本ブログで
『ふるいちまゆみさん家』で、妄想劇が始まっている!!
を掲載したが、
予想以上に、ヒートアップしている!!
これにて、クールダウンしたい!!
言うまでもなく、投稿者は『非難』を意図していない。批判はしたが、非難するつもりは毛頭ない。誰も責めるつもりはない。冷静な検討を呼びかけたに過ぎない。
<東海アマさんのツイッターで知った:記事に無関係>
確かに、言葉は諫言調であったし、写真転載が思わぬ波紋を呼んだ。
目的は、冷静になれ!という意図しかなかった。しかしながら、当ブログのコメント欄はいつになくヒートアップしている。中には非難調のコメントも多く見受けられる。基本的に全てを公開しているが、それは当ブログの基本姿勢であるからである。しかし、非難に荷担するつもりは毛頭ない。
何故、”『ふるいちまゆみさん家』で、妄想劇が始まっている!!”を掲載するに至ったか、その理由を事実に基づいて説明する。その事実に無関係のコメントは、今後、当ブログに置いては非公開とする。何故なら、このままでは、当ブログが魔女狩りのもう一つの旗頭になることを好まないからである。
まず、単純な問題、写真転載について、
公開されたもので、ご本人が納得の公開であるとの認識であった。そして、転載許可はかつてのやりとりから、了承を得ているとの認識であった。
《飄平さん、早速ありがとうございます。
転載は名前だけ入れていただければ自由になさってくださいね。
長年の友人にも未だに謎だと、わかならいと言われてます。
昨日は「つながっているこころ」のまゆみと書きましたが、今日はあわてて書くの忘れました。いつもいつも暖かく見守っていただき、感謝しています。
返事は要りませんので。
こちらこそ、飄平さんのご活躍をお祈り致します。投稿 まゆみ | 2009-04-17 21:15》
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2009/04/post_2c84.html#comment-20918611》
しかし、転載中止の申し入れがあった。それを受けた。そして、直ちに削除した。しかしながら、携帯サイトに表示されるとの指摘があった。サイトのファイルそのものを削除した。それにはタイムラグが生じたようである。再度の指摘で、ソース上、問題が提起された。
<東海アマさんのツイッターで知った:記事に無関係>
気づかない話であった。そして、当日は多忙であった。いずれにせよ、問題は駆除した。詳しくはhttp://blog.goo.ne.jp/tumuzikaze2/d/20100703#comment-25469396 に説明した。他意はない。よからぬ意図もない。
そして、転載そのものは、情緒的な意図で為したもので、冒頭に『ふるいちまゆみさんは、尊敬するお方だ。それは今でも変わらない。』と書いたので、理解されるものと思ったが、迂闊であった。それは反省する。
又、その情緒は今も変わらない。
転載そのものは、経緯的に道義に反したものではないと確信している。
さて、本題である。
<東海アマさんのツイッターで知った:記事に無関係>
何故、掲載したか? 問題の『妄想劇』に少なくとも関与しているからである。そして、妄想という所以は、関与した人間として、真実に基づいていないと観られる部分があったからである。それ以上に、不必要に騒がしくなっていると感じたからである。
真実は、こうである。まゆみさんから渦中の御仁を紹介頂いた。それは拙ブログ飄(つむじ風)がスペインで開示されないと言うことであった。そう言うことは過日もあった。中国でも開示されないらしい。これは、飯山さんの文章で分かっていた。相当、警戒されているのかと、苦笑した次第である。
<東海アマさんのツイッターで知った:記事に無関係>
折りも折り、丁度、つむじ風ねっとと言う、Webサイトを構築したばかりであって、それならば、普遍のサーバーであるので、覗けるはずだと、急ぎ、完成させて紹介した。件の御仁はセキュリティーの為に運用していたミラーサイト(goo)を愛読して頂いていたとのことであった。他にもいくつかのミラーサイトはあったが、多忙のため、本年2月中断して、告知の上、本ブログサイトに統一していた。
Webサイトにセキュリティーを替えたのである。
メールのやりとりで、イベリコ豚について知った。素直に今時、自然放牧の希有な良質性を感得した。これは関連サイトで知ったまでである。件の御仁からそのビジネスを奨められた訳では決してない。
同じくして、三方良しの理念についての記述があった。それはビジネスに対する御仁の信念を露吐したに過ぎなかろう。『三方良し』は、近江商人の商人道と広く解されている。
混迷する世情に鑑みて、来るべき時、究極のマイクロビジネスとしてネットによるダイレクトレスポンスマーケッティングの本格的必要性を痛感していたので、『少し、お手伝いできるかも知れません。』と応じたのは、当方である。
<東海アマさんのツイッターで知った:記事に無関係>
しかも、『三方両得どっとコム』というドメインと、サイト構築を済ませてある。すでに広島の知人の知遇を得て、サブドメインに『麺と出汁』がtake offしている。要するにラーメンの本格麺と出汁専門のサイトショップである。生憎とトッピングに眼鏡に叶ったものが見つかっていなかったこともあろう。乗り気を見せたのは当方であった。
従って、件の御仁が、ふるいちまゆみさんを利用して、当方に与したと言うことは真実に反する。素直に出会いを感謝を持って報告したものと解している。これは断言できる。今、その取引態様を確立している訳ではない。まだ、一部のインフラ整備が十分ではないからだ。又、イベリコ豚に関する勉強も充分ではない。
そんな中で、行き違いが生じたものと想われる。
これは、曲解であろうと感じていた。曲解、すなわち、曲がって理解が行われたのであろうと考えられた。しかし、事は一層深刻さを増していくように想われた。しばらく、我慢した。火中にクリを拾う愚かさは自重していた。
ある朝、突然、一筆認めたのが、当該掲載記事である。あまりに曲解が過ぎると感じたからである。真実が正しく認識されていないと感じたからである。取るに足らない事案が、かくも大きく妄想される必要はあるまいと感じたからである。
<東海アマさんのツイッターで知った:記事に無関係>
当方に知らされていない事態があったかも知れぬ。それには言及する資格も意図もない。人間関係に於いて、それぞれ、思想信条の違いもあろうが、それぞれの繋がりはそれぞれに縁を得て繋がるものである。一方が、片方を評価しても詮無い話だ。
一方が繋がり、一方が切れるというのは、その間にある者としては、狼狽する。それはたまらなく哀しい限りである。そこで記事掲載となった。諫言調で、ある者はけんか腰と捉えられたかも知れないが、それは本意ではない。
冒頭にも書いてあるように『ふるいちまゆみさんは、尊敬するお方だ。それは今でも変わらない。』は、一貫した心情である。
批判、諫言は親しく感ずるからするのである。そうでなければ、無視だ。子どもは叱られたら、世界を失ったように感ずるかも知れないが、大人はそうはならない。それは自我が確立しているからである。個性を認め合うことが出来るからである。
<東海アマさんのツイッターで知った:記事に無関係>
批判は、個性を認め合うことが出来る中に於いて成立すると思っている。非難は峻拒する。『純粋理性批判』も批判ではないか? 哲学とは批判である。理知は批判する。考えると言うことは批判である。
決して、非難ではない。批判は冷静に検討することを言う。言い回しではない。
願わくば、縁ある人々が非難合戦に浮き身をやつすことなく、一層の結びを強めていく事こそ、本来の人間のあり方であろうと想う。
これにて、この件には、もう、触れない!