3/22(木) 昨日の午後便で高知を発って帰京した。高知も雨だったが、ワイシャツにジャケット姿の私には江戸の雨は殊のほか冷たかった。駅のスーパー・東急ストアにて傘を調達しての帰宅であった。
冷えた体が温まる間もなく、家人が仕事で不在であったので飯作りに勤しんだ。義母が先週末から同居するようになったので、夕食を待たせるのも気の毒と思った次第。雨続きだった帰省中も飯作りで遊んでいたが、帰宅して直ぐに飯作りに入るとは・・・・、好きじゃなきゃやらいないが・・・・・。
飯を炊き、野菜を煮た。大根&人参と鶏肉の炊き合わせに茄子煮である。そして重い思いで持参した大きくなりすぎた椎茸とアスパラのバターソテー、山女魚の天麩羅、ニロギの唐揚げ、そんな処であったか。
番外編で、もらってきた「山女魚」と「鮎」で姿寿司を作った。同じ川魚ながら、どう味が違うのか?それを知る為であったが・・・・。鮎は昨年の秋に捕ったもので脂が乗っているはず。一方のヤモメならぬ山女魚は、解禁明けで身が細いのだ。都合五匹を姿寿司にしたが・・・・。軍配が上ったのは酢飯の方であった?。
どちらも18cmぐらいの大きさ
帰省中も連日、野菜煮(茄子・カボチャ・大根・白菜等)や小大根の葉の塩揉み、ホウレンソウのお浸しやソテーと自分で植えてあった野菜を食すのにも忙しかった。加えて、ロールキャベツ、肉じゃが、春巻きやトンカツ、フキノトオや茄子・薩摩芋の天麩羅の揚げ物、チンジャロース・ホイコーロ等の炒め物、シチュウー、親子丼、鍋に炊きこみご飯やウドンに雑炊と、食い意地の塊りのように料理をつづけたのであった。
サラダ在り、刺身が有り、お浸しに漬物、無いのは金ばかり也とは・・・・・。一週間の食材費は、〆て二万五千円也。掛け過ぎだね・・・・。
食材費ゼロ円の秀逸は「小鳥の焼き鳥」だった。昔は自分で撃ちに行ったこもあるが、小鳥の焼き鳥を口にしたのは三十年ぶりかも?。七輪を探しだして炭を熾し、タレを作って焼いた。味の方は・・・・さして美味いとも思わなかったが、今や珍味の部類であろう。
それもこれも、雨・雨、又雨と、一週間のうちに五日も雨がつづいたのだから・・・。晴れたのは土曜日、一日だけであった。この一日で草刈りや有機肥料撒きを終えたので、後はなにをしようと、と云うことだが。
とうてい食べきれないので、従姉や従弟も呼んだり届けたり。テーブルの上は、毎回満艦飾の賑わいであった。20日には、十五日に解禁になった山女魚をKATUOが釣って来た。四時間ばかり五十匹以上を釣ったそうだ。それを焼いて持ってきた。帰京の日には二十匹ばかり開いたのを貰った。
今回の帰郷は飯、また飯作りの日々と総括できよう。一括りで云えば「飯炊きオヤジの帰郷日記」になりそうだが、この件はこの辺りで止めておこう。
畑に植えた「枝垂れ桜」が、数十輪であろうが花を付けた。ピンクと云うよりはもっと赤に近い色合いだった。この枝垂れ桜の苗木を手に入れたのは四年前になると思うが。東北の震災後三年をテーマにした取材行に向かう途中で、滝桜の三春に立ち寄った。その折に、滝桜の末裔との触れ込みの、1mばかりの幼木を二本買い、郷里に送った。
桜桃 枝垂れ 桜桃
一本は庭に、一本を畑の隅に植えたのだ。庭に植えた一本は背は伸びて3m以上になったが葉は繁れども花付けぬままだ。が、来年には花も咲かせよう・・・・。
畑の花と云えば、桜桃が白い花をいっぱいに咲かせていた。栗の樹の下に植えたので、伸びが悪いながら花だけは枝枝に綿毛を散らしたように付けている。そして、ソルダムの木も花を咲かせ始めた。愈々、山里に春本番の到来である。
かくして、飯・めし・メシの一週間が明けたが、明けた今朝も飯作り也。今朝は「弁当」飯である。
一週間ぶりの弁当は、「トンカツ」「掻揚げ」「椎茸のソテー」「秋刀魚丸焼き」「卵焼き」「竹輪胡瓜」「小松菜の卵炒め」であった。これだけあると、弁当に入りきらぬので、適用除外品がで出る。二人の好みを斟酌しながら、入れるものを決める。
人生には斟酌も忖度も大事であるが、この使いようが肝要なのだ。その点、吾輩のようなベテランになると間違いないし、間違えようがない。世間から指弾されたり、証人喚問なども有りようがない。例えあったとしたら、全て自己責任。自分で判断したことは己の責任と、男は黙って縛につくのだ。せめて、弁当事ぐらいは・・・・ワッハッハ!(バカだね~俺は、なに言ってんだろう・・・・)。
最後に味噌汁を作ったが、これは義母のためである。優しくなっきゃ男じゃない、優しいだけじゃ男じゃねぇ、気配り金配りと忙しいいんだよ?。意味不明。