オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

田舎の高校

2018-05-25 | Weblog

5/25(金) 昨日のコンサル実査を17時で切り上げて貰い、田舎の高校の同窓会に向かった。田舎県のさらに田舎にある高校の出身である私は、なり手がない在京同窓会の代表と云うことにされているのだ。

我が身の不幸を恨んでも仕方ない、ここ十年程その小役を担ってきた。だが今回、母校創立70年の節目を機に同窓会解散を宣言するつもりであった。と云うのも、若い人は全く来ない。先輩たちはご高齢化でご逝去・病気・入院・歩行困難と惨憺たる有様なのだから。

挙句に、案内状の返信は30%しかなく、そのうちの10%しか参加かがない。これ以上続ける意味があるのか?とここ数年思いつづけてきた。どこのOB会も、地域の会も高齢化などで行き詰っている。更に若年層との価値観の違いは埋めようのない溝でなかろうか。

そんな思いを抱いて渋谷「奈加野」に向かったのであった。参加してくれるOBは毎回同じ顔ぶれながら、そのうちの四人が歩行困難で欠席、もう一人はご逝去された。

今回は校長先生が変られたので、新旧の校長先生が参加してくれた。と云うのも、開催時期を全国校長会が開かれるこの時期に設定しているからだ。前任の校長は4年在校したので顔馴染だし、新任の校長には4月の帰省で会って来た。そんな訳で、皆さんと顔が繋がっている。

会の方は高知県人らしくワイワイガヤガヤと俺がオレがの会話になり、人の話を聞かないのは何時ものこと。そんな状態で三時間も飲んでいた。こっちは、今日もコンサルが入るので早目に切り上げて・・・だったが。

そんな俺の心中など知る由もない先輩が、新旧校長を二次会に引っ張るのだ。こっちゃ知らん顔の半兵衛とはいかず、付き合う。ついでに支払いもする念の入れようだ。毎度のこととは云え、草臥れた

学芸大学に着いたのは零時前だった。肝心の「休会あるいは解散」の件は、来年も頼むぞ!、の一声、二声で『来年を楽しみにしてますから、皆さんご健勝にてお過ごしください』と、応えざるを得なかったのであった。

そして今朝、目覚めたのは五時であった。なんとまぁ~お早いことだ。今日こそオムスビにする積りだったが・・・・、六時に台所に入るとそんな気は失せていつもどおりの弁当作りになっていた。

とはいっても食材は乏しい、新牛蒡があったので「豚小間の牛蒡巻」「キンピラ牛蒡」を作る。鶏肉は煮るか、揚げるか、ソテーかと迷ったがバター&オリーブ焼きにして野菜ソテーを添えた。

                    

胡瓜が沢山あったので「若布と胡瓜の甘酢和え」、しけた鮭を一切れ焼き、卵はオムレツ風と、残っていたニラを使って「ニラ玉」を作る。ニラ玉の方は弁当には入れない。

と云うようなことで、今朝の仕度が整ったのである。

                        

さて、今夜は「ローカーボ」でRYOKO姫がベリーダンスを披露することになっている。先週の料理界でJINパパにも話したので、姿を見せるに違いない。今夜の人形町は熱くなりそうだ・・・・。愈々、熱帯夜到来か・・・・。

てなことをいっても、早目に切り上げたいのが本音。明日は朝の便で佐賀に発ち、午後から「地球市民の会 総会」夜の部は「古賀武夫 伝記本」の出版祝賀会である。明けた、日曜日の午前中はテラネット連絡会が開かれる。

私がこうした会に出るのも今年で最後にしたい。同窓会然り、あらゆるものから消えていく時期だとおもっている。何時までも老害をまき散らしている分けにもイカンザキ。潮時を心得なくては・・・と、そんな心境である。

日曜日の夕便で、福岡から高知に帰り、ミカン畑と云いたい処だが、今回は母の様子を症状を計ってくることになりそうだ。火曜日に入院し、来週の火曜日の検診で凡そのことが判るといいのだが・・・・。田舎の病院だからネッ。

帰京は水曜日の正午頃か・・・・、それまでごきげんよう

 

 

 

 

コメント
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