オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

佐賀~そして弁当

2014-12-02 | Weblog

12/2(火) 五時前に目が覚めた、夢を見ていたのだが、昨日・今朝と面白い夢じゃなかった。ついては、夢の話は割愛する。五時過ぎから起きだして、台所遊びとなった・・・。

土曜の午後、佐賀に入りホテルにチェックイン前に、佐賀駅前に或る「ユニカレさが」で地球市民の会・事務局長OONOさんと、この夜に開かれる「古賀武夫物語(仮称)」出版企画実行委員会の件について事前打ち合わせをした。お互いの情報不足から、相当の齟齬があった。

                      

「ユニカレさが」(ユニーク・カレッジ)は、OONOさんが始めた福祉事業で、知的しょう害を持つ人たちの就職・自立・企業をサポートする学校である。佐賀県内では初めての試みだと思う。その志やよし、として僅かながらも出資者となっている。

19時から「世界平和道場」にて、出版企画のキックオフとも云える会が始まり三十数名が出席した。OONOさんの司会と進行で、概要・スケジュール・予算(資金=集め方)方針があり、了承されたと見えた。私は、この企画の必要性について簡略ながら話をした。平成27年3月の古賀さんの命日、或いは同月の生誕日(武桜会)には出版の予定である。

ライターは縁の深いHASHIMOTO君に、出版社は福岡市の石風社と、私の提案どおりに進むこととなった。これからは、肝心要の資金調達となる。相応の負担は覚悟の上だが「地球市民の会東京」の皆さんの協力を仰ぐことにもなりそうだ。これが一番心苦しいのだが・・・浄財と思って頂ければ嬉しい限り。

21時過ぎに会が終わり、その後は例によってNAKAMIZO女将の店「寄ん処」にて十名ばかりで懇談となった。女将の娘SHIHOちゃんが婚約したとのニュース、それに加えて市民の会IWANAGA君が先週華燭の典を挙げたとのことで、心ばかりのお祝いを進呈した。宴は、カボチャの馬車が出るまでつづいた。

                   

そして明けた日曜日、帰京である。ホテルをチェックアウトしたあたりから、朝方に射していた日の光が失せ、曇天になっていた。佐賀駅からバスセンターへとつづく、小規模なショッピング&飲食街で朝飯兼昼飯を、洒落て云えばブランチという処だが、腹に喰い物を入れることにした。数が少ない食い物屋、それに店開き前が多い。結局、腹に重いトンカツ屋しか選択肢がなかった。

ホテルの朝食、バイキングでは歯止めなく喰ってしまう(貧乏オヤジは、喰い放題だと意地汚いのだ)と、止めたのになぁ・・・である。これからが本領発揮、先ずは生ビール(これは休日の朝飯では習慣だから)、串フライ五本セットを摘みにした。飯の方は、親子丼となった。何処へ行っても食い意地が張ってるぜ!

                        

喰い過ぎの腹を抱えて空港行のバスに乗った。すっかり雨模様になっていた。バスから見える堀端の水面は雨粒が刺さるように落ちていた。前日、東京を発つ時も雨、佐賀に着くと晴れていた。この日、羽田に着くと曇り空であった。飛行機に乗るまでは江戸も佐賀も雨、降りれば上がるとバランスが取れていた?

 

昨日の月曜日は、夢見が悪くて寝坊してしまった。潔く、弁当作りを諦めたのである。その反動か、今朝は早起き。冒頭で述べたとおり、五時から弁当遊びをした。

冷蔵室の中を見ると、日曜日に買った鶏肉が残っていた。ソテーにするか、煮るか?否。鶏の混ぜご飯にした。鶏と牛蒡・人参・蓮根・薄揚げを甘口に煮上げて、ご飯と混ぜ合わすやつだ。そして、鶏肉を少し加えた大根煮。この大根煮をメインにしたいぐらいだが、味見はしていない。

そしてハンバーグとピーマンの肉詰め焼き。ホウレン草のお浸しオカカ掛け、千切りジャガとタマネギスライスを炒めたオムレツ風卵焼が今日のメニューとなった。

             

 

 

 

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