3/13(火) 日曜日、予定どおり10:05発ANA便にて佐賀に向かった。空港バスで佐賀駅前のバスセンターに着いたのは12:45分頃であったか。ステーションの喫茶&飯と云うような店で朝食を食べてないこともあり食事を摂った。
今回の旅は、佐賀では古賀武夫伝の校正―個人名がでることや佐賀弁のチェックなど― の他、販売&資金計画などの打ち合わせである。午後二時、OONOさん、YAMASHITA夫妻、本の実行委員長であるKOGA・DAISHI氏が集まり校正となった。特に人名や地名については、当地の人しかわからないことがある。
凡そ三時間に渡る校正作業も無事に終わった。刷り部数や販売価格、販売目論みなども確認した。この後は、翌日に福岡の石風社に持ち込んで、最終校正ををお願いすることになる。
翌日、前日に佐賀に着いたと同じ時間に博多駅に降り立った。佐賀から博多までは特急電車で40分ぐらいなのだ。石風社とのアポイント時間には早すぎたのでコーヒーを飲みながら約束の時間を待った。それから三年ぶりに石風社のドアを押した。打ち合わせの方は万端整った後に、今度はTUGAWAさんの書いたものを出版する企画について相談した。
我が社の35周年となる来年7月まで一冊の本に本にしたいのだ。その相談をしたのであった。全て了解で終え、福岡空港へと向かった。16:25分ANA羽田行まで少々の時間があった。佐賀駅の書店で買った本を読み始めた処へ、携帯が鳴った。
友人のT物産社長OKAZAKIさんからだった。人形町に来たのでお茶でもどうか、のことかと思った。福岡に居るので申し訳ないがと云うと思った先に流れて来たのは「新井先生が亡くなったそうです。家族葬とのことですが、参列させて貰うことにしました。」との連絡であった。
ゼン・プランニング・コーポレーション社長の新井先生とは、三十年余も前に、サラリーマン時代にユニホームのデザイン・監修でお世話になって以来、交流をつづけてきた。それが、年に何度かであれ。服飾デザイナーの新井俊二さんが亡くなったとは・・・・。私より一回り以上の年齢であったので、分からぬでもないが・・・・。
今年の年賀状に、これからの人生を迷わぬように生きると云うようなことが記されていたが。その三月も経たぬうちに亡くなれたとは・・・・。
新井先生と思い出は後日記したい。これから上野・池之端で執り行わる先生の通夜に参列するので・・・・。限りなく思い出はある。OKAZAKIさんと一緒に行ってまいります。