オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

佐賀~高知、そして帰京。

2018-05-30 | Weblog

5/30(水) 先週の土曜日、正午前に麦秋の佐賀空港に降りた。13時からの「地球市民の会」第三十五回総会と、引き続いた記念講演会&パネルディスカッションは、人口減少と外国人移民についてであった。

                       

つつがなく終わった総会、そして外国人移民については、国際交流センターの毛受氏の講演。毛受(めんじょう)と読むのは不覚にも知らなかった。質疑応答の時に、移民問題の質問に加えて、その名前の由来を訊ねたところ、柴田勝家の家臣としてその名が出てくるとのことであった。余談だが・・・。

人口減少=経済問題であろうが、経済も大事だし国家としてのありようも忘れてはならない。この国の将来を数百年単位で考えないといけない問題であろう。その為の受け入れ方、共通の文化と価値観を持つて共生できる仕組みを如何に構築していくか。

その点では、諸外国に比べて如何に遅れているか認識できた。甚だ不遜極まりないかもしれないが、この問題解決においてビジネスチャンスが多々あるように思った次第。

会場の奥のテーブルに、前日に納品されたばかりの「地球を翔けた異風者 古賀武夫伝」(石風社)の書籍が並んでいた。本になったのを見るのは、この時が最初であった。売れてほしいねぇ~。

                        

この本の出版にあたっては、時間もお金もかかりましたよ!。それを惜しいとは思わない、好きでやったことだから。地球市民の会の理解者が増え、そして執筆の労をとってくれた「橋本和喜」氏の成功に繫がることがなによりである。東京の会にご協力を頂いた皆様には、後日の到着を持って、贈呈させて頂きます。

夜は佐賀市内のホテルにおいて、出版記念祝賀会が盛大に開かれた。百名余の関係者が集い、盛会を極めた。

                        

執筆の橋本氏の挨拶、日韓交流の釜山・前会長の朴さん、前佐賀県知事で衆議院議員の古川さんの挨拶と感動深いものがつづく。オープニングで古賀武夫を寿ぐ曲と咏を奉じた薩摩琵琶の北原さんの演奏に感銘を受けた。

                         

宴は二次会へと移り、朴さんや毛受氏も加わった古賀道場での酒盛りは遅くまでつづいた。翌日の、テラネット全国会は延期になり、来年釜山で開こうと云う案がでた。私はすべてお任せ、事務局が決めた場所に参りますと応えた。釜山での日韓交流会には、これまで二度参加している。

翌日の時間が空いた。丁度、維新150周年のイベントが開催されていると聞いたので、NAKAMIZOさんの案内で、イベント会場を見た。佐賀出身の維新の英雄、七人を取り上げて映像で紹介する内容であった。これに関してはさほどの感心も、面白さもなかった。

その後、市内の長崎街道沿いに在る家並と町おこしの企画などを見た。会の理事をされているNISHIMURAさんのステンドグラス工房「グラスパレット」が、歴史民族館・旧久富家にあるとのことで立ち寄った。

タイミングよくNISHIMURAさんが来られ、中を見せてもらった。十数年前にステンドグラスの教室に通い、そして自分で工房を持たれたのは四・五年前のことか?。私も窓ガラスにはめ込むのを注文したいが、未だ窓の寸法を計れていない。

                         

工房では教室をメインにし、作品創りと展示をされているとのことであった。作り方など聞き、暫し歓談した。

佐賀を楽しんだ後、バスにて福岡空港へ。朝夕二便だけの高知便に乗るためだが、17時過ぎの便であった。空港に着いてから、搭乗まで三時間もあった。時間潰しにひたすら酒を飲んだ。

                      

搭乗機では眠くなるかと思ったが、ゲロも吐かずひたすら機窓から下界の景色を眺めて過ごした。四国に入ると「KATUTA君が住まう、久万高原はあの辺りかと」四国山脈の山間に開けた盆地を眺めたが・・・。

空港に出迎えてくれた妹夫妻と、母が入院した安芸市民病院へt直行。個室の空がないとのことで、四人部屋の窓側のベッドに横たわっていた。

朦朧とした目を開いたが、言葉は弱々しくはっきりとしない。どうやら膀胱がんとの診察で、膀胱から出血していたそうだ。輸血を二度、止血薬を手から通したカテーテルで入れていた。

                           

医者が言うには、治療が済めば退院ですが、次に出血すると長くないでしょうとのこと。高齢なので手術も、放射線もしない方が宜しいと云う。要は、なにもしないで悪くなれば死になさい。と云うことか?と、腹立たしくなり、ついつい態度が横柄になっていた・・・。小人、救い難しの図である。

月・火と病院に通い、大先生からも話を聞くも、変わりなし。ケアマネに蓮絡し、施設情報や今後の対応について検討を依頼。家人が来れないので、代りに長女が日帰りで来てくれた。

俺たちじゃ、医者に訊くことも言われることも心もとない。そう思ったのだろう。母は長女の姿を見て喜んだようだが、直ぐに目を閉じて自分の世界へと行く。夢と現を行ったり来たりしているようだ・・・。

そんな日々で、ミカン畑の草刈をする余裕がなかった。が、畑の梅の実を採ったが、実が落ちると草を刈る時に大変な目に遇う。腐った実が飛び散って大変なのだ。15Kgほど採ったが、そのうちの3Kg程を焼酎漬けにし、後は従姉や妹に渡した。

                 

今年は珍しくソルダムが実を多くつけた。されど、色づくとハクビシンの襲撃にあいあっという間に喰われて消滅する。枇杷の実が見当たらないが、こっちの方はヒヨドリにやられたようだ。色づいた瞬間にだ!。      

漬けた梅酒は、従弟のKATUOが好きなので昨年につづきである。酒が飲めぬKATUOだが、梅酒の梅の実が好物だと云う。今回の帰省で出来なかった草刈りは彼に頼んだ。相身互い?というか、それなりに俺も気を使うのさ。

今日は病院に立ち寄る間もなく、高知空港に向かった。朝から本格的な雨になっていた。昼に羽田空港に着いた。午後からの出社、こんな気紛れな勤務ができるのも先見の明あり?か。独立、貧乏、気まぐれと云う。田舎では田舎でなりに、考えるのよ

                       

上の写真は「空港」、テレ・サテンじゃないが、雨の高知空港。搭乗前の一枚である。

 

 

 

 

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