飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

肥田舜太郎先生の公演-被爆の隠蔽は昔から・・・ その①

2013-08-12 20:04:47 | ブログ

広島・長崎原爆投下から68年・・・
今でこそ、被爆被害が叫ばれているが、
実は、当初から厳重な隠蔽事項であった!
その主体は、GHQであり、総司令官マッカーサーである!
軍事上と、占領政策の核心事項である・・・。


 内部被爆などと言う言葉すらなかった。


 『みんなはこの爆弾の被害をいろいろ言うけれども、 身体の中に飲み込んだ放射線っていうのは非常に微量だから何年たっても全然何にも害はない。』と言うのが、占領軍司令官の見解である。


 実に、山下俊一教授そのものの言葉でもある。

Video streaming by Ustream

 その講演内容を、書き起こしされた方がいる。必読であろう。(さる方から、コメントでお知らせ頂いた。多謝!) 

 肥田舜太郎氏は、もうすぐ100歳を迎えようとする医師である。かつても記事にした経緯がある。『放射能の罪過を過小評価する愚かしさ、そして、その魂胆!!』が、それである。

 被爆医療にも関係した生き証人である。もう、ほとんど遺言であるとして、視聴しておくべき事だろう。

 占領時代の事であるから、さもありなんと思われるが、聞きしに勝るという事はこの事である。そして、今、隠蔽主体は、占領軍から原子力マフィアに変わったけれども、内容は同じである。

 しかも、現在、罪過は進行中であるという点に於いて、深刻である。

 メディアは、もうほとんど沈黙している。時折、ガス抜きのように報道されるけれども、そのソースは官製をそのままリークしているに過ぎない。メディアそのものの情報は、極めて少ない。

3d4903412


 報道の自由は、占領時代と比べて、寧ろ少ないと言うべき報道管制が敷かれている。

 安全神話が、今も生きているのである。これまでは、原子力発電所が安全であるという神話であったが、今は、放射能が安全であるというふざけた神話が蔓延っている。神話ではなく、邪神話であろう。

 これについては、『内部被爆は、どうよ!』シリーズでも書いてきたが、今では、こういう事を言うと、『放射脳』呼ばわりか、『原爆左派』呼ばわりされるから、呆れて物が言えない。

 原子力は、核兵器のために発展した。その原料の調達が本意である。そうであるから、核廃絶も、原発廃止も矛盾に満ちたちぐはぐさが抜けきらないのである。軍産複合体やエネルギー利権や、とにかく、覇権支配体制に深く根ざしているからである。

 被爆者、原発被害者は、その中では棄民される。世界は覇権支配の熾烈な争奪戦を繰り返している。表向きは、被害救済が叫ばれているけれども、被害そのものが否定されるから、意味を持たない。戦争被害者は救済される事は、事実上ないからである。

 事実上、戦争状態にあると言って過言ではない。


【転載開始】2013年7月5日(金)、茨城県那珂郡東海村の東海文化センター

05:18~
2013071221.jpg


こんにちは。
お招きを受けました、肥田舜太郎という内科の医者です。
東海村には10年ぐらい前ですけれど、
あの事故のあった後で4年目の記念日かなんかにお招きを受けてお話をした事があります。
場所がここだったかどうか、それも覚えていないんですが、
今日は小林さんが、お父さんのお作りになった広島の原爆の実情を、
もちろん後から撮ったものですが、
その映画を上映なさるということでお手伝いがあって参りました。


あの映画をご覧になれば、広島の原爆の爆弾という側面はもう十分お分かりになると思います。
広島と長崎の原爆の特徴は、
一つは大きな強烈な爆弾だという性質と、
もうひとつは目に見えない放射線の被害を与えるという、二つの被害があったわけですね。

ところが、落としたアメリカは正式には>マッカーサーが日本へ上陸する9月のはじめ前に、もう
占領軍総司令官の話として、原爆が出す放射線について、
爆発の時に強烈に出るものに当たったものは彼らも大きな被害を受けるけれども、
身体の中に飲み込んだり吸い込んだり、あるいは食べ物に付いた、
あるいは水の中に溶けた放射線を体内に入れた場合は、
「これはごく微量だから全く人体には影響はない」という事を
苦しんで血を吐いて寝っ転がって死んでいく人がいっぱいある時に、そういう放送を始めたんですね。


