オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

鶏肉

2009-12-24 | Weblog
12/24(木)今日は、世間ではクリスマスイブとかで浮かれる宵のようだが、小生の周りではそんな気配もなし。淋しい限りのイブの宵を迎えている。

今朝は、知人の父上のご逝去で幡ヶ谷の葬儀場に直出する。そんなこともあり、弁当は作らぬつもりでいた。娘も不在で不要、K君には昨日今日の弁当は無いと伝えた。

処が、起きてみると落ち着かない。家人の「いいよ」という声を聞きながらも、一人の為の弁当の用意をする。

メニューは簡略して「鶏肉と蓮根・里芋の煮物」「ホーレン草と卵の炒め物」「手抜きの卵焼き」それに冷凍のシューマイを暖めた。ご飯は、一応四合ほどを炊く。

数が少ないと、早い早い、あっという間に出来上がった。味も程々に良し、今日のひと仕事を終えたような気分となった。


 余話
さて、今日の葬儀場だが、四年か五年前になるか、たまたま今日の故人と同名の方の葬儀で行ったことがある。冷たい秋雨の降る夜であった。

その故人とは、或る視察旅行でヨローッパにご一緒し、それ以来、同行したグループで年に何度かゴルフや飲み会をする会を作っていた。

以来、何年かが経ち、この年の秋の土曜日、二組だけのゴルフコンペとなった。私と故人とは同組であった。6ホール目、ティーショットを打ち終えて二打目地点に向った。

私は右サイドを、その人は左サイド歩いていた。二打目地点に立ち、ふっと右サイド見るとその人の姿が無い。よ~く見ると、芝生の上に横たわっている。転んだのかなと、思った。動かないので、傍に寄って行った。

その人は、そのまま還らぬ人となった。心筋梗塞であった。私を含め、誰もが為す術が無かった。

あの秋雨が降る日、同じ葬儀場でその人の弔いが行われたのだ。
そのことを、思い出していた。

後日、私は日赤が主催する「救急法」の講習会に参加した。為す術を身に付けるつもりで。

しかし、あれから何年か経ち、すっかり錆付いてしまった私の術。
されど、これまで使うことが無かったのは、幸せなことであろう・・・。
コメント
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