飄(つむじ風)

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魂の法則・・・その⑳ 「愛の法則」から見た病気

2013-06-22 08:34:00 | 魂の法則

本章は、実用偏だ!
病気には理由がある?!
愛の法則から観た、病気の理由・・・。
生命エネルギーの偏在と応用?!
レイキの創始は、日本人、臼井 甕男(うすい みかお)氏だ!!

 

 魂の存在が、全てである。

 お復習いしておこう。魂の本体は、霊体、メンタル体、アストラル体と著者は書いている。そして、肉体を支配している存在だ。肉体は、その乗り物(舟)に過ぎない。

 生命エネルギーは、魂の本体(霊体)から流れいずる。又、生命エネルギーは宇宙に偏在する。レイキ(霊気)は、その生命エネルギーを集中して注ぐことであろう。気功やプラーナなども同様のものだ。

 

転載開始】ウィキペディアより

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臼井 甕男(うすい みかお、1865年8月15日 - 1926年3月9日)は、現在レイキとして世界中に広まっている手当て療法を中心とした民間療法の一種「臼井靈氣療法」(臼井霊気療法)の創始者である。

 

生誕地は、岐阜県山県郡谷合村(現在の岐阜県山県市)である。

職業は、公務員会社員実業家新聞記者、政治家秘書などさまざまに経験する。

その体験から「人生の目的とは何か」という大命題の探求から、の道に入り、真の悟りともいえる安心立命(あんじんりゅうめい)の境地を目指し修行するも、どうしても悟りを得られず、悩みぬいた末にの師に相談したところ、

「それなら一度死んでごらん」

と答えられ、「自分の人生も、もはやこれまで」という覚悟を決め、1922年春(3月または4月と、文献によって記載が異なる)に京都の鞍馬山にこもって断食を始める。修行のための断食と言うよりは、死を覚悟してのものだったらしい。

断食に入り3週間目の真夜中ごろ、脳の中心部あたりに落雷をうけたような激烈な衝撃を感じ、そのまま意識不明の状態に陥る。 数時間後、ふと気がつくと夜が明け始めた頃で、心身爽快な気分に満ちて目覚め、その衝撃のときに感じたエネルギーが心身を貫き、体内との共鳴、一体感を達 成し、求めていた悟りの境地を完成したことを知る。

悟りが得られたことに喜び勇んで山を降りる途中、石につまづき足の指の爪がはがれ、思わず手を当てたところ痛みが去り、血が止まり即座に治癒してし まったという。そして、山のふもとまで降りてくると、小さな食堂があり、主人が止めるのも聞かず腹いっぱい食べた。主人の孫娘が顔が腫れるほどのひどい虫 歯で、頬に手を当てるとたちどころに痛みが引いた。さらに、家族にも試したところ即効的な効果があり、「広く世の中の人にこの力の恩恵を与えたい」との思 いから、工夫研究の結果、この能力を他人に伝授し、心身改善に活用する方法を見出す。これが臼井霊気療法という手当て療法の始まりとされる。

1922年4月に指導法などを定めた上で臼井霊気療法学会を設立する。【転載終了】


 病気の原因は様々である。今、ほとんどは唯物科学であるから、その原因を問うにも限界がある。心身症など、黎明は見えるが、心理学に基づくもので、究極は脳科学の物質論に終始する。

 精神病などは、最も悲惨な取り扱いの極みだ。そして、次々に拡大生産されている。強力な向精神薬の犠牲者達が増加している。


  日本語は便利である。『病気』とは、気が病む(止む)と書いてある。元気は元の気が充満している状態を表しているのであろう。であるから、何かしら生命エネルギーに関して、なじみがある。

 手当とか、気力とか、合気道とか、日常的に使われていることからも分かることだ。しかし、論理的に知ることはさらに有意義だ。

 何故、気が病む(止む)のか?

 そして、そのメカニズムについての解説は、斬新だ。改めて、愛の法則に基づき見直すことで、再生の道を見いだす方も多いだろう。その意味で、実用的な章である。

 又、著者は、「愛の法則」から見た病気についての指導も、講演等で展開されている模様である

 

 尚、全文を読むには、日本語サイト:http://tamashiinohousoku.blogspot.com.esで、ダウンロードできる。

 

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題名: 「魂の法則」
スペイン語原題: “LAS LEYES ESPIRITUALES”
著者: Vicent Guillem Primo ヴィセント ギリェム・プリモ
邦訳: 小坂 真理
知的財産権登録番号 V-2095-08 (Valencia, España)
Copyright © 2008 Vicent Guillem Primo
Japanese Translation Copyright © 2013 Mari Kosaka
ホームページ: http://lasleyesespirituales.blogspot.com.es/
日本語サイト:http://tamashiinohousoku.blogspot.com.es
メールアドレス:tamashiinohousoku@gmail.com

