オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

弁当だ・・・

2018-05-31 | Weblog

5/31(木) 月末を迎えた、一日一日がはやくなった。こうして老いてゆくのであろうが、実感がないとはいえ、体力と頭髪の衰えだけは隠しようがない。全てに拘りのない生き方を願いながら、未だ恋々とすることばかり。

とてもじゃないが、仙人にはなれそうもないので、単位を落として百人ぐらいにはなりたいものだ。先日、佐賀街道を歩いたおりに面白い立て看板を見た。川柳を書き連ねてあったが、可笑しくて笑ってしまった。

「不出来な子故郷捨てず親を看る」「やせ我慢いつもしてるが痩せられず」、―18歳と81歳の違い―とある立て看には「道路を暴走するのが18歳 逆走するのが81歳」「心が脆いのが18歳 骨がもろいのが81歳」や、わろてんかでは「年賀状ださずにいたら死亡説」「ご無沙汰を故人がつなぐ葬儀場」なんて・・・、可笑しゅうてやがて身につまされる言葉が並んでいた。

                     

 

話が横道に入ったが、先ずは今朝の弁当だ。昨夜の帰りに東急ストアで牛小間と鮭の切り身を買った。四日ほど家の冷蔵庫を見ていない、食材が心配だったからだ。案の定と云うべきか、冷蔵庫の食材は私好みじゃなかった。

「牛小間のプルコギ」「鮭焼き」と昨夜買った食材の出番となった。ブロッコリとスナップエンドウに春雨を茹でたサラダ、ホウレン草を巻いた卵焼き、蒲鉾が今朝の弁当になった。

                           

郷里での短い滞在では、畑の野菜(フキ・蕪・小大根の間引き、胡瓜)に黑筍と、何時もと違って野菜ばかり。煮る、炒める、塩揉みと、採れったてを食べて済ませた。母親が不在なので、品数も増やす気にならない。母が居ても少ししか食べないが、いないとなると作る意欲が半減した。不思議なものである。

                          

間引いた小さな根菜だが、これが結構なお味であった。従姉などは大根葉の塩揉みをいたく気に入り「東京へ帰る前に作っておいてや」なんて言うしまつ。まぁ~秘伝の味付け効果かな?。こんな暮らしに馴れると健康的、且つ、お金が要らない・・・・かも?。

今日の弁当の紹介が遅れたが、次の如しである。

                          

 

 

 

 

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