遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

今帰った

2012-12-05 20:12:24 | 展覧会情報

守谷まで運転するのはしんどいので

今日は小山から行った

来る電車によって

展覧会を見る順を変えればいいのだ

今日見たかったのは上野と新宿だった

来たのが上野行きだったので

最初 芸大に行った

上野の森はきれいだったぞ

しかしカメラも携帯も忘れて行ったので写真はなし

尊厳の芸術展 

第二次大戦時

アメリカ在住の方たちが強制収容所に入れられて

無いものを工夫して作られ描かれた

作品展http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2012/gaman/gaman_ja.htm

Img141

この絵は板を切り抜いて貼り合わせて

そこに絵具で描いてあった

かごなど玉ねぎの網をほどいて糸にして編んであったり

一つ一つ見るたび

すごいなこれ

と思うものばかり

丸太をくりぬいて作った仏壇には

びっくりした

この展覧会テレビで何回も放送されたらしく

すごくたくさんの方が見に来ていた

ともかく見ていると

夢と希望が湧いてくる

大変だった 

語りたくなくなるほどのご苦労をされたのに申し訳ないが

どんな状況でも

いろいろなことができる!という気持ちでいっぱいになったのだ

テレジンの収容所の子供たちも

絵を描くものがないので

コラージュやってた

人間ってものをこしらえたり

絵を描いたりするようにできているんだよ

どんなに貧困な状態でも

いろいろできる

と思った

さて 食堂は一階と書いてあるので探したが見当たらないので

外に出てみたら

あったあった

学食がかつての学食と同じ感じ

(でもコンクリートの建物で違うけど)

働いている人たちも親しみのもてる感じで

あった

さわらの照り焼き

切り干し大根の煮付け

味噌汁

小ご飯  これで500円也!

この前は カフェ というところで食べたのが間違いだった

大学なんだから学食で食べなきゃね

次に九段に件の用足しに行き

欲しい本を新宿で買うか神保町で買うか

迷ったが 買いそびれるのが嫌なので

神保町に行った

ところで

今日私スイカ持ってなかったので

切符を買って動いたのだが

初めて知った

都営は高いのね

10円倹約して半蔵門線で神保町に行ったが

あのね 狂言の絵本がほしかったのよ

しかし三省堂の児童書も広いので

お店の人に狂言の絵本はどこですか

ときいたら

ええ!?狂言?そんなの絵本あるんですか?

と聞かれ 出版社は?題名は?

と聞かれて参った

分かんないよ

古典的なのはここらですが 昔話のようなものばかりです

というのよ

だって落語も絵本になってるじゃないのよ

といったら落語はこちらですが・・・

って そこにあった!

これもあった

ゥヒヒ

山里授業を受けててよかった

それがないと

神様の名前でごちゃごちゃになるところだった

まだ 読み途中です

面白いわよ!

新宿は ↓ これを見た

損保ジャパンが持っている絵を

グループ分けしてみせる展示

東郷青児って興味のない画家だったけれど

何を考えていたのか とても分かる展示だった

その他初めて見る絵も多かった

Img136

なんだかな とても今日は時間がかかってしまって

帰路は真っ暗

運転は怖かった

疲れた

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早起きできた

2012-12-05 05:51:23 | ただの記事

寒さに耐えがたいというのは

私の性分だ

友だちは暑さに耐えがたい人なのだ

でも今朝外にジャガイモを取りに行ったが

その時は昨日のように外に出た途端震え上がるといゥ風ではなかった

いま寒気が襲ってきた

考えてみると

前に住んでいた家は断熱がちゃんとなってなくて

寒い家だった

暖房しても寒くて寒くて

ホットカーペットから足を踏み出せなくて

泣きたくなったのを思い出した

これは バイクで通勤し冷えきっててしまったから

体が変になったと思ったものだった

なんかなあ

バイク野郎たちの老後が心配だよ

 

この家は超機密住宅というつくりにしたというのだが

確かに前の家に比べると暖かいのだよな

私の寒がりに対応した家なのだが

寒がりは精神病じみている

 

考えてみれば

昔は竪穴式住居だったんだから

しっかりしなくちゃ

考えてみると

電気が無くなるということがっても生きて行けるように考えなくちゃ

薪ストーブがよかったなあ

 

南側に張り出したスペースに (昔の土間みたいなの)

竈は作ってある

でも

そのスペースがごみためになって

新聞紙だの諸々工具だの轆轤だのひしめいていて

生活空間としては洗濯物干し場でしかない

片付ければそこを囲炉裏みたいにすれば電気がなくても温まれる

 

私の70年近い暮らしのなかでも

変遷を考えると

すごいな

こんなに車社会ではなかった

家に車がある家なんてめったになかった

今じゃ

田舎はパーソナルカーだよ

そうでなければ暮らせない気がするが

昔は皆歩いたんだ

歩けなくなれば歩ける範囲で暮らしたんだよな

この辺は馬車とか牛車とかで荷物を運んだようだ

リアカーなんか見なくなっちゃった

 

リアカーって学生時代は校内の荷物運び道具だった

運んだあと交代で乗せてもらいっこをして

人力車はいい乗り心地

とおもい

自然に走るものに乗ろうと

横浜の学校の人たちのヨットクラブに

ヨットを習いに行ったのだった

ヨットもいい

風で走る  風上にも走れるので エンジンなんか!

と馬鹿にしたのだ

でも汽船にのって どこか行きたい気分ではある

私の血のつながらない方の父方の祖父は

汽船に乗って 外国航路で働いていたのだ

でも 血のつながったほうの父は

船が沈められてオフォーツクで戦死しちゃった

子供時代 お母さんが薪でご飯を炊いていたかどうか覚えてない

覚えている限りもうガスはあったが

竈で調理はできるな

洗濯!冬 水で洗濯するの厭だな

今日は頑張って 東京さ いくだ

コメント (4)
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