ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

スキーツアーバス事故に思う

2016-01-17 08:37:07 | エッセイ
今日17日は阪神淡路震災から21年である。今朝ラジオの合図で5:46神戸方向むいて黙とうした。

14日東京を出発、スキー愛好者を載せたバスが長野県のスキー場目指して走行中、碓氷峠を上り、下りになった軽井沢の入山峠で右に転落、スピードが出てていたのであろう、14人死亡、男性2人が重症と大変な事故となった。

事故原因を結論から言うと、眠らなければいけない夜に起きて運行していることである。

狭い日本そんなに急いでどこへ行くの標語通りである。誰でも安い運賃は魅力である。しかし、ただほど高いものはないという。規制緩和でバス会社も増え、特に今年は雪不足で、ツアー会社も気をもんだであろう。ようやく寒波襲来スキーが可能になり、スキー愛好者は待っていましたと息があった出来事である。

やったこともないスキーを歩いて行ける旭川の春光台スキー場で練習し、滑れるようになった私であるが、今春光台は住宅地になっているようで遠い昔の話である。

いわきでのスキーは、猪苗代、裏磐梯か安達太良でスキーを楽しんだ。ここまで移動すれば当然事故は付きまとう。それを防ぐには、十分な睡眠、バランスのいい食事そして、安全な服装でのスキーである。

バスの運転者は命を預かっており、スキー愛好者より健康で、睡眠、食事、運動が要求される。何が狂ったのであろうか、事故の原因調査の結果を待ちたい。亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。また、入院されている方の一日も早い回復を期待します。


「しあわせ運べるように」はこうして生まれた

2016-01-16 08:28:14 | エッセイ
「しあわせ運べるように」ができたのは、1995年阪神・淡路大震災から約2週間後の避難先の親戚宅で見たテレビニュースに、神戸・三宮の惨状が映し出された。映画を見たりした三宮の現状から故郷神戸を初めて意識した。と司会者から質問されて答える臼井真先生の言葉を今朝「明日へのことば」を聞いた。

あの朝、神戸市東灘区の自宅で朝食を済ませて2階に上がった直後、地震が起きた。自宅は全壊して、1階はぺしゃんこになった。もう少し1階にいたら……。自分は奇跡的に助かったが、悔しい思いで亡くなった方がたくさんいる。強い心を持って生きていかないといけないと思い、目の前にあった紙に鉛筆で「地震にも負けない」とわずか10分で書いた。子供のころから友の悪口を作詞作曲をして母に叱られたとか、恋などの作曲はむいていないことが分かったと。

2月の末学校が始まると、何もできない自分を恥じたが、3年の授業で初めて歌い、吾妻小の朝礼で初めて子どもたちの歌を避難者が聞いて、「歌に元気をもらった。頑張らなければ」と言ったので何の役にも立たない自負の念が絶望のなかの希望の曲と思えた。

2011年に発生した東日本大震災後、歌詞中の「神戸」を「ふるさと」に置き換えたり、新潟県中越地震で全村避難の山古志村で「神戸」を「山古志」に替えたものに。

英語、中国語、フランス語、ペルシア語、アラビア語、トルコ語、カンボジア語、イタリア語、ハンガリー語にも訳され、それらは日本国外でも広く歌われている。

歌のテープが神戸市の小学校から贈られるなどし、また東日本大震災後、「福島」「浪江町」など被災地を中心に多様なバージョンが制作され教育現場を中心に歌い継がれている。

臼井真1960年、兵庫県神戸市東灘区生まれ兵庫県立芦屋高等学校、大阪芸術大学演奏学科卒業。1983年より神戸市内の小学校で音楽専科教諭を務める。

歌会始で福島を詠む

2016-01-15 09:11:29 | エッセイ
小正月のかせどり、団子差しなど各地で正月行事が行われた14日、皇居宮殿「松の間」で歌会始の儀が、皇族14首、一般16首のうち入選者10首などが伝統的な節回しで披露された。写真は今朝頂いたお祝いのお赤飯。

福島の菊地イネ(82)さんは被災地の除染の一瞬を垣間見た光景を読んだもので、「休憩所の日向に手袋干しならべ除染の人らしばし昼寝す」。

ふるさとの復興願いて語りあふ若人たちのまなざしは澄む・・・と雅子様がふたば未来学園を視察した時の思いを詠んだ。

また、秋田の鈴木仁さんは「野馬追の一人となりて風にたつ相馬の空の澄みゆく朝」と」野馬追を詠んだもので佳作にはいった。

感銘したのは「人知れず献体手続きしてをりぬ伯母を見送るくんちの街に」長崎県渡部誠一郎さんの歌であった。

働き癖の日本人が変わるには

2016-01-13 08:42:41 | エッセイ
あぶくま抄から、日本人は世界一休みに無関心だそうだ。働きバチと皮肉られ有給休暇を取るのに罪悪感を覚える。

調査によると、年に何回有給休暇があるか知らない日本人の割合は53%で、欧米やアジア26ケ国で最高という。2位のオランダでも38%を大きく引き離している。私も休暇をとることに罪悪感を覚えた一人である。

福島県内の被災地自治体職員の7人に1人うつ病などのストレスを訴えているという。

一方福島市で避難生活している浪江の70代の男性は、震災直後びっしりと避難先での出来事や出費の内訳、健康状態を細かくノートに記録していた。原発への怒り、そして必ず帰ると書いていた。が2冊目3冊めになると文章は少なくなり、5冊目の昨年10月最後の頁には「散歩」と書いて終わってしまった。茶飲み友もいないので歩くのが日課となっていた。

また、認知症の避難者は無意識に故郷を目指し、双葉郡内で亡くなっている方が見つかったと警察官はいう。

動く、働くは勤勉、休むは怠惰の日本人の感覚、動いていれば仕事をやっていると他から見えるように、常に他を気にしている。日の丸のお上感覚である。

それに対して、外国人は、長く働いているのは能力がないと見られるから効率よく動き、休む必要が生まれる。短時間で量をこなす。だから、今夜7時に会食しましょうと約束しても、7時に集まる人はいない。始まるのは7時半から8時近くになる。

集団主義から個人主義に変わり、お上的感覚を捨て、効率の良い働き方をすれば当然休むことが必要になる。