オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

記念日

2009-12-09 | Weblog

12/9(水) 深夜に目覚め、あれこれ取りとめも無いことが浮ぶ。眠れぬまま、5時から弁当作りに入る。

今日は、フランスパンのサンドイッチにご飯弁当が二つ。サンドイッチは、家人用に、ご飯弁当はK君と私用と三人分の弁当。

お菜は、豚肉と玉葱・ピーマン・マイタケの炒め物、里芋と蕪・蓮根の煮物。余計なことをして、煮物にホタテを入れた、これは失敗。根菜は根菜だけが良い。折角、ダシまで摂って煮たのに残念!

他に、牛蒡・蒟蒻・蓮根のピリ辛炒め煮とブロッコリを茹でる。サンドの具は、ゆで卵とポテトのサラダ、生ハム・ハム、レタスとタマネギ。珍しく、人参と胡瓜が品切れとなっている。ご飯弁当に、ポテトサラダを付ける         

               

              フランスパンサンド     Kと私の弁当

 三人分の弁当が完成するも、お菜はタップリと余る。炒め物は、私同様に濃い味好みのKと自分のご飯の上に乗せて丼風にする。そうにでもしないと、お菜が収まらない。残りは、今夜のおかずか?Kのオニギリはサンドイッチに変更。

                   

              Kの弁当                   残りお菜

 記念日

 また、今年も誕生日を迎えてしまった。早いものだ。

生きていると云うことは、誕生日を迎え齢を重ねる。馬齢を重ね、という言い方があるが、私の場合は馬にさえ失礼になるだろう。

 二十歳を迎えた誕生日に、自分を振り返った時と全く変わっていない。と、云うことは、人間的と云うべきか、頭脳的にと云うことが正しのか判らんが、進化していないと云うことであろう。

こんな人間を、よく生かしてくれるものだと感心する。何に対してか、と聞かれれば、答えようもないが・・・。とはいえ、生きている以上は生きていかなくてはならない。それも精一杯に。

昨日、或る広告代理店の部長に会った。私より年下のこともあり、時どき「兄貴」と呼ばれることがる。その彼から言われた一言が重い。

「兄きは、何時でも、何処にいても四番に座る人。その人が、7番や8番、ベンチにいるような考えや、いるようでどうするのよ。いつも、輝いていてほしい」云々と。買いかぶりすぎであろうが、一理はある。

若い者に任せ様などの考えではいかんと思いながらも、舞台に立つ側で出なく、監督を志向する自分が或る。それは、もう少し先か・・・。

 

夜は、青果の老舗「海老屋本店」の店主、Aさんと久しぶりにあった。青果の売れ行きもよくないとのことであるが、何処も同じだが、海老屋にはこだわりの・取って置きの商品群がある。

全国津々浦々、匠の技の生産者を発掘し、お客さんに届けるという。生産者と物の価値を理解する消費者を繋ぐ、海老屋本店ならではの商品ラインナップ。

折角の海老屋ならではの商品群、類希なる生産者。これをもっと知って貰うための取り組み、それを積極的に行うのが海老屋の使命ではないか?とA氏に説く。釈迦に説法とはこのことかも・・・。と云え、手伝えることは、幾らでもある!

因みに、海老屋本店のこだわりの逸品、2009冬版でNet販売がされてます。海老屋本店のwebサイトからご覧下さい。

そんな話、あんな話。愉しくもあり、稔り多き一日となった。

 

 

コメント
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