 

Photohttp://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.es_ES

 

「魂の法則」 by Vicent Guillem is licensed under aCreative Commons Reconocimiento-NoComercial-SinObraDerivada 3.0 Unported License. Creado a partir de la obra enhttp://lasleyesespirituales.blogspot.com.es/.
本書に修正を加えず営利目的にしない条件で、現在利用可能な全ての媒体によって、本書全体またはその一部の複製を許可するものとする。

 

【本文転載その⑳開始】

 

「愛の法則」から見た病気

*肉体的な病は、特定の感情やそれを抑圧することと関係がある、と何度も言われましたが、それを掘り下げてみたいのですが。

 そう、感情を黙殺してしまったがために魂が病気になった人は多く、魂が病気になると、肉体も魂と緊密に結びついているので、病気になってしまうのだ。

*肉体的な病気が、感情面に起因しているのですか。

 その通りだ。君たちの世界では感情を抑圧することが、精神的にも肉体的にも病気の最大の原因となっている。

*精神病に関してならそれに同意できるのですが、癌はどうでしょうか。癌は遺伝子の異常で起こる、と科学的に証明されませんでしたか。

 遺伝子の異常は癌の全てのケースに認められるが、多くの場合、それが最初の要因ではない。

*では、最初の要因は何ですか。

 話した通り、原因は精神的なもので、霊的内面を抑圧したことと関連がある。

 人は感情に従って生きて行動しなければ、内部に深い不快感が生じて苦しむのだ。それが、怖れ・憤り・憎しみ・悲しみといった精神的に有害な「エゴ的感情」を生み出し、それらが病気の原因となるのだ。

 直面できないような困難な状況に出会うと、それが外因となって、不快感が増長される場合がある。そうなった状態を感情的トラウマと呼ぶとしょう。

*感情的な不快感はどのように肉体に影響し、最後に病気となってしまうのですか。

 精神的に調子が悪い時には、霊体とメンタル体との間でショートが起きていて、それがエネルギー体もしくはアストラル体に伝達されて、その構造を乱してしまい、波動を下げてしまう。

 この「エネルギー低下」は、送電系の一部が停電したように、アストラル体の特定の箇所に影響してしまい、そこと繋がっている身体の部分にきちんと活力を与えられなくなってしまう。こうして生命エネルギーが不足して活力をなくした領域が、身体の他の部分と連動しなくなり、その結果、活力を失った細胞組織は、他と調和して機能できなくなってしまう。

 エネルギーの供給が途絶えると、通常の細胞機能はその影響を被り、遺伝子異常が起こり始め、細胞が破壊されて進行性の病となったり、細胞が制御不能なほど増殖し始めて癌を発生させる。

*この話は、アストラル体について話していた時に推薦下さった、物理学者バーバラ・アン・ブレナンの著書、「光の手」と「癒しの光」の中で、病気ついて書いてあったことを思い出させます。

 彼女によると、精神的・感情的な問題は、暗いまたはくすんだ色合いの部位としてアストラル体に現われ出て、その原因は、当事者が抱いていた否定的な考えに根づいているとのことです。これが消えずにアストラル体に留まってしまうと、当人の肉体にも遅かれ早かれそれが顕現して、病気を引き起こすのだそうです。それでは、これは正しいのですか。

 まさにその通りだ。

*新ドイツ医学を宣言したドイツの医師、ライク・ゲールト・ハマー(Ryke Geerd Hamer)の推論も思い出されます。

 ハマー医師によれば、癌やそれと同等な病気は全て、独りで経験しなければならなかった極度の感情的トラウマから発症するそうです。そして、トラウマの種類によって、癌が発症する器官が異なるそうです。それに、感情の葛藤があると先ず脳に影響して、そこで一種のショートを起こし、それから、その脳の部位に対応していた肉体領域が病気になるとのことです。また、原因となった感情的トラウマを解消すれば病気が治癒する、と主張しているのですが、この医師の言っていることは正しいのでしょうか。

