3/9(金) 昨日は午後一番で客先を訪ね、それからもう一社で打ち合わせ。外出から戻ルト、今度は社内の打ち合わせとなった。これが長引いて夕方六時半近くになった。本来なら、この時間に上野のホテルで地球市民の会・SATO会長とお会いしている時間なのだ・・・。
大慌てで電話し、人形町まで来て貰うことにした。三十分ばかり余裕が出来たので、メールの返信や書類のチェックができた。そんな次第でBLOGをアップする暇もなかった。と云うことで、遅まきながらも昨日の弁当写真だけでも載せる。
こうして写真を乗っけても、昨日は何を作ったのかすら朧になっている。炒飯、牛プルコギ炒め、鮭焼、小松菜卵炒め、チキンのソテー?はその前日か。斯様な状態のボケになっている。
以上のようなメニューであったろう・・・・。
次いで今日の弁当メニューだが、「トンカツ」である。赤魚の味噌漬け焼、塩揉み胡瓜と卵焼き、そんな処だ。
今日の弁当は一つだけで、長女の分だ。家人は早朝から田舎(福井市)に向かったのだ。深夜からの豪雨で新幹線が心配だと云いながら・・・。オムスビでも持ってくか?と訊いたが、そんな余裕もなく早い新幹線に乗ると出て行った。
明日、郷里の病院に入院している母親の退院とともに、東京に連れてきて同居することにしたのだ。母親にとっては、住み慣れた土地を離れて東京暮らしをするのは嫌だろうが、選択肢はこれしかなかったようだ。気の毒ではあるが、元気に暮らしてくれることを願うばかり。
家人を送り出してからも、弁当作りをつづけた。ボケオヤジ、唯一の手慰みである。
今日は、朝の弁当につづいて昼もと、云うより出社の一時間後には飯作りを始めた。月に一度のランチ会の日である。九時半からの全体会議が終わり、そのまま狭いキッチンにて下拵えを始めたのだ。
ランチ会のメニューは、弥生三月雛祭りと云うことで「五目チラシ」にした。これと、どう関係が有るか不明だが「肉じゃが」と「かき玉スープ」、定番になった「野菜サラダ」である。
YOSHIOを助手に(煩い助手なんだよ、指示まで出しやがるから)、ジャガイモ・人参の皮を剥きと云う具合・・・・。前日の買い物は、打ち合わせが伸び、SATO会長と会う時間が迫ったのでYOSHIOに頼んだ。暗い雨の中を買い出しに行ってくれた。メモをし忘れていた人参もしっかり買ってあった。便りになる男だぜ!。
然し、朝の弁当につづいてのランチ会の準備だ。流石に草臥れてしまった。体力ガタ落ち、脳味噌空っぽ、財布は超軽の三重苦 ・・・・。今夜は「セイジュ会」で、またしてもお札が・・・・・・・。ボートレースの水に溶かす、馬の人参になる、よりは生きた使い方であるかも?。
昨晩はSATOU会長を人形町に迎え、行ったのは「高松」であった。会長に、『高松の女将が「この前見えた会長さんは素敵な方ですね、また案内してください」って、言われてんですよ、人形町まで来てください』と伝えたのが功を奏したかな?。慣れぬ街で、雨の中を来てくれたから。
昨夜は一軒だけ終わったので、駅で会長と別れ真直ぐに帰宅した。駅前の東急ストアにて、今日のランチ会の買い物をしてから帰宅。それから五目チラシ用の錦糸卵を焼いた。これぐらい真面目に仕事をすれば・・・、会社も安泰であろうに。世の中、上手くイカンザキだ。
日曜日、朝便で佐賀へ。古賀さん伝記本の校正を擦り合わせ、翌、月曜日は出版をお願いしている石風社がある福岡へ。校正渡しと、今後のスケジュールなどを擦り合わせる。帰京は夕方の予定。羽田から「モナリザ会」のある銀座に向かう予定だ。