12/9(水) 深夜に目覚め、あれこれ取りとめも無いことが浮ぶ。眠れぬまま、5時から弁当作りに入る。
今日は、フランスパンのサンドイッチにご飯弁当が二つ。サンドイッチは、家人用に、ご飯弁当はK君と私用と三人分の弁当。
お菜は、豚肉と玉葱・ピーマン・マイタケの炒め物、里芋と蕪・蓮根の煮物。余計なことをして、煮物にホタテを入れた、これは失敗。根菜は根菜だけが良い。折角、ダシまで摂って煮たのに残念!
他に、牛蒡・蒟蒻・蓮根のピリ辛炒め煮とブロッコリを茹でる。サンドの具は、ゆで卵とポテトのサラダ、生ハム・ハム、レタスとタマネギ。珍しく、人参と胡瓜が品切れとなっている。ご飯弁当に、ポテトサラダを付ける
フランスパンサンド Kと私の弁当
三人分の弁当が完成するも、お菜はタップリと余る。炒め物は、私同様に濃い味好みのKと自分のご飯の上に乗せて丼風にする。そうにでもしないと、お菜が収まらない。残りは、今夜のおかずか?Kのオニギリはサンドイッチに変更。
Kの弁当 残りお菜
記念日
また、今年も誕生日を迎えてしまった。早いものだ。
生きていると云うことは、誕生日を迎え齢を重ねる。馬齢を重ね、という言い方があるが、私の場合は馬にさえ失礼になるだろう。
二十歳を迎えた誕生日に、自分を振り返った時と全く変わっていない。と、云うことは、人間的と云うべきか、頭脳的にと云うことが正しのか判らんが、進化していないと云うことであろう。
こんな人間を、よく生かしてくれるものだと感心する。何に対してか、と聞かれれば、答えようもないが・・・。とはいえ、生きている以上は生きていかなくてはならない。それも精一杯に。
昨日、或る広告代理店の部長に会った。私より年下のこともあり、時どき「兄貴」と呼ばれることがる。その彼から言われた一言が重い。
「兄きは、何時でも、何処にいても四番に座る人。その人が、7番や8番、ベンチにいるような考えや、いるようでどうするのよ。いつも、輝いていてほしい」云々と。買いかぶりすぎであろうが、一理はある。
若い者に任せ様などの考えではいかんと思いながらも、舞台に立つ側で出なく、監督を志向する自分が或る。それは、もう少し先か・・・。
夜は、青果の老舗「海老屋本店」の店主、Aさんと久しぶりにあった。青果の売れ行きもよくないとのことであるが、何処も同じだが、海老屋にはこだわりの・取って置きの商品群がある。
全国津々浦々、匠の技の生産者を発掘し、お客さんに届けるという。生産者と物の価値を理解する消費者を繋ぐ、海老屋本店ならではの商品ラインナップ。
折角の海老屋ならではの商品群、類希なる生産者。これをもっと知って貰うための取り組み、それを積極的に行うのが海老屋の使命ではないか?とA氏に説く。釈迦に説法とはこのことかも・・・。と云え、手伝えることは、幾らでもある!
因みに、海老屋本店のこだわりの逸品、2009冬版でNet販売がされてます。海老屋本店のwebサイトからご覧下さい。
そんな話、あんな話。愉しくもあり、稔り多き一日となった。