飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!⑩

2009-11-01 12:29:36 | 123

謎が多い日本航空123機墜落事故
しかし、信憑性にイマイチ欠ける追求情報!!
それが一変するかも知れない.......。
渾身の情報が発信されつつある!! 第9弾
 


 日航123便は、撃墜された可能性がある。それも米軍機によってそれは為された。そして、その物的証拠が提示されている。これは衝撃的な事である。

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<記事に無関係>


 

 何のために.......。これは順次明らかにされることだろう。かなりの部分、周知の事実である。理由はともかく、真実は明らかにされる必要がある。


 これだけの事実を突きつけられると、都合良く思わない勢力は現存する。昨今、元記事サイトには、ぞろいかがわしいコメントが登場する様子が見られる。本ブログもぼつぼつ登場するようになった。厚かましいので、無視(非公開)している。


 このことは、要所を衝いている証明ともなる。いつでもおいで、纏めて公開してあげるから.......。その時は、IPアドレスもしっかり公開するつもりである。これは、この事実を拡散してほしくない連中が現存していることを表している。その連中は、この事実が真実である事を教えてくれる反面教師でもあるから、心ならずも歓迎する。


 何度も言う。真実は明らかにされなければならない。


 拡散理由は、その一点にある。


 

【転載開始】

JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(3)

2009-10-31 14:19:50 | 日記

引き続き、ミサイルの使用に関して検証します。

■角田氏が持ち帰ったミサイル破片

角田四郎氏によるドキュメント「疑惑-JAL123便墜落事故-」は、本事故を語る上で欠かすことのできない資料ですが、その中でも、411ページから 414ページに記された「金属片」の一節は、物証に基く証言として注目に値します。私の下手な説明よりご本人の文章を読まれた方が正確だと思いますので、 下記に引用を掲載します。

-----------------------------(ここから)--------------------------------
私は8月18日の現場登山の帰り道、偶然一片のアルミ合金製と思える金属片を拾ってしまったことを前にも述べた。

その金属片を米軍の友人に何の説明もせず(日航機事故の件も伝えず)見せた。

彼は航空機の整備を担当している。

彼の答えは、私のど肝を抜いた。「たぶん」と疑問視をつけて慎重に、しかしはっきりとこう言った。
「ミサイル」(This is missile.)
「まさか!」(Not really !)
「たぶん、ミサイル」(Maybe, missile.)

思えば私にとってこの事故に接してから、この言葉は初めて耳にする言葉ではなかった。
最初は山に行く日(18日早朝)車の中で聞いた友人の羽田での体験記である。日航役員が乗客家族につめ寄られて、はきすてた言葉「うちのジャンボは、北朝鮮のミサイルに撃ち落された。今はそれしかわからない」であった。気にもとめていなかったし苦しまぎれの讒言と思っていたが、日航社内上部には、なにかそんな情報でもあったのだろうか。

二度目にこの言葉を耳にしたのは・・・

(中略:「自衛隊撃墜説を斬る(1)」で否定した「たかちほミサイル説」についての記述)

そして、米軍人の口から三度目の「ミサイル」を聞かされたのである。やや不気味になった私は、その金属片を手元に置かないことにした。未だその金属片についての科学的検証は行っていないが、すくなくとも吉原告一郎氏の言う「オレンジ色の破片」とは明確に別のものである。

しかし、私は一方でこれは米軍友人の見立て違いだと思ってもいる。何故なら、たとえ事故が国にとって重大な損失を生むからといっても、現実に空を飛ぶ一自 衛隊員は我々の近くにいる普通の若者と変わるところはない。いかに上官の命令であっても一般人が乗っている、民間航空機に向けてミサイルを発射撃墜するな どという行為をできるわけも、するわけもないからである。私はそう信じたいのだ。

他方、では一体あの墜落前の光や後をついていった流れ星のようなものや私の拾得した金属片、そして最後の異常な急降下どう説明すればよいのか、と思い悩んでしまう。

日航123便事故で亡くなった白井まり子さんは、元日航のスチュワーデスであった。その白井さんは遺書の中でこう訴えている。
「恐い・恐い・恐い。助けて。死にたくない、気持ちも悪い。」

恐い、恐い、恐い・・・・。この言葉を彼女はあと幾つ重ねたかったのであろう。

そしてこのものスチュワーデスの味わった恐怖の幾倍か幾十倍の恐怖を、一般乗客は味わったであろうか。

ミサイル説を考えるとき、期せずして白井さんと同じ言葉が胸中をうめつくす。

恐い、恐い、恐い・・・・と。
-----------------------------(ここまで)--------------------------------
引用文の中にはありませんが、角田氏はこの金属片を、岩の後ろに目立たないように置かれた数個のリュックサックの下、それも隠すように置かれているのを見 つけて持ち帰ったと証言しています。またそのリュックの中には着替えが詰まっており、そこから、事故現場で制服を着用している自衛隊・警察・日航技術者等 が、実は偽者ではないかと疑念を抱いたことも正直に述べています。