しかも、治療法は全くわかりませんし、
放射線なんて聞いたって、医者もなにもまだ放射線なんて知らないんですから。

だから出てくる症状が生まれて初めて見る症状で、
学校で習ったこともないし、先輩に聞いても分からない。
そういうのでみんな死んでったんです。

そういう診ている医者と診られている被爆者に対して、
占領軍司令官という絶対の権力を持った人間が、
「みんなはこの爆弾の被害をいろいろ言うけれども、
身体の中に飲み込んだ放射線っていうのは非常に微量だから何年たっても全然何にも害はない」
っていう事を言ったんですね。

ただ言っただけならいいんですけれど、
要するに、原爆で起きた、人間の身体に起こってくるどんな被害もアメリカの軍事機密である。
だから、被害を受けた人間も、その事を他人にしゃべってはいけない。
仮にそれが親であろうが兄弟であろうが、絶対にそれは言っちゃいかん。
アメリカ軍の軍事機密だ。


逆に今度は、そういう人から頼まれて、身体を診てくれと言われる医者は、
「仕事だから診るのはよろしい」と。
しかし、診た結果を詳しく書いたり、
あるいはその内容について、仲間同士で相談をして、論文を書いたり、学会へ報告したり、
そういう事は一切しちゃいけない。
これも軍事機密だ。

違反した場合は占領軍として重罪に処す。

占領軍が鉄砲持って入ってきて、重罪に処すっていうんだから、
これはもうみんな「銃殺される」と思った。

ですから、当時はもちろん、そうは言われてもみんなコソコソしゃべりましたけれども、
公には日本政府をはじめ、お役人も、医者も、学者も、
誰も原爆による放射線の被害については一言もしゃべれなかった。
書くこともできなかった。

私たち軍医もしていた。
ま、軍隊は殴られましたから、
アメリカの命令で当時の陸軍病院と海軍病院は全部国立病院というふに変えられて、
一般の人も診るようになったんです。

6:23
日本の国は天皇の国家で、
国民の命を国が責任を持って守るなんていうことは遂に無い国ですから

男の子は20になったら天皇のために命をささげ出すのが国民の義務であるという国ですから、
国民の病気や健康について国が面倒をみるなんて、そういう考えは毛頭無かったんですね。


そこへアメリカの、陸軍病院・海軍病院の始末の仕様がないから、そのまま国立病院というふうにして、
当時日本中の国民が
食べ物も無いけれど、家も焼けちゃってないわ、主人は戦争から帰ってこないわっていうような、
そういう貧乏のどん底っていう時に病気になって困る人が、
ま、アメリカが作ってくれた国立病院っていうのにみんなかかったんです。

その時、もちろん被ばく者は貧乏ですから、
家も何もない、財産も何も無くなっちゃって、親戚も死んじゃってお金もない。
当時日本には保険というのはまだなかったんですね。
だから、現金がなければかかれない。

そういう時に国立病院が出来て、
占領軍の命令で「困っている人はただで診てやれ」ということになったもんだから、
被爆者はみんな、国立病院に厄介になったんですね。

そういう時にも、私も思いがありますが、
患者を診るとカルテを書かなきゃならないんですね。
どこの生まれで、どこに住んでて、何歳で、何の誰べえ、男、女っていうのをちゃんと書かないといけない。
で、書いた結果みた。
なんで罹ったか?
熱が出た、腹が痛い、下痢がある、そういう事を書いて、
「診た結果どういうふうだった」という事をカルテに書くのは医者の義務なんです。
法律的な義務ですね。


ところが「書いちゃいかん」っていうんですね。
困りましてね。
みんなで相談して、何も書かないでいると医療法に引っ掛かるから、
書けば今度は占領軍命令に違反になる。


どうしようもない。
しょうがないから、カルテには書かないで、別の紙に書いてそれで強行しよう、ま、そんなことまでしました。

そういう状態があって、爆発の目に見える原爆の大きな側面は、
人伝口伝でみんなに伝わってきた。

ところがあの爆弾を受けたために、放射線の被害を受けている。
後から町に入って残っている放射線に触れて病気になった人は、
焼けてもいないしケロイドもないし、なんにも、外からみたら証拠がない。
中にはいった放射線の影響で、具合が悪い病気が出てくる、

