飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!51

2010-10-25 15:12:56 | 123

前回に引き続き、日航機123便生存者数疑惑の真相を追う。
想像通り、新たな情報の追加があった!!
当然のことだ。
国内拉致疑惑事件でもある可能性がある。
問題は、北朝鮮拉致事件より深刻である!
国内の得体の知れない闇機関が介在しているとしたら・・・・・!


 一体、このような驚愕の事実を誰も信じようとはすまい。信じるか信じないかではないのだ。事実が存在するかどうかである。そこから真実が見えてくる。

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<既載の写真>


 真実は、信ずる信じないの問題ではない。そこに在るかどうかである。不都合とかどうかは関係ない。不都合な者は、真実を避けたい理由がある。偽善があるからだ。

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<優しく抱き上げる隊員の心情が伝わる写真:とても遺体ではない。>


 その時、初めて真相が見えてくる。真相は大事だ。人間は真相に生きる者だからである。偽相(造語)に生きるものも在ろう。それは残念ながら、自由だ。しかし、与したくない。真相にしか、真理は輝かないからである。生きて屍になるつもりはない。


 さて、『謎の男の子』の写真は、相当に衝撃的なものだ。他のブログでも追随してきている。結構なことだ。勝手に転載する。

Photo

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<これは誰だ?成人男性!? 救出の写真だ!?>


 そして、その生存者は『謎の男の子』ばかりではない。それも各方面に囁かれていたことでもある。しかし、世間は証拠を求める。当然と言えば当然だが、信ずるか信じないかで云えば、そんな話ではない。事故直後、200人近くは生存したと云うことになっている。その傍証は在る。


 その傍証は、生存者の一人・落合由美さんの証言 を仔細に読むと分かる人には分かる。それだけではない。驚くべき凄惨な情況が繰り広げられた形跡が在るが、長くなるので割愛する。既に、その一端には触れた事がある。つまり、簡単に言うと、殺されたのである。


 この点については、後編で深く追求するつもりでいる。出来ればの話であるが・・・・・。先ずは、それに洩れて、生存していた4人、さらに4人がいたという事実は、何としても真実を追究することが求められる。

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<長野県警レスキュー隊の写真>

 本稿は、洩れ伝わる情報を丹念に繋ぐ作業で公開している。余りにも断片的である。しかし、断片的であれ、繋ぎ合わせると真相が垣間見える。真実は隠しおおせるものではないのだ。真理は常に真実を照らし、顕すものだからである。その前に、恐れる必要もたじろぐ事も許されない。それが人間である。


 これは勘であるが、これからますます真実は広く顕れるであろう。確信している。


【転載開始】生存者の一人・落合由美さんの証言

    <前半省略>全部読む

 衝撃は一度感じただけです。いっぺんにいろんなことが起きた、という印象しか残っていません。回転したという感じはありません。投げだされたような感じ です。衝撃のあとも安全姿勢をとっていなければいけないのですが、私はもう怖くて、顔をあげた。その途端、顔にいろんなものがぶつかってきました。固いも の、砂のようなものがいっぺんに、です。音は、まったく記憶にありません。音も衝撃も何もかもが一度に起きたのです。

 衝撃が終わったあとは、わーっと埃が舞っているようでした。目の前は、もやーっとしているだけです。墜落だ、と思いました。大変な事故を起こしたんだな、と思ったのは、このときでした。


 すごく臭かった。機械の匂いです。油っぽいというより、機械室に入ったときに感じるような機械の匂いです。

 体は、ちょうど座席に座っているような姿勢です。左手と両脚は何か固いものにはさまれていて、動かせません。足裏は何かに触っていました。それほどの痛みはなく、もうぐったりしているという感じです。

 目には砂がいっぱい入っていて、とくに左の目が飛び出してしまったように、とても熱く感じました。失明するだろうな、と思っていました。これはあとで知 らされたのですが、左右どちらかわかりませんが、コンタクト・レンズがどこかへ飛んでしまったのか、なくなっていました。すぐに目の前に何かあるんです が、ぼやーっとしか見えません。灰色っぽい、夕方の感じなのです。耳にも砂が入っていたので、周囲の物音もはっきりとは聞こえていなかったのではないかと 思います。


