オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

炒飯弁当

2014-12-03 | Weblog

12/3(水) 師走だが、走り出すような忙しさも気配もない。悪戯に齢を重ねて来た所為か、足腰とともに脳味噌の方も弱りに弱った所為かもしれない。

昨晩は「ローカーボ」から「ちょっぷく」と、安酒を飲んで歩き帰宅は23時を大幅に廻っていたはず・・・。脳内神経がショートを起こして食い気モードが満開。零時になって焼きソバを喰い、更にパンなどまで喰ってしまう始末。挙句に気持ちが悪くなって、全部吐き出してしまったが、これはこれで大正解だ。胃が楽になって26時になって寝入ったようだ。

今朝の起床は7時になっていた、目覚める直前まで夢をみていた。その夢とは、忘れたはずのゴルフの夢であった。友人のOKAZAKI氏と、誰だか判らぬが後輩、もう一人は客先の人であったろう。やたら混雑するゴルフ場で、ハーフを終えてINのティーグランドまで来ると40~50分待ちとのこと。じゃあ私の下宿で一休みして待とうとなった。

私の下宿は、INのスタートの直ぐ脇にあった。何故か冷えたビール瓶が7~8本、二階の部屋の上り框に並んでいた。それを飲みながら、時間が有るから飯でも喰いましょうか、という。便利なことに、その下宿の一階は小さな食堂になっていた。『炒飯と肉野菜炒めをお願いします』と、食堂のオバさんに注文した。

炒飯は一皿600円と、下宿人割引が利いた値段。肉野菜炒めは700円であったが、何れも月末に精算することになっていた。『安くて旨いんだよ』なんて言いながら、皆に勧めていた。『未だスタートまで時間があるよ、ゆっくり食べましょう』と、テイーグランドの混み具合を二階の窓越しに眺めて喋っていた。

前半のスコアについて、あれこれと話していたが、このことについては割愛だ。冷えたビールを飲み、チャーハンを喰う処で目覚めた次第だ。

この時間が7時と云う次第で、弁当の制作時間のタイムリミット過ぎていた。飯を炊くのは諦めて、夢に出てきた「炒飯」を冷凍ご飯で作ることにしたのだ。夢のお告げのとおりとは、泣かせるぜ!

幸いにも長女は休みを取っているとのことで、家人と自分用の二人分でよかった。鮭炒飯となり、具のタマネギ・ピーマン・人参を刻んだ。菜の方は、中華風にとアスパラの肉巻焼き、白菜と豚肉の挟み煮、小松菜の卵閉じ炒め、冷凍シューマイとなった。時間が無い中では、上々のメニューではないか?

              

 

今朝は広島から牡蠣が届いた。後輩の鉄平が広島に住んでおり、この時期には必ず送ってくる。初夏には岡山の「白桃」、初秋には彼の在所の「二十世紀梨」と、もう何十年にも渡って届く。な~んにもしてやれないのに、申し訳ない限りだ。

お互いに若い頃、彼が田舎の高校を卒業して入った独身寮で一緒になり、剣道をやっていたと云うので、剣道部に入れた。そんな縁だが、彼が広島に転勤して東京を去ってから、四半世紀以上経つ。

何か届くたびに、郷里の鳥取で挙式した彼の結婚式に出るため、寝台車の大山だったか出雲だかに乗ったこと、土産に頂いたアゴ(飛魚)の竹輪などのことを未だ思い出す。極上の味がするアゴの竹輪や蒲鉾、出汁のことを知ったのはこの時からである。

 

 

 

 

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