 100%ではないが、彼が言っていることはかなり正しい。全ての病気が感情的葛藤から生まれる訳ではないのだが、大半はそうなのだ。

*では、感情の葛藤を解消すれば病気を治せる、ということについてはどうですか。

 それは正論だが、葛藤を解決できるためには、本人にかなり深い変化が起こらねばならない。「エゴ的感情」にしがみついたままで、感情を抑圧し続ければ、一つの病気が治っても、また別の病気になる。それは、特定の葛藤を解消できたとしても、同じような「エゴ的感情」を引き起こす別の葛藤が再び現れてしまうからなのだ。こうして病気の根本的な原因に行き当たる訳だ。

 本当に病気を発病させる原因とは、我欲とその顕現形態なのだ。そして、治癒効果があり健康にするのは、愛とそれを表現することなのだ。これは、確実に断言できることだ。

*しかし僕たちには、大なり小なり、そういうことが起こるのではないでしょうか。つまり、ほとんどの人に、憤りや悲しみや攻撃欲を目覚めさせて不機嫌にさせるような物事が、人生では色々と起こるのではないでしょうか。

 僕は、感情の抑圧についての説明がかなり自分に当てはまると思いましたが、癌に罹っていないのはなぜでしょう。

 確かに、君たちは時々病気になるのだが、癌のように本当に重い病に罹るには、感情的な不快感に「囚われて」いなければならない。囚われるというのは、不快感が恒常的な固定観念に変わり、「エゴ的感情」に支配されるがままとなり、相当長い期間そのままの状態でいるという意味だ。長いこと、眠りの妨げとなる場合もある。

 また、そういう感情を発散させたり表現する、全ての手段を抑制した場合である。

*では、癌になり易い性格というのがあるのですか。

 そうだ。「エゴ的感情」(憤り・憎しみ・悲しみ・怖れ)に流される人と、感情の授受や表現が抑圧されていると感じている人だ。

*それなら、病気は、物事に正しく対処しなかった罰だという結論になりませんか。

 罰ではなく、内的な感情的苦痛の結果である。

 病気を生み出すのは当人であり、癒せるのも当人である。そのために、魂の本当の姿を抑圧せずに表明して、我欲から愛へと自分自身を変化させるのだ。

*でも、もう苦しんでいるのに、そのような重い病になることには、どういう意味があるのですか。苦しむだけで充分ではないですか。

 肉体の不快感は、内面の不快感の反映だということに気づきなさい。
この場合、肉体的な病気は、当人に内面の病を気づかせ、変化を促すためのアラーム音のように作用する。

*でも当人が、肉体的な病気が内面の病と関係していると連想できなければ、どう自己変革できるというのですか。

 肉体的な病気は、内なる魂を出現させまいとする頭脳の防壁を弱めるので、自己の感情のみならず、他者の感情や苦悩についての感知力が高まるのだ。そして、これが、人に変化を促すのだ。

*自分が変われば、病気は治るのでしょうか。

 大半は治るが、全てのケースがそうではない。肉体レベルで修復不能な病害もあるのだ。

*治らない人達は、死んでしまうこともあるのですか。

 そういうことになる。

*自分を変えても治らずに、どうせ死んでしまうのなら、病気にどういう意味があるのですか。

 霊的視点では、肉体の命は本当の命のほんの一瞬に過ぎず、肉体の死は終わりでも悪いことでもなく、より制限のない別次元への移行期だということを思い出すのだ。

 病気は、人がより高次の理解・愛・叡智へと進歩するために役立つ手段なのだ。すでに述べたように、肉体の病は、内面の感受性の表現を妨げる頭脳の障壁を弱めるので、実のところ、進化に寄与するのだ。

 人が、愛における進化で成し遂げた変化は、失われることがない。どこに行こうと、自分と一緒に持って行ける。これは、人生で得られるものの中では、最も貴重なものだ。生涯を通しての目標に掲げることができ、もしそれを達成できたとしたら、魂は自分の仕事に満足して、穏やかに霊界に戻ることができるのだ。実際、自分の魂に成し得た変化だけが、死ぬ時に持って行ける唯一のものだ。なぜなら、物的な成果は全て、物質界に残るのだ。

 イエスの次の言葉はそれに言及しているのだ。

「自分の宝を地上に積むのはやめなさい。そこでは、虫とさびでキズ物になり、また盗人が忍び込んで盗み出したりする。自分の宝は、天に蓄えなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が忍び込んで盗むこともない。自分の宝のあるところに、自分の心もあるからだ」(マタイ6・19~21)

*でも、死んでしまったら、学んだことをどう実践できるのですか。

 魂は体に宿っていようと離れていようと、生き続けるのだと気づくのだ。どちらの場合でも、学んだことは魂の一部となり、継続して進化していく役に立つ。

 *でも、家族や愛する人達はどうなるのですか。過酷な病気になって、必死に頑張って自分も変えたのに、その上、愛する人も失ってしまうのは、ショックが大き過ぎやしませんか。

