遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

超 くたばった

2019-04-04 18:52:24 | 日記

まず 守谷まで行こうと思ったのが運の尽き

遠すぎる

途中で

今度写生会の会場になるんだろうなと思う

桜並木で 一息

 

八間掘川という川のほとり

この川はやがて鬼怒川に合流する

ともかく 二時間近くかかっちゃった

さて

お寺さんのある 新御徒町でおりた

ふうむ

スカイツリーが見えるわ

この元浅草辺りお寺さんが多い

茨城も神社仏閣多いけど

ここらも多いよ


無事 お墓参りも 年会費も収めてこられた

奥方といろいろ話したが

従弟がなくなって

T家のお墓は跡取りがいなくなる

もう一つおじさんちのお墓もあるんだけど

もうお参りに来る人がいない

来るたび 三基のお墓詣りしてるの私だけなのだそうだ

私はT家のいとこ同士の子だから

純血種なのよ と話したら

戦死した父のことは お寺の奥方は知らなかった

私の 育ててくれた父がそこにお墓を作ったのは

私が一人っ子で後がいなくても

T家のお墓があるからとここにお墓を建てたのだがな


ま どこも跡取りというのはいなくなるものだな

さて これから三越に行く と言って

稲荷町への行き方を教わって 歩き出した

途中 お寺が次々ある

きれいなお花が咲いていた


然し 稲荷町で ぎゃああ

階段よ

もう 悲鳴!


体中痛くなっちゃった


さて

春の院展行ってきたが

行かれないおばさんに

図録 買ってきた

風邪で大変だったようだが

なかなかよかったぞ


西田先生のクジャクも

しげしげ眺めてきた



会場のそばで

片岡珠子の版画展やってた

これまた 面白かった

片岡球子さんの「富士山」

コメント (1)
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歴史の転換期3

2019-04-04 05:25:51 | 日記

 

この頃のすごい社会情勢を見ても

なんで 大学生たちは 黙ってるんだ?

と思う

(黙ってないかもしれないけど

社会現象としての学生運動は見えない)

私は 変な学校生活だったから

60年安保当時が高校生

70年安保当時が大学生だった

どっちも 社会的な視野はなく耳で怒号を聞いて育っていた

60年当時の岸はやめろ!という怒号は記憶にあるけど

70年時の首相って誰だった?とこれが記憶にない

調べたら 佐藤だった

高校生のころは 社会科研究会みたいなサークルがあって

その人たちはちゃんと勉強してたが

私は劣等生 全然知らなかった

70年安保当時 仲良しが 中核派のデモに行って

逮捕されちゃった!大変!可哀そう

牢屋で心細がってるよ 慰めに行こう!と友達と出かけたが

面会もできない

それで 留置場の近くで仲間と大声で 歌を歌って

聞こえたら 元気が出るかな?と

いい年してね 子供みたいなことやってきた


げげげ 中核派のやつらが オルグにきた

なんか 変なことをまくし立てるけど

だんだん頭にきて 論破して 追っ払ってやる!

と 猛勉強して 初めて 安保条約や地位協定の中身や成り立ちを知った

!!!仰天の歴史!


だから ホント あの野郎のじいちゃんが岸

叔父が佐藤栄作 って 実に変なシステムが日本を支配してる

そこに暮らしてきたのが 私の人生

って ホント???

だけど

なんで大学生 今黙ってるの?

と思ったら

ふうん あの70年当時の暴力闘争が原因か!

当時 私はともかく学費と生活費を稼がなきゃいかん

忙しい身の上で

某財閥のお嬢の家庭教師をしてた


デモの声はそのあたりにも聞こえてきた

件の教え子

先生も デモに行くの?

と聞くから 行くよ!

と言ったら

ゲバ棒いる?物置にいっぱい棒があるから持って行っていいですよ

だって!

デモはね 意見を言いに行くのよ

暴力はダメなのよ と 教えてあげましたよ


当時は東大闘争で活動的な学生は 飛んで歩いていた

通学時 一緒に電車に乗って立た友人が自治会の委員で

そういう人

ところが 私の学校で 教育研究会の全国集会が開かれることにり

活動家の人数が足りなくて

印刷物の製作など頼まれて 手伝った

へへへ その時の印刷は ガリ切りよ

ガリ版を 版画のように使いこなして 挿絵も入れる練習して

これまた面白かった

ガリ切りを知る 最後の世代かもね

後に ワープロ パソコンと 道具は変化する

 

ところで

これらに関係して

田布施システムという陰謀論があるのも知って

実は田布施に友人もいるので

怪しい話もかじった

ちゃんと 日韓の関係を知りたいと

それもあって 韓国ドラマをよく見るのだ


そうなると

ますます 歴史的

さて 朝ご飯つくなきゃ

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お! 立つち できたのか!

2019-04-04 05:25:24 | 日記

かなちゃんが 立つちできたみたいだ

万歳!

ほら

叔父ちゃまの

立っちの写真だよ


たっち たっち 新世界だね!

👏


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歴史の転換期2

2019-04-04 05:21:32 | 日記

ここらの 建物群 家々

これは やっぱりすごい

この間 アルミサッシじゃない窓がまだかなり見かける

と書いたけど

多くの家は 新しい家に見えるけど

まだまだ 珍しい家々があるし

ところどころ取り壊されてる

立派な 入母屋造りの家なんか まだまだ持ちそうだけど

それも 歴史的産物だぞ

描いておこう

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歴史の転換期1

2019-04-04 05:12:39 | 日記

考えてみると

私の一生って 歴史の転換期を生きたことになるな

思った

昨日 古河の病院への往復で2時間半ばかり車で走り回った

最初に家から出て出会った大きな長屋門

写真撮ろうと思ったが

いつものごとく

スマホが見つからん

どこかで見かけたら 撮ろうと思ったけど

昨日の道のりで その一軒しかなかった

先日行った 大和あたりの長屋門だらけ というのは

珍しい風景なのだな

武蔵の祖母方の家は大きな長屋門だったそうで

それを壊した時 家を建てるなら 材木が使えるから

やるよ と武蔵の母は言われたそうだが

その話はおじゃんになって

その候補地は畑のまま

武蔵の農夫場になってる

我が家の猫たちの空中散歩道

「遊工房 雑感 田舎」の画像検索結果

この物置に使われていた

梁なのだ

田舎の木造建築ってのは

すごいのだね

これは

やがて

消滅していく

長屋門は 描いておこう

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