そういう一番大事な問題が、68年間日本の国民に一つも伝わってこなかった。

みなさんの中に、広島・長崎の原爆について、
いろいろ映画を観たり、あるいは話を聞いたり本を読んだり、いろいろ経験なさった方が、
あるいはご親戚の中に実際に、広島・長崎で原爆を浴びたご親戚がある。
そういう経験は知っていらっしゃるけれども、
放射線の被害という事に付いて、まともにちゃんと話を聞いた覚えはほとんどないと思います。

いまのお医者さんになってくると、学校医でのお医者さんは、
在学中、医者になるための勉強はしてきますが、
内科でも外科でも放射線科でも、
広島・長崎の原爆についての講義は全然ない
んです。


彼らは全く何も知らずに出てくる。
だから今、福島の原発で被害を受けたと言われる子どもや、
あるいはお父さん、お母さん、沢山、今被害者が出ています。

それを診させられるお医者さんは、今だいたい30~40、50の方が多い。
生まれる前にもう原爆は終わっちゃって、被爆者なんていうのを診たこともない。
仮におじいさんおばあさんを診ても、
それはもう、当時の原爆の被ばくでは無しに、みんな成人病になっちゃっている。


そういう経験はあっても核兵器の被害を現場で受けたっていう方は、もう誰もいない。
ですから今福島のお医者さんさん、あるいは遠くのお医者さんで
子どもを診せられたり、あるいはおじいさんおばあさんが来たり、お父さん、お母さんがきて、
あの、原発の被害を受けた人の身体を診て、何か特徴の書ける人が誰かいるか?
誰もいません。

第一に、被害を受けている方自身が、自分のどこが悪いんだかがはっきり説明が出来ない。
そういう意味で、今まで私たちが頼りにしてきたのは、ロシアのチェルノブイリの原発の被害。
これは大きな被害でしたから、当然沢山の被害者がいる。

その人たちの中に、どういう病気が起こり、どんなふうになったかという事が随分知りたかった。

ところが、ロシアもソビエトの頃はそれを隠した。

初めはよく分からなかったけれども、最近26年目ですから、だんだんいろんな事が分かってきて、
いまのロシアの政府はちゃんとそれを調べて発表するようになりました。

はじめて、
むこうの被害は全部「内部被ばく」なんですね。
「内部被ばく」っていう言葉は今回初めて新聞に出ましたけれど、
私たちは広島長崎の頃は「内部被ばく」という言葉を知らなかったから、
「入市被ばく」という言葉を使いました
市に入って被ばくをした。

当日は広島にも長崎にも居なかった。
よそに行っていたら、「大変だった」というのを聞いて、家族が心配だから帰ってきた。
広島の町へ入って、長崎の町へ入って、
焼跡を探してやっと自分の家までたどり着いて、
「どうもここが自分の家だ」とやっとわかったんだけど、家族の行方がわからない。

隣近所の家をみると焼けた中に骨がある。
それはそこに住んでいたおかみさんだとか、子どもの骨なんですね。
それは隣近所にはあるけど自分の家にはなんにもない。

そうすると、自分の家の女房や子どもは一体どこでどうなったんだろうか?
心配だからいろんなところを歩いて、人に聞いて歩いて「どうしたんだろう」

お宅の奥さんは、
本人は兵隊に行っていて知らない。
留守に居た奥さんは、町工場に行って働いてたと。
子ども3人はそれぞれ学校へ行ってた。
それを訪ねて、行った先を探して歩く。
結局最後はどこでどうなったかは本当は分からないけども、
友達やみんなと一緒にここまでは行っている事が分かった。
そこから先はどうもみんな死んだらしい。
わからない。
骨は無い。

もうそういう人がいっぱい居た訳ですね。

ところがそういう人が街の中をいろいろ聞いて歩いたり、
子どもを探して歩く、女房を探して歩く、
何日も何日も焼跡を歩き回って、しばらくすると妙な病気が出てくる。

かったるくて動けなくなる。

診たところ外はなんにもない。
火傷もなければ何にもない。
ただ朝起きて動こうとしてもかったるくて体が動けない。
こんなだるさは今までおぼえたことない。
というような病気をもってくる。

