2月14日(土)
8時頃に自宅を出て、富士市に向かう。
心配された天候も、西に向かうほど晴れてき、うららかな陽光となった。
新幹線にて、新富士駅に下りる。之よりタクシーで南松野の東光寺に向かう。
車中、運転手と富士市の景況など雑談する。此処には、製紙メーカーや幾つかの製造工場があるが、ご多分に洩れず暗いと云う。
富士川沿いに上り、20分ほど走った小さな盆地の入り口、戸数100~200戸余りの鄙びた集落が南松野だった。
小澤常敏先生の本葬は、生家の「東光寺」にて執り行われた。
此処のご住職であり、また身延町の南松院の住職も兼任されていた。長く教職にも就かれ、地元では剣道の指導もされていた。
臨済宗妙法寺派の本山や関係寺院の僧侶30名程の読経の中、地元の檀家・信徒、身延からの檀家、剣道関係者と共に、本堂前に張られた大テントの下に参列した。
僧籍にある人の本葬を、津葬(シンソウ)と云うそうだ。冥土に渡る、河岸(津)から送り出すと云う意味だそうな。
少しは、仏教のことも知らなくていけない。
余談だが、先般、地球市民の会・古賀前会長の仏壇の前に佐藤現会長と並んだ時、佐藤さんは「般若心経」を朗々と唱えられた。
葬儀の帰途、春霞の向こうに富士の山が美しく立っていた。
写真は、「東光寺 山門」
8時頃に自宅を出て、富士市に向かう。
心配された天候も、西に向かうほど晴れてき、うららかな陽光となった。
新幹線にて、新富士駅に下りる。之よりタクシーで南松野の東光寺に向かう。
車中、運転手と富士市の景況など雑談する。此処には、製紙メーカーや幾つかの製造工場があるが、ご多分に洩れず暗いと云う。
富士川沿いに上り、20分ほど走った小さな盆地の入り口、戸数100~200戸余りの鄙びた集落が南松野だった。
小澤常敏先生の本葬は、生家の「東光寺」にて執り行われた。
此処のご住職であり、また身延町の南松院の住職も兼任されていた。長く教職にも就かれ、地元では剣道の指導もされていた。
臨済宗妙法寺派の本山や関係寺院の僧侶30名程の読経の中、地元の檀家・信徒、身延からの檀家、剣道関係者と共に、本堂前に張られた大テントの下に参列した。
僧籍にある人の本葬を、津葬(シンソウ)と云うそうだ。冥土に渡る、河岸(津)から送り出すと云う意味だそうな。
少しは、仏教のことも知らなくていけない。
余談だが、先般、地球市民の会・古賀前会長の仏壇の前に佐藤現会長と並んだ時、佐藤さんは「般若心経」を朗々と唱えられた。
葬儀の帰途、春霞の向こうに富士の山が美しく立っていた。
写真は、「東光寺 山門」