北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

キ然、ボー然、ア然

2010-12-15 | 雑感
 コラムニストの天野祐吉さんが今朝の朝日新聞のコラムで今年1年を振り返り、今年の日本は世界でもっともめざましい広告をした国だと評している。
 政治の不毛と不在を世界中に広告したという意味である。キ然としてほしい菅さんはボー然とするばかりで、こっちはア然としっぱなし。

 そこにまたまた仙谷官房長官の失言である。沖縄に基地負担を「甘受」していただくと言ったそうである。またまたア然である。
 仲井間知事が、「甘受」とは自分がやむを得ずと言うときに使う言葉で、他人に言われる筋合いはないと議会答弁で応じたそうである。先般の柳腰に続く使い方の間違いであり、加えて「甘受」せよとは沖縄差別もはなはだしい。
 「私の地元(徳島)を含め、地元で引き受けようという議論が国民的に出てきていない」から沖縄に基地を押し付けるのだという。沖縄も引き受けるとは言っていない。この論理では沖縄県民は国民ではないということになりはしないか。まさに差別である。また失言、というか懲りずに暴言を繰り返すこの内閣の存在をいったいどう捉えればいいのか。

 テレビや新聞、雑誌では菅内閣批判が溢れている。あらためて批判を書くのもはばかられるくらいだ。
 
 私もこのブログだけでなく会話の中でもついつい民主党批判が口をつく。しかし、自民党の影響力がいまだ強い珠洲では、反自民の結集軸としての民主に期待する声は依然として根強いものがある。本音の発言にときたま注意を受けてしまうのである。

 自民の時代は終わったが、党の綱領さえつくれない民主に日本の将来像を描けと言っても所詮無理な話である。もうひとつの道の結集軸として社会民主主義をアピールしたいが、「社民党?まだあるの?」これが珠洲の実態である。

 自分の主張をキ然と訴えていきたいが、げげげの自民がいまだ影響力を誇示している珠洲の政治を前にボー然としてしまいそうである。しかし自民党を倒すまでは民主批判はタブーというのも変な話である。自由闊達な議論が展開される珠洲をつくることが私の大事な役割だと思っている。ここで自らタブーをつくってしまっては、逆にア然とされてしまうだろう。


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