命に係わるいじめ問題が深刻になって来てテレビがいろいろ言うが
ちょっとおかしいと思う
そのいじめはもはや犯罪であるということをどうして
徹底的に教えないか
という論法になっていくが
子供のいじめは防御反応のことも多い
大人だってそうだ
自分のプライドを守るために信じられない行動する人も多いよ
思春期の子どもなんてアイデンティティーの危機
まっただ中
ほとんどキチガイ沙汰なのが普通だと思う
大人の理論で
それをする前に相手のことを考えてみ?
と言ったって
大人だって相手のことなんか考えるのが苦手な人多いじゃないか
或るいじめっ子が しつこく一人の子を攻撃するので
それはまずいだろう!
と詰め寄ったことがあるが
その子は自分が正しいと思い込んでいて
自分が正義だと思っているからそれを壊すのは至難の業だ
だって あいつ そば行くと臭いんだぜ
発言はもごもごしてて 分かんねえよ
はっきり言えってんだ!
と
こんな調子で頭は固いがしょうがない
そいつのことは
暫時ほっとくことにした
いじめられた子はいじけてしまって
家に引きこもってしまった
家庭訪問してその子と色々話した
おもにその子の小説を読むときの解釈が面白いというようなことや
(当時女子の間で「宇宙の皇子」というのが流行っていて
学級文庫に置いた本は次々に読まれていた
何十巻もある本なのだよ)
その子の辛辣な意見ぶり(それで余計男子から嫌われた)
そこが面白いよ
というような話だ。
友だちとはあまりなじめる子ではなかったが
その子としてのプライドもあり
その子の奇妙な上から目線というのもあって
それはそれで
愉快な子だったのだ
クラスの中の二人の優等生少女の一人は
ひそかによくその子を配慮し
もう一人は勝気前面に出る子なので
火花が走る子だ
さまざまな子供がいるアンサンブルの中で
自分はこれでいいぞ
というのをつかんで
やっとの思いで自分を持ちこたえている
思春期って
そういう時期ではないのか?
正義
だとか
成績(ともかく学業生成績・・ったって点取るのがうまいかどうかだけだろうが
そういうものが学校を支配しすぎ)
だとか振りかざして子供を追いつめて
解決することじゃないと思うけど
・・
でも現場の先生は大変だと思うよ
命が縮む思いで子供と格闘しているものだと思うよ
・・
だからねむの木学園の展覧会を見たとき
あのように絵を通して自分を表現できる環境を作った意味を深く感じた
絵だけじゃないよな
スポーツも音楽も
皆そういう気がする