 病気であろうと自然死であろうと、愛する者たちとの別離は一時的なものだ。向こう側では、我々は皆、愛する者と再会できる。

 物質界に生まれ出る時には、その転生で一緒に生まれ出ない愛する者たちと、同じように別れてやって来るのだと気づくのだ。しかし、彼らにとっては、それはトラウマとはならない。一時的な別離だと分かっているし、生まれ変わる魂は霊的に進歩するためにそうするのだと理解しているからだ。そのため彼らには、君たちのような喪失感はない。

 君たちが、生命は決して尽きることがなく、肉体の死は終わりではなく霊的次元への移行段階に過ぎないと会得できれば、愛する者が死ぬことで生じる問題・トラウマ・落胆の多くのものが、消え去ることだろう。

*自分の葛藤を解消できずに、病気のせいで死んでしまう人達はどうなのですか。

 試練を乗り越えて自分に打ち勝つために必要だった変革を実現できなかったので、霊的に停滞してしまったのだ。彼らは霊的に超越する戦いで「匙を投げた」のである。つまり、霊的に進歩できそうになかったので、彼ら自身が霊界へ戻れるようにしたのだ。次回の転生では、同じ試練を携えて来て、それを乗り越えようとするであろう。

*病気の原因の話に戻りますが、表面上は、何の感情的な葛藤もなく比較的幸せなのに、癌のような病気を患う人がいませんか。

 それに、感情的トラウマを体験するほど充分な自覚がないのに、先天的な病気を持って生まれる子どもについてはどうなのですか。

 いい質問だ。生まれたばかりの子についてだが、魂は胎芽に結びついた時点から、周囲で起こる全ての事や母親の気持ちを感知できるのだから、妊娠期に感情的トラウマを経験し易く、それが肉体的な病気の発症原因となり得るのだ。

 しかし、どんな感情的トラウマとも関係のない病があるのは確かだ。従って、感情的トラウマが全てのケースの要因とは言えない。

 遺伝的要因を持つ先天性の病と呼ばれるものがそれに当たるが、他の病気の原因は、感情要因と遺伝的な性質が組み合わさったものである。

*先天性の病気の場合、何がその原因ですか。

 前世での行いに原因がある。病気は、我欲に駆られて犯した、「愛の法則」に反する行為で貯った負債を清算するための試練なのだ。

*言われることが分かりません。病気が過去の行いとどう関係するのですか。病気をどのように前世から他生へと繰り越すのですか。もう少し教えていただけますか。

 人は「愛の法則」に違反すると、「霊的な作用と反作用の法則」により、その行為が心理的毒素となって魂に浸透し、振動レベルを下げ、その様相を乱すのだ。

 波動低下に呼応した乱れは、しまいには、メンタル体や将来の肉体の型となるアストラル体などの、より濃密な体を変化させてしまうのだ。転生時に、まだアストラル体が乱れたままだと、肉体の遺伝子コードに変異を起こしかねず、先天的な病気を引き起こす。

 だから、たとえ前世のものであろうと、病気の要因が我欲であるというのは、やはり正しいようだ。

*でも、継承すると分かっている遺伝的変異、つまり、両親の遺伝子を受け継ぐための変異もありますよ。だから、転生者のアストラル体が原因のようには思えませんが。これに関してはどうでしょう。

 両親からの遺伝で受け継いで、特定の病気になり易くなるというのは、極めて確かなことだ。だが、転生する魂は、その状況を知っていて同意したのだ。肉体または精神の障害が、前世の行為の結果であり、通過すべき試練だと知っているのだ。また、過去に、そのような状況を経験することを同意した両親にとっても、試練となるのだ。

*本人や愛する人がこのような状況を経験している人に、こんな話をしても、受け容れはしないと思いますよ。「こんな目にあうなんて、僕らは一体何をしたんだ」と考えるに違いないでしょう。

 そういう風に考えるのが普通だ。なぜなら、総括的に理解するには、誕生以前に前世が存在していたことや、魂がその時に以後の転生で直面する状況を創り出したことを、認める必要があるからだ。

