ブログ仙岩

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「しあわせ運べるように」はこうして生まれた

2016-01-16 08:28:14 | エッセイ
「しあわせ運べるように」ができたのは、1995年阪神・淡路大震災から約2週間後の避難先の親戚宅で見たテレビニュースに、神戸・三宮の惨状が映し出された。映画を見たりした三宮の現状から故郷神戸を初めて意識した。と司会者から質問されて答える臼井真先生の言葉を今朝「明日へのことば」を聞いた。

あの朝、神戸市東灘区の自宅で朝食を済ませて2階に上がった直後、地震が起きた。自宅は全壊して、1階はぺしゃんこになった。もう少し1階にいたら……。自分は奇跡的に助かったが、悔しい思いで亡くなった方がたくさんいる。強い心を持って生きていかないといけないと思い、目の前にあった紙に鉛筆で「地震にも負けない」とわずか10分で書いた。子供のころから友の悪口を作詞作曲をして母に叱られたとか、恋などの作曲はむいていないことが分かったと。

2月の末学校が始まると、何もできない自分を恥じたが、3年の授業で初めて歌い、吾妻小の朝礼で初めて子どもたちの歌を避難者が聞いて、「歌に元気をもらった。頑張らなければ」と言ったので何の役にも立たない自負の念が絶望のなかの希望の曲と思えた。

2011年に発生した東日本大震災後、歌詞中の「神戸」を「ふるさと」に置き換えたり、新潟県中越地震で全村避難の山古志村で「神戸」を「山古志」に替えたものに。

英語、中国語、フランス語、ペルシア語、アラビア語、トルコ語、カンボジア語、イタリア語、ハンガリー語にも訳され、それらは日本国外でも広く歌われている。

歌のテープが神戸市の小学校から贈られるなどし、また東日本大震災後、「福島」「浪江町」など被災地を中心に多様なバージョンが制作され教育現場を中心に歌い継がれている。

臼井真1960年、兵庫県神戸市東灘区生まれ兵庫県立芦屋高等学校、大阪芸術大学演奏学科卒業。1983年より神戸市内の小学校で音楽専科教諭を務める。