オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

番外編 今年最後の宴

2014-12-29 | Weblog

12/29(月) 先週末、26日で会社も仕事納めとなった。この日は、午後6時から仕事納めの乾杯をし、一時間程で会社を後にした。その後、昨年会社を辞めたBINと、久々に「高松」にて一献交わすことにしていたのだ。BINは、サラリーマン時代の私の部下であった。彼は早くにその会社を退職したので、私の処に呼んだのだが、九年で辞めた。

今更ながらではあるが、かつての仲間であり、行く末は彼に会社を委ねたいと思っていたが、その思いは叶わなかった。人それぞれの思ひや生き方があるので、そのことは問わない。元気に生きていけばいいだけのことである。そんな彼と、年末最後に飲もうと声を掛けていたのだ。先生をしている彼の奥さんも見えて、暫し彼らの故郷、津軽の町のことなどを話して過ごした。それから「セイジュ」でカラオケと、一緒に居た頃と同じパターンの時を過ごした。帰宅は零時であった。

休みに入った土曜日、午後から会社に出たが最終の目的は夜の部であった。この夜で、赤坂「禅」は店仕舞いをする。六本木・麻布警察の裏手に在った店の頃からだと、三十年が経つ。赤坂東急ホテルのBAR「マルコポーロ」で唄っていた、現オーナーの橋本葉子さんの歌とピアノを聴いてからだと四十年の年月が流れた。葉子さんのご主人だった東郷さんが亡くなって、七回忌もすぎた。我が歌姫は、郷里の秋田に拠点を移すと云う。

こうして一つの時代が過ぎ、去って行く。最後の日だ、顔を出さなければならないのだ・・・。

その「禅」に向かう前、先ずはこの夜にブルースの”桑原コースケ”バンドが入る「ローカーボ」にて一杯やった。リハーサル中のバンドの音を聴きながら一杯やるのは乙なものだ。グラスの先に、音合わせの面々が透ける。

               

            

もう一軒「ちょっぷく」から、大掃除後に忘年会だと声を掛けられている。ここへは、何時ものCOCO一番の10辛カレー・ルーを持参しての参加。昼間のオバサンの在所を聞いたり、何時も姿は見ているが言葉を交わさない中国・ベトナムからの出稼ぎ姐さんの話を聞きながら飲んだ。禅に辿り着くまでに相当出来上がってしまった・・・。

             

禅に漸く辿り着いた時は、22時前となっていたか?客数は以外にも少なく、四人だった。それに元のスタッフやミュージシャン(尤も全員がそうだが)が四人度顔を見せていた。『禅』最後の演奏は、入り口に立ったまま聴いた。そして、赤坂から渋谷に出た。旧缶詰BARに立ち寄ってからの帰還となった。

              

 

昨日、郷里からの連絡で伯母さんが亡くなったとの知らせを受けた。葬儀は30日とのことだが、告別式には間に合わない。火葬場か、初七日の読経が流れる頃には着けそうだが。確か、九十四歳かと思うが、今年一月に長男が急逝した。そんなことが、老いた体に響いたのか。

酒場巡りと葬式でスタートした一年は、始まりと同様に暮れて行くようだ・・・。

 

コメント
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