his estate; they saw
the highest God-ideal that the race could comprehend.
4) Upon the seven postulates these sages were to formulate, the great
philosophy of life and worship of the coming age must rest.
5) Now Meng-tse was the oldest sage; he took the chair of chief, and said,
6) Man is not far enough advanced to live by faith; he
cannot comprehend the things his eyes see not.
7) He yet is child, and during all the coming age he must be taught by
pictures, symbols, rites and forms.
8) His God must be a human God; he cannot see a God by faith.
9) And then he cannot rule himself; the king must rule; the man must serve.
10) The age that follows this will be the age of man, the age of faith.
11) In that blest age the human race will see without the aid of carnal eyes;
will hear the soundless sound; will know the Spirit-God.
12) The age we enter is the Preparation age, and all the schools and
governments and worship rites must be designed in simple way that men may
comprehend.
13) And man cannot originate; he builds by patterns that he sees; so in this
council we must carve out pattern for the coming age.
14) And we must formulate the gnosis of the Empire of the soul, which rests on
seven postulates.
15) Each sage in turn shall form a postulate; and these shall be the basis of
the creeds of men until the perfect age shall come.
16) Then Meng-tse wrote the first:
17) All things are thought; all life is thought
activity. The multitude of beings are but phases of the one great thought made
manifest. Lo, God is Thought, and Thought is God.
18) Then Vidyapati wrote the second postulate:
19) Eternal Thought is one; in essence it is two ?
Intelligence and Force; and when they breathe a child is born; this child is
Love.
20) And thus the Triune God stands forth, whom men call Father-Mother-Child.
21) This Triune God is one; but like the one of light, in essence he is seven.
22) And when the Triune God breathes forth, lo, seven Spirits stand before his
face; these are creative attributes.
23) Men call them lesser gods, and in their image they made man.
24) And Kaspar wrote the third:
25) Man was a thought of God, formed in the image of
the Septonate, clothed in the substances of soul.
26) And his desires were strong; he sought to manifest on every plane of life,
and for himself he made a body of the ethers of the earthly forms, and so
descended to the plane of earth.
27) In this descent he lost his birthright; lost his harmony with God, and made
discordant all the notes of life.
28) Inharmony and evil are the same; so evil is the handiwork of man.
29) Ashbina wrote the fourth:
30) Seeds do not germinate in light; they do not grow
until they find the soil, and hide themselves away from light.
31) Man was evolved a seed of everlasting life; but in the ethers of the Triune
God the light was far too great for seeds to grow;
32) And so man sought the soil of carnal life, and in the darksomeness of earth
he found a place where he could germinate and grow.
33) The seed has taken root and grown full well.
34) The tree of human life is rising from the soil of earthy things, and, under
natural law, is reaching up to perfect form.
35) There are no supernatural acts of God to lift a man from carnal life to
spirit blessedness; he grows as grows the plant, and in due time is perfected.
36) The quality of soul that makes it possible for man to rise to spirit life
is purity.
【続く】