 生命はその人生の後も存続するので、病気も結局は一時的な状況に過ぎない。その一時の経験からは、愛の学びを積むことができ、病気はそのためのものなのだ。

*先天的なもの・事故のような状況的なものを問わず、普通の生活を営む上で妨げとなる、精神または肉体の障害を持った子どもや家族のいる人には、どう声をかけられますか。

 普通の子に接するように振る舞いなさい。実際、普通の子どもなのだ。外見で判断してはならない。肉体の奥底に、皆と同じような魂を見い出すだろう。その子、その愛する者の中に、不完全な肉体を見るのではなく、完全な魂を見るのだ。そしてその魂の通りに、完全な存在として扱ってあげなさい。不良品の衣装の下には、健全な肉体の人と同等かそれ以上に力強く生き、感じ、気づくことのできる人がいるのだ。

 音楽を理解している者ならば、音楽は楽器が奏でるのではなく、それを弾いている音楽家の心で生まれるのだ、と言うであろう。ヴァイオリンが未調律であったり壊れていても、弾き手自身が演奏できない訳ではないし、一時的に思い通りに弾けないだけで、手元の楽器がどのように調律されているかに関わらず、自分の音楽の才能を伸ばすことができるのだ。

 それと同じように、楽器となる肉体が一時的に調子外れだからといって、愛という心の曲を聴き取り、それを表現する可能性を魂から奪ってはならない。普通の子どもに接するように、その子に話しかけたり、気持ちや愛情を表して伝えたりすることが、不毛な努力だと思ってはならない。

 人は、肉体の感覚によって感知できなければ、魂の感性を介して感受するのだ。特に愛の行為に対しては、もっとずっと感受性が強い。健常人の反応をしなくても、感じていない訳ではなく、その子の身体が、魂が望むがままに物質界で表現することを、妨げているだけなのだ。その子のために心からしてあげることで、無駄になるのは何もない。霊界では、愛のためや愛を抱いて行うことで、失われるものはないのだ。

 すでに言ったが、繰り返しておこう。 肉体的または精神的な障害は一時的な状況で、それはひと度肉体が消滅するや、終わるのだ。だが、その体験を通して、その人本人や周囲の人々に目覚め、強化された感情は、魂の糧となって永続する。そして、それが真に大切なことなのだ。

*でもそれによって、何を学べるのですか。

 自他の苦悩に敏感になれる。おそらく前世では、今苦しんでいる人達が、他者に同様な苦しみを与えていたのだが、自分がどれほど傷つけていたのかを自覚しようとしなかったのだ。

 愛への第一歩は、他者も自分と同じ感情を持ち、自分が苦しむのと同じことで苦しむのだと認識することだ。

*先天性の病気に霊的な意味があるとしたら、それは何でしょうか。

 このケースでの病気は、魂が高次の霊的進化を遂げる妨げとなる心理的毒素を、肉体に転写するプロセスなのだ。肉体は病気になることで、その毒性を緩和し、吸い取りスポンジのように吸収し、毒素の除去に貢献する。つまり、魂は毒素を肉体に渡し、肉体は汚れをふき取る雑巾のような働きをする。この「汚れ」が肉体レベルでの病気の要因であるが、病気は、排水システムのように、より精妙な霊体を清めるために役立つのだ。

 また、人生の最後で、この排水システムを利用して毒素を一気に洗い流そうと、病気になることを選択する魂もいる。つまり、生涯で重い病を患わなくても、肉体との分離の時が近づくと肉体は不要になるので、霊的な体に蓄積されていた心理毒素の一部をそれに転写するために利用して、浄化しようとする。

 このようなケースは頻繁に見られ、この場合には死を妨げようとどんなに頑張ってみても、全く効をなさない。なぜならそれは、現在進行中の感情的な葛藤とは無関係で、霊的な浄化だからだ。

*魂が「愛の法則」に違反すると、次の転生で病気にならされるのですか。

 いや、そうではなく、心理的毒素を除去する方法は幾つかある。

 悪かったと反省することを愛の行為で償っていけば、病気を体験することなく、魂の毒素を取り除ける。だから先ほど、病気の原因がエゴであれば、愛が諸悪の解毒剤と処方箋になる、と述べたのだ。

 従って、必ずしも病気になって毒を消散させる必要はないのだが、それが一番手っ取り早い方法なので、多くの魂がそう選択するのだ。

 明らかなのは、毒素の負荷を取り除くために何かをしない限り、それは残存してしまい、より高次の愛と幸福へと魂が進むことを阻止してしまうということだ。

*感情要因と遺伝的な性質が組み合わさった病気もあると言われましたね。

 その通り。
*もう少し説明いただけますか。

 特定の試練に立ち向かうために生まれて来た魂は、物質主義に流されて転生の目的から外れてしまわないために、病気を記憶の喚起剤として利用するのだ。つまり病気は、ドライバーに車線を逸脱したことを警告する路肩のランブルストリップスであるかのごとく、魂が事前計画から逸れてしまった場合にだけ起動する。

