オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

寒いぜ・・・

2014-12-18 | Weblog

12/18(木) 今週になって急に寒くなった。火曜日は冷雨、昨日今日と風があり、寒さが身に沁みる。昼前、歯科にて治療であったが、歯医者に掛かって以来、どうも歯の具合が良くない・・・。

食べ物も旨く感じないし、歯茎をいじられるので塩梅がすこぶる悪いのだ。「歯を抜かれ、挙句の果てに銭まで抜かれて塩梅悪し」と云う心境だ。加えて、年明けからも通って来いとの深情けである。

昨日は、午後から横浜の某社・社長を訪問。旧知の方であるが、凡そ一年近くもご無沙汰をしてしまった。当社の新サービス「ICT教育NEWS]の売り込みと云うよりは、年末の挨拶と最近の状況などの雑談が主体である。それなりに売り込みはしたが、果報は寝て待てだ。

その後といえば、横浜と云えばK大兄が居られる。大兄の時間を貰い、関内駅から中華街へと寒風の中を歩いた。大きな店より小店がいいと、先日BS放送で見た「池波正太郎先生」が通ったと云う店を探したが判らなかった。路地にある店を見繕って入ったが、小さな見せながら悪くはなかった。中華店と云えば紹興酒とばかりにこれを先ず飲む。酒のあては適当に注文。ハイボールは薄かった、ジョッキの向こう側が空けて見えた。

この店を四時前に追い出され、さてどうしたものかと大兄と二人、短日に暮れなずまんとする横浜スタジアムを横目に馬車道へと歩んだ。どうにも半端な時間と酒である。どこぞに適当な店はないかと探し歩んだ。それにして、風が冷たい・・・・。

結局、以前にと云うか一年も前に入った店を探そうとなった。関内駅と馬車道駅の1㎞ほどの間にある小道や路地を探しに探した。そろそろ諦めようかと思う頃、漸く「此処だろう」となった。ドンピシャであったが、あの寒空の下を三十分以上は歩き廻ったことになる。

それほどまでに執念を燃やしたのは、落ち着いた店の雰囲気と気の利いた女将さん、それにカウンターに設えた酒燗用に切り込んである湯桶である。が、残念なことに女将さんは代替わりをしていた。だが、四月から代わったと云う女将さんも感じの良い方であった。未だ上がったこともない二階の座敷では、時間も早いに関らず宴会客が入っていた。

一年前に腰を下ろした同じ席に着いて「燗酒」を頼んだ。冷えた体にはこれが一番である。この店の酒はすべて神奈川県産である。勧められた松田の酒「松みどり」の名で、そのことを思い出した。代が変わっても、踏襲されていた。

訊くと、女将の産は宮城県とのこと、『宮城は何処だね?』と云うと「トマイ」と返ってきた。この地名には、朧ながら聞き覚えがあったが、地図となって現れない。岩手との県境で「登米」とのことであった。そうだった、私の元上司のTACHIBANAさんが、ここで育ったと言っていたのだ。

大兄が浪漫な会話をする「天の川が見えたでしょう」云々と。手伝いらしき齢若の女性は、福島県の出身だとかで、三春の枝垂れ桜の話になり、話を引きとった大兄は、教鞭をとった郡山・日大の桜の見事さを語った。何れもポツリポツリの会話であるが、緩やかな時の中で燗酒と話に温まっていた。

関内駅へと向かう大兄と、馬車道駅に向かう私は、左右に別れた。北風の中を関内へと向かう、ベージュのコートの後姿が、何故か「酒場放浪記」の吉田類を彷彿させた。

 

帰宅は八時過ぎ、何時もなら飲み始める時刻である。床に就いたのも十時と滅茶早であった。お蔭で、今朝の目覚めは四時と、これも滅茶早や。昔を思い出させるような仕事の夢から醒めたのである。幾らなんでも早すぎると、あれこれと思いを巡らせながら、蒲団の中で時を過ごした。

六時半、弁当事をスタート。今日は「大根・人参と鶏肉の旨煮風」「エノキの豚バラ肉巻炒め」「焼き鮭」、定番の卵焼きとシンプルな組み合わせである。弁当を詰め終え、はたと思いだした・・・。昨晩サンドイッチ用のパンを買って帰ったことを!殊ほど左様にボケている。

                       

次女が昨晩遅くに泊まりに来ていた。玄関の見慣れぬ靴を見ても気付かず、起きだしてきた姿を見て思い出したのだ。そういや昨夜、「KAYOが遅くなるので泊まる」と、家人から言われていた。

                     

次女にも、無理やり弁当を持たすことにした。弁当の押し売りだ!私の弁当は、猫飯。ご飯の上にオカカ、その上に海苔を散らしてみた。こう云うのが美味いんよな・・・。

 

 

 

 

 

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