11/29(火) 今日は「オムスビ弁当」、オムスビに菜がつく本格派のお弁当。何しろ、今朝は五時半から台所に立つと云う暇ぶりである。時間つぶしには菜でも作るしかない。
五時前に目覚め「オムスビにしよう」と布団の中で決めた。定番のオムスビでは味気ない、挽肉とネギ&味噌の「ネギ味噌」を作り、具にしようと思い立つ。それに時間もたっぷりとあるので、菜も何種か作り「本格オムスビ弁当」でいくことにしたのだ。
先ずは米を三合炊き、食材を漁る。一品目は、昨夜氷見市場(富山県)から届いた烏賊のゲソ&エンペラのバター焼き。オムスビ用の鮭のカマを焼く。
この烏賊は、ヒラマサと一緒に金沢の義妹が送ってきたアカイカと紋甲イカ、本体は刺身にして昨夜のうちに胃の腑に納まった。(遅い帰宅なので今朝は胃もたれ)
二品目は、野菜の煮物。南瓜と人参&インゲンを煮た。三品目は小松菜のお浸しの胡麻和え。四品目は、パスタサラダで胡瓜細切りと茹で人参が加わりオリーブオイルと塩胡椒で味付け。五品目は、豚肩ロースとタマネギの炒め物。
挽肉と刻みネギ・生姜、料理酒が品切れているので味醂と醤油を垂らして、味噌を加えてフライパンで炒める。これでオムスビの具が出来上がった。
定番卵焼きを作ろうかと思ったが、とどまる。弁当箱に収まりそうにない。取敢えず、ご飯を握ることにした。二種のオムスビと五種の菜、其々の弁当箱に詰める。オムスビは都合八個を握る。
今朝の食材は、小松菜・南瓜・人参・インゲン・タマネギ・生姜・ネギ・パプリカ・胡瓜・烏賊・豚・合挽・鮭、以上のはずである。調味料は、味醂・塩・胡椒・醤油・味噌・白だし・ウェイユ、ニンニク、以上。
かくして、洗物を終えたときは二時間近くも経過していた。三人前の弁当なのに、疲れた~であった。
「脱サラ漁師」
昨夕、渋谷の或る方の事務所を芋焼酎を片手に訪問した。その方、Tさんは映像のプロディユースを生業としており、付き合いは16・7年となろうか。会うのは、約一年ぶりか。
最近の情勢を訊くと「さっぱりアカンな、もう店仕舞いや」と言う。数年前に胃を全摘、心臓を悪くしたりと満身創痍であるが、意気軒昂な人である。が、仕事が少なくなり流石に堪えたとのこと・・・。
以前はスタッフを二・三人抱えていたが、ここ数年は一人で仕事をしている。実は、ここに居たスタッフでS君という人がいる。彼は数年前、映像の仕事に見切りをつけて漁師に転職した。
何が彼を漁師に向かわせたのか、詳しいことは聞いていない。全くの素人で、何の縁のないはずの職業に転職、それも漁師とは、後から聞いて驚いたものだった。
その彼は、漁師になるために方々の処を探したようだが那智勝浦に縁を得て、其処で漁師となった。
年賀状のやり取りだけは続いていた、正月に届く写真入りの賀状には元気な姿が写っているが、漁師の暮らしは中々厳しいように見受けた。
一度ゆっくりと話を聞きたいと思っていたが、12月1日から3日にかけて、吉野・天川・熊野を訪れる機会に恵まれた。この機会に、S君に会い、話を訊きたいと手紙を出した。
日曜日、携帯が鳴り、出ると彼からであった。元気一杯の声で「待ってますよ」とのこと。
漁師になる経緯、漁師の暮らし、土地のこと、色いろと訊きたい・・・。
その暮らしなどは改めてレポートしよう。
そんな予定もあり、またTさんとも暫く会ってないこともあっての渋谷の事務所訪問であった。Tさんは、今スタンバイ中の仕事を終えると事務所を閉め、生まれ育った京都に帰ると云う。「友達が皆、こっちやろ。よう会えんなるし、それが淋しいわ」と言う。
最後に偽善と偽悪、どっちがええやろ。と、いう話になった。Tさんは「偽悪の方がなんぼかええぜ」と言う。そう言うTさんであるが、偽善でも偽悪でもない、真っ正直にストレートに生きている、としか見えないのだが・・・。
Tさんのかつてのペンネームは「滝田 修」という、学者であり思想家であり、実践者である。私が接するTさんは、何よりも義理・人情の人である。男の中の男、と云える。