オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

夜明けだ・・・

2019-07-31 | 弁当

7/31(水) 夜が明けたようだ、カーテンを少し引いて小さな空を見上げると薄曇りの下で白々としている。前夜の夕食後、本でも読もうと布団に横たわっている居るうちに眠り込んでいた。

二時間程前に目覚めるとスタンドも部屋の灯りも点いたままであった・・・。ここ二三日、自問している。これも暇なるが故であろうが。

東京でやるべきことも無くなった。郷里に帰って先ずは実家の整理、何があるのか、田舎でやるべきことが何か生まれるのか、そんなことをぼんやりと考えてきた。そんな中で湧き上がってきたのは「仕事をやり切ったのか?」と云う思い、疑念である。

生涯現役と云いながら、会社の発展、従業員の成長と安定、我が身の能力不足、それらを勘案した末にM&Aで会社を辞めてから丁度一年となる。年末まで仕事の引継ぎなどで席はあったが、年明けからは素浪人、暇な日々を過ごしてきた。

酒場のオヤジになる計画も手ごろな店がなく、敢へ無く頓挫した。自分の居場所を思案した挙句の結論が郷里に帰る。であった。

そう半ば決めながらも、揺れていたのであろう。生涯現役と言ってきたことへのこだわり化、或いは仕事をやり切ったのか、という自身への疑念。今更企業を企てるには、能力・体力・気力・資力は乏しい。ならば、何があるのかとここに至って揺れるのである。

夜中に目覚めると、そんなことに惑わされるのである。我が必然はなにかと。飯作りや舟遊びの中に解がないことだけは確かである。今しばらく揺れるしかない。

 

そんな暇な日々、先ずは昨夜の飯作りから・・・。予定もない一日であった。三時間弱を舟遊びで過ごした後、夕食用の買い物をして帰宅。

鶏肉・牛肉・魚・野菜などを少々であったが、この中から「鯖味噌煮」「鶏モモのソテー」「小鯛の塩焼き」「胡瓜の飲物」を用意した。主食は「半田ソーメン」にしたので、鯛の頭と昆布でソーメン用の出汁を取り、潮汁を作る。

         

長女一家が来ないので、二人分にしては余ってしまった。

家人が漬けた新物のラッキョウを味見したら上々の浸かり具合であった。ビール、ワインを共に一人飯をはじめてから、暫くして家人が帰宅。テーブルにならんだ料理を見て、あきれ顔であった。

                     

 

朝の弁当は小物(少量)ばかりを七種。弁当箱に詰めるに苦労した。「カジキのソテー」「牛漬け炒め」「鯖文化干し」「ベーコン&ピーマン炒め」「小松菜の煮浸し」、冷凍してあった春巻を一つに、スクランブルエッグ、以上。

             

 

 

 

 

 

コメント (2)
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