オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

畑に遊ぶ

2014-12-17 | Weblog

12/17(水) 昨日の午後に高知から帰京。朝から小雨だったのが、夕方に外出するときには打ち付けるような雨が冷たかった。外出先は高橋区会議員の主催する会で、来春にある統一地方選出馬に向けた決起大会のようなものであった。氏は、勤勉・篤実のある方なので微量ながらも協力できればと思っている。

その後、赤坂・一つ木通りの「禅」に顔を出した。四半期ごとに案内を貰う、元オーナー故・東郷好彦氏の月命日の会であある。「禅」も今月27日で店仕舞いする。これまで散々に我儘をとおしてきたんだから、最後の月ぐらいは何度か顔を出さなきゃ塩梅が良くない。葉子さんのピアノと唄、フルートの石井幸枝、司会と歌の島さんのステージを聴き、一時間ほどで引き揚げた。雨は上がっていたが、寒かった。

そして今朝、なんとしたことか”お寝坊”ちゃんをした。目覚めると7時過ぎであった。目覚め前の短い位時間に見た夢は覚えている。なんの夢もない、夢だった。
「YOSHIOと台湾だか韓国辺りに旅をしていた。土産物店で何やら不明な液体の瓶を手にし、ひと舐めしたYOSHIOが、これを買うと言いだした。止めたら、と私が言う。YOSHIOが値段を訊くと300ドルだった。途端に、彼の顔つきが変わった。な!四万円もするものを買っちゃいかんだろう・・・」そんなことを言っている夢だった。本当にくだらない夢を見たもんだぜ。

それで寝起きとは、朝からついてない・・・。
弁当だけは作りたいと、鍋で飯を炊き、北海道のT女史が送ってくれた「ホタテ」でバター焼きをメインにする。鯖文化干しを焼き、昨日買って帰った竹輪の煮付、ター菜のオリーブ炒め、スクランブルエッグと、以上の簡単弁当を何とか間に合わせた。

 -畑あそび―

12日(金)の午前便で帰省。何時ものように飯作りと、畑遊びで過ごした。14日の日曜日に「中山やまいも祭り」のイベントが学校跡(小中学校とも廃校なのだ)であり、それに行って昼酒を飲んだ。小さな体育館ではあるが、人で埋まった。親戚で軍鶏を飼っているのが、後ろで飲んでいたが「年末に軍鶏肉を持っていくよ」と、愛いやつだ。正月早々から「軍鶏鍋」か・・・。

                   

畑の柚子は殆ど収穫が済んだが、温州や小ミカン・紅ミカンの小粒で種ばかりの蜜柑が熟れていた。それに文旦や八朔、甘夏にポンカン・ネーブルが数は少ないが、色づいている。

        

焚火をし、小さな木に果実鈴なりの枝に添木をしてやる。果実が成長した重みで今にも折れそうだ、事実折れている枝もあった。未だ青い果実は、五月が旬となる「小夏」と、小さな木に一つだけ重そうな実を垂らしている「バンペイユ」だけである。

蜂も冬休みで飛ばない、草刈も要らない、のんびりした時期である。畑にタマネギを植える時期を逸した、絹ザヤも種を播かなかった・・・。春、成長の季節の愉しみがねえや・・・。

 焚火に当りながら、畑遊びをして過ごしたのであった。幸いにも、帰京日の他は天気に恵まれた。

郷里で食べたものは、地魚の刺身や鯖を焼・味噌煮にしたほか、川カニ(ズガニ)の味噌汁、熊本は菊池の「雉鍋」、タラバ蟹のシャブシャブなどであった。中でも、雉肉(鍋と炊き込みご飯にした)には、従姉や妹夫妻も喜んでいた。

                           

                               ズガニの味噌汁

 

 

 

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