オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

オムスビ&川エビ

2011-11-22 | Weblog

11/22(火) 今朝はオムスビとなった。昨夜、遅くに帰宅してふと思い出したのが「紅鮭のカマ」のこと。弁当用にと、釧路フッシャーマンワーフの高橋商店から取り寄せたが、冷凍庫に仕舞ったままである。

先般、時鮭を頼んだおりに弁当やオムスビに使い勝手がいいものをと云うと、紅カマを進められて買った代物。それ以来、味見もしていない。これを使おうと思い立ち「オムスビ」登場である。

単純な男の、単純な発想とはこんなものだ。昨夜の残り飯はフリカケと若布まぶしの小さなオムスビにする。メインの鮭と梅干のオムスビ用には新米を炊く。飯が炊き上がるまでの間に菜を準備する。

                          

今日の菜は弁当箱に詰める。オムスビとは別に設える本格弁当を目指すことにした。菜は、色合いに主眼を置いた構成とする。何時もだとオムスビ=簡単・単純との考えを払拭しようとの魂胆もあった。

とは云いながら、食材は何時もと同じような物である。揚物と煮物、それに定番の卵焼である。

根菜と豚肉の煮物を準備、大根と人参これに残っていた九条ネギを最後に放り込む。煮汁に日本酒をたっぷりと使うのが私の流儀。揚物は、これも先日に残した四万川の手長エビの唐揚とさつま芋の素揚げ。最後に、卵焼きに掛かったが、揚物をしながらの、ながら調理で珍しく失敗作となった。

                          

失敗はまだあった。煮物の火を止め忘れ焦がしてしまった。下手オヤジであった。

                          

オムスビは都合十二個ほど完成、今日は何時もより小ぶりの上品な大きさである。そうこうする内に1時間以上が経過した。大急ぎで弁当に詰めたのであった(長女が取りによるのが早いのだ、おまけに娘を保育所に届けてくれとの依頼まであった)。

                     

飯抜きの弁当箱なので、柿とリンゴのデザート付きとなった。中々美しい出来栄えと自賛した・・・。自分の分が必要なしとは、ちと残念な気もするが・・・。

 

 「保育所」

今朝も長女が1歳になった娘を連れてきた。送り担当の旦那が早くに出社とかで、保育所の預かり時間まで家で預かり保育所まで連れて行けとのこと。仕事を持つ母親というのは、誰かがサポートしないと続かない。

娘夫妻は、昨年の師走に我が家の近所に引っ越してきた。当然、仕事を続けながらの育児を想定してのことだろう(弁当もその戦略に嵌まってのことだが)。自分達が若かった頃のことを思えば協力は吝かではない。

こんなことを書くと、さも私が育児に協力的であったかのようだが・・・そんなことは有り得ない。山ノ神任せであった。家人はづ~っと、と云うかほぼ働いているので、子供達は小さい頃は保育所育ちである。

長女が生まれた頃は、保育園の保育時間も融通が利かず、早い時間は駄目だった。そんなことで困った時期がある。そんな苦境を救ってくれたのが、ボランティアで保育時間まで預かってくれ、送り届までしてくれた方の出現であった。

大岡山のSakisakaさんという方であった、半年以上預かって下さり、謝礼は一切受け取らなかった。有りがたかった。そう云う方が居たから、巡り会えたからこそ家人は仕事を続けることができた。

そんな自分達の経験があればこそ。少子化とか云われる時代なればこそ、子育ての支援はお金ではないと思う次第。子育ての環境を整備することが、高齢化社会への対応や婦人の社会参画に如何に重要か・・・と思う。

環境が整ってない時代、我が家で四人も育ってきたのは偏に廻りの理解と協力、見ず知らずの方の支えに拠った。それを思えば、如何様の協力も辞さないのが・・・だが、それも家人に任せきりである。オヤジは当然、失格オヤジ也。

 

コメント
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