 同じ状況でも重病にならない人がいる一方で、遺伝的な性質で特定の病気になり易い人は、アラームが鳴り易いのだ。言い換えれば、それほど強くない感情の刺激でも、病気を誘発させるには充分なのだ。

*病気の原因が、今生の感情トラウマの場合には葛藤を解消することで治癒できたり、浄化の工程であれば先天的な病で治らないことがあるのなら、現在用いられている薬学療法は、例えば癌などの場合で、何かの役に立つのでしょうか。

 現在の治療法、つまり、化学療法と放射線療法は、細胞の増殖という症状をなくそうとするが、病気の原因には作用しないので、病気を回避することはできない。

 また、遺伝子を損傷してしまうので、細胞を酷く傷つけ、多くの場合にそれが永続して再生不能となる。君たちは、癌が遺伝的変異に起因すると思っているのに、どうして変異を誘発させる薬をその治療に用いるのか、理解に苦しむよ。

*薬は悪いのですか。

 全部がそうではないが、攻撃性が過ぎるものは、効用よりも弊害をもたらすので良くない。

 特定の場合には、抗炎症剤やコルチコイドや、ある種の免疫調整剤などは有益である。薬学を正しく適用すれば、人生に病が訪れる際に、健康を回復するために役立ち、治癒を可能にする。また、治るの見込みのない病でも、症状を和らげ、生活の質を向上させる助けとなる。

*では、薬学治療をして、癌が治る人がいるのはなぜですか。

 治ったとしたら、原因となった感情面の問題を解消できたからか、実は良性だったからで、症状を排除したためではない。

 感情的または霊的な毒素が残留すると、最初に冒された組織を切除していれば近部になるかもしれないが、癌は別のところに再発してしまう。

*癌を治すために有効な、肉体上の助言がありますか。

 質素な菜食主義とビタミンを多く摂ること。異常細胞の除去に身体が専念できるように、休息を多く取り、平穏でいること。体器官を傷めずに回復できる、身体にやさしい治療法を使用すること。

*お話のように、「エゴ的感情」が残留することによってアストラル体が力を失い、それが長期的には肉体的な病気を誘発するのだとしたら、健康を回復するために、アストラル体をエネルギー的に綺麗にすることは可能でしょうか。

 可能だ。特定の運動(ヨガ)をしたり、人がパイプとなってエネルギーを供給(レイキ)したり、生体エネルギー発生装置などによって、悪い流れを取り去り活力を与えることができる。

 エネルギー治療は、アストラル体レベルに作用し、疲弊したエネルギーを洗い流し、そこに新しい活力を供給し、気の流れを修復する。生体エネルギーを用いた治療は、病気の回復を促したり、症状を緩和させることに貢献する。

 だが、エゴ的な感情を放棄できなければ、アストラル体の乱れが再発し、その結果、肉体の病も再び出現することとなる。それゆえ、霊体・メンタル体・エネルギー体・肉体を総合して、治療に取り組むべきである。

*レイキとは何なのでしょうか。

 レイキとは、宇宙の生命エネルギーを利用する自然療法の一つで、肉体的・精神的な病気の治癒に役立つ。レイキは、宇宙的生命エネルギーを意味し、それを発見した日本の先駆者に命名された。

 現在ではその名前で有名になってはいるが、健康改善を目的としたエネルギーの授受は、何千年も以前から、磁気やプラーナなどの様々な名称の下に行われてきた。それは、「奇跡の癒し」と呼ばれたイエスの手かざしのことなのだ。

*レイキは何を基本としているのですか。

 レイキのセッションは、不快感や病を緩和したり除去するために、送り手またはパイプとなる人が、自分の手を通して、生命エネルギーを受け手に伝達するのが基本だ。受け手となるのは、自分自身でも他者(人・動物・植物)でも良い。

 レイキは、アストラル体でのレベルに作用し、エゴ的な感情に起因するエネルギーブロックの除去に役立つ。

 だが、外傷または中毒など、完全に肉体的な原因による不調の場合には、損傷を受けた部位の気の流れを再動させ、痛みを緩和し、体組織の再生を促進させる。

 アストラル体の構成についてや、気の流れやチャクラの知識、及び感情的問題と影響を被る肉体箇所との関係を理解するのは、正しい位置に手を置く助けとなり、損傷を受けた部分の気の流れを再生できる。