これが当時の、いわゆるぶらぶら病といった、内部被曝の症状なんですね。

私たちはそういう患者を何十年も診ました。

その原因が全然わからないんですね。
政府もアメリカから触れちゃいかんって言われたら何にも調べてない。
日本の大学も学者も医者も誰も研究をやってこなかった。

で、知らないまんま私は30年間そういう患者がだんだん出てくるので聞いてみると、
「原爆は受けてない。4日目に町へ入って町中探して歩いて、1週間位歩いた
そのために初めの1週間ごろに一度かったるいっていう病気が起こったけれども、
いつの間にか治っちゃった。
でもう、忘れたら、おんなじようなだるさが出てきて、働けなくなった」
という患者がくるんですね。

そういう人を沢山みますから、同じ事を言う。
それは原爆を受けていない。
後から町へ入った。
そして同じ症状が出るっていうのが沢山ありますから、
「何かやっぱり残っていたものに触れたんだろう」というのはわかるけれど、
具体的には分からない。

それは30年経ってアメリカへ行って、
初めてアメリカの医者で
アメリカの秘密になってて研究できなかったんだけど、
アメリカのある学者がひとりで、一生懸命調べて、
核実験があった年に生まれた子どもが、その後の子どもの生まれてくる、
死産で生まれるとか、生まれてすぐ死んじゃうという、
いわゆる死亡率が非常に高いという事を調べて、

核実験で大爆発をする。
そして、きのこ雲になって、それが成層圏にまでのぼる。
で、後で降ってくる。

アメリカで降る場合もあるし、埃のまんま落ちてくる
これが田んぼに降る、川の中に入る、水源地にも入る。
みんなの畑の中にも降る。

そういうのを食べたり吸ったりミルクを飲んで病気になってくるという事がだんだん増えて、
それを調べて、
結局目に見えないけれど放射線の粒を身体の中に取り入れたものに
そういう病気が起こると言う事をちゃんと研究したお医者さんが出てきた。


アメリカでその先生に会って初めて、
30年間分からずに苦労してきたその病気が
放射線を内部に入れた場合に怒る内部被曝の病気だっていうことが、
30年経って初めて分かった。


それが1975年でした。

もうそれから30数年経ちます
分かってからでも経つんですけれども、分からない30年間、意味も分からずに、
患者だけは沢山、長崎・広島に居るわけですから、
ずっとそれを診てきた。

死ぬ人も何人もいました。

医者として「この人何で死んでいくのか」ってことが分からないこと位、
医者にとって苦しい事は無い。


家族からも言われる。
「先生なんで死んだんでしょうか?」と。
医学的に分からないんです。

今でももう68年経ちますが、
放射線の被害で治療法がありませんから、訳のわからないうちに死んでいきます。

死んだ時に死亡診断書を書くんですね、医者は。
法律で決まっている。
ところが、なんで死んだのかが分からない。
これはわかる医学がまだないんですね、今でも。


アメリカが軍事機密に指定して、
「一切研究をするな」という事が、
アメリカのいわゆる従属国になっている国、
あるいは核兵器を持っている国では、全部同じ事が行われている。

そのために、内部に入った放射線の被害は、未だに学問がないんです。
残念ながら。

ですから、福島の患者の中に、
いま、甲状腺がんの子どもが大分出てきています。
いろいろなのが出てくるけれど、
診察をしてはっきり
「福島原発から出た放射線が原因でこういう病気になりました」っていう事の証明が出来ない。
いまの学問では。

だから殺す側の東電にしてみると、永久に完全犯罪だ。

すぐ死のうが、何年たって死のうが、お医者さんが診て、
「あ、これはあの時の事故の放射線の影響です」っていう事が書けない。

だから、今の原発から出る放射線で残念ながらすぐには死んでない。
癌で死ぬか白血病で死ぬか、いろんな病気で死んでいます。
しかしそれが、
「これは残念だけどあそこの原発から出た放射線のためにですよ」っていう事証明できないんです。


だから今、原発の放射線で殺される人は、いつ殺されても永久に「なんだかわからない」
癌だったら、ただ「がん」
「原因はあの放射線です」という事が言えない。
それが今の世界中の状態です。


それほど放射線問題というのは今の医学にとっても、
非常に難しい、扱いようがない。


ーーつづく【転載終了】

<script type="text/javascript"> // </script>