 呼吸は苦しいというよりも、ただ、はあはあ、とするだけです。死んでいく直前なのだ、とぼんやり思っていました。ぐったりして、そのとき考えたのは、早 く楽になりたいな、ということです。死んだほうがましだな、思って、私は舌を強く噛みました。苦しみたくない、という一心でした。しかし、痛くて、強くは 噛めないのです。


 墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。

 「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。
 次に気がついたときは、あたりはもう暗くなっていました。どのくらい時間がたったのか、わかりません。すぐ目の前に座席の背とかテーブルのような陰がぼ んやり見えます。私は座ったまま、いろんなものより一段低いところに埋まっているような状態でした。左の顔と頬のあたりに、たぶんとなりに座っていたKさ んだと思いますが、寄りかかるように触っているのを感じました。すでに息はしていません。冷たくなっていました。

 シート・ベルトはしたままだったので、それがだんだんくいこんできて、苦しかった。右手を使って、ベルトをはずしました。動かせたのは右手でけです。頭 の上の隙間は、右手が自由に出せる程度でしたから、そんなに小さくはなかったと思います。右手を顔の前に伸ばして、何か固いものがあったたので、どかそう と思って、押してみたのですが、動く気配もありません。それを避けて、さらに手を伸ばしたら、やはり椅子にならぶようにして、三人くらいの方の頭に触れま した。パーマをかけた長めの髪でしたから、女性だったのでしょう。冷たくなっている感じでしたが、怖さは全然ありません。


 どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのがはっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。


 それからまた、どれほどの時間が過ぎたのかわかりません。意識がときどき薄れたようになるのです。寒くはありません。体はむしろ熱く感じていました。私はときどき頭の上の隙間から右手を伸ばして、冷たい空気にあたりました。


       突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、それははっきり聞こえました。しかし、さっき「おかあさーん」と言った男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。
 私はただぐったりしたまま、荒い息遣いや、どこからともなく聞こえてくる声を聞いているしかできませんでした。もう機械の匂いはしません。私自身が出血している感じもなかったし、血の匂いも感じませんでした。吐いたりもしませんでした。

 やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助か る、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助け て」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。

 このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。

 体は熱く、また右手を伸ばして冷たい風にあたりながら、真暗ななかで、私はぼんやり考えていました。私がこのまま死んだら主人はかわいそうだな、など と。父のことも考えました。母親が三年前に亡くなっているのですが、そのあとで私が死んだら、とても不幸だ、と。母は私がスチュワーデスになったとき、 「もしものことがあったときは、スチュワーデスは一番最後に逃げることになっているんでしょ。そんなこと、あなたに勤まるの?」と、いくらかあきれた口調 で言っていたものです。それからまた、どうして墜落したんだろう、ということも考えました。時間がもう一度もどってくれないかなあ、そうすれば今度は失敗 しないで、もっとうまくできるのに。いろんなことが次々と頭に浮かびました。


 涙は出ません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じは、もうだれにもさせたくないな。そんなことも考えていました。そして、また意識が薄れていきました。


 気がつくと、あたりはあかるかった。物音は何も聞こえません。まったく静かになっていました。生きているのは私だけかな、と思いました。でも、声を出し てみたんです。「がんばりましょう」という言葉が自然と出てきました。返事はありません。「はあはあ」いう荒い息遣いも、もう聞こえませんでした。

 あとで吉崎さん母子や川上慶子ちゃんが助かったと聞きましたが、このときにはその気配を感じませんでした。たぶん、それから私は眠ったのだと思います。

 風をすごく感じたのです。木の屑やワラのようなものが、バーッと飛んできて、顔にあたるのを感じました。はっと気がついたら、ヘリコプターの音がすぐそ ばで聞こえる。何も見えません。でも、あかるい光が目の前にあふれていました。朝の光ではなくて、もっとあかるい光です。

 すぐ近くで「手を振ってくれ」だったか「手をあげてくれ」という声が聞こえたのです。だれかを救出している声なのか、呼びかけている声なのか、わかりません。私は右手を伸ばして、振りました。「もういい、もういい」「すぐ行くから」と言われました。

