山里さんに教わったことをメモっておかないと忘れるから 書いておこう
豊璋 という王子がそれだというのだけれど
この人の生年没年は不詳
調べたらそこには義慈王の子とあったが
山里さんは義慈の弟だという
豊璋が日本に来たときを631年とする
まだ武王が生きているんだから 武王が人質に送ったとなると
義慈の王子というのも確かに変だ
豊璋が鎌足とすると 武王34歳の子
その時 義慈は15歳だな
あと日本に来たのが武王の死後の大乱で
兄に太子の地位を奪われた という説もあると
そうだと やはり義慈の弟か
わかった
私もそう思う。
でも どうでもよくもあるけれど
中臣鎌足614-669
武王580年 641年
義慈王599年 - 660年
豊璋の渡来時期は『日本書紀』によれば631年
白村江の戦い663年
ここで出てくる人々は イメージがあることではあるんだよな
武王は 薯童謠に出てくる王子で
新羅のお姫様(善徳女王の妹?)と恋仲になって
生まれたのが義慈だ とすると
当時の新羅と百済のことを考えると
豊璋は 兄の新羅の血のことをどう思っていたか
いろいろな物語では
義慈は新羅の姫の子ということであれこれあった話があるので
その後の鎌足の子孫の新羅系へのあれこれが
わかる気がする
しかし 百済と新羅の確執が
延々と日本の歴史の背後にあったというのも
かなり むかつく
そして それはもはや日本の国内の歴史の中で醸成されてきたことなのに ・・・
何となく国粋主義者になりそうというのが私の本音なのだが
何でもいいわ
みんなもっと仲良く行かないのかあ?
でもね 旗幟は鮮明にしなくちゃ
何事にもよ!
原発はダメだからね
戦争はダメだからね
基本的人権 表現の自由は譲れないからね!
文化の源がどこであろうが
祖国は祖国だ
でも 国家は嫌いだ