北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

珠洲市制60周年にあたって

2014-07-13 | 雑感
  

 9時30分からラポルトすずで珠洲市制施行60周年記念式典が開催される。
 1部、2部に分かれ、第一部は式典、第2部は自然共生ロゴマーク発表と記念コンサートである。 

 式典の方は写真撮影禁止ということで、上のしおりの写真だけを紹介。
 市長の式辞、議長のあいさつに続き、市顕彰条例に基づく表彰、そして市制施行60周年記念の自治功労者感謝状贈呈がおこなわれる。
 さらに来賓の中西副知事や国会議員かからの祝辞が続く。

 さて、今日の式典について、大兼政議員は昨年の6月議会で「珠洲市60歳の誕生会で終わってしまうのではないか」と危惧の念を表明し、過去の節目の年の様子を紹介している。

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 これまでの60年近くの間、様々な出来事がありました。国を挙げて熱狂したのが、10周年に当たる東京オリンピックの年でありました。泉谷市長はこの年にお生まれのようでありますが、この頃は、合併直後の危機的財政から立ち直り、上水道が竣工、今はなくなりましたが国鉄能登線(後ののと鉄道)が蛸島駅まで全線開通しております。市長は、岡村理一郎氏でありました。
 珠洲市のシンボルである木を特産マツタケのもとである赤松、花は厳寒にもめげず深紅の花を咲かすヤブツバキ、そして鳥は春を告げるウグイスと定め、市民憲章も制定されたのが20周年の昭和49年、鍵主圭吾市長のときでした。
 珠洲市の起源からそれまでの生い立ちを検証、記録する一大事業、珠洲市史編さん事業は、同年、市政運営を引き継いだ直後の黒瀬七郎市長によってスタートしたものであります。高齢化社会を見据え、特別養護老人ホーム長寿園が開所したのが30周年、市長は谷 又三郎氏でした。
 40周年に特筆すべきは、今、泉谷市長が唱える交流人口増の先駆け的事業とも言えるハワイへの文化交流使節団の派遣であります。このときは、太鼓や郷土民謡など38人が参加し、珠洲の芸能を現地で披露しました。林 幹人市長のときであります。
 そして、直近の50周年、平成16年度は、現在は残念ながら中断状態となっておりますが、珠洲青年会議所が主催した珠洲検定の教科書的存在となった「珠洲のれきし」が刊行されております。 

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 式典と「60周年記念要覧」(上記写真)の発行だけだと「誕生会」で終わってしまいそうである。
 大兼政議員の質問の前年、2012年の9月議会で私は60周年への思いを以下のように発言している。これも紹介したい。

(2012年9月議会の一般質問から)
 珠洲市が発足したのは1954年7月15日。つまり2年後の2014年には市制60周年、人間でいうと還暦を迎えることになります。孔子の言葉をかりると、60にして耳順う。60歳で人の言うことを逆らわず素直に聞けるようになったという意味です。珠洲市は長く旅人から、「いいところですね」と言われても素直に聞けませんでした。冬の厳しさ、産業基盤の脆弱さ、そして過疎、高齢化が急激に進む中、「どこがいいとこや」というのが、多くの人の本音でした。世界農業遺産、GIAHSの認定は、「いいところですね」とよその人から言われ、「そうやね、いいとこいっぱいあるわいね」と、言えるようになったことが一番のポイントかなというふうにも思います。まさに、60周年にして耳順うではないでしょうか。
 来年2013年4月には、能登有料道路無料化となり、「ふるさと紀行『のと里山海道』」になります。GIAHS(世界農業遺産)国際ワークショップの能登開催も期待されます。さらに2年後、2015年春の北陸新幹線の金沢開業を迎えるわけですが、その間の2014年に市制60周年を迎えることとなります。
 GIAHSの価値や意義は、歴史をさかのぼって、中世若山荘成立以降、あるいは能登の国建国1,300年の歴史の中でとらえるべきものかもしれません。しかし、市制60周年の節目、先人の苦労と幾多の紆余曲折を経た歴史の1つの到達点としても、世界農業遺産の意義を市民の間で確認し合うことは非常に重要なことではないかと思います。
 さらに今回は、市外、県外の人たちにもアピールできる絶好のタイミングです。GIAHSへの関心や理解は高まってきたとはいえ、やはり「私らの生活とどう関係あるんかわからん」との声があるのも事実です。GIAHSを活用した取り組みを交流人口の拡大、地域の経済の活性化につなげ、里山里海の保全、活用が地域の活力や暮らしの向上につながると実感してもらうチャンスではないかと思います。
 市制40周年では、40周年関連事業が市内各地で展開されました。50周年では、子どもたちからお年寄りまで、気軽に気楽に珠洲の歴史や文化への理解が深められる「すずの歴史」が発刊されました。来る60周年を単なる式典だけで終わらせることなく、GIAHS関連事業を、四季を通じて市内各地で展開していってはどうかと思いますが、いかがでしょうか。
 加えて今議会では、市長が自然との共生を目指す本市の象徴的な体験型宿泊施設と位置づける、木ノ浦の観光交流拠点施設の整備に向けた予算が計上されました。私はこの施設は単に旧国民宿舎きのうら荘の建てかえというとらえ方ではいけないし、木ノ浦にある単なる1施設として採算問題だけに目が行ってもいけないと思っています。そういう意味で、この間の日置地区の取り組みの成果を踏まえ、人と人のつながり、地域経済のつながりを広げていく施設であり、すず里山里海ミュージアム構想の拠点としての面的な広がりの中で位置づけを示されたことは、非常に重要なことだと思います。
 私はさらに、時間軸の中でもその生かし方を考えていくべきだと思います。新施設は2014年春を目標に整備を進める計画となっています。まさに60周年の拠点施設として、市内外にそのねらいとするところをアピールしていってはどうかと思いますが、いかがでしょうか。
 冒頭、先走った質問と言いました。木ノ浦地区の新施設については今議会で設計費が計上されたばかりで、議会の同意はこれから。建設工事費の計上はまだ先の話です。しかも市長の2期目の任期は、市制60周年となる7月15日の直前、6月10日で切れます。現時点で先走った答弁はしにくいことを承知しつつ、1つの提案として質問をさせていただきました。


 木ノ浦の施設は「木浦ビリッジ」と名称は決まったが、残念ながら今日の式典に竣工は間に合わなかった。
 しかし、GIAHS(世界農業遺産)の関係では、来賓として友好都市である佐渡市の甲斐元也市長にも駆けつけていただき祝辞をいただく。佐渡市とは交流の歴史は古いが、GIAHS認定を機に交流が活発化し、官民問わず多方面に広がっている。

 そしてもう一つが自然共生ロゴマークの発表である。

  

 ロゴマークの私の印象は置いておくとして、少しは私の思いも今日の節目につながったかな???



 


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