 そのすぐあとで、私は意識を失ったようです。朦朧としながら、ああ、助かったな、助かったんだ、とぼんやり考えていました。どうやって埋まったなかから救出されたのか、どうやって運ばれたのか、まったく覚えていません。

 体の痛みも、空腹も感じませんでした。ただ、喉が渇いたのを覚えています。カラカラでした。お水が飲みたい、お水が飲みたい、と言っていたというのです が、私は記憶していないのです。応急処置をしてくれた前橋の日赤病院の婦長さんが、あとで「あのときは打ちどころがわるかったらりするといけないから、あ げられなかったのよ」といわれましたが、水を飲みたいと言ったことはまったく覚えていないのです。

 目を開けたら、病院でした。お医者さんから「ここはどこだか、わかりますか」と聞かれて、奇妙な返事をしました。「はい、二、三回きたことがありま す」って。そんな馬鹿な、と自分では思っているのですが、わかっていながら、そんなふうに答えていました。頭がおかしいんです。でも、電話番号は正確に答 えていました。「ここは群馬県だよ」とお医者さんは言いました。どうして群馬県にいるんだろう、と思いました。それで、あ、あのとき飛行機が落ちて、そこ からきっと群馬県が近いんだな、とだんだん考えるようになりました。


 家族がきていると教えられたとき、えーっ、と思いました。飛行機がおちたことはわかっているのですが、どうしてここまで家族がきているのだろうと、不思議で仕方ありませんでした。現実感がなかなかとりもどせないのです。

 たぶん、このときだったと思いますが、「何人助かったんですか」と聞きました。お医者さんが「四人だよ。全部女の人ばかり」と教えてくさいました。それ しか助からなかったんですか、と思いながら、「へえーっ」と言いました。大変な事故を起こしてしまったんだと、また感じました。

 天井しか見えませんでした。酸素マスクをして、じっと天井を見ながら、一緒に千歳からもどってきて、同じ飛行機に乗った松本さんはどうなったのだろう、 と考えました。私もほんとうはもう助からなくて、死んでいくところなんだ、などとも考えていました。百幾針も縫ったのに、痛みは感じません。麻酔をしてい たせいだと思いますが、でも、あとで看護婦さんに聞くと、「痛い、痛い」と言っていたようです。


 救出された日の午後3時過ぎ、夫と父と叔父が病室に入ってきました。私は「四人しか・・・・・」と口にしたのですが、夫はすぐに「しゃべらなくていいから」といいました。

   


   

落合由美さんは日本航空のアシスタントパーサー。当日は非番で123便に乗り合せていました。 

                                                                                                   
            
日航123便の機内の様子 写真提供・遺族の小川領一さん【転載終了】

 


    JAL123便 御巣鷹の尾根の『小さいジェットエンジン』
http://www.youtube.com/user/123ja8119osutaka#p/u/7/U0ICeKHZTx0
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【転載開始】

日航機墜落事故翌日の朝日新聞夕刊トップ記事は「生存者8人」
朝日新聞8月13日の夕刊最終版4版一面トップの見出しは「生存者8人」

JAL日航ジャンボ123便の事故生存者は4人。
落合由美さん、川上慶子さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの親子の4人。

しかしそれ以外に4人の生存者がいたらしいが、4人の生存者がいたとされる証拠はなかった。

日航機墜落事故現場にいた7~8歳くらいの男の子、元気でいた女の子、中学生くらいの男の子、20代の男。

しかし、事故があったその日以降、発見された4人の情報は途絶した。

10月21日に阿修羅に掲載された写真(JAL日航ジャンボ123便 生存者の男の子)は大きな波紋を広げる。

阿修羅に掲載された男の子の写真は他に生存者がいたという明らかな証拠となる。

そして写真の男の子の名前が分かればその証拠は不動のものとなる。

その20代の男か?
http://blogs.yahoo.co.jp/mvbzx0147/archive/2009/10/11
M氏[11]:ボクが見た負傷者の中に、指先が1本ちぎれただけの男の人がいました。
「この程度なら死ぬことはないな」と思い、救助活動(隊員への声かけ)を後回しにしたのをはっきりと覚えています。あの人がどうなったのか、ボクにも分かりません。

http://planz.blog62.fc2.com/blog-entry-175.html

123氏のコメント抜粋

サソウ様の証言につきまして。 (123)
2009-08-11 02:59:58
殺された元日航サソウ様ですが、他に以下の情報を喫茶店
  でお会いしてうかが っております。