*でも、癒しのエネルギーは、どこから出るのですか。送り手からですか、宇宙からですか。

 生命エネルギーは、宇宙のどこにも存在し、レイキの担い手は、それを必要としている人に集中してエネルギーを向けようとする。時々、送り手となる人が周囲からエネルギーを結集できなかった場合に、自分自身の生命エネルギーを譲り渡してしまうことがある。

 また、霊的な存在にエネルギーの伝達を手助けしてもらっている人も多く、その人の能力が非常に高められる時もある。この場合は、意識の高い仕事は精霊たちが行っており、レイキの送り手は、癒しの魂たちが、肉体とエネルギー次元に接近できるための道具のように機能する。

*人が自分自身のエネルギーを与えてしまうについては、どんな理由があるのでしょうか。

 過度に力を投入する、集中力の不足、リラックスできていない、私心なく助けようとしていない、精神的・肉体的な悪習、などが原因だ。

 レイキのセッション中に以上のようなことがあれば、送り手は疲れきり、エネルギーが不足し、受け手の不快な症状まで自分で感じてしまったりする。

*レイキができるようになるためには、何が必要ですか。

 レイキが効力を発揮するために最も重要となるのは、送り手が、仲間を助けようとする意志を持つことと、愛を実践して自分のアストラル体の波動を高めることだ。

 積極的にエネルギーを受け取ろうとする受け手の姿勢も大切だ。その人がどれだけ素直に信頼できるかによるからだ。受け手が、レイキに効き目がある筈がないと思ったり、送り手を信用していなかったり、愛に賛同し我欲を捨てる自己変革をする意志がなく、エネルギーを拒否すれば、その人のチャクラは閉じたままで、送り手にどんなに力があろうと、気は流れない。

 ラジオで起こることに似ているのだ。放送番組を聴くためには、強力な信号を放つ優秀な発信機が必要だが、受信機をつけて正しい周波数に調整するのも、同じように大事なのだ。

 その後は、スポーツと同じで、継続して練習することで、回を追うごとにエネルギーの伝達能力が高まり、もっと大きな波動になるのだ。非打算的に助けようとする意志があれば、いつも最善の結果を得ることができる。

 更に、肉体を浄化させれば、エネルギーが身体を通過する際に、波動が低下してしまうこともない。そのためには、菜食と、身体の器官にとって有害となる、アルコールやタバコ、その他全ての薬物の消費を控えることが必要だ。

*エネルギーを伝達できるようになるためには、レイキの師匠がその人のチャクラを事前に開ける必要があるというのは、本当ですか。

 その必要はない。伝達能力は、魂の進化の力量と、他者を助けようとする意志と、練習とによる。私利私欲をなくして行うほど、霊界からの援助は大きくなる。

 先生の役目は、生徒の潜在能力を開花させることだが、独学も可能だ。スポーツのように、練習すれば能力は増す。そして、他者を助けようという意志があれば、霊界から必要な援助を授けられる。エネルギー伝達の真の達人がいるのは、霊界なのだ。

*レイキの段を取るための有料の講習がある、と話しているのを耳にしましたが。その件に関して、どうお思いですか。

 お金と引き換えに、天国に行けると文書で約束した免罪符と同じような商売だ。最初にそれを再発見した者(臼井)が無償で行ったのに、その継承者たちがどうしてお金を取るのだろうか?

 繰り返すが、レイキを始めるために、イニシエーションをする必要などない。どれほど有名であろうと、見返りとしてお金を要求するような人から受けるイニシエーションであれば、なお更だ。なぜなら、それでお金を儲けようとしているのなら、自称するほどレベルが高くはないからだ。

 真の師匠は、万人のエネルギーでお金を取ろうとしない。伝達者に過ぎず、謙虚であるので、師匠と名乗ろうともしない。

 ここに、イエスの手本がある。エネルギーで多くの人を癒し、弟子たちにも伝授したのだが、誰からもお金を受け取らなかった。

*講習だけでなく、レイキのセッションでお金を取る人もいますよ! これについてはどう思われますか。

 宇宙エネルギーは、伝達する人の所有物ではなく、お金を払わずに使用できるものなので、同じく無料で与えねばならない。

 レイキでお金を取る人達は、自分自身のエネルギーや自分が努力して周囲からかき集めたエネルギーを扱うのだろう。

 だが、高波動の霊的存在たちからの手助けは期待できない。彼らと同調するためには、心を浄化し、他者を助けたいという無私の思いが必要となるのだが、お金を取る者には無私の志はなく、金銭的な利益を得ることに関心があるからだ。