上記の引用部分で、角田氏は「自衛隊説」を前提としているため、「自衛隊が同国の民間機を撃つはずがない」とその複雑な思いを吐露しておりますが、当ブロ グは「米軍説」、より正確には「米空軍説」に立っておりますので、この点については同様の疑念を抱く必要はないでしょう。

さて、ここで引用文中に挿入された、角田氏が拾い、米軍の友人に渡したとされる件の金属片の写真を以下に掲載します。


写真1:角田氏の拾った金属片

私もこの写真を国際軍事評論家のB氏にお見せして所感を尋ねたところ、B氏は一見して即座にこう答えました。
「あ、ミサイルですね」

また、そう判断した理由については以下のような回答を得ました
・まず金属(ジュラルミン=アルミ合金)の厚さが薄く、強度をそれほど必要としないミサイルの側面に使用されるものと同タイプである
・断片の大きさ、変形状態、燃焼した跡はまさに爆破後のミサイル側面の形状そのものである

ちなみにB氏は公的な軍事情報収集任務経験(これ以上は本人が特定されてしまうので書けません)の中で、ミサイル製造現場や実弾使用現場、整備マニュアル 等を実際に目にしており、軍事知識に関しては市販のデータブックには絶対に載らないものまで広範囲にカバーされています。そのB氏をして、この写真の金属 片はミサイルのものに間違いないとのお墨付きを得ました。

実は、前回「そしてミサイルは発射された(2)」で掲載したミサイル弾頭と思われる写真、そしてこの金属片の写真、たったこれだけの材料からミサイルの製品系列までB氏は特定してしまったのですが、その情報については次回以降に説明したいと思います。

■オレンジ色の破片

上記引用部で「オレンジ色の破片」の記述が見られますが、それについては個人で現場調査(※)を行っているS氏から提供された次の写真が参考になるでしょ う。今年10月になって現場付近で入手したものです。なお、B氏によると「ミサイル片と断定するには不十分」ということなので、あくまでも参考としてご覧 ください。


写真2:S氏の拾ったオレンジ色金属片。オレンジというより赤に近い

※一見しただけでは気がつきませんが、事故現場周辺は厳重な監視下に置かれており、むやみに入山するとたいへん危険です。S氏によると時々軍用機が谷間を 飛行することがあり、それも曇天の日に限られるとのことなので、おそらく軍事偵察衛星で定点観測されている可能性も疑われます。また、S氏自身が何度も危 険な目に会ってます。絶対に軽い気持ちで登らないでください。

■そして、新たなミサイル部品

また、次に掲載する写真は、S氏から提供された現場(第3エンジンの近く)に落ちていた小さな金属片です。円形と四角形の薄片、何の変哲もない部品のよう ですが、実は、ミサイルが使用されたことを裏付ける決定的なものです。ミサイルの製造・整備・運用に関っている方なら、どこで何の目的に使われているもの か、もうお分かりになったでしょう。また、10月10日の私のセミナーに参加された方も鮮明に覚えておいででしょう。


写真3:明らかなミサイル部品

もったいぶるつもりはありませんが、その時期が来るまでこの金属片についての当ブログでの解説は割愛したいと思います。私の思いは過去の記事でも触れたよ うに、何が何でも暴露することではありません。だからといって真実を隠したい訳でもありません。私は悲劇を導いた当事者にこそ真実を告白し、懺悔していた だきたいのです。そして、勇気を持って名乗り出たあなたを許したいと思っています。

日航の経営問題を巡って何やら騒々しいですが、日航職員の心ある皆さん、お願いですから日航機事故の秘密を政治的駆け引きに使うのは止めてください。この 事故はすでに秘密でなくなりつつあります。上の写真以外にも多くの証拠品が見つかり、命を掛けて真実を求める人々の元に届いています。隠すことにもはや何 の意味もありません。しかし、何より先に、人として、事故犠牲者の白井さんの書き残した遺書、そこに残された恐怖と苦しみを理解し、次に何を為すべきかを 考えて欲しいのです。そのための時間をもう少しだけ残しておきたいと思います。

HOC EST PRAECEPTUM MEUM UT DILIGATIS INVICEM SICUT DILEXI VOS. MAIOREM HAC DILECTIONEM NEMO HABET UT ANIMAM SUAM QUIS PONAT PRO AMICIS SUIS

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