週末
7/29(土) 木曜・金曜の夜と連日、人形町に出掛けた。昨日の夕、人形町「高松」蕎麦店にてUSUI老と待ち合わせた。五時半、店に着くと予約客で満卓であったが居合わせた常連のカップルの席に相席させてもらうことができた。
木曜日「うまし」から銀座六丁目にある小さなBAR「順」へとYAMAGUCHI氏を誘いひと時を過ごした。その折にカウンター席に隣り合わせた方の穏やかな顔をみてグラスを掲げた。そんなことから会話が始まったら、ママから紹介された。ママの知り合いだった。
酒場にて・・・
その方は福岡市から上京されており、NGO福岡ネットワークという国際協力・交流活動をする組織に所属していた。長くチェルノブイリ原発事故の被害者への医療支援活動をされているとのことだった。
九州のNGOと聞けば、会員になっている地球市民の会やペシャワール会がある。そんな話をして会話が弾んだら、一冊の本を頂いた。「子どもたちのチェルノブイリ」と云う本である。
翌日の昼間、暇にあかせて頂いた本を捲った。原子力被害を受けたベラルーシの子供達の作文集と、甲状腺がんの発生率や医療支援の状況などで構成された内容であった。
一読し、改めて原発事故がもたらした悲惨さ — 平穏な日常が壊され戻ることのない現実と、体を蝕まれることへの苦しみ。強制移住による別離と望郷の思い — が、十代の視線で書かれていた。そして、福島の原発事故。人間の驕り、繰り返される事故と、改めてあらゆる核の廃絶の必要を訴えている。思いを同じくしたのであった。
酒場での出会いも悪くない・・・。順のママさんは葉隠れの国の出身で中々の女傑である。店のアルバイトにもフィリッピンでNGO活動をしている娘もいるのだから。半年ぶりの「順」であったが、面白い出会いがあった。
週末の金曜日ともなると界隈の店は賑わう・・・。予約もしないで行くと、こんなことはままあるが、大概は何とか潜りこませてもらっている。二軒目に寄った「ちょっぷく」では、外に置いた臨時の席で暫く飲んだ。
USUI老と飲んでも目新しい話もないが、その分落ち着いて過ごせる。聴き飽きた話に相槌をしながら飲むのも乙なもんだよ!。昨夜もそんな時間であったが、相席のカップルに老は我が故郷の高知がいかに好いかと力説。「遊びにおいでよ泊まるとこはあるから」と、自分の家のようなことを云う。
老達は、達と云うのは他にYOSHIO&FUJIKURAだが、八月末に来高すると云う。今年で四度目になるか、飯作りから膳の上げ下げまでこっちがするので気楽なものだろう・・・。なかなかいい性格と云うか、見上げた根性である。それくらいで居てくれた方が、こっちも気を遣わなくて済むが。
一昨日に金沢から来た義妹夫妻が、昨日は娘の処に泊まり、今日の昼前に寄った。その分けは、義母を金沢に連れて帰るとのことで。昨日の昼過ぎに家を発つ間際にそんことを言って出たのだが・・・。
どんな話があったのか分らぬが、義母は金沢で長く暮らしたので、それが一番だろと思ってはいたが・・・。一週間で戻るか、はたまた一ヶ月になるか判らぬが気分転換にはなるだろう。
その間こっちは、ご飯の心配をしなくて済む。ネギ・タマネギ・ピーマン・トマト・茄子に青魚を食べない。暫くは賄い方の俺も料理に困ることがないと云うものだ。
お小遣いでも渡せばよかったが・・・、それは家人に任せた次第。
明日の夕は、後輩のMIYAMOTOが広島から来て泊まる。なんでも社会人野球の応援で上京するとのこと。野球の応援に足代を出して駆り出すとは、いい会社である?。さておき、久々に彼と会うので楽しみである。二週間前に新宿で会ったメンバーと同じく、新入社員で入寮してきた独身寮時代からと云うよりも、剣道部の後輩である。