*でも多くの人が、レイキで儲けようとしているのではなく、それで時間が取られるとサラリーマンにはなれないし、何かで暮らしを立てる必要があるから、と言っていますよ。

 それなら、エネルギーの伝達では生計を立てようとしないことだ。経済的にやっていけるように、他の活動で報酬を得られる仕事を持ち、自由な時間にレイキをすれば良い。これは、意志力の問題だ。

 しかし実際には、レイキでお金を取る者の多くが、生活を維持するだけでなく、それによって儲けようとするのだ。レイキの料金は、オーラを綺麗にするというよりも、それにひっかかった愚か者の財布の中身を綺麗にしてしまうほど高いことがあるからだ。

 イエス自身も、「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に返しなさい」と言っている。

 物質的に自立する必要があるのなら、物的な仕事でそうするように努めなさい。霊的な仕事を介してはならない。霊性にお金を関与させるのは、止めなさい。霊性が穢れてしまうのだ。

 君たちを助けている霊的なガイドたちは、君たちからお金を取るのだろうか? 彼らがそうしないのならば、彼らを見習い、君たちもそうしてはならないのだ。しかも、自分に能力があるのだからお金を取る資格があると思っていると、本当にそうなって、自分自身のエネルギーしか使えなくなるのだ。

 「神と富とに兼ね仕えることはできない」ということを肝に銘じて欲しい。現在の言葉に置き換えれば、愛と我欲とに兼ね仕えることはできないという意味だ。それらは、相容れられない対立する概念なのだ。

*エネルギーを貰う代わりに、お金であろうと他のものであろうと何かを引き換えにあげる必要があるので、これは交換をしているに過ぎない、と言う人達もいますが。

 それならその人達は、無条件の愛という、何の見返りもなく与える行為を知らず、また理解したくもないのだ。見せかけの霊性で外側を装おうとしていても、見習うべき手本とはならない。

 それを忘れないようにしなければ、霊性復興運動も、ついにはキリスト教と同じことになってしまう。つまり、皆の大師匠だと勝手に名のり出る者が現れて、自分の富と権力への渇望を満たすために、聖なる教えを管理し操作し始めてしまうだろう。

*でも、有料レイキに効果はあるのですか、ないのですか。

 効果はあるかもしれないが、無料で行うレイキよりは、常にずっと貧しい結果しか得られない。効果は、助けたいという意思の力次第なのだ。
大半の場合は、他者を助けたいという思いと、何かと引き換えに行おうという我欲とが混在している。善意によって得られる効用も、私欲で失われてしまう。

 一つはっきりさせるが、我欲があると、与える以前に貰おうとしてしまうので、癒しにはならないのだ。我欲に委ねる人は、本当は他者を助けようとは思っていないので、助けてあげることができないのだ。

 お金を取っているならば、それが他者を助けるためなのか、自分が有名になるために他者を利用したいのか、あるいは自己の物質的な欲求や期待に沿うためなのかを、分析してみるがよい。

 イエスがあれほど優秀なエネルギーの担い手であり、奇跡と思われたほどの素晴らしい、強力で迅速な結果が得られたのは、一体どうしてだと思っているのかね? それは彼が、無条件の愛を感得するに至った魂だったからで、その愛がエネルギー次元で顕現する時に、高振動のエネルギーとなり、それに肉体的・霊的な障害を癒す力があったからだ。

 多くの者が、イエスがしたことをできるようになりたい、と思っているが、彼らには本質的なものが欠けているのだ。それは、無条件に愛すということで、 我欲を ―虚栄・自尊・尊大を― 放棄しなければならないのだ。

 イエスがしたことをできるようになりたいのか? それなら、他者に何かをしてあげる度に、集金してまわるのは止めなさい。イエスが癒しに対してお金を取っていたとしたら、高次の存在ではあり得なかったし、高次の精霊たちからも支援されなかったので、癒しそのものが不可能だったろう。

*病気とその意味について、最後に言っておきたいことはありますか。

 病気は、運命のいたずらでも神の罰でもなく、霊的成長の糧となるものだ。

 今生で患う病気は、今回の転生で立ち向かわねばならない試練を知らなかったり受け容れようとしなかったのが原因か、または心に従って行動や生活せずに霊的な内面を抑圧したのが原因だ。

 この場合、肉体的な病は、内部の病気の警報として作動し、自分を変えるように誘導する。

 先天性またはカルマによる病気のケースでは、原因は前世での行為の中に見い出せる。それは、溜まった負債を清算するための試練であり、魂が霊的により高い段階へと昇るために障害となる心理的毒素を肉体に受け渡すプロセスなのだ。
【本文転載その終了→その21に続く】

 




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