ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

新地町家族に乾杯の続き

2016-02-23 08:23:30 | エッセイ
昨夜、間寛平・鶴瓶の家族に乾杯新地町の続編を見た。仙台の知人から東北の人の良さが出ていてよかったというメールが届きました。

1月20日収録したようで、役場を出た寛平さんは案内人から支援自衛隊の国旗に新地復興フライキをみて、偶然に出会った建設会社社長と意気投合し喫茶店へ繰り出す。寒そうな格好で食堂を探して歩いていると、鍋焼きうどんの看板が目に留まり、入ると農協でした。大歓迎を受け、お腹空いたことを告げると、作ってくれるというので、近くの販売所で安いねーと言いながらネギと卵を買い、笑いが一番と3人の女性とポーズをとり、戻って、「おまえに」を口ずさみながらできたうどんを頂いた。

農協に別れを告げ、仮設住宅へ、自治会長とお話しして、住宅へ、朝顔の種を取る兄弟に無視され、ほとんど空になった仮設今年4月から解体という。その仮設で原ノ町の人に出会い、次に、前を通る女の子に話しかけついていき、上がると6人兄弟で、震災前に3人、震災後に3人生まれたという南相馬の家族と。

一方、鶴瓶は仮設で浪江からの避難者と出会い、お話を聞いてから、歩き出すと、75歳のおじいさんと出会い、従弟の小野さんを教えてもらい、上がり込むと、新築のきれいなお家で、ソファーに座り、電話で呼び出すご主人を待ち、何もいらんと言いながら・・・。帰ったご主人から、津波で、弟は船で沖へ出て亡くなった。昔は船が大切だからそういったのであろう。この震災で「絶対船を沖へ出してはいけない」と後世に伝えるようにパソコンでの記録に頑張っているという。鶴瓶も感動していた。

終わりに、6人兄弟8人家族の荒さんからメッセージが届き、5年後にまた会いましょうの言葉に、目が潤み、私的にお会いしたいと感想を述べていた寛平さんの人柄を見せていただいた。ありがとう。