・生存者の4人のほかにもう一人生存者がいて、ピンピンし
   ていたため捕らえられ、007便のマクドナルト上院議員
   のように監禁されている。

日航ジャンボ123便にオレンジ色の核ミサイルが刺さっていた証言をしていたサソウ様が死去 (123)
2009-08-11 02:51:12
日航ジャンボにオレンジ色の物体が刺さっていた証言をし  ていたサソウ様が死去しました。というか殺されました。
当時日航の方で、社内情報のリークをされておられました。

何で美谷島様がテレビで鳴いていたのでしょうか (123)
2009-09-24 16:33:56
ご遺族と接触されてみればよいのではないでしょうか。ご遺族は当然、理解しております。
国の隠蔽部隊に取り囲まれ、発言できない環境にあります。
先日、美谷島様がNHKニュースに出ていましたが、泣き崩れていました。
この意味をよく考えていただきたいと切に願います。健君9歳自体、助かっていたかもしれません。

今日の朝日新聞に美谷島さんの記事が出ています。 (123)
2009-10-17 11:19:34
天下の朝日新聞が123 便の美谷島さんの写真まで入った記事を出している、という意味は、世界権力の上野
(の;転載者注)ほうでは123便の真実をそろそろ公表しましょうね、という意図になります。

中曽根・KY晋ちゃん、の団体等の実行部隊が必死に抵抗しているようです。困った人たちです。

見えてくるのは通貨の暴力性 (123)
2009-11-11 16:12:52
いずれにせよ、123便事件で最終的に見えてくるのは通貨の暴力性です。

通貨が起こした事件と言えます。

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女の子の生存者


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【転載終了】

 


「10・24検察・検審を糾弾するデモ」の模様!!

2010-10-25 12:55:15 | 小沢 一郎

一政治家のために 、一政治家に関わる事件のために
デモが行われたことが、かつてあっただろうか?
攻撃しようとする為にするデモは在ったかも知れない!
擁護するデモは前代未聞である!!
そこに今の日本の異常な現状がある・・・・!


 自然発生的なものである。ずっとフォーカスしていたからその事は証明出来る。一度として、デモなど参加した経験のない投稿者も、是非とも、出来れば参加したかった。たまたま、都合が許さなかったので、出来なかった。

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 しかし、フォーカスを欠かしたことはない。全く、自然発生的なものであった。あの薄汚れた似非右翼の下品な動員デモとは、次元が違う。品性が違う。人品が違う。品格が違う。


 案の定、メディアは完全スルーした。知られたくないのだ。知らしむべからずなのだ。たかが、1000人かも知れない。されど1000人である。心根を同じくした者は、おそらく、その100倍あるだろう。だから、10万人規模デモに匹敵する。何故なら、これから、ネットデモが行われる。

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 日当を払い、交通費を賄う似非右翼の工作デモとは大幅に違うのである。


 早速、拡散する。ユーストリームも公開されたので、併せて、拡散する。日は違えども、我々もデモ参加者である。既に、多くのブログに取り上げられている。これからはブログデモが開始される。リンクフリー・転載フリーは元々だが、取り分け、このデモは大いに拡散されたい。


 ブログデモはこれから始まる!!



「10・24検察・検審を糾弾するデモ」の模様
http://twitcasting.tv/to_be_real/movie/630587#
。<script type="text/javascript" src="http://twitcasting.tv/to_be_real/embed/630587-480"></script>。
【APF SP】「検察・検審の横暴を許すな!」 ツイッターで呼びかけ約1000人が都内でデモ行進
http://www.ustream.tv/recorded/10392707
。</object>。

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<写真はすべてyamajitoruさんのアルバムより、無断転載:抗議があれば消去>