飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

人類本質文明は是か非か?

2011-06-28 21:49:32 | エッセイ風

書くことはありすぎるが、
どうにも筆が進まないというか、
キーボードが叩けない時がある。
叩いても、叩いても歿になる、してしまう
下書きばかりが容量を占めていく・・・・・。



 そう言う時って、あると思う
 展望が見えてこないのだ



 そんな時、
 ふと
 サーフィンをする
 ブログサーフィンをする


 

 人間を信じているのだが、
 何となく鬱屈した
 気分になる
 それは
 分かり切った
 繰り返しの欺瞞と策略
 そして、
 闘争・・・・・


 
 地震だの放射能
 政争
 怠慢
 猿芝居

 
 もう、書き飽きた
 という気分だ


 
 
 しかし、本質はどうか?
 人間の文明の本質は
 是か非か


 

 そんな時、
 そうだ、縄文の永き時は戦争、闘争はなかった
 憶いだした
 
上古代、大上古代確かになかった


 
 高天原の時代は確かに存在する
 別に天国の話ではない
 日本の上古代の話である


 
 天浮舟、縄文土器の時代
 争いはない
 インディアンも
 日本から派生した人々だ
 インカ・マヤ・アステカ・・・



 同じく言語を共有し
 理念と自然を共有し
 遍く世界に散った時代が
 確かに存在する



 それは
 単なる空想か?
 そうではない
 何も証拠が存在しないが
 自然と共生していれば
 何も残らない 



 その時は
 真の平和であった


 
 それはあり得る
 平和な時は
 何も残らない
 唯一残るのは
 土器くらいなものだ


 
 
 言葉も
 理念も
 情愛も
 理想も
 残りはしない



 それらは
 近代悉く淘汰された
 インディアンも
 マヤも
 インカ
 アステカも



 残るは
 日本だけだ


 
 そんな確信を抱かせる
 文章を転載して
 穴を埋め合わせることとしよう



Chief Joseph Speech - Nez Perce
http://youtu.be/WEMdN_4GAs4



 


【転載開始】2011-06-27 11:05:55

人類本質文明

歴史を学ぶと人の考えがよくわかる。
世界の歴史からごっそり抜けてしまった重要な歴史が数多くある。
歴史が勝者の記録である以上、それは想定できるものだが、
あまりにあまり、、という代表は縄文時代である。
土を掘り起こした中から色々な物が出てくる古代文明も
大したものかもしれないが、ほんとうにすごい文明は
土の中からはほとんど何も出てこない。
自然一体型の文明はすべてを土に戻していただろうから。
掘り起こした中から何か色々と出てくる文明が
優れていたわけではないのだ。そのことに多くの人は気づかない。
歴史学の大きな決定的な間違いは、人類史のスタート、
そして文明の中心を縄文時代としないことだ。

確かに教科書には縄文時代は出てくるが、
1万年以上つづいた人類最古の文明に対する尊敬も重要視もしない。
事実は隠せないと、かろうじてあげる程度。おお昔の石器時代との
流れで軽く扱いたがる。今なを、縄文を軽視する風潮はつづいている。
まして、白人世界では縄文に目をやることはおそらく
タブーになっているのだろう。ここに業を負ってしまった人類の姿が
垣間見れる。あらゆるコンプレックスの根底にあるものは、
縄文の否定から訪れることを私は感じる。
武器をもたざるを得ない人類、、金儲けをせざるを得ない人類、、、
権力を志向せざるを得ない人類、、自然を荒らさざるを得ない人類、、、
これらのコンプレックスの現れは、一言で縄文の否定からきている。
事実の否定には必ずコンプレックスと弁解が生じる。
それが争いであり宗教なのだ。

1万年以上の間、一切の戦争がなかった縄文の時代。
すべてを土に戻し、あの世とこの世との和解を
成立させていた偉大な文明。完全な循環型文明は地球が
命であることを知り、命と一体になって暮らした、
間違いのないユートピアだった。そしてエジプトから始まった
歴史の流れを唯一凌駕するこの縄文を認めることは、
権力機構重視の現代人にはできまい。
それをしたら自分らの存在の本質的基盤を失うことになるからだ。
ことに白人はそうだろう。世界の悲惨な歴史のすべては、
その本質を、この縄文と縄文的なるものの否定から発生している。

エジプトから始まった文明の流れは最終的に縄文を滅ぼしたので、
歴史と人類の中心的な力はどうしても力に行きつく。
権力とテクノロジーである。縄文を肯定すると彼らは自らのよって
立つ基盤を失うので、それはできない。歴史とは、
縄文憎しのコンプレックスが巻き起こしたものと考えてよい。
世界の縄文的なものは武器によって滅ぼされたが、
唯一日本においては、生き残りのために縄文は自ら変革を遂げ、
弥生時代を通して融和と生き残りを図った。
それが今の日本人となるのだが、今なを、日本を二分するように
東京から以北と以南とではその体質を分けている。
それは縄文変革における際に生じた指向性の違いだろう。
東北の人はより濃く縄文の魂を残した。
そう考えるといまだなを続く縄文否定の争いが続いていることになる。
今回の震災も当然この流れからとらえることができる。
しかし面白いのは、命の根源を失えば、すべてが死に絶えるわけで、
歴史もついにそこまで来たか、、の最終場面とも考えられる。
最終の力学は何かというと、悪は最後は狂気に至る宿命がある。
経済の最終場面が一人勝ち経済では、
民衆に金がなくなり消費が減り、経済が成り立たなくなる
現象を生むように、最大欲は最大無欲で終焉する。
これが悪の狂気の宿命となる。縄文最後の砦である東北の
崩壊の持つ意味は人類史の最終場面が近づきつつあることのあかしなのだ。

今回の震災と今なを続く原発危機により、
縄文遺伝子は復活する流れが生まれる。
そこには必ず母音発生が伴っている。子音優位の神々は
さらに地上を荒らしまくるだろうが、息の長い母音に乗った
幾多の人間の思いが人間と地球に力を与える。
愛する者に、愛する地球に、
あーっ  おーっ  そーっ  ねーっ  と、
ゆっくりゆっくり伸ばす音で声をかける。思いをかける。
深い感情を乗せた母音が何を引き起こすか、、、縄文の復活をもたらす。
 テクノロジーの争いも最後は霊の戦いとなる。
奪われたインディアン、奪われた幾多の原住民、
奪われた幾多の奴隷たち、奪われた幾多の乙女、
奪われた幾多の幼い命、、、、その悲劇を見つめてきた地上。
その思いと共振する音がきっとある。それは原理の音とは違う。
思いが乗せられた音であり、個にしか出せない音なのだ。
それがないので私たちは負けてしまった。

 恋人にはどういう声で話せばいいのか、、、
 愛する子に語るその声は間違ってはいないか、、、
 大地や川や海、植物にあなたは声をかけてきた    か、、、

縄文を復活させ、その命を守るとはどういうことか。
それは政府が行うことでも組織が行うことでも、
宗教が行うことでもない。あなたひとりにしかできないこと。
あなたの霊的な態度が、原理的オカルトの力に勝てる唯一のものなのだ。【転載終了】